古典芸能への招待 文楽「一谷ふたば軍記 熊谷陣屋の段」 2015.06.28


古典芸能のえりすぐりの舞台をお楽しみ頂く「古典芸能への招待」。
今回は大阪にある国立文楽劇場で4月に行われた文楽人形遣い吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露公演のもようをお送りします
ここは大阪・ミナミの道頓堀です。
文楽のホームグラウンド国立文楽劇場の近くです。
今から300年以上前この地で竹本義太夫が竹本座を創設。
近松門左衛門が戯曲を書き文楽の礎を築きました。
道頓堀の北側宗右衛門町には文楽人形遣い吉田玉男さんの襲名を祝う幕が張り出されています。
芝居と共に発展してきた大阪のミナミ。
街を挙げて二代目吉田玉男襲名を祝っています
国立文楽劇場です。
ここで二代目吉田玉男襲名披露公演が行われています。
公演に合わせて初代と二代目それぞれの吉田玉男さんを紹介する展示も開催されています。
戦後を代表する文楽人形遣い初代吉田玉男。
一番弟子として吉田玉女の名前を授かりおよそ50年に及ぶ修行を積んだ二代目。
展示には2人の歩みを振り返る品々が集められました
品格ある芸風そして深く作品を理解し登場人物の性根を追究して古典作品に新たな解釈を与えた文楽人形遣いでした
昭和52年にいわゆる人間国宝に認定されるなど数々の栄誉を受け平成18年に亡くなるまで大名跡を継ぐ事なく生涯玉男の名で現役を貫きました
そして今回玉女の名を改め二代目を襲名した玉男さんは昭和42年に初代に入門しました。
3人で1体を遣う文楽人形。
師匠の足を10年左を20年以上遣い20世紀最高の人形遣いとたたえられた初代の芸を受け継ぎます
襲名公演の初日を4日後に控えたこの日二代目襲名の報告のため一門と共に師匠初代玉男の墓を訪れました
二代目吉田玉男襲名披露公演…。
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏…。
初代の眠る墓から歩いて3分。
初代が復活に携わった名作「曾根崎心中」の舞台であるいくたまさんと親しまれる生國魂神社。
初代の当たり役となった徳兵衛ゆかりの社で襲名公演の安全と成功を祈願しました
生國魂神社は大阪で最も古い2,700年の歴史を持ち芸能とも深いつながりがあります。
境内にある文楽の先人を祭る浄瑠璃神社。
ここで文楽の礎を築いた竹本義太夫や近松門左衛門をはじめとする多くの先人に玉男襲名と芸道精進を誓いました
玉女から玉男になります。
楽屋入りした事を知らせる着到板が改められました。
この日から玉男の名跡が復活します
それではまず吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露口上をご覧下さい。
(拍手)
(柝の音)東西トー。
東西。
口跡ご免お許しをこうむりましてただいまより襲名ご披露口上を申し上げ奉りまする。
先ずもちましてご来場のいずれも様にはご機嫌うるわしくご清福にわたらせられ恐悦至極に存じ奉りまする。
従いまして当文楽劇場四月興行開演致しましたるところ初日より連日かく賑々しくご来場賜りありがたく厚く御礼申し上げ奉りまする。
まず豊竹嶋大夫よりご挨拶申し上げ奉りまする。
これに控え居りまする吉田玉女こと平成18年に逝去致されました初代吉田玉男師匠に入門致しまして48年と相成りまするがこの度ご贔屓皆々様また人形浄瑠璃文楽座諸先輩ならびに関係各位のお許しを頂きまして師匠の名跡吉田玉男の二代目を襲名致す事に相成りましてござりまする。
(拍手)ご贔屓皆々様にはこの後とても新吉田玉男を何とぞご指導ご鞭撻御引き立てのほど大夫部を代表致しまして私よりもひとえに御願い申し上げ奉りまする。
