2015年06月29日

you've got a friend .


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40年以上も前の曲だけど、メロディラインの美しさが頭から離れない。
詞・曲ともに、本当に素敵な、天下一品の作品だと私は思う。
詞・曲ともに、キャロル・キング(女性)の作品です。

1971年のグラミー賞アルバム「つづれおり(tapestry)」(最優秀アルバム賞他全4賞受賞)の中の一曲で、本曲は最優秀楽曲賞を受賞。
アルバムは、全米アルバムチャートで、15週連続1位を獲得しています。

ジェイムス・テイラー(男性)は、そのアルバムにギターで参加。
また、本曲のカバーで全米ヒットチャート1位を獲得し、グラミー賞でも最優秀男性ポップボーカル賞を受賞しています。


「 君の友だち 」 ( you've got a friend ) Carole King and James Taylor
http://www.youtube.com/watch?v=qNQX_0aY0Rg



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修行。


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何かを決断するときがくる。
自分の内面と外側の状況が、次第に整ってくるからだ。
自分の望みは必ず実現される。
なぜなら、自分が自分の人生(現実)を創っているからだ。

自分の心地よい 「もの・こと・人」。
自分の好きな 「もの・こと・人」。
自分に必要な 「もの・こと・人」。
自分の選択する 「もの・こと・人」。


様々な体験をしたら、自分の心地よいもの、悪いものが分かる。
好きなもの、嫌いなものが分かる。
自分に必要なもの、必要でないものが分かる。
体験したからこそ分かる。
体験しなければ分からない。

その上で、今度は何を選択するか、もう何を選択しないかを決める。
それでいい。


人生は体験だ。
体験の連続であり、体験の選択・拡大だ。
初めは、ネガティブな体験をするかもしれない。
人は遠慮がちだから。
いや、ネガティブな体験をしないと、何がポジティブなのかも分からないからだ。
最初に天国を体験をしたら、そこから出ようとは思わないだろう。
そうすると、地獄の体験はできなくなる。(笑)

また、自分には選択の自由があるように思えないことも多い。
望んでも手に入らないようにも見える。
それを望んではいけないようにも見える。
色々な人々や、社会の様々なネガティブな観念を浴びるからだ。
地球上には、まだまだネガティブなエネルギーが沢山ある。


私は、自分のために生きることは許されないと思ってきた。
いや、そうしたくないと思ってきた。
自分のエゴを克服するのが人生だと思っていたからだ。
そう決めていたからだ。
そういう人生を歩みたかった。

でも、それでよかった。
私は、精一杯それをやり切ったと思う。
そうやって50年以上生きた。
自分のエゴと格闘し続けた。
一人孤独に修行をした。
魂が納得するまで。
そして、たどり着いたのが、「人生は、人のために生きるのではない」ということだった。


人は変えられない。
世界は変わらない。
それが、私の結論だ。
私は自分を変えて、人を変え、世界を変える。
私は、自分を、自分の世界を、望むものに変える秘密を知った。

私には、私の血のにじむような50年以上の格闘があった。
誰も真似できない、私だけの世界だ。
私だからできた。
そして私は、自分の人生を、自分の思い通りに歩む方法を知った。


だが、それは人には教えない。
ずっと人に語りたかったが、誰もそれを求めなかったからだ。
誰も私の言うことを聞かなかった。
ただサラだけが、何故だかいつも聞いてくれる。(笑)

今私は、ただ自分のためだけに生きている。
サラとともに生きている。
自分の体験から、それでいいと思っている。
50年以上体験をしたから、私はもうこれでいいのだ。
これ以上修行をするつもりは、全くない。



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2015年06月28日

悩み多き者よ。


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生意気な時代の、生意気な歌? (笑)
でも、20歳(はたち)位でこんな歌作れるんだもんな。
歌いきっちゃうんだもんな。
すごいな。

哲ちゃんの声大好きです。
歌う哲学者、斉藤哲夫。
ありがとう。


「 悩み多き者よ 」 斉藤哲夫 (1970年2月作品) with 小室等、坂崎幸之助(アルフィー)
https://www.youtube.com/watch?v=CRTArdCgNsk



