弁財天
ゴフマン「専門家を信じるのではなく、自分自身で考えて判断せよ」
ゴフマン「専門家を信じるのではなく、自分自身で考えて判断せよ」
東電OL殺人事件が発生した1997年3月19日の1週間前に起きたのが
東海再処理工場における火災爆発事故
1949年 | 東電OLの父親が東大工学部を卒業。22歳想定。 |
1976年8月 | 1F1号機定検入り。制御棒駆動水戻りノズル、給水ノズル、原子炉再循環系分岐配管に微細なひびわれとにじみ。改修に時間。 |
1976年12月24日 | 福田赳夫内閣 石原慎太郎環境庁長官 -1977年11月 |
1977年11月28日 | 福田赳夫改造内閣 -1978年11月 |
1977年12月20日 | 日本の首相(福田赳夫)が何度も何度も濃縮ウランか濃縮ウランを製造できる原発を売ってくれとマンスフィールド駐日大使に圧力をかける。 |
1977年 | 東電OLの父親50歳 「高圧の地中送電線を東京都内に引く責任者を務めてからは反原発に転じ」副部長から降格 |
1978年2月8日 | 1F1号機が1年半ぶりに再稼働。戦列復帰の記事。 |
1978年3月11日 | 福田赳夫首相 参議院予算委員会「国の武装力を核兵器で装備するという決定を採択することができる」と述べた |
1978年4月18日 | 1F5号機運転開始 |
1978年11月2日 | 1F3号機で「制御棒の想定外の引き抜け」事故 |
1978年12月7日 | 第1次大平内閣 -1979年11月 |
1978年12月19日 | 1F1号機で約400体のうち22体で放射能もれ、6体で燃料棒にひび割れ |
1978年 | 東電OLの父親ガンで急死享年51歳 |
1979年2月 | 1F5号機で「制御棒の想定外の引き抜け」事故 |
1979年11月 | 第2次大平内閣 -1980年7月17日 |
1980年6月12日 | 大平正芳 (満70歳没)セシウムが心臓に来た? |
1980年9月 | 1F2号機で「制御棒の想定外の引き抜け」事故 |
1996年6月 | 勝俣恒久取締役企画部長に就任。 |
1997年2月10日 | 神戸連続児童殺傷事件小学生がハンマーで殴られる |
1997年3月11日 | 東海再処理工場における火災爆発事故 |
1997年3月16日 | 神戸連続児童殺傷事件小4を金槌でなぐって逃走 |
1997年3月19日 | 東電OL殺人事件 |
1997年5月24日 | 神戸連続児童殺傷事件小5を殺害 |
1998年6月 | 勝俣恒久常務取締役に就任。 |
2000年4月26-28日 | 石原都知事「東京湾に立派な原子力発電所があっても良いのでは」と発言。 第33回原産会議 |
2002年10月15日 | 原発データ改竄事件で引責辞任した南直哉の後任として勝俣恒久が東京電力社長に就任 |
2002年10月25日 | 石井紘基議員刺殺 |
2011年5月31日 | 平沼赳夫会長で地下式原子力発電所政策推進議員連盟を立ち上げ。 |
2014年4月28日 | 馬総統が平沼赳夫会長と会談。馬総統「日本の原発再稼動方針を参考に」 |
2014年5月21日 | 久米島でキノコ雲 |
2014年6月12日 | 分党へ着々…「石原新党」暫定代表に平沼氏 |
2014年8月1日 | 台湾高雄市でガスが大爆発を起こして都市が壊滅。 |
2014年12月14日 | 平沼赳夫党首の次世代の党が衆院選で惨敗。石原慎太郎が政界を引退。 |
2014年12月18日 | アントニオ猪木が次世代の党を離党。 |
東電OLの父親は1949年に東大工学部を卒業で副部長という役職からたった1年で降格、翌年ガンで急死享年51歳。この1978年は大平内閣。そして東電OLは大平正芳の三男と同じ職場で働いたことがあるとか。
大平正芳の三男の話は製薬会社にミエミエに陽動されててウソっぽい。
大平元首相が突然死去したは1980年。東電OL殺人事件は1997年。とうちゃんのカタキを打つために東電に入社して大平三男に近づき真相をさぐってたのかな。とうちゃんが突然ガンで死んだのも製薬会社に関連付けたのかも。なんか切ない話だ。
そんな動きを勝俣に察知され、東海再処理施設の爆発事故の陽動のために殺られたか。 あまりにもわかり安杉るので、あわてて神戸児童殺人事件報道で再び世間を陽動。
東電OLの父親は「高圧の地中送電線を東京都内に引く責任者を務めてからは反原発に転じ」た。その当時は福田赳夫改造内閣。
ウィキリークスで福田赳夫発見w
SALE OF NUCLEAR EQUIPMENT AND URANIUM TO JAPAN
1977年12月20日(火)
SECRET PAGE 01 STATE 302624 ORIGIN NODS-00 INFO OCT-01 ISO-00 /001 R 66011 DRAFTED BY S/S-O: SGOLDSMITH APPROVED BY S/S-O: SGOLDSMITH ------------------107383 201649Z /46 O 201626Z DEC 77 ZFF4 FM SECSTATE WASHDC TO WHITE HOUSE IMMEDIATE S E C R E T STATE 302624 FOR DR. BRZEZINSKI AND SPECIAL TRADE REP R. STRAUSS FOLLOWING REPEAT TOKYO 19511 ACTION SECSTATE DEC 20 QUOTE S C R E T TOKYO 19511 NODIS FOR HOLBROOKE FROM AMB. MANSFIELD E.O. 11652: GDS TAGS: ETRD, JA, US TAGS: ETRD, JA, US SUBJECT: SALE OF NUCLEAR EQUIPMENT AND URANIUM TO JAPAN REF: STATE 299512, B) TOKYO 19444 1. IN MY CONVERSATION WITH PRIME MINISTER TODAY HE REITERATED REQUEST TO PURCHASE ENRICHED URANIUM AND ASKED FOR MY HELP. 2. I TOLD HIM I WOULD CHECK ON THE SITUATION AGAIN AND REFERRED TO OWADA'S CONVERSATION WITH BOB STRAUSS SECRET SECRET PAGE 02 STATE 302624 AND GERRY SMITH ABOUT POSSIBLE PURCHASE OF NUCLEAR POWER PLANTS. I SAID I DID NOT KNOW WHAT CONNECTION THERE MIGHT BE BETWEEN PURCHASES OF ENRICHED URANIUM AND POWER PLANT PURCHASES. PRIME MINISTER, STRESSING THAT HE WAS NOT MAKING A DIRECT CONNECTION WITH THE CURRENT ECONOMIC DISCUSSIONS REITERATED HIS INTEREST. HE APPEARS TO BELIEVE WE MAY BE URGING PURCHASE OF PLANTS FOR PRODUCING ENRICHED URANIUM. 3. WE UNDERSTAND JAPANESE TECHINCAL TEAM HAS BEEN DISCUSSING POSSIBLE PURCHASE OF ENRICHED URANIUM OVER PAST FEW WEEKS AND WE GATHER THAT U.S. RESPONSE HAS BEEN NEGATIVE. AT SAME TIME, IT IS CLEAR THAT PRIME MINISTER PERSONALLY BELIEVES THAT LARGE PURCHASE OF THIS SORT WOULD BE HIGHLY VISIBLE EARNEST OF HIS INTENT TO BEGIN TO DEAL WITH CURRENT ACCOUNT SURPLUS AND