他にも、たとえば「傘(かさ)かしげ」などというものもあります。
雨の日に、傘をさした者どおしですれ違うとき、相手も自分もお互いに相手が濡れないように、そしてまた、互いの傘がぶつからないように、傘を外側に少し傾けてすれ違う。
雪の日や、あるいは晴れた日の日傘のときでも同じようにする。
それを自分から、すすんで行います。
これが「傘かしげ」です。
他にも最近、有名になったものに「うかつ謝(あやま)り」という江戸の習慣があります。
足を踏まれたら、踏まれた方が先に「うかつでした!ごめんなさいね」と謝る。
そうすれば角が立たないし、踏まれた方も気持ちよく、「いえ、私が悪うございました」と謝ることで、たがいに角をたてないようにする。
最近では、逆に「うかつ」に謝ると、責任を擦り付けられて方外な賠償金をふんだくられたりしてしまったりするので、下手に謝ることさえできなかったりする世相です。
特に、クルマをコツンと当ててしまったときなど、そういうことがよくあります。
互いに角をたてないように、お互いが相手に気を使う世の中が良いのか、反対に、自衛のために謝ることもできないで、その都度警察官に仲介をしてもらうような社会が良い社会といえるのか、私たちは、私たちの国のあり方を、もういちど深く考え直してみる必要があるように思います。
「肩引き(かたひき)」という仕草もあります。
狭い道で人が行き交う時、肩が触れないようにお互いが肩を引き、身体を斜めにしてすれ違うというものです。
「もったいない」は、国際語になりました。
モノを最後まで使うこの精神は、実は江戸社会ではとっても徹底していたし、私などが子供の頃も、まだまだ大きな習慣となって残っていました。
いま、頭に白髪の混じりはじめたくらいの方から上の年齢の方なら、明治生まれの祖母が、衣類を大事に使い、古着や、張り替えたふすま紙、あるいは古新聞などを細かく切って水に漬け、そこから紙を作ったりしていたのを目の当たりにしたご記憶をお持ちの方もおいでかもしれません。
昭和初期まで、こうした習慣は日本社会にあたりまえにあったものです。
いまでは、中年になって太って着れなくなった着物は、そのまま捨ててしまったり、早いうちに古着屋さんに持って行ったりしてますが、昔は、とことん使い切ったものです。
だいたい新調した着物は、祖母、母、娘と三代くらい、そのまま使われ、孫の代くらいになると、かなりボロボロに擦り切れてきて、それでもツギをあてたり、仕立て直して、まだ使う。
それでもう、布自体がダメになったら、こんどはそれを手ぬぐいとして使い、さらにそれもボロボロになると、ようやく雑巾になる。
その雑巾も擦り切れてダメになると、今度は、その雑巾を細かく切り刻んで水に漬け、そこから自家製の和紙を作ります。
和紙は、薄く伸ばしたものは、手習いの紙などに使われ、やや厚手のものは、ふすま紙などに使われました。
そして、そのふすま紙も汚れて来ると、また水に溶かして、何度でも使う。
やや黄ばんだ、そうしてできたふすま紙は、それだけではみすばらしいので、上から絵を書いて楽しんだりしました。
そうして何度も溶かしては使った紙は、最後は燃やしてしまうのですが、その燃やした灰も、火鉢に入れてまたまた利用しました。
私がまだ小学校にあがる前くらいだったと思うのですが、部屋で遊んでいて火鉢をひっくり返して、室内を灰だらけにしてしまったことがあります。
そのとき祖母が、ちらばった灰を片付けながら、
「この灰はねえ、死んだお婆ちゃんのお婆ちゃん・・・あんたから言ったら、何になるのかしら・・・ずっと前のお婆ちゃんがね、すごく字の上手な人だったのだけれど、そのお婆ちゃんが手習いで使っていた紙だったものなんだよ」と話してくれたのを、目をまるくしながら聞いた記憶があります。
