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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

エレンは『なぜ外に出たい』のか?〜やかましくて無粋な「進撃の巨人」論〜



始めに
まず、この原案をくれたAutoAuto氏のつぶやきを載せたい。が、本題に入る前に彼の紹介から始めさせて欲しい。1ファンとして、僕と一部の人だけで彼の持つユーモアを楽しむのは罪悪感さえ感じてしまうため、「こんな面白い人を隠してました。許してください」と懺悔する気持ちで紹介させて欲しい。*1

彼(文から察するに男性)はブログも持ってないようだ。寄稿歴も僕の知る限り1度しかない。だが、「はてなブックマーク」界隈では名の知れた人で、彼の書く短文のキレ味はすごい。それも主流の流れに逆行し「白々しさなど微塵もない『自然なやっちまった感』で」事象や人々の反響を斬る。

最近は、彼のツイッターを三日分ぐらいまとめて読むのがマイブームである。僕が子どもの頃にブームした「鉄拳」という芸人さんを彷彿させる「続きが気になる」「ああ…それをやっちゃったか。」という【ジワジワ来る(シュールで救いのない)書き込み】を僕は個人的に楽しみにしている。

そして、今回の原案となったつぶやきも、空いた口が塞がらなくなるほどの衝撃を受けた。

…むせ返った。むせかえるほど笑った。そして、笑いが収まったとき『どこまで本気で、どこまでネタかわからない大胆なつぶやき』だと続きを探した。

…この感覚はわかる気がする。「海外に打って出る」とほざいている経営者がコテコテの日本育ちで、日本のコンビニ・レストランで食事して、渡航経験も仕事を除けばさほどない。だから、「海外」のレベルがどの程度なのかが疑わしくなる。(経費で高級ホテルに泊まっても海外は海外だからね…。ブログの参考資料に読んだ「これからはインド、という時代 」でも、「記者・外交官・ビジネスマンが都会から出ないから日本のインド情報は米英などと比べて遅れてる。」と述べられている。)

だから、「進撃の巨人」がヒットした時、「バカばっかで、マンガのことなんか何もわかってない!」「アイアムアヒーローとこれがヒットした理由を明確に説明できる人は記事を書いてよ」と(近所のブックオフで)キレたね。まぁ、ブームしてる時にブックオフに売られてる時点で「所詮その程度」だったブームだとみんな後になって気づくんだけど…まぁ、難しいよね。そこらへん。

「外の世界へ出ていくアニメ」というと、僕の中で真っ先に浮かぶのが「天元突破グレンラガン」です。
あらすじとしては『地下に押し込まれた人類が地上に出る。その後、地球に押し込められていることを知ると今度は宇宙に打って出る。壮絶な戦いと仲間の死などを経て、宇宙中の人類(?)を繋げる存在へとのし上がっていく』という話です。

「外の世界に出る」系アニメの中ではずば抜けて好きです。理由は
◆主要キャラでも平然と死んでいく手に汗握る展開と、戦いの悲痛さの描写
言い方を変えると、カミナ・キタン・シモン・ロージェノムなどの強キャラだけじゃ、強大な敵・宇宙そのものに勝つことなんかない。ここらへんは劇場版グレンラガンを見ていただけると、僕の言いたいことがもっと理解できるように作中で描写されてる。…そのシーンだけネットで見られるので、貼っておくのでよかったらどうぞ。(グレンラガン知らない人でも、目の保養になるし、元々短編アニメーションとして作られた『パラレルワークス』という位置づけなので、視聴を推奨します。とってくるために久々に見たけど…これは何度見てもかっこええわ!)