【 悩み多き者よ 】

悩み多き者よ 時代は変わってる
全てのことが あらゆるものが
悲しみの朝に 苦しみの夜に
絶えず時はめぐり 繰り返されている
ああ 人生は 一片の 木の葉のように
ああ 風が吹けば 何もかもが 終わりなのさ
流れゆく時に 遅れてはいけない
移りゆく社会に 遅れてはいけない

ああ悩み多き者よ 時代は変わっている
全てのことが あらゆるものが
すざんだ日々に ゆがんだ日々に
休みなく時は 通り過ぎている
ああ 人生は 吹きすさぶ 荒野のように
ああ 生きる道を 誰でもが 忘れているのさ
暗い歴史のかげに 埋もれてはいけない
飾りけの世の中に 埋もれてはいけない



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フォトアルバム。 2015年6月

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弁当いただきました。
ビールを飲んでのんびりしてきました。
ありがとう。 晴れ



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2015年06月27日

私たちの望むものは。


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「 私たちの望むものは くりかえすことではなく たえず変ってゆくこと 」
「 私たちの望むものは 決して私たちではなく 私でありつづけること 」
「 私たちの望むものは あなたと生きることではなく あなたを殺すこと 」

こんな詞を、他の誰が書けるだろう?


今日は、岡林さんのいい映像がないので、北海道を代表して千春に歌ってもらうことにする。
うまく歌ってくれるかな?
岡林さんに失礼のないように、しっかり頼むよ。

千春がまだ若々しくて、フサフサしてる頃。
まだちょっと、結構生意気。(笑)


「 私たちの望むものは 」  by 松山千春 with 山本コウタロー
https://www.youtube.com/watch?v=YvubjVT7tYk



【 私たちの望むものは 】 (詞・曲 岡林信康 1970年7月作)


私たちの望むものは 生きる苦しみではなく
私たちの望むものは 生きる喜びなのだ
私たちの望むものは 社会のための私ではなく
私たちの望むものは 私たちのための社会なのだ
私たちの望むものは 与えられることではなく
私たちの望むものは 奪いとることなのだ 
私たちの望むものは あなたを殺すことではなく
私たちの望むものは あなたと生きることなのだ
今ある不幸せにとどまってはならない 
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ

私たちの望むものは くりかえすことではなく
私たちの望むものは たえず変ってゆくことなのだ
私たちの望むものは 決して私たちではなく
私たちの望むものは 私でありつづけることなのだ
今ある不幸せにとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ

私たちの望むものは 生きる喜びではなく
私たちの望むものは 生きる苦しみなのだ
私たちの望むものは あなたと生きることではなく
私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ
今ある不幸せにとどまってはならない
まだ見ぬ幸せに今跳び立つのだ

私たちの望むものは



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出来事。


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もう5年ほど前のことだ。
本当は、その更に1年ほど前に、私はある「心底決意したこと」があったのだが。


当時私は、店を終えて夜中に帰宅すると、毎日眠りにつく布団の中で、一人ただ自分をひたすら愛するアファメーションを繰り返していた。
何とか自己否定を乗り越えるためにね。
そして、その出来事は、それから約1年ほど経った頃に起きた。


夜中(多分22時を過ぎていたと思うが)に自宅(一戸建)の前に、1台の救急車と3台のパトカーが集まった。
救急隊3人と警察官5〜6人が、ぞろぞろと私の家の中に入って来た。
多分近所は、夜中に何事か?と騒然としていたはずだ。
救急車は、私が電話をかけて呼んだものだった。
だが、警察は救急隊が私の電話の様子を聞いて通報したものか、近所から通報がいったものかは分からなかった。
まあ、とにかくその時家の中は嵐が吹き荒れていた。
まだ幼かった下の娘が、ずっと大声を出して泣き叫んでいたからだ。
でも、私はその娘に気を配り、「大丈夫だよ」となだめながらの対応をしていたのだが。
私は、終始冷静だった。
その時息子は、いとこの所に行っていて不在だったが、上の娘は私の全て(事の初めから終わりまで)をしっかりと見ていたはずだ。


