「永遠の師匠」を裏切っている創価学会・公明党

先日(2013/12/23)の日記 
「「天皇誕生日」今年もまたまた聖教新聞は」 
http://siawaseo.exblog.jp/20137736/ 
に、関連して、牧口常三郎の発言を以下に紹介します。

読みやすさを考えて、句点ごとに改行し、()の中にふりがな等を記しました。

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「この問題は将来も起ることと思ふから、此際(このさい)明確にして置きたい。

吾々(われわれ)は日本国民として無条件で敬神崇祖(けいしんすうそ)をしてゐ(い)る。

しかし解釈が異(ことな)るのである。神社は感謝の対象であつて、祈願の対象ではない。

吾々(われわれ)が靖国神社へ参拝するのは『よくぞ国家の為に働いて下さつた、有難うございます』といふお礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与へ下さい、といふ祈願ではない。

もし、『あゝして下さい、かうして下さい』と靖国神社へ祈願する人があれば、それは恩を受けた人に金を借りに行くやうなもので、こんな間違つた話はない。

   天照大神(あまてらすおおかみ)に対し奉(たてまつ)つても同様で、心から感謝し奉るのである。

独り天照大神(あまてらすおおかみ)ばかりにあらせられず、神武以来御代々(おんだいだい)の天皇様にも、感謝奉つているのである。

   万世一系の御皇室(おんこうしつ)は一元的であつて 今上陛下(きんじょうへいか)こそ現人神(あらひとかみ)であらせられる。

即(すなわ)ち 天照大神(あまてらすおおかみ)を初め奉り、御代々(おんだいだい)の御稜威(みいつ)は現人神(あらひとかみ)であらせられる 今上陛下(きんじょうへいか)に凝集されてゐるのである。

されば吾々(われわれ)は神聖にして犯すべからずとある『天皇』を最上と思念し奉(たてま)るものであつて、昭和の時代には、天皇に帰一(きいつ)奉るのが国民の至誠(しせい)だと信ずる。

   『義は君臣、情は父子』と仰せられてゐるやうに、吾々(われわれ)国民は常に天皇の御稜威(みいつ)の中にあるのである。

恐れ多いことであるが、十善の徳をお積み遊ばされて、天皇の御位(みくらい)におつき遊ばされると、陛下も憲法に従ひ遊ばすのである。

即(すなわ)ち人法一致によって現人神(あらひとかみ)とならせられるのであつて吾々(われわれ)国民は国法に従つて天皇に帰一(きいつ)奉(たてま)るのが、純忠(じゅんちゅう)だと信ずる。

  天照大神(あまてらすおおかみ)のお札をお祭り(ママ・お祀り)するとかの問題は万世一系の天皇を二元的に考へ奉る結果であつて、吾々(われわれ)は現人神(あらひとかみ)であらせられる天皇に帰一(きいつ)奉ることによつて、ほんとうに敬神崇祖(けいしんすうそ)することが出来ると確信するのである。

またこれが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である云々。

 我々は決して寺を遠のけとは言わない。

寺を離れたら原理を失ふことになり日蓮正宗でなくなる。

是(これ)だけが正宗(せいしゅう)で他はすべて邪宗であります。

鉛や銅と金との対比が云(い)はれるがさうではなくて、毒と薬との区別がある様に正法と邪法とは本札(ほんさつ)と偽札(にせさつ)との如(ごと)く、全く反対に考へねばなりません。

同じ日蓮宗でもかう(こう)区別しなげればならない。

そうなると似せれば似せる程却(かえ)って悪くなる。

本札(ほんさつ)に似てゐ(い)ればゐ(い)るほど世間を欺(あざむ)く害は大であるから」

(『創価教育学会第5回総会報告 大善生活実証録』より)
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by siawaseo_anatani | 2014-01-03 13:17 | 資料紹介
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