グレンラガンというアニメはすごくキャラが多いが、チートがいるようで実は居ない。強キャラが数人いるけど、それぞれに欠点を持ってるからそこを補完し合って、やっと戦いに勝つような作りになる。他人から見たら天才とも映るほど強い人が、泥臭く勝つために一切の恥も外聞も捨てて戦い抜くから「熱血アニメ」なのに、テンプレっぽさが無くてカッコいい。
 
小見出しに名前を出したまおゆうの場合は、その逆だね。「その気になれば、戦争に勝てる魔王であり、勇者だが、手段を選んで『丘の向こう』を目指す」ことにした内容になる。『丘の向こう』という比喩から「これも外に出たいアニメだね」と区別したけど、外と言うよりは「新世界」だね。魔族からも人間からも戦争推進者をあらゆる実力手段を持って排除する…という発想。敵が人間世界の上位や、魔族世界の中間層にいる…と捉えた考え方である。

△と僕が述べた理由は魔王も勇者も戦闘力だけで言えば、二人で組んでしまった途端から戦争終結に足りるだけの力をもった状態で話が進んでしまっている点。『勝つか負けるか』という楽しみが無くて、『どうなるか』という楽しみしかなくて、たくさんの戦闘シーンや「戦」が出てくるけど、それがゲーム的に「はいはい、勇者がいる方の勝ち」みたいにしらけた目線で見てしまう自分がいて、楽しみきれない。

まおゆうの場合は「勝つことが目的じゃない」からこの批判は無粋なものだと知ってるから僕は自分が思ってる批判を△とした。もし、まおゆうという物語の尺度・目線に立って批判するなら「戦いの意味」や「戦いの根本的なイデオロギー」の方なのである。(後に後述)

では、進撃の巨人はどうだろう?グレンラガンの持ち味である「戦いの勝敗」についてはどれだけプロセスを熱血に描いても『あ、もうあかん』という絶望感から始まってるから、それほど見ていて興奮しない。まおゆうが重視する「戦いの意味」という点で考えると『人類の防衛』というごく当たり前なことは思い浮かぶが…これも巨人への敵意や、作中で戦う人々への共感あってのものだから…正直言えば渋い。「そりゃそうだけど」という心情だ。

エレンが演説して、みんなが変わちゃって…みたいなとこがどうも好きになれん。エレンはグレンラガンで言うカミナや大人シモンだけど…グレンラガンの場合、ワンマンの演説にその場その場の主要キャラが納得してないところから展開がこじれて「取り返しのつかない展開」になることがしばしばあるところが面白いわけ。

後でも書くけど、エレンはエレンじゃん?王の下で楽したい奴を「虚構の外界」を振りかざして叩く権利なんぞないでしょ?そこらへんのすれ違いと和解のプロセスが…まぁ、なんというか一方通行なんだよね。

◆手にした繁栄や発見がいつも人を喜ばせないこと
これ!進撃の巨人・まおゆうを僕が評価できない理由。
グレンラガンはカミナ(主要キャラ)の父親が地上で骸骨を発見する所からグレン団の旅が始まる。繁栄を手にしても、大将首をとったシモンは悪役で、戦では倒れていただけのロシウが天下人…というまぁ、なんとも納得のいかない展開が続く。後で書くけど、民衆は外にも上にも敵意・期待・不正を見出すから思想的バランスも良い(※あとでこの意味は詳しく説明します)

他方、進撃の巨人は「外に出たい」というエレンの「主張を裏付ける何か」がないし、まおゆうも「劇的に進化した社会基盤」が少なくともアニメ版に限って言えば「旧世界への批判」程度にしかなってない。

グレンラガンの優れてると思うところはその点で「外に出てはいけない理由」や「ロージェノムがガンメンを駆使して、人間を地上に追いやっていた理由」が存在し、彼らなりの合理性が認められる点を僕は高く評価してる。(「悪役だから全部悪い」という人がいない。別の正義に基づいてる)

まおゆうにはそこらへんがいまいち薄い。上に立つ人のほとんどの人が「ノーブレスオブリージュ(リーダーとしての責任)」の全く欠如している形で描かれ、丘の向こうというのが「近代バンザイ」になっている。現状の社会正義に則して魔王を倒しに来た勇者を軽くバカ扱いしてるし、勇者もまた洗脳されていたと数分の口論の後、軽々しく認めてしまうあたりに釈然としない。

