聞き手・柏崎歓 聞き手・高津祐典
2015年6月30日07時15分
神戸市で1997年に起きた連続児童殺傷事件の加害男性(32)=事件当時14歳=が書いた手記『絶歌』から、私たちは何を読み取ることができるのか。2人の識者に聞いた。
■荻上チキさん(評論家)
前提として、表現の自由を確認しておきましょう。加害者本が多数出る中で、「元少年A」に限っては何も言ってはならない、なんて話はありえません。そのうえで言えば、僕は内容面でも形式面でも、本書を評価しません。
僕は元少年と同世代です。当時はメディアにより、「酒鬼薔薇世代」「キレる少年」とひとくくりにされていました。20年が経ち、犯罪への語り方も変化しています。少年犯罪が増加・凶悪化しているという「誤報」も最近では減り、「心の闇」などでなく療育や福祉の重要さが語られるようになりました。そうした今にあって、この本は20年前で時が止まっている。
『絶歌』で著者は、第一部で事件当時の自分を語り、第二部で退院後の話を書いています。いかにも90年代的な言葉遣いがちりばめられた第一部は、痛々しくて読むのが苦痛でした。冗舌ですが表層的。むしろ第二部だけでも本書は成立したでしょう。退院後のケアの話に特化し、専門家を交えて掘り下げれば、社会にとってずっと役に立つ本になったと思います。つまり著者が読者を見てないんですね。
評価しない経緯面というのは、やはり被害者家族への軽視です。印税を賠償金にあてるという話も出ているようですが、そもそも賠償金というのは謝罪のための行為。当事者が嫌がる行為で生まれたお金をあてるというのは矛盾している。内容も経緯も、編集と版元の役割が大きいでしょう。読者の方々に言いたいのは、しばらく経てば騒動も忘れられるでしょうが、犯罪研究は進んできているので、ぜひ良質な研究書にこそ触れてほしいということですね。(聞き手・柏崎歓)
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おぎうえ・ちき 1981年生まれ。評論家、電子マガジン「シノドス」編集長。TBSラジオ「Session22」パーソナリティー。
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■斎藤環さん(精神科医・筑波大教授)
少年の性的衝動が残虐な犯罪に結びつくと、これだけ端的に書かれるのは珍しいことです。昨今、続けて起きている少年少女の殺人事件とはベクトルが違う。
彼は祖母への愛着から性的な発展がいびつな方向に向かい、嗜虐(しぎゃく)的な方法でしか快楽が得られなくなります。その後、手段が急激にエスカレートしていく過程は、アルコールなどの依存症者のパターンとよく似ています。最初は猫を殺すことで満足していたのが、次第に耐性がついて同じ刺激では満足できなくなる。
彼は他人と違う衝動を抱えた劣等感が強く、孤立感を抱えたまま自己を追い詰めていった可能性があります。どうすれば良かったかと言われれば、そうした性的嗜好(しこう)が思春期には特別なものではないことを説明できる大人が、じっくり彼の話を聞く機会を持つことが抑止効果を持ち得たかもしれません。
性的嗜好を自覚すれば、後はどうコントロールするかになります。依存症から離れるには代替物が必要です。彼はコラージュや紙細工を創って衝動を昇華しようと努力をしていますが、それでも昇華できないものを手記という形で封じ込めようとしたのかもしれません。嗜虐行為の代わりの行為をしないと、生きる心地がしないのでしょう。表現がセルフケアになっているのだと思います。
十分な贖罪(しょくざい)意識はないかもしれませんが、内省力は戻りつつあるようです。文学的な印象を残す表現が多いですが、象徴的表現をたくさん使うのは健全化の証拠なんです。再犯を抑止する意義はあると思います。
出版されてしまった現状を踏まえて考えるなら、しっかり受けとめて内容についても議論を深めるべきだと思います。(聞き手・高津祐典)
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さいとう・たまき 1961年生まれ。精神科医。筑波大教授。近著に対話による精神医療を説く『オープンダイアローグとは何か』(医学書院)。
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