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ライティング・ハイ

旧・Fuzzy Logic。時事ネタ、音楽、映画、本、TV番組などなど、幅広く適当に語ります。

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【Mr.Childrenアルバム全曲レビュー①】Mr.Children『深海』を今さら聴き直してみた

ひさしぶりに通しで聞いてみたけど改めていいアルバムだなぁと思いました。このアルバムがリリースされたのが1996年6月24日(あれ?UFOの日ですね)。20年近く経っていますが、今でも全く色褪せない、不朽の名盤です。

1. Dive

文字通り『深海』へと沈み込んでいく、そんな情景を思わせる効果音。チェロの旋律と機械音を残して次の『シーラカンス』へと音が繋がっていくんですが、僕の再生機器だと微妙に音が途切れてしまうので残念。

2. シーラカンス

シーラカンス
君はまだ深い海の底で静かに生きてるの?
シーラカンス
君はまだ七色に光る海を渡る夢見るの?

BECK的に言うなら「静かで、幽玄」なボーカルが途切れ、歪んだギターストロークが響いた瞬間はもう鳥肌必至。最近忘れがちになりますが、「あぁMr.Childrenってロックバンドだったんだなぁ」と思い出させてくれます。

ここで彼が探している「シーラカンス」とは何なのでしょうか。『左脳』という理屈が司る器官の中で待っているそれは、明らかに理屈を超越した何か。

この「シーラカンス」が何なのか?というのが、この「深海」の大きなテーマです。

それは自分の中に、また自分以外の誰かの中に、あるいはメガやビットの海を泳いでいたりするのかもしれない。しかし、それを

それがなんだって言うのか
何の意味も 何の価値もないさ

と、投げやりに吐き捨ててしまう気分。それに何らかの価値を感じながらも否定的にならざるを得ない自分、そういう櫻井氏の気分がこのアルバムを貫く一つのイメージになっています。

余談ですが、メンバーはこのアルバムをあまり肯定的に捉えていないらしく、そういう主旨のコメントもあるそうです。まぁ最近の彼らの方向性を考えると、なんとなくわかるような気がします。最新アルバムの「イミテーションの木」とか完全にそうですよね。

イミテーションの木の下を
少年が飛び跳ねている
それを見た誰かの顔がほころぶ
情熱も夢も持たない張りぼての命だとしても
こんなふうに誰かをそっと癒せるなら
((an imitation) blood orange/イミテーションの木)

このように「意味なんかなくたって、それが誰かを癒せるならいいじゃないか」というのが、彼らの出した(一応の)答えのようです。「シーラカンス」が象徴する「夢」や「情熱」、あるいは「天啓」「インスピレーション」を無くしてしまったハリボテでも、それが出来るのなら。

しかし、絶望的な感情に揺さぶられながら、

シーラカンス
僕の心の中に 君が確かに住んでいたような気さえもする
シーラカンス
ときたま僕は 僕の愛する人の中に君を探したりしてる
君を見つけだせたりする

と歌う彼の姿は、何よりも魅力的に僕の目には映ります。


3. 手紙

シーラカンスとはうって変わって、優しげな曲調のラブソング。

つなぎっぽい曲ですが、4曲目と合わせて聞くと中々面白いです。順番的には「ありふれた~」⇒「手紙」だともっと笑えるんですが、そうじゃなくて良かったなぁ、と(笑)

歌詞をよく見ると、冬がないんですね。過ぎ去った「夏」と「秋」、そしてこれから迎える「花ゆれる春」、というふうに考えると、この歌は「冬」に歌われているのかもしれません。


4. ありふれたLove Story~男女問題はいつも面倒だ

また曲調がガラッと変わって、やけに俗っぽい、よくある恋人の別れを赤裸々に歌った曲。櫻井さんはたまにこういう賞味期限切れの恋愛を描いた歌を歌うんですが、僕は結構それが好物だったりします。「It's wonderful world」の「渇いたキス」なんかは正にこの路線ですね。

大人を気取れど
自我を捨てれない
辻褄合わせるように抱き合って眠る

少し先取りになってしまうんですが、ここでいう「自我=エゴ」は、7曲目の「名もなき詩」でいう「あるがままの心」のことです。

どれだけ気の合う恋人同士だろうと、それぞれのエゴがぴったり重なり合って齟齬が生まれないなんてことはありません。往々にしてエゴとエゴはぶつかり合い、そして傷つけあってしまいます。