ネット上の有名な記事の中で「右翼は外に、左翼は上に敵を見出す」という内容の図*2があるが…その意味でまおゆうには左翼的な描写が主に正しさを帯びて描かれている。(魔族と人間という「外に敵を見出すエネルギーで『上(各陣営の元締め)』を倒したり、敵視すること」に新世界がある?これ、なんてフランス革命?ついでに言うと、上を倒し続けた結果その後のフランスってナポレオンの台頭を許して、一度大衰退をするわけでしょ?一時的には反映したけど。そんで、国際会議で「フランス革命以前の領土に戻そう」とかなんとか言ってかろうじてフランスは損害をまぬがれた…と僕は習ったけど、うる覚えだからもし、間違えや補足があればコメント・ツイートで教えてください)

フランス革命がどうこう…というと、うるさい人*3に怒られるから、「小泉以降、リーダーがコロコロ変わって何でもかんでも大衆はリーダーに責任を押し付けてましたが、野田政権まで一度だって政治基盤が不安定な時期の日本に繁栄がありましたか?」と僕は聞きたいわけ。極端な言い方をすれば、アナーキーor革命思想とあんまり変わらんのよ。現状を踏襲する部分がないと必ず時代に置き去りにされる人を作っちゃうから、そこは政治経済に踏み込む作品なら過去の否定だけじゃダメなんだよ。

まおゆうで「丘の向こう」という言葉を使ってるけど、それはガケかもしれないし、砂漠かもしれないって議論は出てこないのが…まぁ、手緩いのですよ。やっぱりAutoAuto氏みたいに「魔王、ビレッジヴァンガード行きたいんだってよ。あいつ、サブカル女じゃね?」と茶化すぐらい大人に見ないと、楽しく見られない。

さぁ、本題かな?

巨人を駆逐した世の中が人間の世界につながる根拠がイマイチわからない。まおゆう批判につかったレトリック(右翼と左翼)で述べれば、『エレンは外にばかり敵を見出すレイシストの極右』にしか見えない

実際、技術的・政治的・道徳的に成熟してるとは言い難い壁の中・王の対応が多く映るが、どうしてエレンは外側に敵を見出し続けるのかがわからない。(優秀な人ほど戦地にいかない「理不尽なシステム」とエレンは批判してたが、これだって感情論でしかない。後々、冷静になったのか武闘派でないアルミン君に「頭を活かすためにうんぬん…」と言うシーンがあるけど…上の批判を論理的かつ的確にしたシーンはないよね?)

政治的な内容で申し訳ないが、国内の格差を抗日運動でごまかす中国・韓国であったり、それに呼応した形で正義を振りかざす日本のレイシスト系右翼とエレンは同じ臭いがする。それとも『「黒人は全部悪い奴だ」と決め込んだKKK』の方が世界の読者には伝わるのか?

「TSUTAYAに行きたいの?」とか「軽い気持ちで外に出たいだけでしょ?」というAutoAutoさんのようないい意味で不真面目(真に受けすぎない大人の対応)にすればいいが、進撃の巨人はエレンというキャラが「『巨人を駆逐する』と公言→みんなの前で演説→反対する人とは喧嘩腰になる』様を見てると、それが肯定される事に対して、すごく苦々しさを覚える。それも「TSUTAYAに行きたいの?」と茶化されるぐらい動機が不明確な人で「外に出よう」とか言われ、批判されると殴られる。だから、「エレンは意識が高い外出系(ゆるふわアウトドア)」とか言いたくなる。

自分らを捕食する「巨人と外交しろ」とまで言わないが「巨人に勝てない理由は人間側にあり、それは自分一人ではどうにかならないことも沢山ある」と5話(アニメ時間軸では5年間)すぎても、あんまり学習してないエレン君を見てると、僕は「こいつはなんなんだろ?」と思うわけだ。

