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【戦後70年~沖縄(5完)】
「4本爪」の龍柱を誰のために建てるのか? 揺れる普天間移設 テント村住民の正体は…
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自民党政権と沖縄の蜜月はその後も続いた。第84代首相の小渕恵三は11年12月、「普天間飛行場移設に係る政府方針」を閣議決定した。12年度から10年間で1千億円を従来の沖縄振興とは別枠で北部地域向けに確保することを約束した。
12年の主要国首脳会議(サミット)の開催地も名護市に決まった。那覇市では、米軍住宅跡地に大型ショッピングセンターなどが並ぶ「那覇新都心」が完成し、空港と市街地はモノレールで結ばれた。名護市でも16年に国立沖縄工業高専が開校、17年には名護市と古宇利島(今帰仁(なきじん)村)を結ぶ古宇利大橋も完成した。
沖縄返還後、政府が投じた沖縄振興予算は累計11兆円に及ぶ。SACO合意後はさらに増えた。地元建設会社の幹部はこう語った。
「振興策のおかげで沖縄は豊かになりました。建設業界も恩恵を享受している。本土の山間部を見ると沖縄の山間部より開発が遅れている。あんな所に住む人が懸命に働き、納めた税金がこっちで使われると思うと気の毒に思いますよ」