でも、警察が家に入ってきたときに、私は心の中で「私の人生は全て終わった」と思った。(絶望した)
私の人生は、ここに向かって流れていたのかと思った。
私は、手錠をはめられ逮捕され、明日のニュースになるのだと覚悟した。
店のことも、その他の身の回りのことも一瞬心配したが、既にそういう状況ではないと全てを観念した。
でも、実はその時のことは、私には大したことではなかった。
結果的には、それより大切なことにつながったからだ。


彼女は、トイレに籠城(ろうじょう=立てこもり)し、その中から救急隊や警察官に向かって気が狂ったように大声で私の悪口を叫んでいた。
「こいつ(私のこと)は、家に全然金を入れないんだ!」、「早く家を出て行ってほしいんだ!」と。
私は、それを黙って聞いていた。
その通りだったからだ。
反論のしようもない。
当時私は、生活費どころか、店の家賃すら彼女に面倒をみてもらっていたのだ。
店を始めて2年半位の頃だ。
だが、結局救急隊も警察も、最後には静かに帰っていった。
私の対応に、とりあえずは安心したのだろう。
救急隊は30分ほどで、「大丈夫ですよ。心配ありません。目はきちんと見えてますよ。トイレに走って入って行った時の様子で分かりました」と言った。
私は、丁寧に迷惑をかけたお詫びをして、引き取っていただいた。


だが、警察はそれからもややしばらく家にいた。
まあ、冷やかしみたいなものだった。
人の家の不幸は楽しいものだ。
結構ずっと家にいた。
無線でガヤガヤと、誰かとずっと何か連絡を取り合っていた。
そのスピーカーから聞こえてくる大きな声が、本当に一番近所迷惑だったと思う。
そして警察は、トイレにいる彼女に向かって、「彼(私のこと)を訴えますか?」と尋ねた。
彼女は警察に、「そんな必要はない!」、「私は誰も呼んでない!」と文句を言い、そして私は警察に「今日はこれ以上問題を起こさないという誓約書」を書いてもらわなければ朝まで帰れないようなことを言われ、それで結局私はその書類に署名し、拇印(指紋)をとられ、更にはその書類を持たされ、玄関先に立たされ写真まで撮られた。
まあ、犯人の記念撮影のようなものだ。
勿論、私は何の抵抗もせずに、言われるままそれら全てに100%従った。


何が起こったのかはどうでもいい。
腹が決まればいつだって、何だって大したことはないのだ。
1. 高校時代に、停学(自宅謹慎)を言い渡され、学校から帰宅させられた時。
2. 同じく高校時代に、サッカーの試合中に鎖骨をばらばらに破壊して、担架で病院に担ぎ込まれた時。
3. 私がまだ小学生の頃、親父がお袋と言い争った後に、「じゃあ仕方がないから、今からお前たち二人を殺して自分も死ぬ」と言って包丁を手にしようとした時。
4. 3年ほど前に、夜中に急に具合が悪くなり、一人暮らしのアパートから自ら呼んだ救急車の中で、「ああ死ぬ時ってこういう感じなんだな。悔しいな。何だか孤独だな。でも仕方がないな。これが自分の人生なんだな」と全てを諦めた(認め・観念した)時。
そのように、私の人生には何度か強烈な痛みや恐怖、絶望や死を覚悟する時があった。
でも、大切なことは、その瞬間私は、それらの全てを乗り越えた(何かを変えた)ということだ。


その夜の出来事も、本当に偶然に起きたことだった。
私が救急車を呼ぶとは、彼女は思ってはいなかったらしい。
私が電話をしている最中に、そのことは分かった。
でも、もう既に電話をかけて、消防に状況を伝えてしまっていた。
だが、上の娘に向かって、気が狂ったように「救急車を呼べ!」と叫んでいたのは彼女だったんだ。
「目が見えない!」とね。
小学生の娘が救急車など呼べるはずがないので、それで仕方なく私が呼んだ。
でも、後から分かったのだが、実はコンタクトレンズがずれてしまい、見えなかっただけのようだったんだ。
彼女はその時、全く冷静さを失くしていた。
ていうか、私に反抗するため(うっぷんを晴らすため)、正気を失っていたのだろう。
それとも、隠れて酒でも飲んでいただろうか。