だいたいの人は「中道(もしくは個人主義)」で上も外も清濁両方の世界があると知ってるからほどほど自分が幸せになる選択に落とし込むが、エレンはその点で全体主義敵。それも不思議なぐらい肯定され、勝つから見ていて
「これって「勧善懲悪」のつもりなの?だとしたら、「悪」の定義が排他的価値観全般だよね?」
と思う。いや、これは真面目な考察としてね。

「技術で巨人に勝てない」と自分より頭のいい人が述べているのに、ガッツでどうこう言うだけって…頭悪いのかなこの人?(グレンラガンにもそういう描写はあるんだけど、やってる側にはそれが「虚勢」だという自覚があるし、「虚勢を張らないといけない・それしかできない」と知ってるからそれをやる。それをヨーコやニアという男の世界を達観して見られる人が「この人も辛いんだなぁ」とか「立派だなぁ」とか思いながら眺めてるところに…まぁ、あのアニメの味があるわけだ。)


「合点がいかない」のではない。イデオロギー的に偏向した主人公がその自覚さえなく、押し通し・押し通るストーリー展開に対するリアリティーのなさと、キャラクター全員の頭の悪さが…つまり、信じられないレベルなんだ。

…それは読者もよく理解してて、進撃の巨人に関しては『原石であり褒めすぎは良くない』というレビューがアマゾンの中では最も信用度が高く、評価も賛否両論で拮抗している。…これは僕はイラスト・登場する小物や巨人のデザイン・設定についても同じように思ってる。

  • 進撃の巨人を見てまずはじめに思ったのは「巨人、ツルペタすぎへん?」って事。

野暮だと思うけど…風呂上がりの裸のおっさんみたいな巨人が多すぎて事が謎で謎で仕方ない。

本来、空想科学読本に丸投げすべき内容だけど、全裸で四六時中過ごしてるなら、人間に限らずあらゆる生き物は汗が滴らないように、汗止め・体温調節機能として毛が生えるのです。…まして、裸足で歩いてくるわけでしょ?人間の今の姿で歩いてたら痛そうやわ〜

さっきみたいな政治・経済・心理描写などの知識的考察ではなく、素直に思ったこととして言えば…巨人が「人間っぽい姿(生き物っぽい)」のに、生き物にあるべき体のパーツがないのが見ていて、すごく「キモい」のだよ。

わざとやってるんだろうけど、誰もフラグを回収したり、疑いを持たないから「あれ?」と思う。

さっき「エレンは右翼のレイシスト」と言ったが、日本が最も右傾化してた時期は敵国民を「鬼畜米英」などと罵る運動があったらしい。別にお互いに普通の人間なのに、見たこともない『虚構の悪役がいる感じ』が私は好きじゃない。いや、好き嫌い以前にバカ。『鬼畜米英も巨人も本当はいなくて、同じように飯の種として、お仕事でやってるだけかもしれない…』とかそういう思考が出てこないのが、ちょっとバカ。

進撃の巨人もそう。巨人が意味不明過ぎて、コメントに苦しむ。生活感が人間的でも、動物的でもないし、走る巨人・消える巨人・皮膚がただれた巨人が同じように歩いてくるさまなど見ると

「ちょっと、巨人の因果関係を調査するところから始めへん?戦うとかじゃなくて、スパイする事から。生態がわからへん生き物相手に戦うの、戦わないの言っとる人ばかりやのに、100年分の犠牲(生贄)出して、そんなん議論も実行もされてないのはなんでやねん?5話で戦ったときに「こいつには知性がある」とかドヤ顔でエレンが言うてはるけど、100年間何してたん?」(※作者は兵庫県出身者なので、キレる・無我の境地では関西弁)

と僕は思ってまうねん!『こんなん思ったらアカン』言われても、普通は真っ先に情報共有すべきやろ?いや、エヴァみたくに秘密がある話だとしてもや?5話になって「知性がある」て!100年そこいらのノウハウはどこ行ったねん?それとも新型?新型ならそれこそ人類存亡のために調査する・しないぐらいの議論や緊張感は5年間もあれば世論として形成されるはずやろ?いや、ないとしたら、逃げてきた人たち何しとったん?TSUTAYAでAV借りてオナニーしとったん?