ということは、いま考えてみれば、私からみたら10代くらい前の、つまり250年くらい前に、着物として新調されたものを、灰になってもまだ大事に大事に使っていたということになります。
祖母方の家も、武家の家柄でしたが、割と禄高の高い武家の家であっても、そこまでしてモノを大切に扱っていたわけです。
私の友人の社長の事務所には、立派な神棚があるのですが、その神棚は、伊勢神宮の式年遷宮で廃材になったものから作られたものなのだそうで、木は、式年遷宮のあと、いろいろな物に使われ、神棚になるのは最後の方なので、「おそらくこの神棚の木も、200年以上昔に、神宮だった木材なのだろうね」と話していました。
日本人の「もったいない」精神は、ここまでして徹底していたものだったのです。
こうした「手刀をきる」「傘かしげ」「肩引き」「もったいない」などは、江戸時代には広く普及したものとされていますが、こうしたものを総称して「江戸仕草(えどしぐさ)」といいます。
(もったいないは、もったい大事という言い方もします)
江戸仕草には、何々流作法とかのような、あらたまった堅苦しいものはありません。
あくまでも、生活の中から工夫され、伝えられてきたものです。
「江戸」という名前がつけられていますが、一説によれば、江戸時代に工夫され定着したというばかりでなく、実はもっとはるかに古くから(もしかすると縄文の昔から?)あるもので、日本社会では、いわば空気のようにあたりまえなものとして定着していたものであったともいわれています。
最近では、この「江戸仕草」は、企業の研修や学校などでも採り入れているところもあるそうです。
日本人のやさしさ、思いやり、気遣い、秩序ある行動、忍耐強さなどは、特に東日本大震災以降、世界から絶賛されているところですが、そうした傾向は、「江戸仕草」のような、ある種の、これはDNAに書込まれた日本人の型となっていたものによって、育成されてきたものなのかもしれません。
「江戸仕草」には、ほかにも、次のようなものがあります。
■「蟹歩き(かにあるき)」
細い道ですれ違うとき、蟹のように横歩きする。
■「七三の道(ひちさんのみち)」
道を歩くときは道幅の三割とし、七割は他人のために開けておく。
■「時泥棒」
断りなく相手を訪問したり、約束の時間に遅れる等、相手の時間を奪うのは時間泥棒の重い罪。
■「はいはいの修養」
まず「はい」と返事して、人の意見や話を聞く。
(これは国会で、特に一部の左巻き議員に徹底してもらいたいと強く思います)
■「打てば響く」
叩けば鳴る太鼓のように、機転を利かして即、機敏に行動する。
■「こぶし浮かせ」
乗合船などで、後から乗る人のために、こぶしひとつ分、腰を浮かせて席を詰める。
電車の座席などでは、あたりまえの常識ですが、最近はできない人も多いですね。
■「聞き上手」
相手の話を聞くときは、相手の目を見、体を乗り出すようにして、相槌を打ちながら聴き、知っている話でも「知っている」などと言わず、興味深そうに聞く。
■「死んだら御免(ごめん)」
子供の頃やって「指切りげんまん」。
「嘘ついたら針千本飲〜ます」の後に、「死んだら御免」と続きました。
約束した以上、命ある限り約束を果たす、という意味であり、その覚悟をいう言葉です。
■「逆らいしぐさ」
みんなで何かをしようとするとき、あるいは年長者から何かを言われたとき、「でも」とか「しかし」とか言って、いちいち逆らうな、という意味です。
こういう「逆らいしぐさ」の多いモノは、それこそ「つかえない奴」とみなされました。
馬には乗ってみろ、人には沿うてみろというわけで、言い訳ばかりして何もしないのではなく、まずは人の言うことを聞いて、やってみなさい、という意味の言葉です。
ちなみに「でもしか」といえば、「でもしか先生」という、戦後の言葉があります。