彼女は、もしかしたらずっとそんな出来事を引き起こすことを望んでいたのかもしれない。
全てを私のせいにして、私をやっつけたかった(恥をかかせたかった)のかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。
とにかく、私はそのことで、後日完璧に自分のことを肯定することができた。
誰に何を言われようと、自分一人で自分のことを愛することができたんだ。
一年前からアファメーションしていたことを、そのとき実際に体験したということだ。


そしてその時私は、望まずに犯罪者となってしまう(引き込まれてしまう)人たちの状況や心境を、少し垣間見たような気もした。
バシャールの言う、「被害者と加害者は一体で物事を引き起こす」ということを実感した。
相手の望む体験をさせるために、それに協力する(力を貸す)ということを感じたんだ。
私は、加害者だったかもしれないし、被害者だったのかもしれない。
だが、その時当事者は、確かに「一体」だった。
でも、私を人前で最大限に否定してくれる人(彼女)は、私にとっては本当にありがたい存在だった。
何故なら、そのお陰で私が自己否定や自己嫌悪の殻を、完璧にぶち破ることができたからだ。


私たち人間は、何がなくても、何を持っていなくても、完璧に(無条件に)自分一人で自己肯定をしなくてはならない。
何故なら、それぞれ自分の人生においては、各自自分以上に価値あるもの、尊いものなどこの世の中には何もないからだ。
勿論、彼女が叫んでいた「お金」についてもそうだ。
「自分の人生(自分自身)とお金のどちらが大切なのか」ということを、私はその時よくよく考えた。
私は、犯罪を犯そうなどと思ったことはなかったが、人生は本当に突然何が起こるかわからないものだとその時痛切に思った。
でも、どうあれ自分の存在以上に価値のあるものなど、この世には存在しない。
そして私は、その時自分自身を最大限に肯定する状況を引き出した。


今日は、何かを、誰かを批判するわけに書いたわけではない。
もう完璧に終わったこと、過ぎ去ってしまったことだ。
ただ今日は、何故だかこのことを書く「必要性」を感じて書いた。
どこかに、これを読むことを必要としている人がいる、ということなのだろう。
でもご心配なく。
すぐに消します。


大切なのは、外側の出来事(状況)ではなくて、自分に起きる心的な(内的な)ことがら(状況)だ。
私は、その時とても大切な体験をさせてもらった。
私が何かを乗り越えた(完璧に変えた)、心的な体験に結びつく大切な出来事だった。
本当にありがたいことだ。
(既に終わってしまったことだから、今は言えています)
では。



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2015年06月26日

自分というもの。


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(高校卒業当時の私。 ぼけてる…笑)



「自分とは何か」
昔はいつも、そんなことばかり考えていた。
考えたって分からないのに。
そして、19の時からそれを考え続けた最後に、「やっぱり分からない」という結末にたどり着いた。(笑)
でも、これは諦めや言い訳ではないんだ。
本当にそうなのだから。
でも、分からないということを自分に「受け入れた」ということが、私にとっては本当にすごいことだったんだ。


でも、私はそれを分からないなりにも知っている。
そこまでずっと考え続けてきたからだ。
つまり、私はそれをずっと垣間見てきている。
分からないのは、頭で考えるからだ。
私は思考ではないからだ。
私は心ではないのだ。
確かに私には、身体も心もある。
確かに、それらは私の一部だ。
でも、私の全ては身体ではないし、心でもない。
何故なら、それは私が眠っているときのことを考えれば分かる。
私は、眠っているときには、自分の身体や心を意識してはいない。
つまり、私にとっては、身体と心は全てではないということだ。
それらを超えて私は存在している。
そうすると、私は身体や心から自分を見つめても、自分の正体は分からないということだ。
私の正体は、私の身体や心を超えている。
私の身体や心は、私自身の上にあり、だから私は私の身体や心を調べたところで私の正体は分からない。


