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【戦後70年~沖縄(3)】
祖国復帰(上)五輪聖火に日の丸が揺れた 「僕は日本人なんだ…」
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1969(昭和44)年1月、米大統領は民主党のジョンソンから共和党のリチャード・ニクソン(第37代)に代わった。政権交代により返還交渉が頓挫する危険性もあったが、ここで岸が再び登場した。
アイゼンハワーをはじめ共和党に太いパイプを持つ岸は米国に飛び、4月1日にニクソンと会談した。ここで岸は安保改定での苦い経験を交えながら「沖縄返還が長引けば、日米同盟の離反を狙う共産主義国による工作が活発化する」と返還交渉の継続を迫った。
これが奏功し、44年11月21日、佐藤はニクソンとの会談で「核抜き・本土並み」の沖縄返還を正式合意した。11月26日、自民党幹事長の田中角栄(第64、65代首相)らが佐藤を羽田空港で出迎えた。
「沖縄の祖国復帰が47年中に核抜き・本土並みという国民の総意に沿った形で実現することになったことをご報告申し上げます」
佐藤がこう語ると一同は万歳した。
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帰国直後、佐藤はひそかに若泉と面会した。
「小部屋の紙の扱いだけは注意してください」
若泉がこう切り出すと、佐藤は「ちゃんと処理したよ」と答えた。
佐藤に先立つ11月6日に訪米した若泉は、大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャーと接触しながら、ある草案を書き上げた。
「緊急時の核再持ち込みについての合意議事録」