これは終戦後、GHQの公職追放によって、保守系の多くの学校の先生が公職を追放され、代わって左翼系の教師が教職に就き、こうした戦後の教師たちが、肝心の学業をほっぽり出して、組合活動に専念し、デモばかりやっていたことから「デモしかしない先生」で、「デモしか先生」という言葉が生まれました。
一方、左翼の側は、こうした教師に対するイメージを払拭するため、授業中に「これはナニナニと言われていますが、デモ〜〜! しかぁし!!」と熱心に教育する教師を映画などで描き、主人公のその教師に「でもしか先生」とあだ名をつけて、組合活動にうつつをぬかす教師たちのイメージの払拭を行っています。
まさに、戦後左翼の洗脳操作、情報操作は、昔から実に堂に入ったものだったわけです。
話がだいぶ脱線してしまいましたが、狭い世間の中で、互いに江戸しぐさでほんのちょっぴり気を使いあう、そういうことが世の中の常識であり、ふつうのこととなれば、どれだけ住み良い社会になるか。
そういうことを、世間の常識として共有することができる社会というものが、どれだけ人の心を温め、豊かにすることか。
こうした、互いに譲り合うという文化は、上下の支配関係だけがすべてに優先し、上に立ちさえすれば、下の者に対しては、ありとあらゆる我儘や傲慢が許されるという社会では、絶対に実現できないことです。
日本人は、お互いが天皇の民、皇民なんだという意識が根底にあるからこそ、互いに敬い、互いに助け合い、互いに信頼しあい、お互いが対等に結ばれる社会を築くことができたのだし、そういうことが背景となって、ほんのちょっとした仕草の中にも、相手に対するおもいやりや、やさしさを伺える文化を築いてきたのです。
ある支那人留学生は、日本に来たばかりのとき、駅のホームで並んで待っている日本人が馬鹿に見えたそうです。
だから、毎回電車がホームに滑り込んで来る度に、並んでいる人も降りて来る人も押しのけて電車に乗り込んだ。
そうすることで、毎回、席に座ることができたそうです。
けれど、ある日、おなじようにそうするライバルが誰もいないことに気がつきます。
そして、日本社会のもつ素晴らしさに素直に感動したといいます。
(レコードChina、http://www.recordchina.co.jp/group/g31500.html)
住み良い社会というのは、物質的な充足感ばかりにあるのではありません。
お互いがお互いをほんのちょっと思いやるという心ある社会こそ、本当に住み良い社会となるといえるのではないかと思います。
隣に住む一人暮らしの老人が、死んで白骨化しても、近所の誰も気付かないなんて社会は、すくなくとも、私たちがご先祖に恥じない社会とは決して言えない。
日本を取り戻すという中には、江戸しぐさにあったような、お互いがお互いをおもいやれる、ほんのちょっとした仕草を取り戻す、そんなことも含まれているのではないかと思います。

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私の高校生くらいの時に「でもしか先生」
という言葉がよく言われたと記憶しています。
因みに私はアラ還世代です。確か、テレビで
言い始めたような。その時の説明では、
「最近、先生のなり手がいない。
先生になるような人は、他に仕事がないので、
先生にでもなるか、先生にしかなれない、
そういうひとばっかりだ。」というものでした。
いまから思えば、先生の地位を貶める工作
だったのですね。私の小学生の頃は、
医は仁術だ、とか、先生は聖職だという言葉が
まだ自然にありましたから。
これは、知りませんでした。
相変わらずの、ねずさんの博識。感動です。
最近の都心の地下鉄では、めったに見なくなった
仕草ですね。
早く、日本を取り戻さないと!
