現在位置:
  1. asahi.com
  2. エンタメ
  3. BOOK
  4. ひと・流行・話題
  5. 記事

活字が埋める心の隙間 被災者の声受け、書店復興相次ぐ

2011年6月3日

写真:店舗が流された桑畑書店は4月下旬、釜石商工高校の教室を借りて教科書を販売した。右が真一さん=釜石市大平町拡大店舗が流された桑畑書店は4月下旬、釜石商工高校の教室を借りて教科書を販売した。右が真一さん=釜石市大平町

写真:再開した「カムイコタン」の村上浩一さん=気仙沼市田谷拡大再開した「カムイコタン」の村上浩一さん=気仙沼市田谷

写真:書店仲間からパソコンなどが贈られた及新書店の谷沢賢一さん=釜石市上中島町拡大書店仲間からパソコンなどが贈られた及新書店の谷沢賢一さん=釜石市上中島町

 東日本大震災の被災地で、本や店舗、経営者を失いながらも再開する書店が相次いでいる。そこには、様々な思いを胸に活字や人とのつながりを求めてやってくる客たちがいる。

 岩手県釜石市の「桑畑書店」は、津波で店舗が壊れ在庫は流された。社長の桑畑真一さん(57)は、がれきの中から古い顧客名簿を見つけた。

 店はなくても、顧客に本は届けたい――。名簿と記憶を元に、およそ500人の客を自転車で訪ねて回った。雑誌の定期購読を続けるかどうか確認すると、約9割が「継続したい」という答えだった。借りた事務所を拠点に今月10日、配達を始めた。

 「どこを訪ねても、『やってくれるの、よかったあ』って言われる。長い縁があるから、うち以外では買わないって」。町で一番広い本屋。100人以上は父の代から本を配達してきた客で、桑畑さんとも30年以上のつきあいだ。配達に訪ねれば世間話をしてきた。約10人からお見舞いをもらった。

 店舗も再開したいと、仮設店舗への入居を申し込んでいる。一時は5人の従業員全員を解雇したが、3人をアルバイトとして再び迎えることもできた。

 宮城県気仙沼市の個人書店「カムイコタン」は、3分の2の本が泥をかぶった。店主の村上浩一さん(65)と妻の千穂さん(65)は汚れた本を見つめ、半ば再開を諦めていた。

 気仙沼市では、津波で多くの家屋が流された。カムイコタンの周辺でも3軒の書店が営業できなくなった。

 「店を続けて」。村上さんは何人もから声をかけられた。なかには見知らぬ人もいた。「やめるわけにはいかない」。決心した村上さんは、4月15日ごろから店を訪ねる客に本を売り始めた。17日、地元紙に再開を告げる広告を打つと、これまでの5割増し以上の客が来た。

 震災の写真集や雑誌がよく売れた。常連の男性(78)は「開くと聞いて、うれしかった。本がないと空しくてだめだ」と語り、雑誌を抱えて帰っていった。

 男性向け雑誌が充実しているため、これまでは男性客の「たまり場」的存在だったが、客層が広がり、品ぞろえを増やす予定だ。

 釜石市の「及新(おいしん)書店」では、社長の谷沢辰三郎さん(当時77)が津波で亡くなった。本店も流された。

 息子で専務の賢一さん(45)は肩を落としていたが、全国の書店仲間がパソコンや車、義援金を贈ってくれた。それに背中を押される思いがしたという。もう1店舗は残っている。賢一さんは「地域に必要な書店としてやっていきたい。それがおやじの気持ちだと思うから……」と誓った。

 約1週間で再開した宮城県石巻市の個人書店には、初めての客も訪れるようになった。子の棺に入れるための雑誌「小学一年生」を求める人。好きな作家の本を失い、新しく買いに来る客。時間を持てあましコミックを求める避難者。被災地の書店は、心の隙間を埋める場所にもなっている。

 店主の男性は話す。「亡くなったり避難したりした常連さんも多く、店は元のようにはならない。でも、今できることをしたい」

 日本出版取次協会によると、岩手、宮城、福島、茨城を中心に16都道県で787店が被害を受け、約100店が今も再開できずにいる。損害は商品だけで推定約50億円に上る見通しだ。(高重治香)

検索フォーム
キーワード: