私も追っ掛け生活を送ったことがある身として、読まないわけにはいかない!とヤンマガを初めて購入しました。
ドルヲタでもバンギャでも追っ掛けあるあるは共通するのだなぁと感心しました。
批評ではなく、思い出をなぞるような自分語りを書こうと思います。独白です。似たような境遇で当事者だった私の話を聞いてください。漫画の世界だけではなく、実際にこういう人がいます。
あの頃の私は一体何を考えて、ビジュアル系バンドマンに会いに行くのに時間とお金と心を削ってきたのだろう?「曲が好きでライブが楽しいから」と、たまの休みに楽しむだけにとどまらず、自分の大切な時期を全投入した私は一体何を考えていたんだろう と。その行動の理由について伝わりやすい喩えを考えてみたのですが、なかなか思い付きません。
なかなか思い付かないのは無理もありません。
だって、その行動にゴールがないのだから。
他の行動とどう関連付けて説明したらいいかわかりません。
『負けの込んだパチンコを打ち続ける感覚』で、「ここまで注ぎ込んだのだから、もう後には戻れない。この椅子は誰にも譲れない。」という気持ちで追い掛けていた。
…のか?
こういう気持ちも中にはありました。
CD代(握手会のために複数購入は当たり前)、チケット代、プレゼント代、グッズ代、宿泊費、移動費など諸々を含めて200万円くらい使いました。当時高校生の年齢だったのでこんなもんでしょう。親の扶養におさまるギリギリまで、時給730円のファミレスや、時給850円のパン屋で朝4時半から働きました。お小遣いも全部投入しました。15歳〜17歳の頃です。注ぎ込んだ結果、好きなメンバーに認知され、ファンの間でも認知されるようになりました。
しかし認知されることは、それはパチンコの“勝ち”のような明確な利益ではありません。
では、「疑似恋愛なのか?追い掛けているメンバーと恋愛関係になることがゴールなのか?」と聞かれたら、それも素直に首を縦にふることが出来ません。
そもそも、お金を払うことと引き換えにあるのは疑似恋愛的なサービスではなく、ライブやCDです。エンターテインメントによる興奮を得るためにお金を支払うのです。恋愛というものがどんなものかがその頃の私にはわかりませんでした。小説や漫画、それこそ歌の歌詞でなんとなくは知っているのですが、フィクションの恋愛を聞きかじった程度の私に思い描ける恋愛像というものはたかが知れていました。
女子校育ちで見た目もパッとしない私の周りにいる「第二次性徴後の男」はバイト先の店長と先輩2人と父親のみで、未知なる存在・畏怖の対象でしたし、どうせ私の趣味に理解を示してはくれないでしょうから積極的に交流を図ろうともしませんでした。好きな人といえば追っ掛けていたバンドマンのみ。
当時の私は「もし私が、そのバンドマンに見初められ、デートをして手を繋いでキスをしてセックスをすることが出来たとして…」と考えても、まず何を話せばいいかがわからなかったし、どのようにしたら男女の関係が深まるのかはさっぱりわからなかったので、想像することすらままなりませんでした。
「(バンドマンとしての側面しか知らない状態で)彼ともし恋人になったら」というテーマで妄想をしてみれば、非常に都合よくリアリティのない妄想ばかり繰り広げ、「私は人々から注目されスポットライトを浴びている人に、掃いて捨てるほどいる女の中から選ばれたのだ。」「あんなにたくさんの選択肢の中から、彼は選んだのだ。彼は真面目に私だけを見るだろう。」ということばかり。
「まぁ、実際そんなこと有り得ないよな。可愛くないし。はぁ〜、私も眞鍋かをりくらい才色兼備ならなぁ〜。」とため息を吐いて、「ま、ネタですけどねw」と言って、ファンタジーに蓋をすることを繰り返していました。
恋愛自体がファンタジーの世界のもので、そのファンタジーも膨らまそうにも膨らまないのが当時の私でした。見返りは少なからず期待していました。うまく言葉には言い表せないし、具体的な想像は出来なかったけれど。
何らかの見返りを期待している自分に気付いて、それが恋愛関係に繋がる努力であることにも気付いていた上で、それでもどうしたらいいかわからないから、とにかく必要以上に捧げ、「だってこれは無償の愛だから。恋愛とは違うよ。」と主張して、上手く人を愛せない自分から目を逸らして暴走していたような気がします。
作中にも出てきましたが「繋がり厨」のような存在はビジュアル系界隈にはたくさんいます。若い女の子が、お金がある女の子が、無職の男に群がるのです。男性は「自分のちんちんがビーチフラッグスの旗になった」というところを想像してみてください。鬼の形相でバンギャたちが走ってきます。人によってはお金もくれます。
そして、その人が人気があるバンドマンであればあるほど競争率は比例し、その人と繋がる(プライベートで連絡が取れ、会える状態になる)ことが、女性側の一種のステータスとなります。そのステータスを持った者の心には「私はあなたより優れている。私は選ばれた。私が勝ち取った。ラッキーだった。」という気持ちが少なからずあるものです。その気持ちはなかなか隠しきれないもので、「おまいつ(バンギャ時代にはなかったですが、作中の表現を使います。“お前、いつもいるよな”の略だそうです。)」の私は、そういった人に「こんだけ金使ってるのに、繋がれないなんて哀れ。」「どんなに服装の系統を変えてもブスだから無理。(昔はいかにもなビジュアル系な服装でしたが、日に日にマイルドになりました)」と言われ続け、いつからか「性愛」を否定し「無償の愛」にすがるようになりました。その結果、「無償の愛」のもとにゴールのない道を暴走しました。
以上が、私が思春期にビジュアル系バンドマンの追っ掛けとして突っ走った要因の一部です。
ヤンマガ是非読んでください!読み切りですよ!!単行本化するかわかりませんよ!!
ヤンマガ、早く買わないとなくなっちゃいますよ!!