今から200年以上前空飛ぶ乗り物気球を発明したのはフランスのモンゴルフィエ兄弟でした。
気球によって人類ははるか昔から抱いてきた夢「空への旅」を実現させたのです。
気球は人々の夢と冒険心をかきたてました。
開発競争が始まり短期間のうちに新しい飛行記録が次々と打ち立てられました。
気球を見た当時の人々の興奮を想像してみて下さい。
人はついに憧れの空へ羽ばたく事ができたのです。
それは人類の歴史に刻まれる事件でした。
気球の歴史が始まったまさにその場所である挑戦が行われようとしています。
慎重にゆっくり広げて。
ワイヤロープに注意してね。
昔の記録を調べ当時そのままの気球を空に飛ばそうというのです。
史上初めて人を大空へ運んだ気球はどのようなものだったのでしょうか。
18世紀に使われていた素材や技術を用い色やデザインまで精密に再現します。
製作期間は数か月に及びました。
大空を飛ぶ夢に懸けた18世紀の発明家や冒険家たち。
当時の人々が見た驚きの光景がよみがえります。
フランス南東部の小さな町アノネー。
世界初の気球はここで誕生しました。
発明したのは製紙工場を営むモンゴルフィエ兄弟です。
公開飛行は1783年6月に行われました。
アノネーの人々は今もモンゴルフィエ兄弟の子孫を交えて初飛行の記念日を祝います。
モンゴルフィエ兄弟は紙と布でできた高さ9メートルほどの気球にわらを燃やした煙を送り込みました。
十分膨らんだところで地面につないでいたロープを断ち切ると気球は上昇し始めました。
(歓声)うまくいった。
降りてくるのを待とう。
モンゴルフィエ兄弟の気球は900メートルの高さまで上昇し10分後およそ3キロ離れた場所に着陸しました。
見物人は皆驚き夢中になりました。
私の先祖である2人は実に途方もない誰も見た事のない物を作り出したのです。
気球のアイデアは暖炉のそばに掛けられていた洗濯物から生まれたといわれています。
ある夜暖炉の上で乾いたシャツが膨らみ今にも飛んでいきそうになっていました。
「炎から出る煙は物を浮き上がらせる事ができる」。
そう気付いた兄弟は煙を利用して空飛ぶ装置を作ろうと考え始めました。
それがモンゴルフィエ家にとっての転機となりました。
全ては冬の夜暖炉の前で始まったのです。
モンゴルフィエ兄弟は紙でできた小さな試作品を空に飛ばし自分たちのアイデアが正しい事を確信しました。
それからわずか1年後には2人の人間を乗せた気球を空へと送り出すのです。
モンゴルフィエ兄弟がどのようにして気球を設計したのかその手がかりが地元の博物館に残されています。
ここには気球に関するアイデアや細かい計算式がたくさん書かれています。
巨大な気球を飛ばすために必要な力を数式を使って正確に割り出そうとしていたのでしょう。
しかしこれらの膨大な記録は文字と数式ばかり。
気球のデザイン画は一枚もありません。
兄のジョセフが気球の形を描いたスケッチは別の博物館で一枚だけ見つかっています。
てっぺんは円すい形でその下は円筒形。
そして底の部分も円すい形だ。
現代の熱気球に似ているね。
この形なら飛ばすのに何ら問題はないと思う。
1783年兄弟は2人の人間を乗せられる熱気球を製作します。
それは高さ23メートル直径15メートルという巨大なものでした。
アノネーの町で気球を製作するアトリエです。
当時の気球を再現するプロジェクトがここで立ち上がりました。
まずの大きさの模型を作りました。
本物の気球は厚手の布と紙を張り合わせた24枚のパーツを縫い合わせて作る予定です。
大きさが2,200立方メートルもある見事な気球です。
当時の素材で作るのは大変ですがぜひ完成させたいです。
モンゴルフィエ兄弟の熱気球を再現するというニュースは海を渡ってアメリカに届きました。
そして空の乗り物の歴史に詳しい一人の専門家がこの企画に参加する事になりました。
