若松真平
2015年7月1日10時48分
■就活する君へ
東京・浅草にある飴(あめ)細工の工房店舗「アメシン」。ここでつくられる作品が「命が宿ったよう」「食べるのがもったいない」とネット上で話題になっています。作っているのは手塚新理さん(26)。高専を卒業後、「刺激のあるものづくりをしたい」と花火職人になり、その後、飴細工の世界に飛び込みました。しかも、その技は独学で身に着けたもの。手塚さんにとって「働く」とは、どういうことなのでしょうか?
今戸神社前にあるアメシンを訪ねました。手塚さんが温めた飴を手でこねて形を整え、握ったハサミで切り込みを入れます。まるでハサミが指の一部になって7本の指が動いているかのような手際の良さで、あっという間に金魚が完成。その時間は、3分ほど。飴の芯が固まってしまうと作れなくなるため、ハサミを持ちかえる時間でさえ無駄にできないそうです。「繊細で扱いにくいからこそ、その中で何ができるかを追究するのが面白い」と話す手塚さんに、話を聞きました。
■花火職人から飴細工師に
――中学卒業後に高等専門学校(高専)に進んだそうですね。
「小さいころから木片を使って、いろんなものを作って遊んでいましたから。高専に進んでからは溶接や鋳造など、ものづくりの基礎を学びました。周りの友人たちは自動車メーカーへの就職や、リニア新幹線開発などを目指していました」
――手塚さんは卒業後、はじめは花火職人になりました。
「刺激のあるものづくりをしたい、と思ったんです。そんななかで見つけたのが花火職人でした。常に死と隣り合わせの仕事です。火薬の製造や取り扱いに関する資格をとった上で、地元である千葉県内の花火屋に就職しました」
――2年ほどで退社したそうですね。
「海外製が増えるなか、まじめに作っている花火師がバカを見ていると感じたんです。自分は何がしたくて、何をすべきなのかを整理することにして、貯金を切り崩しながらの生活が始まりました」
――そんな中で見つけたのが飴細工ですか?
「調べてみると、やっている人が少なく、『この人のもとで学びたい』と思える人が見つかりませんでした。そこで、飴づくりに関する文献や、インターネット上の情報をもとに独学で技を磨きました。半年ほど家に引きこもって研究していたので、両親からかなり怪しまれました」
――半年ほどでホームページを立ち上げて、企業のイベントなどで実演を始めたそうですね。
「デフォルメしたかわいいものを作れば反応はいい。でも、デフォルメせずにリアルに作ることを追究しました。リアルなものが作れればデフォルメは簡単にできますから。いきなりうまくなったりはしません。練習の積み重ねと試行錯誤が必要です」
――作品がツイッターなどで話題になっています
「手土産用に買ってくれるリピーターも増え、浅草の観光客も足を運んでくれるようになりました。先日はニューヨークで作品展示や体験教室を開きました」
――海外でも人気なんですね。
「問い合わせは多いですね。でも、海外に商品を持っていくのではなく、日本に来させるぐらいまでにしたいと思っています」
――今後の展開は。
「飴細工は江戸時代以前からあるストリートカルチャーで、時代に合わせて進化してきました。伝統工芸としての価値にぶら下がっていても衰退するだけなので、千年先を見据えて作っていくつもりです」
――いろんな体験を経て飴細工師として活躍していますが、手塚さんにとって「働く」とはどういうことなのでしょうか?
「働くとは『自分を納得させること』だと思います。理想があって、それに向かって一歩一歩近づいていく過程のことなんじゃないでしょうか」(若松真平)
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