よく似ている? 集団的自衛権と会則改正(下)

前項 「よく似ている? 集団的自衛権と会則改正(中)」
http://captivated2.blog.fc2.com/blog-entry-406.html 
でおおまかに政府と自衛隊の関係、法律的根拠と権限を簡単に
述べさせていただきました。

安全保障関連法案を「戦争法案」だと批判されている方は、
ちょうど、昨年創価学会が教義条項の会則改正を行われる
前後、一部の「教学の専門家」の言辞らしきものを元に、ネット上で
学会本部の批判を繰り返していた自称学会員さんの「懸念」と
理屈が同じです。

その理屈とは、創価学会として今まで取ってきた
日蓮仏法の根幹ともいえる御本尊に対する「教義の解釈」を変える
ことで、以後、創価学会本部の権限が強くなり際限なく「本尊」を変える
可能性がある。
現場の会員が、とまどい、信心をやめてしまうかもしれないといった、
信仰の動機にかかる「懸念」です。
ほかにも、日蓮正宗等から過去の指導との矛盾を突いて
池田先生が再度攻撃されるといった悲観的な懸念もありました。

しかし、これらは専ら感情に基づく主張であり、日蓮仏法として
どのように考えるのが正しいのかという「本筋の議論」はほとんど
ありません。
「本筋」であるとする「教義条項の解釈」を創価学会はどのように
変えたのでしょうか。

創価学会は会則を公開しており、教義条項の部分は一箇所
のみですので、改正前と改正後の該当部分を併記します。

//////////////////

「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・
 三大秘法の大御本尊を信受し、 日蓮大聖人の御書を根本として、
 日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流布を実現することを
 大願とする」
(旧会則第2条・平成三年)
  
  ▽

「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である
  南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他
 にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、
 日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」

【会則第二条(教義)】

///////////////////


一見すると改正後は文量が増えているのが確認できでしょう。
抜き出します。

『一閻浮提総与・ 三大秘法の大御本尊を信受し』
    ▽
『根本の法である 南無妙法蓮華経を具現された三大秘法
 を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え』


改正前の「一閻浮提総与・大御本尊」といった難解な仏教用語を、

「南無妙法蓮華経を具現された御本尊」に「南無妙法蓮華経」と
唱える事を『根本の法』と位置づけ、その「法」を世界に布教せしめる
ことが目的であると「具体的にどのように」を明確にされている
ように見えるのではないでしょうか。


でも、ネットで学会本部を批判している方の大半は
「一閻浮提総与・大御本尊」とは日蓮正宗大石寺が所蔵している
「弘安二年十月十二日図顕の板本尊」を指すと、かつて
創価三代の会長が指導し、全回平成三年改正以前の会則にも
それが明記されていたのに、それを認めなくなるのは三代の師を
冒涜し、諸先輩会員の信心も否定することになりケシカランという
主張です。
良く見れば、「変化」する事に対して嫌悪感や不安を述べているの
であって、その内容が妥当かどうかを論拠にしている訳では無いの
です。

これは、自衛隊に限定的であっても「集団的自衛権」にあたる行為
をさせるならば「改憲せよ」という憲法学者のロジックとおなじだと
思います。。
バカをいってはいけません。平和憲法を改憲する事は
「自民党」の右派が一番望んでいる事ではなかったでしょうか。

憲法学者の理屈というのは一種の「原理主義」に基づいていると
いえなくもないでしょう。
(原理主義=
 基本的な理念や原理原則を厳格に守ろうとする立場・反世俗主義)
---

集団的自衛権の行使の場合、否定される論拠となるものが
「憲法第九条」およびそれに基づく、『過去の政府答弁』ですよね。

創価学会の教義条項の変更の場合は否定される論拠となるものが
「一閻浮提総与・大御本尊」およびそれに関する『過・去の会長指導』。
いずれも、「基本理念」と「補完的解釈」の相関関係は同じです。

たしかに、創価学会を批判される方が言うように。
「一閻浮提総与の大御本尊」とは大石寺に安置された
「弘安二年十月十二日図顕の本尊」だけをさすと創価学会でも用い
られてはきました。
それは、かつての創価学会会則にも明記されていました。


◎「この会は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法
の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗総本山大石寺に安置せられている
弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊を根本とする」
(旧会則第3条第一項:昭和53年)

かつて創価学会は日蓮正宗を護る立場を取っていましたので
日蓮正宗の教義をそのまま使っていたのです。
日蓮正宗が創価学会を破門するまでは、それで問題ありません
でしたので大石寺に参拝していました。
しかし破門以後創価学会として大石寺に安置されている本尊を
物理的に信受する術はなかったのです。

現状で全く良いのなら、新たな解釈は必要ないでしょう。
しかし、現状が変化した場合、旧来の解釈では不都合が生じる事
もあるはずです。だからこそ「新たな解釈」が必要になってくるのです。
「過去の解釈」を変えあたらしい解釈にする場合は「基本理念」を
今一度精査してみる必要があるとおもいます。
もちろん「新しい解釈」こそがすべて正しいとは言いません。
だからこそあらためて「本質の議論」をしなくてはならないのです。
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