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【戦後70年~沖縄(3)】祖国復帰(上)五輪聖火に日の丸が揺れた 「僕は日本人なんだ…」

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【戦後70年~沖縄(3)】
祖国復帰(上)五輪聖火に日の丸が揺れた 「僕は日本人なんだ…」

「ひめゆりの塔」前に到着した東京五輪の聖火。ひめゆり部隊の関係者や学生らが、日の丸を振って出迎えた=昭和39年9月8日、沖縄県糸満市

 沖縄の施政権を返還後も極東有事に際しては米の核再持ち込みを可能とする密約だった。この議事録は日米共同声明とは別に、両首脳だけで小部屋に入り、署名した。

 「議事録=小部屋の紙」の存在を知っているのは佐藤、若泉、ニクソン、キッシンジャーの4人だけ。2通作成され、ホワイトハウスと首相官邸にそれぞれ保管、首脳間でのみ極秘裏に取り扱うこととなった。

 若泉は著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」に議事録についてこう記した。

 「核時代における自国の生き残りをアメリカの核の傘の保護に求めている敗戦国日本としては、万が一にも緊急不可避の非常事態が生起した場合、自国の生存と安全のためにもこの文章が必要になるかもしれない。それがそもそも日米安保条約の存在理由ではないか。(略)これなくしては日本の固有の領土・沖縄とそこに住む百万同胞は返ってくることはない」

× × ×

 47年1月、佐藤は再び訪米し、ニクソンと日米首脳会談を行い、5月15日の沖縄返還を合意した。

 正式返還は5月15日午前0時。那覇市はあいにくの雨だったが、車のクラクションが一斉に鳴り響き、歓喜の声が上がった。船舶の汽笛や寺院の鐘も鳴った。

 だが、沖縄で祖国復帰運動を主導してきた復帰協はすでに左傾化していた。米軍基地が残り、自衛隊が新たに配備されることに猛反発、この日を「新たな屈辱の日」とした。沖縄復帰は革新勢力による反米闘争の新たな出発点でもあった。

(敬称略)

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