かつてあった馬場付近でくつろぐ子どもたち=1941年(写真集じのーんどぅーむらより)
松が並ぶ宜野湾並松。1932年には「宜野湾街道の松並木」の名称で国の天然記念物に指定された=1910年ごろ(写真集じのーんどぅーむらより)
【宜野湾】百田尚樹氏が自民党若手議員の勉強会で「普天間飛行場はもともと田んぼだった」などと発言したことが問題になっているが、戦前の宜野湾村や普天間飛行場の成り立ちについて写真や資料で紹介した企画展が17日から宜野湾市立博物館で開催されている。
宜野湾市によると、百田氏の発言が明らかになって以降、市立博物館などには飛行場建設前の集落数や飛行場の成り立ちを尋ねる問い合わせが複数、寄せられているという。宮城邦治館長は展示物を示し、「役場や学校、郵便局などがあったことが一目瞭然だ」とし、百田氏の発言が事実誤認だとの認識を示した。
企画展では普天間飛行場建設前の空撮写真に現在の同飛行場を落とし込み、かつてあった集落と基地に接収された様子を解説。戦前の宜野湾村の様子を写した写真や、沖縄戦中に使われた物品など309点が並んでいる。
宜野湾市教育委員会が発刊した「ぎのわん市の戦跡」によると、1944年にあった14の行政区が普天間飛行場に接収されたとされる。展示された沖縄戦前の宜野湾村の航空写真には現在の米軍普天間飛行場とキャンプ瑞慶覧、かつての宜野湾村役場や宜野湾国民学校の位置が示されている。米軍によって戦前の暮らしが失われた様子が分かりやすく示されている。
宮城館長は「米軍によって排除され、基地周辺で生活せざるを得なかったことは歴史が証明している」と強調。「企画展の趣旨は沖縄戦や宜野湾市の成り立ちを歴史的時間の中で分かってもらうことだ。正しい歴史を後世に伝えていきたい」と力を込めた。
企画展は7月5日まで。
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