あの気球を再現するのは簡単ではありません。
何しろ桁外れに大きいのです。
世界で初めて人を乗せて飛んだモンゴルフィエ兄弟の気球は8階建てのビルほどもある巨大なものでした。
トム・クラウチは気球の歴史に関する本を書いています。
彼の本によればモンゴルフィエ兄弟と時を同じくして気球の発展に貢献した人物がいました。
物理学者であり発明家でもあるフランス人ジャック・シャルルです。
モンゴルフィエ兄弟が気球を飛ばした時シャルルは熱せられた空気以外にも気球を飛ばす動力があるはずだと考えました。
シャルルは実験を重ね水素に注目します。
空気よりずっと軽い水素を使えば火を燃やし続けなくても気球を飛ばす事ができると考えたのです。
ロンドンの王立協会にシャルルが手がけた最初の気球についての記録が残っています。
1783年に公開実験を見物したアメリカの外交官ベンジャミン・フランクリンが科学者の仲間に書き送った手紙です。
フランクリンは当時フランスに駐在しアメリカの独立のための交渉を行っていました。
物理学者であり避雷針の発明家でもあるフランクリンは気球に強い関心を寄せました。
モンゴルフィエ兄弟に遅れる事わずか2か月でシャルルのガス気球は空に舞い上がりました。
「パリの公園はものすごい人だかりでした。
突然気球が上昇し始め小雨でぬれた気球はきらきらと輝きました。
気球は上昇を続けやがてオレンジほどに小さくなっていきました」。
フランクリンの手紙は気球というものをまだ見た事がないイギリスの科学者たちに宛てたものです。
そのため気球がどんな外見でどんなふうに飛び立ちどんな音がしたかを分かりやすく伝えようとする努力がうかがえます。
シャルルの気球はパリから20キロほど離れた小さな村に落下しました。
突然空から降ってきた異様な物体は人々を恐怖に陥れ村は大騒ぎになりました。
降りてきた気球はじっとしていません。
中に残った水素ガスのせいでまるで生き物のように動き回ったのです。
村の人たちは鎌やさおなど手近な物を武器に気球を攻撃しました。
そして穴だらけになった気球を馬に結わえつけて村じゅうを引き回したのです。
そんな訳で世界初のガス気球はさんざんなめに遭いました。
1783年モンゴルフィエ兄弟は世界で初めて熱気球を飛ばしました。
その同じ年シャルルは世界で初めてガス気球を飛ばす事に成功したのです。
競争が始まります。
次の目標は人を乗せて飛ぶ気球です。
モンゴルフィエ兄弟が気球の素材に用いたのは主に紙です。
兄弟は製紙工場を営んでいました。
現代の気球の素材はナイロンなどが中心です。
18世紀の気球を再現するためには素材探しから始めなければなりません。
当時と同じ紙はもはや手に入りにくくなっています。
山あいにあるこの製紙工場は18世紀の創業以来伝統的な製法で紙を作り続けています。
原料は布の切れ端です。
布に水を加えて長時間たたきパルプ状にします。
どろどろになったパルプを木の枠に流し込み静かに水をこします。
沈殿させるパルプの量が多いほどより厚く丈夫な紙になります。
しかしあまりに重い紙では気球の素材には向きません。
そのためモンゴルフィエ兄弟は紙と布を張り合わせて強い素材を作り出しました。
シャルルがガス気球を飛ばしてからわずか2週間後今度はモンゴルフィエ兄弟が気球に人を乗せる計画を明らかにします。
実験はベルサイユ宮殿の庭園で行われる事になりました。
国王の前で失敗は絶対に許されません。
ルイ16世は「空の上でも人が死なない事をまず証明せよ」と命じました。
そこで実際に人を乗せる前にある実験が計画されました。
動物を乗せて気球を飛ばすのです。
1783年9月ベルサイユの庭園にヒツジとニワトリとアヒルを乗せる籠が用意されました。
人が宇宙船にサルやイヌを乗せて実験したのと同じ事です。
18世紀の人々にとって空の上は未知の世界であったため人より先に動物で試したのです。