HE BELIEVES IT WOULD BE POLITI- CALLY IMPORTANT FOR HIM HERE. IF WE ARE GOING TO TURN HIM DOWN WE WOULD LIKE TO BE ABLE TO DO IT IN THE FULLEST AND MOST RESPONSIVE WAY POSSIBLE. WOULD APPRECIATE EARLY GUIDANCE. MANSFIELD UNQUOTE VANCE SECRET NNN日本の首相(福田赳夫)が何度も何度も濃縮ウランか、濃縮ウランを製造できる原発を売ってくれとマンスフィールド駐日大使に圧力をかけるw
「清和会の創始者である福田赳夫は、自身と同じ名前を持ち、長男・福田康夫の中学・高校の3年後輩である平沼を公私に渡って可愛がった。」
平沼赳夫は地下式原子力発電所政策推進議員連盟の会長
東電OLの父親が「高圧の地中送電線を東京都内に引く責任者を務めてからは反原発に転じ」たというのは「地下式原発」に反対したのではないだろうか。
地下式原発かと思ってたけど、福田赳夫のウィキリークス読んでから考えが変わったな。
この頃から日本は軽水炉での核兵器製造のチャレンジを始めたのだ。
石原慎太郎は1976年12月-1977年11月の福田赳夫内閣で初めて入閣して環境庁長官をやった。
そして石原慎太郎が平沼赳夫と合流。「太陽の党」の太陽とは地下原発のことかいな。
東京都の地下にも建設できる安全な地下原発と言えばMSBR。 【原発】地下原発・トリウム熔融塩原発【安全】 でかつ、水爆も作れる。
石原慎太郎が平沼赳夫と合流したいうのは水爆と地下原発のトリウム溶融塩炉(MSBR)の思惑が一致したのか。
地下原発施設は1971年にOLNLで研究。MSBRは1959年に発案1969年に確立されていた方式。
翌月に第1次大平正芳内閣が発足。 福田赳夫改造内閣にトドメさしたのはこれ? 【原発】やつらが隠してきたもの「1978年11月2日に東電福島第一原発三号機で臨界事故が起きています。」
なんと!1978年11月2日にフクイチ3号機で臨界事故。
NRCの
UREG-0002 "Final Generic Environmental Statement on the Use of Recycle Plutonium in Mixed Oxide Fuel in Light Water Cooled Reactors." ML071000110によれば1976年8月に既に再処理プルトニウムをMOX燃料にする方式は既に確立されていた。
インディアンポイント3号機はPWRだがMSBRの技術者が関連していた。9.1% UO2 (HEU 93%)を含むトリウムとウランの2酸化化合物(Th,U)O2を1977年から1982まで燃やしていたから。今はダウンブレンドだけど同時からHEUをおそるおそる核燃料にしていたのだ。 フクイチ3号機で燃やして事故ったのは、このHEUのトリウム・ウラン燃料?
それともフクイチは製造炉?
BWRは制御棒を下から差し上げる設計だけど「制御棒が想定外に引き抜け」たりすることなんて起きるのか?
制御棒が抜けたってのは太郎の言ってるようにウソっぽい。
大平首相は心臓に不安があり、以前にもニトログリセリンを服用することがあるなど肉体は限界だったそうだけど、本当は放出されたセシウムが原因ではないのか。
2年後に大平へ政権を禅譲する密約で福田赳夫内閣が発足したのだけど、この内閣は原発で何かあやしいことをやってたような気がする。東電OLの父親ががんで急死したのは3号機と1号機の臨界事故の放射能と関連があるのか。
大福密約
もともと禅譲する密約があったのだから3号機の事故が政権にトドメを刺した訳じゃない。
田中内閣で外務大臣として一緒に中国を訪問し日中の国交正常化を実現させたのが大平正芳。
福田内閣が禅譲する前に核爆発を起こして日本を破壊し中国に近づけたくなかったのか。311と似たような状況。
フクイチ3号機って何度も核爆発し損ねてたんだね。中国と親しくなると核爆発が起きるのか。
「清和会」と原発 日本で初めて原発建設に動いた政治家は福田赳夫だった!