できる人は今でいう大会社にどんどん就職してしまいました。
したがって、中高の理系の先生には、残念ながら、
そういうところに入れなかった人がなりました。
この時期の学校関係の人不足につけこんで、
いわゆる左翼が多数入り込んだと今では考えています。
戦後のほんとの就職難の時代は、できる方が小中学校の先生に
なったそうです(その方はのちに東大の先生になったとか)。
私の小学校の理科の先生も優秀な方でした。
なお、文系の方は昔からずっと就職難でしたので、
時々ものすごく優秀な方が見受けられます。
しかし、就職難だった文科系は結構いい先生がいらしたりしています。
そういう世の中だったので、朝鮮人系の人がそういう分野に入り込めたのだと
すみません。最後の三行は消し忘れです。無視してください。
その為には日本の中小階級が慎ましくも飢えることなく、暮らしていける社会が再生されないと難しいでしょう。
マスコミ以外でも韓国のサムスンよろしく、ソニーやキャノンなど外資の資本力が強い企業が日本でも増えてきました。
店舗でも、大店法で大手のチェーン系店舗だけが開店している状況が日本全国で目立ちます。
便利、安さを追求することで、結局大手を牛耳る一部の富裕層だけに利益を与えてしまい、貧しくなる一方の中小階級は、より一層大手の用意した大量生産の安い品を求める。といった悪循環が繰り返され、貧富の差は広がるばかりになります。
多少高くても、不便なところがあっても、中小の個人商店を利用しましょう。
そしてねずさんのおっしゃるように、必要な物を必要な分だけ買って大切に使うようにしましょう。
金は天下の回りもの。
中小企業や商店を潤せば、やがて自分にも利益は回ってきます。
また、人と接することのないスーパー等を使わず、個人商店を利用することで、地域での会話や繋がりが生まれていきます。
私は日本の、日本人の古来より受け継がれた真の”文化”の
美しさ、深さを、じわぁ~っと沁み込む様に感じます。
と同時に、いにしえの遠い祖先があたかも時を越えて、傍に
居る様な心地になります・・・。
”文化”って、なにも建造物や書籍だけではないんですねぇ。
もうかなり前から、全国の駐屯地や基地周辺のスナック、居酒屋に支那女が入り込んでいる。
自衛官の中で、下士官・兵士に相当するものは営内居住のため、たまに外出許可が出るとそういった気楽に飲める場所に足を向ける。
はるか昔は、そうしたことが縁で酒場の女と夫婦になる場合が多々あったが、これが日本女であればよかった。
日本女になりすました支那女であれば、話は別である。
自衛官が支那女と結婚してはいけないという法律は無い。しかし、上層部は、若い自衛官に外国人、特に支那女に近づく危険性を教育すべきではないか?
http://zaitokuclub.blog.fc2.com/blog-entry-488.html
「台湾人生」 元日本人が生きた台湾と日本の歴史
http://youtu.be/XV_FChwzCAo
(動画)
台湾の歴史
http://youtu.be/8ahxYuYwGIc
(動画)
【覚醒!!大和魂と愛国者の瞳】台湾人は真実の日本を後世に語り継いでいる。
日本に対する「恋心」とも言える心情を「片思い」にしたくない。 より転載
日本の植民地政策は如何になされてきたか、この動画から何か感じませんか。日本の旧植民地にもいろいろ
有って同じ植民地でも支那や朝鮮とは大違いです。 支那や朝鮮は嘘でも100回言えば本当になる信じていて、
尖閣諸島や竹島領有権問題や、従軍慰安婦問題を捏造しています。 支那朝鮮に支配された反日売国テレビ
局・マスコミや日本共産党の支配する反日教育をして来た組織の日教組は日本の若者達に対して日本民族を
貶める自虐史観教育を行い日本は悪い事をしてきたと洗脳したのです。 今、我々日本民族は洗脳された、
平和ボケした頭を目覚めさせて、反日的な支那朝鮮を排除して、日本民族の安全と安心を守るために核兵器も
保有する強固な国防軍と安定した政治体制を作る事が必要です。
詳細は
【マスコミ隠蔽の掲示板】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/kzsj/kzsj4.cgi
【マスコミ隠蔽のタイトル一覧】最新版はこちらをクリックして下さい。
https://twitter.com/FIFI_Egypt
私が"在日外国人"に対する政府の優遇政策に意見したら、一度でも特定してしてないのに、なに自ら挙手して「差別するな?」って騒いでんの?