(拍手)引き続きまして鶴澤寛治よりご挨拶申し上げ奉りまする。
ひと言ご挨拶を申し上げます。
この度吉田玉女さんが師匠の名跡吉田玉男の二代目を襲名されます事はまことにおめでたく三味線部一同心よりお祝いを申し上げます。
さて先代とは昭和18年戦前の四ツ橋文楽座に私が入座致しました時より大変かわいがって頂きました。
また戦争が終わりにいさんが文楽に復帰されましてからはいつも一緒に舞台を務めさせて頂きました。
そのころかわいらしい学生さんがにいさんの用事を一生懸命務めておりますのを見て「にいさんの子どもさんですか?」と伺いましたら「あれは近所の子どもで文楽に入りたいと言うのでアルバイトがてら遊びに来させているんですがいつまで続く事やろなあ」とおっしゃってました。
その学生さんがにいさんのもとに入門をし吉田玉女という名前を頂き厳しい修行を経て数々の栄誉ある賞を頂き立派に成人を致しました。
亡き師匠もさだめし喜んでおられる事と存じます。
この度関係各位先輩師匠方の許しを得まして師匠の名前を相続致します事はまことに喜ばしい事と存じます。
この上はなお一層芸道精進をせられ師匠に勝るとも劣らぬ立派な人形遣いになられ文楽の将来を担ってくれる事を楽しみに致しております。
ご贔屓皆々様におかれましては二代目吉田玉男を先代同様なお一層ご贔屓ご指導ご鞭撻を賜ります事を御願い申し上げまして私のご挨拶にさせて頂きます。
(拍手)次に吉田和生よりご挨拶申し上げ奉りまする。
この度吉田玉女さんの二代目吉田玉男襲名おめでとうございます。
我々同期の入門者と致しましては本当にうれしく思っております。
先代の玉男師匠は大変研究熱心な方で舞台でもいろいろな工夫をされています。
このあとに上演致します「一谷嫩軍記」の「熊谷陣屋」でも「我が子の敵」と言って斬りかかる藤の方を熊谷が刀の鐺を持って押さえつける場面がありますがこの型は玉男師匠の工夫だと伺っております。
玉男師匠に入門された玉女さんは足遣い左遣い主遣いとして修行された経験を生かして新しい二代目吉田玉男像をつくられ大きく羽ばたけますよう皆々様の温かいご指導ご支援をよろしくお願い申し上げます。
(拍手)桐竹勘十郎よりご挨拶申し上げ奉りまする。
ひと言ご挨拶を申し上げます。
この度の二代目吉田玉男襲名を心よりお祝いお喜び申し上げます。
さて二代目玉男を名乗られます玉女さんとは昭和41年私が中学2年生玉女さんが1年生の時まだ2人とも丸刈りの少年でございました。
その時からのおつきあいでございます。
以来50年近く共に足遣いとしてまた左遣いとして競い合いながら修行を重ねてまいりました。
ただいまでは各演目におきまして相手役をさせて頂いております。
また初代玉男師匠には私たちも大変お世話になりました。
そのすばらしい舞台から数々の教えを頂き今もって大変感謝致しております。
その初代の名跡また芸を引き継ぎ継承されます二代目玉男さんとはこれから先も同期と致しましてまたよき友よきライバルとして共に舞台に精進を重ねてまいりたいと思います。
どうか皆々様方にもこの新吉田玉男ともども人形浄瑠璃文楽を末永くご贔屓賜りますようお願い申し上げまして私のご挨拶とさせて頂きます。
(拍手)なお当公演は4月26日まで開演させて頂いております。
この襲名披露公演を無事成功させて頂けまするようまた我が国固有の伝統芸能世界遺産人形浄瑠璃文楽のますます隆昌発展と相成りまするようひとえにこいねがいあげ奉りまする。
(拍手)二代目吉田玉男襲名披露口上をご覧頂きました。
ここからは演劇評論家の宮政夫さんにお話を伺います。