では、私は私を知るためにはどうすればいいのか。
他に私には、私の正体を知るツールがあるだろうか?
残念ながら、その答えは No だ。
だから、私は私のことを完全に知ることはできない。
だが、私が「身体や心ではない」ということは、どうしようもない事実だ。
そして、私は身体と心を頼りにするしかそれに近づけない。
私は、身体と心を頼りに、自分を更に探していくしかないのだ。


眠っているときには、私には時間はない。
自分がどこにいるのかも分からない。
過去も未来もない。
今と言えば今だが、しかしそれは目覚めているときの今とは違う。
そこには、自分以外は他に誰もいない。
確かに登場人物は自分以外にもいるけれど、そこに登場している自分と登場している他人の区別でさえ、何だか少し曖昧だ。
それよりも、それらの全てが現れている場所というか空間というか、見つめている(感じている・気付いている)存在そのものが自分自身とでも言うべきか。
だが、正確には、そこには時間も、限定された広がり(大きさ・狭さ)という空間もない。
つまり、永遠であり無限だ。
時間がないことは、実は永遠であり、空間がないことは、実は無限だとも言える。
私は時間と空間のない、自他の区別もない永遠・無限の存在だということになる。


でも、だから何なのって?(笑)
でも私は、自分の正体が分からなければ「生きてはいけない」とずっと思ってきた。
て言うか、取りつかれてきた。
何故なら、分からなければ、私は自由とは言えないからだ。
不自由を感じて腹が立つ。(笑)
だから、今でもたまには、更にもう少し自由になりたいと思い、頼りにならないしかし頼りにするしかない自分の身体と心を頼りに、自分を探したりするんだ。



この先も聞きたいですか?
文章にするのは大変なんだよね。
でも、実は私は結構そのこと(自分のこと)を知っているのです。
アプローチの仕方が大切なんだ。
沢山のルートを見つけるということがね。
でもね、ルートはね、実はなくなってから分かるんだよ。
完全になくなってからね。
そして、私はそのルートを完全になくしたからこそ分かるんだよ。
自分が何も持たなくなると、持てなくなると、何も持たないで生きている自分のすごさ(正体)というものが見えてくるのさ。
つまり、自分は自分の力の及ばないところで生きているんだよ。
もしかして、それも自分かもしれないんだけど、とにかく意識では何もコントロールはできない世界だ。
でもね、手は届かないけれど、それが自分だと言わないわけにはいかないんだよね。
だって、実際にそれが私であり、何も持ってないその私が唯一持っているものが「私自身だ」とも言えるからさ。
そのように、逆説的(パラドックス)なんだけど、自分とはそういうものだという表現はできるんだ。
つまり、自分のことは、「……ではない」という否定形では表現できるんだよ。
例えばそれは、私は身体や心ではないとか、私は時間や空間ではないとか、私には自他の区別はないとか、私は何も所有できないとか…。
つまり、それらに当てはまらないもの、それらを取り除いた残りが自分だとは言えるんだ。



法華経(ほけきょう)の開経(かいきょう=導入部・序章)である「無量義経徳行品(むりょうぎきょうとくぎょうぼん)第一」の十二行の偈(げ=韻文の形で述べたもの)に「…に非(あら)ず」という三十四の否定の表現があるんだ。
そこに書かれた(表現された)ものが私だ(私という存在だ)と言うことはできるのさ。
(そうとしか、まだ今はうまく表現できない。そのうち必ずきちんとします)

 
「無量義経徳行品第一」

「其の身は有に非ず亦無に非ず、因に非ず縁に非ず自他に非ず、方に非ず円に非ず短長に非ず、出に非ず没に非ず生滅に非ず、造に非ず起に非ず為作に非ず、坐に非ず臥に非ず行住に非ず、動に非ず転に非ず閑静に非ず、進に非ず退に非ず安危に非ず、是に非ず非に非ず得失に非ず、彼に非ず此に非ず去来に非ず、青に非ず黄に非ず赤白に非ず、紅に非ず紫種種の色に非ず」

(そのみはゆうにあらずまたむにあらず…)

わかるかな?(笑)