「あるがままの心で生きようと願う」から、「人はまた傷ついていく」んですね。

「愛は消えたりしない 愛に勝るもんはない」なんて流行歌の戦略か?
そんじゃ何信じりゃいい? 「明日へ向かえ」なんていい気なもんだ

また、このアルバムでよく見られますが、いわゆる「紋切り型の価値観」への批判もあからさまに出てきます。この「あからさまさ加減」がなんとなく「洗練されてない感」を醸し出してますが、逆にそれが魅力とも言えるかも。

そんなことを言いつつ、結局最後まで、

そして恋は途切れた
一切合切飲み込んで未来へと進め

という「ありふれた」言葉しか出てこないところが、この歌の面白い所。


5. Mirror

「1メロ→1サビ→2メロ→2サビ→大サビ→3メロ→3サビ 」というシンプルな構成なんですが、1サビが、あろうことか「ありふれて使い古した言葉」の代表格である「Love」の繰り返しという、これまた思い切ったシンプルさ。このシンプルさが2サビ、3サビの言葉を詰め込んだ歌詞との対比で、フックとして機能しています。

また直前の「ありふれたLove story」では、「ありふれて」いる言葉をある意味で否定的に捉えていましたが、この曲では「やり場のない想い」の具現化として、肯定的に捉えているのが感じられます。

舗道に沿って幸せそうに
歩き出した恋人達を
羨むように讃えるように
そっと君を待っている

この「舗道に沿って幸せそうに歩き出した恋人たち」は、4曲目の「ありふれたLove Story」をこれから経験する「恋人たち」なのかもしれません。

恋が始まった時の喜びや感動、自我が邪魔して、互いにいたわり合えない葛藤、恋が終わる痛み――全てを経験した彼は、これからそれを経験するであろう恋人たちを「羨むように、讃えるように」見ているんですね。「君を待っている」自らもまた、「歩き出す恋人たち」の一人として。

そうして恋愛の酸いも甘いも噛み分けたヤングアダルト(笑)であるところの彼が、大切な人の傍にいる時の姿勢をこんなふうに表現してしまうのです。

あなたが誰で何の為に生きてるか その謎が早く解けるように
鏡となり傍に立ちあなたを映し続けよう

改めて、超名曲だと個人的には思うんですが、どうでしょうか?


6. Making Songs

曲作りの一幕的な。

なんとなく「BORELO」の「タイムマシーンに乗って」の別バージョン的なメロディもありましたが、wikiを見る限りは特に関係ないみたいです。

最後に次の「名もなき詩」のラストを歌う演出は心憎いばかり。


7. 名もなき詩

確かミスチルで一番売れた曲なので、説明の必要はないですね。

前作の「Atomic Heart」から「深海」までにリリースされたシングルは、「Tomorrow never knows」、「everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-」、「【es】 〜Theme of es〜」、「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」、「名もなき詩」、「花 -Mémento-Mori-」という、これまたすごい曲ばかりだったんですが、「深海」のコンセプトにはそぐわないという理由で、「名もなき詩」と「花」以外は「BOLERO」に回されました。

それを踏まえてこの曲を聴くとまた違った趣がありますね。

例えば、この歌は「darlin」または「君」への語りかけという形をとっていますが、この「darlin」「君」とは果たして誰なんでしょうか。

素直に聞けば、恋人的な、大切な人なんじゃないかとか、聴いてくれているリスナーのことなんじゃないか、とか思うんですが、個人的には「あるがままに生きようと願う自分自身」に向けてこの曲は歌われているんじゃないか、と僕は思います。

「あるがままに生きようと願う自分」に従って、「成り行きまかせの恋におち」て、「時には誰かを傷つけ」てしまう自分。「その度心いためる様な時代じゃない」のはわかっている。でもその結果、やっぱり自分自身もまた傷ついてしまうわけです。

だけど、この曲ではそうした自分自身を否定も肯定もしません。誰だって、自分だってそうだ、と言うに留めています。

あくまで「名もなき」誰かの、「名もなき」誰かによる、「名もなき」誰かのための「詩」ということなんですね。


8. So Let's Get Truth

長渕剛が降臨した、といわれる曲(笑)