宮さんよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今お送りした口上襲名される玉男さんはひと言も口上を述べていませんでしたね。
そうですね。
ほかの古典芸能の襲名披露口上では襲名する本人の方も口上を述べたりするんですけれども文楽の場合はちょっと違いますね。
それは?襲名する本人がしゃべるのはおこがましいというか出過ぎだというか。
まあそういう考え方があるようですね。
そういう事なんですね。
今回二代目吉田玉男さんの襲名披露演目は「一谷嫩軍記熊谷陣屋の段」です。
宮さんこの演目についてはいかがでしょうか?「熊谷陣屋の段」は「一谷嫩軍記」の三段目で文楽の時代物の傑作ですね。
作者は並木宗輔で三大名作といわれている「菅原伝授手習鑑」。
それから「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」。
いずれもの作者の一人としても知られています。
三段目まで並木宗輔が書いて…でお亡くなりになってしまったんですね。
そのあとは別の作者が書かれたというそういう作品ですね。
この作品源氏と平氏の戦いを基に作られた作品だそうですね。
そうですね。
源氏の武将の熊谷次郎直実が平家の公達平敦盛を討って世の無常を悟って出家したというそういう話が「平家物語」にありましてそれを基に創作された作品ですね。
それではあらすじをご紹介します。
舞台は一谷にある源氏の武将熊谷次郎直実の陣。
陣では若木の桜の下に源義経の命により弁慶が書いた制札が立っています。
制札には「若木の桜の一枝を伐れば指一本剪り落とす」と記されています
その陣所に熊谷の妻相模が夫と我が子小次郎の初陣を心配して東国からはるばるやって来ます
これはこれは奥様か。
家来の軍次から熊谷は墓参りに出かけ小次郎も不在と聞かされます
(相模)熊谷殿や小次郎も変わることはないかの。
お前は藤のお局様ではないか。
そこに敦盛の母である藤の局が追っ手から逃れやって来ます。
偶然の再会を喜ぶ2人。
相模はかつて宮中に仕えていた時藤の局の計らいで夫熊谷と添い遂げる事ができたのでした
「マアこなたへ」と伴ひ入り…。
(藤の局)無官の太夫敦盛をそちが夫熊谷が…。
藤の局は昔の恩返しに我が子敦盛の首を取った熊谷を討つその助太刀をするように相模に迫ります
真でござりますか。
その石屋の親仁め引っ立て来たれ。
続いてこの陣屋に源氏の武将梶原平次景高が石屋の弥陀六を引っ立れてきます。
梶原は誰に頼まれて敦盛の石塔を建てたのかと弥陀六を問い詰めます
(梶原)ヤイなまくら親仁め!おのれ何者に頼まれ敦盛が石塔は建てたやい。
(弥陀六)テモさても御無理なご詮議。
先程も申した通り石塔の誂人は敦盛の幽霊。
しかし弥陀六は敦盛の幽霊に頼まれたのだと答えるだけでらちが明きません。
梶原は更なる詮議のため弥陀六を奥へ連れていきます
そして日が傾く頃熊谷が墓参りから帰ってくるところから「熊谷陣屋の段」が始まります。
吉田玉女改め二代目吉田玉男さんに「熊谷陣屋の段」への思い見どころを伺いました。
実は昭和55年の1月大阪の本公演で…まあ朝日座時分ですけども。
師匠がこの「一谷嫩軍記」熊谷次郎直実を本公演で遣ってたんですね。
そのあとに若手向上会っていう勉強会がありましてその時に僕が熊谷の役を頂きまして。
それで初めてこの主役を遣わせて頂いたんですけどね。
それが…まあ。
そして師匠が僕の…物語の部分だけですけども師匠が左を遣って頂きましてそこはすごく勉強になりましてね。
いまだに覚えてますけどね。
まあ僕は出ですね。
熊谷が花の盛り敦盛を無常を悟りしがの出。
出のところが熊谷のねすごいやっぱ気持ちっていうんですか心の気持ち。
やっぱ重く出るっていうんですか。