当時の人々は上空に空気が存在するのかどうかさえ知りませんでした。
実験はその答えを知るためのものでした。
国王や大勢の観客が見守る中モンゴルフィエ兄弟の気球は十分に熱せられ大きく膨らみました。
やがて合図の銃声とともにロープが切られました。
これは当時の気球に似せて作られたナイロン製の気球です。
モンゴルフィエ兄弟の気球もベルサイユの庭園をこんなふうにゆったりと漂った事でしょう。
気球は数分間空を漂った後およそ3キロ離れた森の中に静かに着陸しました。
籠の中の動物は全て無事でした。
空の上にも空気は十分にあったのです。
まもなくピラートル・ド・ロジェという人物がモンゴルフィエ兄弟の気球に乗る初の挑戦者として名乗りを上げます。
空飛ぶ気球はベルサイユやパリの人々を魅了しました。
ドレスや帽子に気球のデザインがあしらわれ小さな風船が飛ぶように売れました。
人が気球で空を飛ぶといううわさで町じゅうが沸き返っていました。
モンゴルフィエ兄弟の弟ジャック・エティエンヌは美しい気球を作るためパリの壁紙工房に協力を求めました。
気球の表面に鮮やかな色を塗り国王をたたえる装飾を施すのです。
当時の気球の装飾を再現するために18世紀から続く壁紙工房に協力してもらいました。
手がかりは気球が飛んだ際に描かれた絵です。
フランス王家を象徴する鮮やかな青色の地に黄土色や金色で華やかな模様がびっしりと描かれています。
アルザスにあるこの壁紙工房は創業以来の伝統的な製法を今も守っています。
モンゴルフィエ兄弟が使った顔料の記録は残っていません。
気球を描いた絵はたくさんありますが少しずつ色調が違っていてどれが本物に近いかは分かりません。
ですからまずは当時の顔料で王家の色である青を再現し装飾モチーフは残された絵を参考にデザインします。
18世紀のフランスで使われていた青色の顔料は藍とコバルトの2種類のみでした。
王家の青色はこの2つに石灰を混ぜて作られていました。
この金色は?まさか本物の金じゃないですよね?この金色には秘密があります。
確かに金色に輝いて見えますが実はこれは黄色がかった茶色の顔料です。
使い方によって光沢感が出せるんです。
金ぱくのように見えますね。
気球が輝いて見えたのも同じ理由からです。
この顔料を使いましょう。
18世紀の気球の材料がようやくそろったやさき予期せぬ情報がもたらされました。
モンゴルフィエ兄弟の気球は飛行直前に作り直されていたというのです。
用意していた気球が嵐で破壊されたようです。
しかたなく木綿のキャンバス地で代用品を作り布の両面に色を塗ったなどと書かれています。
時間の猶予が無かったので紙と布を張り合わす方法は用いられませんでした。
当時と同じような紙を探し出し布と張り合わせ色も塗り始めていたのに。
それを全部捨ててキャンバス地で作り直すなんて…。
世界で初めて人を乗せた気球がキャンバス地でできていたと分かった以上紙と布を張り合わせて作る方法は変更せざるを得ません。
しかしがっかりしている時間はありません。
気を取り直して新たな作業開始です。
紙と張り合わせる手間がない分作業は単純化されました。
壁紙の専門家マルタンが指揮をとり装飾を仕上げていきます。
装飾のモチーフはルイ16世を象徴する2つの「L」の文字と12の星座ユリ黄金のワシです。
気球の表面積は900平方メートル以上もあります。
作業開始から5か月。
ようやく完成が近づきました。
1783年の秋モンゴルフィエ兄弟は人を乗せて飛ぶ巨大な気球の準備を整えました。
しかしルイ16世はなお危険ではないかとちゅうちょしていました。
国王からある提案がなされました。
万が一墜落した場合に備えて死刑囚を乗せてはどうかというのです。
しかし挑戦者として名乗りを上げていたピラートル・ド・ロジェは異議を唱えました。
「世界で初めて空を飛ぶ栄誉を罪人に渡す訳にはいかない」と主張したのです。