ちなみに「短命過ぎた首相」って多分羽田孜さんのことでしょうね。なんとなく僕も覚えてますが、小沢さんの流れを汲んだ政党だったような。。。その前の細川内閣の国民新党は民主党でよく見た顔が並んでる感じですけどね。

最後に「So Let's Get Truth……」で締められてるんですが、なんとなく「tell us truth」って聞こえてきて、次に臨時ニュース、マシンガンって流れはよく考えられてるなぁと感心。


9. 臨時ニュース

つなぎ。途中で聞こえる曲は「また会えるかな」らしいですが、よくわかりません。


10. マシンガンをぶっ放せ

改めて聞いた時に、

あのニュースキャスターが人類を代弁して喋る
「また核実験をするなんて一体どういうつもり?」

という部分にどきっとしました。

昔聞いた時には「核=悪」っていう刷り込みがあったから、漠然と「核実験」を批判しているのかなと思っていたんですが、今聞くと、これは明らかに「人類を代弁して(いるような気になって)核実験を批判するニュースキャスター」に対して批判的に見ていることがわかります。

もちろん核実験を肯定しているわけではないのだと思います。ここにあるのは、大した深読みもせずに「核=悪」という刷り込みのままに「核実験」を悪と決めつけて批判する社会への疑問です。

冷戦時代には何度か核戦争への懸念がささやかれていましたが、幸いにもそうはなりませんでした。朝鮮やベトナムで局地的な戦争は起きましたが、世界大戦にまで戦線が拡大しなかったのは両陣営が「核」を持っていたから、とも言えます。

現在に至るまで人類が核を手放すことが出来ないのは、単純に「核=悪」で割り切ることができない何かがあるからだ、ということは分かっている人はみんなわかっている。しかし、みんなそれを口にしようとはしない。「核=悪」という日本のコンセンサスに反したら、日本社会から袋叩きに遭うからです。

それ自体はよくある話で、最近なら「慰安婦は必要だった」と言った橋下氏、「原発事故で死んだ人はいない」と言った高市氏、「ナチスの手口に学んだらどうかね」と言った麻生氏などなど。

全員間違ったことは言っていないんです。なのに叩かれる。ここに「矛盾」がある。

誰も触れない、気にしない、口にしようともしない「真実」。あるいは「矛盾」。

毒蜘蛛も犬も乳飲み子も共存すべきだよと言って
偽らざる人がいるはずないじゃん

ぱっと理解し難いですが、「毒蜘蛛も犬も乳飲み子も共存すべきだ」という前提、というか綺麗事があって、「偽らない人」⇒「言うとおりに毒蜘蛛と犬と赤ん坊を同じ部屋にぶち込んじゃう人」なんているわけないじゃん、ということなんですね。そりゃそうだ。

こういう「綺麗事」って、気づかない人は気づかないんですが、気になる人は気になる。「ぶちまけてしまえ」と思うのが「あるがままの心」だとしたら、「いやいやそんなこと言ったらボコボコにされるから我慢しよう」と思うのが「檻」、もしくは「理性」、あるいは「左脳」です。

「あるがままの心で生きようと願う」から、「人はまた傷ついていく」わけです。


11. ゆりかごのある丘から

初めて聞いた時は「マシンガン」からの流れで「戦場」と出てくるから、いわゆる反戦歌なのかなーとか思ってたんですが、普通に失恋の歌ですね。ジブリの「耳をすませば」に出てくる天沢聖司君の歌と思って聞いたら、ちょっと溜飲が下がります(笑)

このアルバムを通じて、至る所にS氏のプライベートの苦悩が見え隠れするんですが、この曲はなんとなく色んな解釈が出来そうで怖い。

最後に「シーラカンス」というコーラスが挿入されるんですが、wikiを見たらこれは「She loves again」って言ってるみたいですね。


12. 虜

僕は少し前まで音楽やってたこともあって、「こういう曲を書く時この人はどういうことを考えてるんだろう」とか考えることがあるんですが、この曲はかなり恥ずかしかったんじゃないかって気がします。