こんなこと、あなたに興味ありますか?
これは、私が会うことのできなかった私の師匠が教えてくれたことなんだよ。
生死を超えてね。
気が向いたら、いつか話してあげてもいいけどね。
でも今日はここまで。
では。



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2015年06月25日

アリとキリギリス。


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子供の頃、「アリとキリギリス」(童話:イソップ物語)を読んだ。
だが、それは間違いだ。



冬に備えて、夏の間中巣の中に餌を蓄えるアリは、不足や不安・心配という世界に生きている。
夏の間中、ずっと必死で冬の準備のために生きているのだ。
その非創造的な(ネガティブな)視点が、プラスの世界を創造することなどあり得ない。
だが、キリギリスは、ポジティブだ。
不安や恐れには生きず、前向きな確信と喜びの波動に生きている。
「遊んで暮らすことが悪い」などと、宇宙は言わない。
宇宙はただ、正直にその人が見つめているもの、その人が放っている波動(エネルギー)と同じ世界を運んでくる。

だから、キリギリスはやがて、「冬のない世界」に移行し(引き出し)、アリは更に困難な「餓えの世界」(冬だけの世界や、餌のない世界)や「更に恐れを感じる世界」に移行した(引き出した)はずだ。
それが、この物語の正しい結末だ。
行動ではなく、「あり方」(思考)が人生を創るからだ。



だから、作者は「波動の法則」(引き寄せ・引き離しの法則)を知らなかったと言える。
「バチがあたる」みたいな強迫観念や、さもらしい偽善の道徳観の物語は、夢も希望もなく時代遅れで、今やちっとも楽しくない。
堅苦しい窮屈な観念は、ナンセンスだ。
逆に、キリギリスのポジティブな明るい前向きな気持ちが、困難や苦しみを引き寄せるはずがない。
キリギリスは、一生シンクロする宇宙に守られながら、人生を楽しく幸せに暮らしたはずだ。
もしそうでないとすれば、夏の彼は、実は「恐れの中で楽しいふり、幸せなふりをしてただけ」ということになる。
言葉や行動ではなく、「あり方」(思考・波動)が人生を創造していくからだ。



※ 補足

私が読んだのは、夏の間遊んでいたキリギリスは、冬になって餌がなくて飢え死にしたという結末だったが、でもこの物語の終り方には諸説あるらしい。
(アリが冬になって訪ねて来たキリギリスを助けたとか、アリがキリギリスに餌を分けるのを断ったとか、アリがキリギリスに「夏には歌ってたんだから、冬は踊ってたらいいんじゃないか?」と皮肉を言ったとか、色々…笑)

だから、原作のイソップさんの真意がどこにあるのかは分からない。
だが、いずれにしても、「波動の法則」に基づく人生観・世界観は語られてはいないはずだ。
まあ、時代が違うということか。



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2015年06月11日

ハンモックとジャコウネズミ。


「音楽家は音楽を奏でずにはいられない。画家は絵を描かずにはいられない。詩人は詩を書かずにはいられない。それぞれが安らかに自分自身でいようとするならば」
アブラハム・マズロー (アメリカの心理学者。1908〜1970)

そんな言葉があるが、私も確かにそう思う。
私には私の道があり、その道にいないと安らかではいられない。
社会や他人の価値観に生きようとは思わない。
「内なる自分」とそれてしまっては、幸せではいられないからだ。



ハンモックに揺られながら、寝そべって毎日読書をし、考え事や瞑想をする。
それが、私の昔からの「理想の人生」のイメージだったのかもしれない。
私が子供の頃見ていたテレビアニメの「ムーミン」に出てきた「ジャコウネズミさん」のような感じです。
(知っていますか?)
いつも、しわがれ声で、「無駄じゃ、無駄じゃ」と言っていましたね。(笑)

たっぷりとゆとりある静かな時間と空間の中で、毎日をゆったりとくつろぐ。
大きな木陰で、爽やかな風を感じながら。
海の波の音や、好きな音楽(洋楽のフォーク・ロックやジャズ等)を聴きながら。
それが、私の理想です。