ついにルイ16世は承諾します。
ただし失敗しても国王の権威を損なわないようベルサイユから遠く離れた場所で気球を飛ばすよう命じました。
アメリカの外交官ベンジャミン・フランクリンはこの時も見物に駆けつけました。
1783年11月パリの西にある貴族の庭園でモンゴルフィエ兄弟の気球はロジェと副操縦士の2人を乗せて離陸しました。
「頭上に来た時気球の中に大きな炎が見えました。
私は乗り込んだ2人が気球から投げ出されたり熱で焼け死んだりはしないかと心配しました」。
2人は気球に熱を送るためまきをくべ続けていました。
大勢の見物人が心配そうに見守る中2人を乗せた気球はセーヌ川の向こうへと漂っていきます。
離陸から数分後気球のへりまで火の粉が上がり今にも燃え移りそうになっていました。
ロジェと副操縦士の2人はまきをくべる四角い穴の中に持っていた棒を突っ込みました。
強すぎる炎をたたき消そうとしたのです。
まもなく炎は消え気球は無事着陸しました。
30分にも満たないものでしたが気球による人間の初飛行は成功したのです。
しかしモンゴルフィエ兄弟のライバル発明家のジャック・シャルルはそのような結果では名誉にはあたらないと考えました。
飛行したのはわずかな時間で距離も10キロに届かなかったからです。
シャルルはすぐに新たなガス気球の準備に取りかかりました。
自ら気球に乗り込み長距離飛行を成し遂げようというのです。
シャルルのデザインに近い気球は現在も使われています。
この気球は直径が9メートル余りです。
シャルルが作ったのより少し大きい程度でそんなに変わりません。
材質も似ています。
シャルルは気球の素材にゴムを利用しました。
液体やガスを通さずしなやかだからです。
シャルルは当時の新素材ゴムに注目し気球の表面をゴムで覆って気密性を高めました。
更にバネで開閉する弁も設計しています。
こうすると開きます。
反対側も同じように開き弁を開けるとガスが放出されます。
すると気球は浮力を失い下降します。
またあとで。
シャルルもこれと同じ事をしたはずです。
ワイヤロープが絡まないように飛ばす前には必ず確認します。
シャルルは気球に網をかぶせその網で人間が乗る籠をつるしました。
1783年12月1日。
シャルルは副操縦士と共にガス気球による長距離飛行に挑みます。
計画は事前に報じられパリは大騒ぎになりました。
気球が飛ぶのを見ようと人々は見晴らしのよい場所に殺到しました。
当時のパリの人口の半分がシャルルの飛行を目撃したといわれます。
「何ともすばらしい眺めでした。
気球はゆっくりと建物の上へ昇っていきました」。
何十万人もの人々が見つめる中シャルルと副操縦士を乗せたガス気球は順調に風に乗り始めました。
シャルルたちは2時間余り空に滞在しその間に気球を操る技術を習得しました。
これで1メートル上昇します。
下に降ろしたい時はロープを引いてバルブを開けます。
このような仕組みは現在でも基本的に変わっていません。
シャルルと副操縦士を乗せたガス気球は2時間余りでおよそ40キロを飛びパリ北部の草原に着陸しました。
いったん副操縦士を降ろしシャルルはすぐさま単独での飛行記録に挑みます。
気球に取り付けられた気圧計によればこの単独飛行でシャルルは高度3,000メートルに到達しました。
初めて乗った気球で高度3,000メートルまで到達するとは…。
驚くほど勇敢な人です。
このようにして1783年は人類が空を飛ぶ方法を手に入れた画期的な年となりました。
これが上に来るの。
アノネーでは再現したモンゴルフィエ兄弟の熱気球をどうやって飛ばすかを検討しています。
かなりの重さですよね。
わらを燃やすだけでちゃんと飛ぶのかどうか…。
無理だと?無理だと決めつけはしませんが…。
私は飛んでからの事故が心配だ。
18世紀には道路に電線もありませんでしたしね。
