今朝、偶然こんなエントリーを見つけました。
突然の嵐、そして批判コメントの山。それで傷ついたとのこと。
まんま、この間の私でございます。
まあ、読まれるということは批判が付きまとうのは仕方ないですよね。
これね。コレ。
私もまだまだ駆け出しブロガーなので、嵐のような批判コメントには少なからず傷つきました。
「この人たち、実際に私を目の前にしてもコレ言えるのかな?」
私は基本的には、実際に会って言えないようなことをネットに書き込まないことを信条としているので、ちょっと信じられないな、という気持ちもありました。
でも、もう立ち直っています。
だって、批判した人だって、もう私のこと忘れているよね? 覚えている人は早く忘れてね?
ははん。それに批判していた人だって、たぶんネットを離れたら、割といい人だったりするんじゃないかな、とも思うし。てか、気にしても仕方ないし。
あんなに読まれると思っていなかったからこその詰めの甘さがありました。
それを学ぶいい機会となりました。
公開ブログだから、いくら「好き勝手やるブログです」って言っても、受け取った人によっては見過ごせない内容のこともあります。
でも、あんまり読まれるかもって構えるとしんどいので考えないようにしています。
そんな中、ポジコメをくれた人には本当に感謝。
本当、そんなみんなにキャノーラ油を1リットルずつ配りたい!
いらない? まあ、そう言わず。
私のブログの嵐は既に止んでおり、前のように閑古鳥が鳴いております。
あ、偶然これ見た人は良かったら友達になってね。
さて、本題に入ります。
一番上で紹介したブログ記事ですが、どうやらフィクションものなのに事実と受け止められて困惑している、とのことだったんです。で、フィクションにはフィクションって書いた方がいいのかどうか。まあ、そういう話でした。
これが実はフィクションだった、というお話。
ブログでは実際に起こったことしか書けないのか?
私はそんなことはないと思います。
私自身は創作力がゼロなので、実際に起こったことしか書けません。だから、これも事実です。
本当、読む人が読んだら身バレしますけど。無職だからいいもん・・・。
けれど、世の中には想像力、創作力が豊かな人がいます。そういった創作物をつくる自由と楽しむ自由があります。それは、ブログでも同じでしょう。
ブログは個人の身に起こったことしか書けないのであれば、すごく幅が狭いものとなるでしょう。
創作は創作って明記すべき?
これもモノによると思います。
たとえば、イケダハヤトさんの移住がフィクションだったら?
「会社辞めました。けどネットで成功しています」といった内容のものがフィクションだったら?
それを読んで、「よし、俺も移住しよう!」とか「よし、俺も社畜を脱出して独立するぞ!」という人にとっては手痛い裏切りに感じられるのではないでしょうか。
だって、それに励まされて決めたのに? 色々と参考にしたのに? 全部うそだったの?
私は昨日こんなエントリーを書きました。
でも実は私子どもいないんですよね。親ともずっと仲良しです!
なんて言われたら裏切られた気持ちになりません?
あと私はWebライターノウハウなんて記事も書いていますが、「実はWebライターは友達がやっていて、ちょっと又聞きしたから書いてみたの。」って言われても、私のWebライターノウハウ記事なんて使えないものになるでしょう。
事実だから価値があるものがある。
そう。中には事実だから意味のある、そんな記事が存在していると思います。
そういう受け止められ方をするものに関しては、もしフィクションの場合には、フィクションと一応明記しておいてほしい、そう思うわけです。
身バレに関しては、実際に経験した人もいるでしょうし、ソレを恐れて生活しているブロガーさんもいるようです。そんなふうに深刻に受け止めた人たちからすると、「これ、フィクションです」って言われたらガッカリするのではないでしょうか。
とはいえ、そんなに責められるものでもない。
と私は思います。
読んでみたのですが、面白かったです。「事実を基にしたフィクションです」と今後は注記することとして、今後もこういった記事は続けて欲しいです。
ものごとを説明するときには物語が頭に入りやすい。
たとえば、箇条書きで身バレのリスクなんて書いても面白くはないですよね。人間の頭はストーリー仕立ての方が入ってきやすくなっています。
そういった創作力がある人は大変羨ましい。今後も頑張ってほしいものです。ネガコメに負けず。