そうそう大きく出るっていう。
そういうところが非常に難しいし気持ちが入るところだと思うんですけどね。
玉男さんが見どころを挙げて下さいましたが宮さんは「熊谷陣屋の段」を鑑賞するポイントはどんなところだと考えてらっしゃいますか?やはり一番のキーポイントは熊谷が敦盛の首を討ったと見せかけて実は我が子小次郎を身代わりにしていたというところだと思いますね。
なぜ敦盛を討たなかったかというと源氏の大将源義経が後白河法皇の落胤である敦盛を助けるよう制札の文言の中に暗に記していてそれを熊谷が読み取ったからだという事になっています。
しかし熊谷が小次郎を敦盛の身代わりにした事は後半まで明かされません。
熊谷自身前半では敦盛を討ったと言ってるんですね。
本当に「陣屋」という限られた場面ですけれども登場人物の心理がさまざまに飛び交う場面なんですね。
そうですね。
でその登場人物の心理心情という点から言いますと「熊谷陣屋」で一番難しいのは実は熊谷の出の場面だといわれていますね。
出の最初の場面ですか?最初の場面ですね。
どの義太夫でもマクラと呼ばれる冒頭部分が難しいとよくいわれてるんですけれども「熊谷陣屋」もその例に漏れません。
「相模は障子押開き」から始まってですね「座に直れば」まで僅か100字余りなんですけれどもその100字余りの中で熊谷の内面をどう語って表現するのか。
このマクラに「熊谷陣屋」一段が要約されているとまでいわれているんですね。
見る方はそうすると初めからず〜っと楽しんで気が抜けない舞台ですね。
そうですね。
まず前半ですけれども陣屋には敦盛の母藤の局それから小次郎の母つまり熊谷の妻相模が来ています。
藤の局は熊谷の刀を取って我が子の敵と熊谷を斬ろうとします。
襲名披露口上で話が出た場面ですね。
そうですそうです。
その場面ではですね初代玉男さんが原作に即しつつ緊張感のある演出を考え出されたんですね。
ここは原作では「熊谷やらぬと抜くところ鐺つかんで」となっているんですけれどもそれまでの演出では藤の方が右手で熊谷の刀を取って「熊谷やらぬ」ととんと熊谷のそばに立てるんですね。
するとその鐺つまりさや尻を熊谷がつかんで藤の方を抑え込むいうそういう流れだったんですね。
はい。
しかしそこで初代玉男さんが思ったのは熊谷のそばに刀をとんと立てるのはいかにも取って下さいという段取りになっていて緊張感がないと。
しかも熊谷を斬ろうとしているのに右手で刀を持っているために藤の局はすぐに刀を抜く事ができない訳ですね。
それは不自然であるという。
そういう事だったんです。
そこで初代玉男さんが考えられたのは藤の局が「熊谷やらぬ」と左脇に刀を構えて斬ろうとすると熊谷がその藤の局の足を払います。
すると藤の局が前にのめります。
前にのめって刀の鐺が上がったところを熊谷がその鐺をつかんで押し伏せるという。
そういう流れにした訳ですね。
原作の事を深く考えているがゆえの演出という事だった訳ですか。
そうですね。
玉男さんはやはり原作をいつもきちっと読み込んで舞台に臨まれる方でしたね。
初代玉男さん人形の動きを変えるというのはこれ大きな決断のいる事ではないかと思うんですけれども。
そうですね。
文楽も古典芸能ですから何でもかんでも変えていいという訳ではない訳ですね。
昔から伝わっている人形の場合なら型。
義太夫なら語り方で変えてはいけないところというのもちゃんときちっとある訳ですけれどもまあこの場合に見るようにですね原作に戻ってもう一度その原作を再検討してみると。
それで正しい演じ方はどうなんだろうという事を玉男さんは考えられた訳ですね。
今はこれが熊谷の型として定着しています。