何にもぶつからず気球がまっすぐ飛べる可能性はかなり低いと思います。
で一体誰がこの気球に乗るんでしょう?苦労して作り上げた作品だから実際に飛ぶところをぜひとも見たいですが僕らは向こう見ずな冒険家ではありませんし…。
当日まで答えは持ち越しですね。
ついにその日が来ました。
絶好の天気を選び夜明け前から準備開始です。
しかし直前に思わぬ横やりが入りました。
フランス航空当局から安全上の理由で飛行を禁じられてしまったのです。
せっかくだから袋から出すだけでも…。
かろうじて気球を地面につないだまま空に浮かべる事は許されました。
飛ばせなくてもこのすばらしい作品を観賞する事はできます。
モンゴルフィエ兄弟の気球を膨らませる際には両脇に大きな支柱が据えられました。
今回は支柱の代わりに巨大なクレーンを使います。
わらで火を起こします。
18世紀に行われたのと同じ方法です。
当時わらは燃料として広く使われていました。
腐った肉や羊の毛なども一緒に焼いたそうですがそれだと臭かったでしょうね。
乾燥したわらは焼くといい匂いがしてよく燃えます。
離れた方が全体がよく見えます。
浮き上がると本当に美しいでしょうね。
生みの苦しみは大きかったけどこれを見たら報われますね。
このくらいでいいだろう。
わらを運び出そうか?ああ入れ替えだ。
離陸直前燃料を現代のガスバーナーに切り替えました。
人が乗るにはわらの火力では不安なのでここからはバーナーを使います。
安全上の配慮です。
クレーンから気球を切り離すとバーナーの熱で気球は空へ浮かび上がるはずです。
ところが気球のロープがフックからうまく外れません。
無理な力がかかると気球が破れる恐れがあります。
危ない気をつけて!フックが外れた!急げ起き上がるぞ!ようやく気球は上昇できる状態になりました。
ワイヤロープを。
離陸だ!出発ね。
気球は2人の人間を乗せて空中に浮かび上がりました。
18世紀人類が初めて空に出発した輝かしい瞬間が再現されます。
僕もあとで乗せてもらいます。
ここまでこぎ着けるのは大変でした。
大成功だ。
感動的です。
気球の歴史が始まったまさにその場所でモンゴルフィエ兄弟の快挙がこうして再現されるなんて。
歴史的瞬間を見ているようです。
18世紀の末気球はヨーロッパ中で大ブームとなりました。
モンゴルフィエ兄弟やシャルルのあとを追うように多くの発明家がさまざまな形や大きさの気球を設計しました。
そのうちいくつかは実際に空を飛びました。
しかし乗り物としての気球には欠点が一つありました。
それは行き先を決められないという事です。
資金を使い果たしたモンゴルフィエ兄弟は故郷の製紙工場に戻ります。
以後気球の開発競争からは退きました。
一方恐れを知らぬ2人の冒険家が気球で海を渡るという途方もない夢を追っていました。
ジャン・ピエール・ブランシャールはオールとかじの付いた一風変わったガス気球を作り共に冒険する仲間を求めていました。
協力を申し出たのはアメリカ人の医師ジョン・ジェフリーズでした。
2人の夢はドーバー海峡を横断する事でした。
ドーバー海峡の幅はおよそ32キロメートル。
風が強く天候は常に荒れがちです。
現代でも気球でドーバー海峡を渡るには勇気が必要です。
ブランシャールたちのように僕らもこれからドーバー海峡横断に挑戦します。
気象条件が整うまでひとつき以上も待たなければなりませんでした。
この海峡の手ごわさは今も昔も同じなんです。
気球で海を横断するのは常に危険です。
途中で海に落ちるかもしれない。
何とかたどり着きたいが100%の自信などありません。
1785年1月7日ブランシャールたちの気球はイギリスのドーバーから飛び立ちました。
その日空は穏やかに晴れわたりさい先良いスタートとなりました。
ブランシャールたちの気球は西風に乗りゆっくりと海の方へ向かいました。
すばらしい眺めだ。