…いや、政治経済のレベルやなくて、軍隊など前線だけでもええわ!軍部にその手の議論がない・黙殺されてるなら、もう進撃の巨人はただの悲劇やろ?「大本営がバカだから太平洋戦争に負けて行くのを僕は戦艦ヤマトの船員として指をくわえてみていて、出撃するときには大敗北でした」みたいな内容の話しか、僕ならかけへんけど…どない?あんな熱血OP作っといて、まさかの「亡国敗戦アニメ」とか、どんだけよ!…「男たちの大和」みたいな類のジャンルなん?このアニメ?

アイアムアヒーローやら進撃の巨人みたく、『突然パニックやパンデミックが起こる話』を見ると「妹尾河童さんの『少年H』読めや」と心底言いたくなるわ!戦争に入る前の空気から戦時中までの話を書いたノンフィクションなんやけど…ほんま、じわじわと危ない方向に社会が傾いていく感じ。それが、ちゃんと描かれてるで?

知らん人ははだしのゲンでもいいわ!戦争モノやのに、歪な空気がないこと・一部の人の苦し紛れの感情として処理されてるのが、ほんま不愉快!

そんで、「おかしいなぁ」と思いながら従っていて、ある時に大鉈を振るう結果になる。これが、戦争(敗戦)だと「少年H」で、国鉄の民営化だと葛西敬之 さんの「明日のリーダーのために」という国鉄民営化の裏話本になるんやけど…そういう「ぬくぬくした感じ」があの作品にないわな?

進撃の巨人は…突然巨人が来て、突然自分が言うたイデオロギーが正しくなって、突然100年か、5年かの謎やったことを、新米兵士のエレンが気づいて…要するに「ご都合主義のバーゲンセール」にしか見えへんわ!唯一リアルだと思ったのは100年間巨人が攻めてこないのをいいことに酒盛りしていたダラケた警備兵と「息子は人類の役に立ったのですか!?」と殉職を受け入れきれずに、兵士に迫る母親の描写。この2つは高く評価したいけど、それ以外で進撃の巨人で「すごいわ!」と思ったシーンが少なくとも僕はあらへん!

だって、外に出たい理由と巨人やらその他設定にわけわからへんとこ多過ぎるわ!!フラグやとしても、それが回収されるような作りになってるか見てるこっちが心配してまうレベルやで?ちょっとやりすぎちゃう?

だから、「なんで売れたん?」と聞きたくて書きました。僕が大衆と趣味がずれてるのはドラゴンボールやワンピースぐらいからずっとでもう「物心つく前に」のことだけど、今回もそうでした。
冒頭と重ねることになりますが、僕にこれを書くきっかけをくれたAutoAutoさんに感謝の言葉を再度述べて、私の記事を終わらせていただきます。

AutoAuto氏と、最後まで読んでくださった読者の皆様、本当にありがとうございました。


まず関連記事についてはこの2つが有名だね。

「進撃の巨人」エレンは『なぜ外に出たい』のか?って言われても...なんか忘れてね? - あざなえるなわのごとし 「進撃の巨人」エレンは『なぜ外に出たい』のか?って言われても...なんか忘れてね? - あざなえるなわのごとし

シモンは「力を持つ者」、エレンは「力を持たざる者」〜「天元突破グレンラガン」と「進撃の巨人」を比較するのはやかましくて無粋〜 - ふわふわスマイル シモンは「力を持つ者」、エレンは「力を持たざる者」〜「天元突破グレンラガン」と「進撃の巨人」を比較するのはやかましくて無粋〜 - ふわふわスマイル

それから、原案者AutoAuto氏と、派生記事を書いた「あざなえるなわのごとし」管理人の対決がなかなか面白いので、こっちもご紹介。
俗・エレンはなぜ『外に出たい』のか? - Togetter 俗・エレンはなぜ『外に出たい』のか? - Togetter


誤字直しついでに加筆(コメント紹介)