1955年5月原子力平和利用調査会が発足して理事は福田赳夫。
「これからの日本新エネルギー時代の開幕」清和会政策委員会:編著 福田赳夫、稲葉秀三、加藤寬:監修 旭屋出版 9月
これも
1959年中曽根康弘が第2次岸内閣改造内閣の科学技術庁長官として入閣して原子力委員会の委員長に就任。グンマーは原発推進派と呼ぶよりこのクニに原発をもたらした人々ですな。
勝俣はこの実績で東電社長に2002年10月15日就任するやいなや2002年10月25日石井紘基刺殺。わずか10日後。
内部告発による東電文書が示す福島第Ⅰ-1号機のひどい実態
「α核種による汚染が1号機原子炉建屋内のほぼ全域に広がっていたこと、コバルト60が絶え間なく放出されていたことを示し、」「このような事故を示唆する記事が昭和53年(1978年)12月20日付けの新聞記事に出ています。福島民報記事では、資源エネ庁発表として、9月1日から始まる定検で、400体の燃料体のうち6体の被覆管から「微少な割れ(ピン・ホール)が発見された」が、「放射能もれといっても外界とは完全に遮断されており周辺地域への影響はない」と報道しています。同じ日付の朝日新聞では、「資源エネ庁から19日、福島県に入った連絡によると」、約400体のうち22体で放射能もれがあり、そのうち6体では燃料棒の一部にひび割れが見つかった。「伏谷潔所長の話では、ひび割れはいずれも長さ約10センチ程度」だと報道されています。」
ん?1号機? ごまめの歯ぎしりでは5号機と2号機だったけど。
1973年と1978年にピークがある。
福島第1原発1~4号機の使用済み核燃料プールに、原発事故前から80体の破損燃料が保管されていたことが明らかになった。処理が難しく、4号機で始まった取り出し作業に影響する可能性がある。「80体は燃料集合体で、1号機に70体、2号機に3体、3号機に4体、4号機に3体。5、6号機に各1体、第2原発2号機に2体ある。1号機が運転を始めた1971年以降」のもの。東京電力によると、80体は燃料集合体で1号機に70体、2号機に3体、3号機に4体、4号機に3体。ほかに5、6号機に各1体、第2原発2号機に2体ある。ひび割れがあったり、小さな穴が開いたりしている。 1号機の使用済み燃料は計292体で、破損燃料の比率は4分の1に迫る。70体のうち67体が米ゼネラル・エレクトリック社製で、残る3体は日本ニュクリア・フュエル社(現グローバル・ニュークリア・フュエル・ジャパン)が製造した。 破損燃料は1号機が運転を始めた1971年以降、保管された。ひび割れや穴から放射性物質が漏れて移送が難しく、東電は破損燃料が出るたびにプールに仮置きする弥縫(びほう)策に終始し、長年、問題解決を先送りにした。 燃料取り出しは廃炉工程の主要作業で、東電は第1弾として11月18日に4号機で始めた。2014年末までに全1533体を取り出す予定だ。3号機は15年度、1、2号機は17年度に実施する計画を立てている。 東電は「破損燃料は専用のキャスクを作って対応する」と工程への影響を否定しているが、福島原発での破損燃料の移送実績はなく、成否は不透明だ。国も破損燃料の輸送と保管に関し、合理的な安全規制の必要性を緊急課題に挙げている。 破損燃料は東電が再稼働を目指す柏崎刈羽原発(新潟県)にも計38体が保管されていたことが判明し、原発問題の新たな論点に浮上している。 元原子炉設計者で芝浦工大非常勤講師の後藤政志さんは「破損燃料からはフィルターでも除去できない放射性の希ガスが大量に発生し、10万年単位で隔離する必要がある。廃炉作業に与える影響は大きい」と指摘している。
2013年12月02日月曜日
制御棒の引き抜け事故というストーリー。4号機のヤバい製造をずっと試行錯誤しながらやってきたようにも見えるけど。
原子力産業新聞昭和54年(1979年)4月5日に昭和53年の運転実績が載ってる。1F1は定検中だったのだ。
原子力産業新聞昭和53年(1978年)2月16日の記事。1F1が戦列復帰した8日とは昭和53年(1978年)2月8日のこと。
「一年半ぶりに戦列復帰」と昭和53年(1978年)の運転実績が既に噛み合わない。
1977年東電OLの父親50歳「高圧の地中送電線を東京都内に引く責任者を務めてからは反原発に転じ」副部長から降格。そして、当時米カリフォルニアとスウェーデンとスイスと西独のムラで地下式原発がブーム。
まぁいろいろネットには記事が流れてるけど、東電OLと石井紘基が見つけたのは爆弾製造だったのだろうな。原発に反対して地熱発電を提案したとか特別会計くらいで殺害作戦が実行されるとは思えませんな。
石原都知事「東京湾に立派な原子力発電所があっても良いのでは」と発言。
2000年4月26-28日第33回原産会議
地下式原子力発電所政策推進議員連盟の平沼赳夫会長といい維新てどうして基地外が集まるの?