「英語の詞みたい」とかいうコメントがあったり、歌い方のクセもかなり強めだったりするのはそのせいなんじゃないかなー。


13. 花 -Memento-Mori-

「深海」において、ここまで歌ってきたことへの集大成、とも言える曲。

引っかかるところをピックアップすると、

等身大の自分だって きっと愛せるから
最大限の夢描くよ たとえ無謀だと他人が笑ってもいいや

まず「等身大の自分」って何なんだ、というところなんですが、思い当たるのが「名もなき詩」で歌われている「あるがままの心」。まさしく「ありのままの自分」です。

「あるがままの心で生きる自分」が時に他人や自分を傷つけるものだ、ということが「名もなき詩」では」歌われましたが、そういう自分だってきっと愛せるんだよ、ということを「花」では歌っているわけです。

さらに突っ込んで、そうした「等身大の自分」が描く「最大限の夢」って何だろう?と考えるんですが、その答えはテキストを読むとこの部分しかありません。

やがてすべてが散り行く運命であっても
わかってるんだよ 多少リスクを背負っても
手にしたい 愛・愛

この「リスクを背負っても手にしたい愛」というのが、彼の「最大限の夢」なわけです。他人が無謀と笑うくらいですから、その「リスク」はある程度のものではあるでしょう。しかし、副題にもあるように、「やがて全てが散りゆく運命」なのだから、「あるがままに生きる」ことを否定なんて出来ない。我慢しているうちに人は死んでしまうわけです。

「リスク」は承知の上、他人や自分を傷つけることはわかっている。だけど「手にしたい愛」。

理性(あるいは左脳)と言い換えてもいいかもしれませんが、彼はこの「リスク(理性)」と「あるがままの心(本能)」の間で揺れています。「手にしたい愛・愛」という彼の叫びは、まさに「迷い」そのものです。この葛藤こそがこのコンセプトアルバム「深海」のテーマであると僕は思います。

檻の中で、理性に従い、あるがままの心を押し殺して生きていくのは、ある意味苦しく、ある意味容易いことです。

その逆に、檻を破って、本能の赴くままに、あるがままの心で生きていくのは、他人との軋轢で周囲と自分を傷つけること。

そういった生き方を選ぶことに生じる「迷い」、それに

負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう
ふと自分に 迷うときは 風を集めて空に放つよ

と、彼は歌っているのだと思います。

14. 深海

締めの曲に相応しい、今では得意技のストリングスも使った壮大なイメージの曲です。

連れてってくれないか
連れ戻してくれないか
僕を 僕も

彼は最後に「連れてってくれないか、連れ戻してくれないか」と叫びます。

ここまでで「シーラカンス」=「あるがままの心」と読み解けると思います。「シーラカンス」に「連れて行ってほしい」と叫ぶということは、「あるがままの心で生きようと願う」ことそのものです。

「連れ戻してほしい」とは、昔は自分もそういう「あるがままの心」で生きていた、ということを示しています。つまり、無垢だったころ――すなわち「イノセントワールド」で生きていたころ。彼はもうそこには行けないし、戻れない。それを永遠に失ってしまったが故の悲しみです。

「理性」と「あるがままの心」に引き裂かれる葛藤から、人は永遠に逃れることは出来ない、と個人的には思います。聖人にも動物にも僕らはなれません。人間はどこまでいっても中途半端な存在です。

彼の叫びはそういった普遍的な葛藤の具現で、だからこそ数多くの人の心を打つのだと思います。

【総評】

こうしてテーマを読み解いてみると、なんとなく文学的な香りがする作品だなぁと思いました。夏目漱石の「こころ」みたいな。櫻井さん本人も、当時はアーティスティックなものに酔っていた、なんて発言もあったみたいですし。

葛藤に答えは出ないんですが、どちらかというと理性が負けつつある、というか、どこか快楽主義的な匂いもします。破滅主義的なところもあって、そういったところが鼻につくし、このアルバムだけは評価できない、と言う声もわかる気はします。

しかし、名盤です。Mr.Childrenをロックバンドとして見た時、これと「BORELO」に並ぶ作品は彼らの中ではまだ出せてないんじゃないかなと思います。というか、そもそも最近は「ロックバンド」というくくりも怪しくなってはきましたが…

深海

深海