小説版まおゆうの後半はグレンラガン級かどうかは知りませんが、けっこう主要キャラも戦死する「ぬるくない」作品でかつ、「丘の向こう」もちゃんと描いているそうです。是非とも、興味と根気がある方は読んでみてください。

◆仲良くさせてもらってるついったらーさんから「グレンラガンは根性の話ではなく、愛の話だ。カミナ没後にニアというキャラが出てきたからシモンの無茶に中身が生まれた。他のキャラについても無茶に中身があるのは誰かを愛するがゆえ」って話をされて、グレンラガンファン*4としてはグレンラガンをちゃんと理解した人のこういうコメントは是非とも掲載したいと思って、載せました

継ぎ足し加筆(コメントへの返事とか、ついになってると判断したコメントの紹介)
「まだ、完結してないシリーズ作品と、完結したグレンラガンを比較するのは乱暴にして早計」
→これが、2つあったけど…個人的には賛同できない。グレンラガンは2話で既に「外は絶望」とわからせるためのシナリオが出てるから。また、脚本や原作の腕なんぞわかる人は1話だけでわかる。後半に多少成長しても連続性を帯びる場合、前半に置いてきた痼(しこり)は必ず響くから、前半見ただけで批評するのはある程度アニメ・マンガ見てるオタクなら別にできないことじゃない。

◆上にも書いたけど、まおゆうは原作を省きすぎて、アニメだけだと手緩いし動機不順に見えるんだってね。僕はまおゆうのファンじゃないけど、なんか「アニメ化することで食い物にされ、安直な戦争経済学を流布された感」が、1オタクとしても、1経済学系としても、不愉快。

◆「要は『俺のドリルは天を突くドリルだ』(グレンラガン最強説)でしょ?」
→じゃあ、僕に『外に出たい系アニメ』で、『グレンラガン』『まおゆう』『進撃の巨人』以外のアニメを挙げてみて。テレビシリーズ終わるぐらいのところに合わせて見て、今度それとの対比をやってみたいから。そうでなかったらその3作の中ではグレンラガンが一番面白いし、ロジック的にも完成度が高い。

◆(記事タイトルが)「なぜ鳥籠から出たいかと鳥に問うような疑問だ」「単純な好奇心だとなぜ思えない?」
→動物や子どもならそれでいいと思うから僕もその考え方自体は間違ってないと思います。ただ、AutoAutoさんのつぶやきを見て「他の外に出たい系アニメは目的地あるのに、これは抽象的だね。」と気づき、敢えて疑ってみました。本編ではアルミンの本がきっかけだというが、『何万人も殺されてる墓場のような場所だという情報も目にしてきたエレン』が本だけをきっかけに外に出たいと考えるのはやや早計な気がいたしました。

◆「大衆はそれほど考えてない。進撃の巨人の売りは迫力」
→それ言い出したら、ロボット残党兵とぼくらのよあけ・ハックスはもっと評価されて良いと思う。(持ってる漫画の中でアニメ化もしてないし、迫力も申し分ない作品を選んでいったら、この2つの名前が出てきた)

ロボット残党兵は注目浴びたけど…ハックスなんかもっとマイナーか。「真面目なアニ研」の話で面白いので良かったら見てみてください。今井哲也さんはもっと評価されるべき。→ ハックス!(1) 



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ついったやってるよ〜

https://twitter.com/tm2501

*1:「どこへ持っていっても恥ずかしくない」と僕がどや顔で紹介できる天才をはてなブックマーカーで紹介するなら彼、豆狸氏、そして青二才ウォッチャーといううちの当ブログにコメントする人の間で有名なpribetch氏を選びたい。この3人のセンスは「皮肉・批判で良いから、何かしゃべってくれ!」と嘆願するレベルである

*2:参照 用語解説:右翼と左翼 - 松尾匡のページ 用語解説:右翼と左翼 - 松尾匡のページ 

*3:まぁ、主にかのせさんなんだけどさ

*4:いや、ガイナックス作品はだいたい好き