この二人の基地外の意見を合わせると東京湾に地下式原発を計画してた事になる。東電OLの父親も絡んでそ~。
人形峠を中川一郎と視察する地元選出の平沼議員。なんだー。平沼赳夫て人形峠の遠心分離器出身なのか。どーりで。
昭和60年(1985年)の原産新聞の謹賀新年広告に議員個人で広告をだしてる。斜め上に梶山静六の名前も。最初からムラの議員なんだな。岡山の選挙区は人形峠の為に派遣されたような。
さっそく昭和60年3月26日衆院科学技術委員会で平沼赳夫氏が六ヶ所にウラン濃縮プラントもう1か所売り込み。
ナゾの死を遂げたもんじゅ調査担当者・西村成生氏のファイル 週刊朝日
■原発施設反対派に露骨な“監視”する動燃1996年1月13日、高速増殖原型炉「もんじゅ」の事故隠蔽問題について調査を担当していた、西村成生(しげお)氏(当時49)が変死体となって発見された。動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現在の日本原子力研究開発機構)の総務部次長だった西村氏は生前、動燃のさまざまな“暗部”に触れざるを得ない立場にあった。その西村氏が残した膨大な資料、「西村ファイル」をひもとくと、原発や関連施設をめぐる反対派の市民運動家へ露骨な“監視”の様子が記されていた。ジャーナリストの今西憲之氏と本誌取材班が明らかにする。
* * *
1988年、岡山県と鳥取県の県境にあるウラン鉱山・人形峠で、「ウラン残土問題」をめぐって住民と動燃の対立が起きた。これに関する資料では、動燃が住民について詳細に調べ上げていたことが分かる。住民の名前、生年月日、職業のほか、動燃に対する理解、住民に対する「工作方法」などについても記載があった。調査は家族関係にも及び、多くの世帯で家族の勤務先や家庭事情まで詳細に書かれていた。
動燃は、都会から離れた小さな集落ならではの濃密な人間関係を、巧妙に「工作」に利用しようとしていた。たとえば、地元の有力地権者Aさんの項目には、〈本人は養子のため、養母、妻の意見に従うようである。方面(かたも)地区内の親しい知人、親せき等を説得し理解を求めたい〉
農家Bさんについては、〈本家の○○を使い説得〉などと記載されている。ほかを見ても、「工作」方法はいよいよ具体的だ。
〈地元では、○○と本家分家の関係にある ○○町議→○○→本人の説得〉(県職員Cさん)〈本人は養子のため、実権は養母にある。区内の動きに従うことが多く、婦人会、親せき等の利用も考えられる〉(教員Dさん)
地域独特の本家、分家や養子縁組と言った関係や地区の婦人会などを利用し、「工作」に使おうとしていたのだ。資料には、頻繁に「町議」の名前が出てくる。東郷町議だった前田勝美氏(現・湯梨浜町議)のことだ。本人がこう語る。
「その時の動燃人形峠事業所の所長が私の親類だった関係で、地元住民の説得を頼まれました」
実際、その依頼で住民の説得をしたという。動燃は、政治家まで動員して“懐柔”に動いていたのである。
※週刊朝日 2013年3月15日号
手始めは人形峠だったのか。
衆院選2014で次世代の党が惨敗した理由?
Bonaponta in 原発 08:29午前 11 15, 2012 投稿されたコメント [0]
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