でも、現実はだいぶそれとは違いましたね。(笑)
ずっと、忙しくしていました。
多分、そんな理想には、抵抗していたんでしょうね。
受け入れていなかったのでしょう。
自分自身を。

でも、自分に生きないと、人生はうまくいかないのです。
だから、今はそんな感じでやっていますよ。
今は、自分にとって意味のないことは、決してしません。
もう、ほとんどの体験をしてしまって、自分にとっての「意味のあること・ないこと」を全てきちんと知っているので、今は本当に自分の「望むものだけ」を実現するようにしています。



「ムーミン」は、トーベ・ヤンソン (女性。フィンランドの画家・小説家・ファンタジー作家・児童文学作家。1914〜2001)の作品です。
日本においては、1969年から数回アニメ化が行われていますね。 

1. 「ムーミン」 (1969年版)
2. 「ムーミン」 (1972年版)
3. 「楽しいムーミン一家」 (1990年版)
4. 「楽しいムーミン一家 冒険日記」 (1991年版)
5. 「楽しいムーミン一家 ムーミン谷の彗星」 (1992年 劇場版)等。

他にもありますが、私が子供の頃観ていたのは、多分 2. のものだったのかな?
ちなみに、私の観ていた当時は、ムーミンのガールフレンド(スノークの妹)の名前は、フローレンではなくノンノンでしたよ。



【 ジャコウネズミ 】 ( Wikipedia より抜粋 )

原作、アニメーション「ムーミン」、「楽しいムーミン一家 ムーミン谷の彗星」 (劇場版)に登場。
正しくは、マスクラット。 自称哲学博士で、哲学書を好む。
「ムーミン」では、「無駄じゃ無駄じゃ、まったく無駄じゃよ」などと言い、必要な物のことなどでヘムレンさんと言い合ったりしていた。
いつも読んでいる本は、「すべてがむだである事について」。
後に、飛行おに(鬼)の手によって、「すべてが役に立つことについて」に変えられてしまった。
ムーミンパパが川に橋を架ける時にジャコウネズミの家を壊したので、一時ムーミン一家と同居していた。
「ムーミン」では茶色い毛並で白衣を着ており、原作、「楽しいムーミン一家」では抹茶色の毛並で裸である。



「楽しいムーミン一家  ムーミン谷の彗星」 (劇場版パペット・アニメーション 広告サイト)
http://moomin-suisei.com/
(中ほどのキャラクター紹介に、ジャコウネズミさんが出ていますね。でも、これは劇場版なので、私がテレビで観ていたのとはちょっと違うけれど)



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2014年12月28日

THE LONG AND WINDING ROAD. (7)

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LET IT BE. (なすがままに…)
ありがとう。 揺れるハート



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THE LONG AND WINDING ROAD. (6)

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LET IT BE. (なすがままに…)
ありがとう。 ぴかぴか(新しい)



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THE LONG AND WINDING ROAD. (5)

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LET IT BE. (なすがままに…)
ありがとう。 るんるん



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THE LONG AND WINDING ROAD. (4)

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LET IT BE. (なすがままに…)
ありがとう。 ぴかぴか(新しい)



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THE LONG AND WINDING ROAD. (3)

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LET IT BE. (なすがままに…)
ありがとう。 るんるん



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THE LONG AND WINDING ROAD. (2)

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LET IT BE. (なすがままに…)
ありがとう。 ぴかぴか(新しい)



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THE LONG AND WINDING ROAD. (1)

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LET IT BE. (なすがままに…)
ありがとう。 揺れるハート



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2014年12月27日

LIVE at IN MY LIFE.

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懐かしいね。  
お店でのライブやイベント等の風景は、動画には一切撮影しなかったので、コ〇タが記念に撮ったこの映像はとても貴重です。

コ〇タがまだ YouTube に UP していたので、懐かしく拝見させてもらいました。
一緒に来店してくれた大阪在住のサナ〇ンと一緒の映像です。
ありがとう。  

「 LIVE at IN MY LIFE 13.2.4. 」 るんるん
http://www.youtube.com/watch?v=w21B60Eiq0I



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