【上申書作成、打ち合わせ織原被告2度も】
長く続いた「ルーシー事件」の公判だが、織原城二被告(54)が出廷しなかったケースがある。今年4月20日と25日の2回だ。
織原被告は東京拘置所から自分の意志で出廷を拒否、開廷が10分ほど遅れた。廊下で待たされた傍聴人は、「打ち合わせが長引いています」と説明された。
開廷してすぐに、裁判長は「被告人が出廷しないという連絡を受けました。裁判所の見解を述べたい」と話し始めた。「延期も考えたが、証人が国外から来ているので、被告が不在で公判を開くことはやむを得ないものと考えました」
弁護士は出廷しないことについて、織原被告が上申書を作成しているといったが、裁判長は「必要ないものと認め、許可しません」と却下した。
織原被告が拘置所で服を脱ぎ、洗面所にしがみついたり、壁との狭いところに入って、出廷を拒否したことも明かされた。日頃は温厚に見える裁判長の怒りが、言葉の端々から分かった。
8人の弁護団は、むっとした表情で天井を見上げたり、目をつぶったりしていた。弁護士としての立場がないのか、顔を赤くしていた。
ルーシーさんとオーストラリア人女性の母親が、被害者としての意見陳述を行った。
ルーシーさんの母親は「私の最愛の娘を殺した男が一生罰せられるように。彼が出廷することを拒否したのは不名誉なこと。彼が有罪であることを確信している。臆病(おくびょう)だと思っている」と、涙ながらに語った。
また、オーストラリア人女性の母親は「織原が出廷を拒否して、憤りを覚える。彼と会って、私の気持ちを伝える機会がなくなった。(娘の死を知り)生きる意味をなくした。彼は一生刑務所に入れられるべきだ。最高の刑を。そうでなければ再び犯罪を起こす」と、語った。
織原被告は、ルーシーさんの両親に1億円、オーストラリア人女性の両親に5000万円を見舞金として信託すると提案したが、両方ともに断られていた。
長期化した法廷で、普段は饒舌な織原被告が「いわなくていい場合はいわなくていいですか」と、証言を拒否したことがあった。事件後、麻布署にルーシーさんの名前で手紙を書いたことについての質問だった。
織原被告は暑くもない法廷で、青いタオルでしきりに汗を拭いた。何かをぬぐい去るように…。
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