もちろん初代玉男さんの一番弟子だった二代玉男さんもこの型を継承していますのでその辺りよくご覧下さい。
でこのあと熊谷が敦盛を討った様子を藤の局に話す物語の場面になります。
ここも大きな見どころ聞きどころですね。
その首を討った場面文字どおり物語る訳ですか?そうですそうです。
物語の場面というのは…ところがこの「熊谷陣屋」では実際に討ったのは敦盛ではなく我が子小次郎を討った訳ですからこの物語は藤の局にではなく実は横にいる相模に向かって聞かせているのだという解釈もある訳なんですね。
そうなんですか。
だから今回「熊谷陣屋」を語っていらっしゃる豊竹咲大夫さんも相模に向かって物語っている気持ちですと話しています。
人形の熊谷もその解釈から物語の最中に相模の方へそっと目を向けて様子をうかがう場面が何回かあります。
これは初代吉田栄三さんの型といわれています。
熊谷のその目の動きにより熊谷の心情が浮かび上がってくる訳ですね。
その後物語後半の見どころはどんなところでしょうか?後半はまず首実検の場面が見どころですね。
熊谷が敦盛を助けるために小次郎を身代わりにした。
それで正しかったのかどうか。
それを大将の義経に小次郎の首を見せて確かめる訳ですね。
その首を見て相模がびっくりするんですね。
それは息子小次郎の首だったからですね。
うろたえる相模首を見ようとする藤の方。
その2人を熊谷が抑えて制札の見得という制札を立てて決まる場面で決まりますね。
ここも時代物ならではの迫力がみなぎるところですね。
そのあと子を亡くした相模が悲しみを訴えるクドキの場面などが感動的ですね。
更にその石屋の弥陀六が実は平家の侍弥平兵衛宗清だったというような展開があったりして最後まで気が抜けない展開になっていますね。
それではご覧頂きましょう。
吉田玉女改め二代目吉田玉男襲名披露「一谷嫩軍記熊谷陣屋の段」です。
東西只今の切「熊谷陣屋の段」。
相務めまする大夫豊竹咲大夫。
(拍手)三味線鶴澤燕三にて相務め申す。
(拍手)東西トー。
東西…。
(拍手)
(拍手)東西只今の後。
相務めまする大夫竹本文字久大夫。
(拍手)三味線鶴澤清介にて相務め申す。
(拍手)東西トー。
東西…。
(拍手)
(拍手)
(拍手)
(テーマ音楽)2015/06/28(日) 21:00〜23:00
NHKEテレ1大阪
古典芸能への招待 文楽「一谷ふたば軍記 熊谷陣屋の段」[多][字][デ]

27年4月国立文楽劇場での文楽人形遣い二代目吉田玉男襲名披露公演から「一谷ふたば軍記〜熊谷陣屋の段」を中心にご紹介。〔出演〕豊竹咲大夫、鶴澤燕三、二代目吉田玉男

詳細情報
番組内容
「一谷ふたば軍記」熊谷直実が平敦盛を討ち、無常を悟り出家した物語を基に創作された名作と、襲名披露口上の模様をお送りする。舞台と共に二代目玉男襲名までの歩みをあわせて紹介。新玉男と共に次代を担う桐竹勘十郎、吉田和生の共演。演奏は文楽の浄瑠璃語り最高峰の切場語り・豊竹咲大夫と三味線・鶴澤燕三。解説:宮辻政夫(演劇評論家)。副音声解説:高木秀樹。ご案内:金城均アナウンサー(*「ふたば」は「女束欠」の字)
出演者
【司会】金城均,【解説】演劇評論家…宮辻政夫,副音声解説・文楽研究家…高木秀樹,【出演】二代目 吉田玉男,豊竹咲大夫,六代 鶴澤燕三,竹本文字久大夫,鶴澤清介,吉田和生,三世 桐竹勘十郎,吉田玉也ほか

ジャンル :
劇場/公演 – 歌舞伎・古典
音楽 – 民謡・邦楽
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語(解説)
サンプリングレート : 48kHz

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