"優遇されてる"って自覚はあるけどうまい思いしたいから、制度の見直しを指摘する私が邪魔なの?しかも外国人にそれを言われて差別だ?!ってそれ逆だからw
2013年4月19日 - 21:31
https://twitter.com/FIFI_Egypt/status/325466628894650368
日本の皆様、ぜひ私の"お気に入り"欄を定期的にご参照下さい。
2013年4月20日 - 0:21
https://twitter.com/FIFI_Egypt/status/325509622402281472
↓↓↓↓
反日朝鮮人がフィフィさんを狂ったように叩き、在日エジプト人にネトウヨ認定しておりますw
https://twitter.com/FIFI_Egypt/favorites
これが、決められない政治を作ってきたとの、良い見本です。
まず、最低限の修正だけにして、その後に、3年程度の時間を掛けて調整することで、誰もがさすがは政治家という評価を得ることができるのだと思います。
ところで、北朝鮮がミサイルの発射準備をして、米韓に撃つぞ、嫌なら謝って条件を飲めというのは、韓国が日本に謝罪せよ、賠償せよというのとほぼ似たような発想だと感じます。
そして、日本にミサイルを撃つぞと言っていますが、朝鮮戦争を戦ったのは国連軍の米国と韓国で、日本は朝鮮戦争を戦っていませんから、意味が分かりません。
休戦条約を破棄するのと、戦っていない国を攻撃するというのは全く意味が異なるのです。
このような国の公館の類いは日本に必要ありませんし、平和を愛することのない諸国民を信頼することはできません。
憲法は、周囲の国から国民を守れるように改正するべきです。
江戸時代は男女共、何才までにはこれこれが身に付いて一人前、という暗黙の掟があり、それを教わりながら成長して、地域の人々に仲間として認められていったそうです。全てが学びの場でした。
先日、日本を代表する学者さんが、天皇陛下にご進講される様子をTVで見ました。「現在の諸問題、特に環境問題に関して、江戸時代の知識が非常に役立つと思われます。それを有効に活用するためにも、古文書学の普及が重要です。」と、その学者さんは言上されていました。
明治維新と戦後の改革で、一般庶民と、江戸期や戦前の貴重な文化・文物との間に、大きな断絶が生じたと、私は思っています。たかだか百数十年前の武士の手紙や町人の書き物すら、私には読めません。戦前の書物も、旧漢字・旧仮名遣いだからとても読みづらい!
これって、とってももったいない!同じ日本人の先輩が書き残してくれたものですよ!
人生50年。それは昔の話。やるべきことが、あとからあとから出て来ました。漢文でしょ、古文書でしょ、あとは英語や特ア語ですか?シナ語やハングルはいやだなぁ。シナ語は台湾語に振替えるとして、ハングルは気持ち悪いなぁ。世宗(セジョン)が言ったように、「愚民の文字」だもの。でもやらないと、音韻文献学の歴史学者が相手にしてくれない!記紀・万葉は、朝鮮語の要素が含まれている、とか言って。あと50年は生きないと、物にならないかなぁ。
聖徳太子様、織田信長様、無駄に生きてすみません!イエス様、源義経様、近藤勇様、あなた方は30代前半で亡くなったのでしたね!
ここは欲張らず、江戸の英知を、謙虚に学ばせていただきたいと思います。よく噛んで、しっかりと味わい、身に付けていきたいです!
久しぶりに投稿させていただきます。
『江戸しぐさ』。
日本人の大切にしたい心。自分勝手でない心だと思います。
子供の頃、自然に親から教えられていた。そして子供の頃は意識しないで自分も行っていたように思います。
乗合バス、電車にて座っている人が、立っている人の荷物を自分のひざに預かる。親も行っていたし、自分も何歳まで行っていたか? 20代の社会人4,5年くらいまではしていたと思う。今から25年前まで。それから、日本は、大きく変化していったように感じます。人のことも考えられる良き日本人の心を持っていきたいと思います。
これからも、大変参考になる情報の発信をよろしくお願いいたします。