ブランシャールたちの気球はまさにここを飛びました。
振り返るとドーバーの白い海岸線が見えます。
この美しい眺めを18世紀の冒険家たちも見たんですね。
しかしブランシャールたちの飛行は危険に満ちていました。
気球にはオールとかじが付いていましたがすぐに役に立たないと判明します。
更に気球の高度が徐々に下がり始めました。
気球は風だけが頼りです。
彼らは当時空中をオールでこいで渡れると思っていたようですが実際にはもちろんそんな事はできません。
一緒に乗っていたジェフリーズがその時の事を書いた記録があります。
読んでみましょう。
「2時。
気球がどんどん下がり始めたが高度を上げるための砂袋は一つも残っていなかった。
私たちは積んでいたオールとかじを海に投げ捨てたがそれでも海面は迫ってきた。
やむなく服を脱ぎ捨てると気球は上昇を始めフランスの海岸が遠くに見えてきた」。
出発から2時間半後ブランシャールたちの気球はフランスの海岸に到達します。
この史上初めての気球によるドーバー海峡横断は幸運がもたらしたものでした。
今の高度は?760メートル。
見えてきたぞ。
風向きが突然変わりました。
現代の気球も風の力には勝てません。
気球は北へ流され始めフランスの海岸が遠ざかります。
6時間の飛行の末ようやく着陸。
そこはベルギーでした。
当初予定した飛行経路を大きく外れてしまったのです。
悪戦苦闘しました。
気球が風に流されフランスの海岸にはたどり着けませんでした。
いつまで海の上を飛び続けるのかと不安でした。
とても恐ろしかったです。
18世紀の冒険家たちと同じように何とか今回も幸運を祝う事ができました。
気球で海を渡った冒険家たちに乾杯しよう。
偉大な冒険家に!実に勇敢だ!君もね。
18世紀の気球による競争は更に過熱します。
ピラートル・ド・ロジェは史上初の飛行を成し遂げて以来次の記録を打ち立てられずに焦っていました。
ロジェは熱とガスを組み合わせた新しい気球を使って自らもドーバー海峡横断に挑みます。
しかし離陸から20数分後炎がガスに引火しました。
気球は墜落しロジェと同乗者の2人は亡くなりました。
世界で最初に空を飛んだ人物はまた空の事故による最初の犠牲者となったのです。
モンゴルフィエ兄弟が初めて気球を飛ばした時から人類の空の旅への憧れは現実になりました。
その日から実に多くの人たちが冒険に挑み始めました。
まるで世界中が待ち構えていたかのようでした。
時がたち人類は宇宙を目指すようになりました。
しかし気球はこれからも人々の夢と憧れを乗せて空を飛び続けることでしょう。
2015/06/29(月) 00:00〜00:45
NHKEテレ1大阪
地球ドラマチック「初めて空を飛んだ男たち〜気球誕生の物語〜」[二][字][再]
ライト兄弟より120年も前に空を飛んだ男たちがいる。気球を開発したモンゴルフィエ兄弟だ。身近な“あるもの”から思いついたという。当時のロマンが今、よみがえる!
詳細情報
番組内容
舞台は18世紀のフランス。製紙業を営むモンゴルフィエ家の兄弟は、手近な紙と布を使って気球を作った。わらを燃やして膨らませた熱気球だ。大きさは巨大で、高さ22メートル、直径15メートル。フランス国王ルイ16世にも飛行を披露した。ライバルの出現が開発のスピードを早めたが、悲劇も招く…。番組では研究者が、当時と同じ方法で気球のレプリカを作成。大空に舞い上がる光景は圧巻!(2013年フランス)
出演者
【語り】渡辺徹
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
ドキュメンタリー/教養 – 宇宙・科学・医学
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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