「攻殻で大事にしてきたのは安定志向ではなく一回壊すこと」【特別対談】稲見昌彦×I.G 石川光久が攻殻機動隊を語る(1/4)

2015/06/12 00:03

日本を代表する企業、大学の研究開発者、公共機関など、産学官が一体となって、「攻殻機動隊」の世界をリアルに作ろうという壮大なプロジェクト「攻殻機動隊 REALIZE PROJECT」。いよいよ本格始動する攻殻機動隊 REALIZE PROJECTにあわせ、対談連載をスタートします。第1回目の対談は、「攻殻機動隊にヒントを得て光学迷彩を開発した」という稲見昌彦氏(慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授)と、株式会社プロダクション・アイジー 代表取締役社長 石川光久氏。
お二人の対談は、攻殻機動隊の世界の実現可能性や、原作者・士郎正宗氏についてなど多岐に渡りました。

攻殻を作る上で大事にしてきたこと

石川光久氏(以下、石川):「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」が公開されて20年目を迎えたんですが、もし押井監督が20年ずっと攻殻を作っていたら、全て面白いものになっていたかというと、違うと思うんですよ。「STAND ALONE COMPLEX」も「新劇場版」も生まれなかったし、「攻殻機動隊」のお客さんの幅はどんどん狭まってしまっていたと思うんです。

お客さんを広げていくためには新しい感性を持って、時代とズレない作品作りをしないといけないと思うんです。時代に合ったものを作っていくときに大切なことは「継続」ではなくて、一回「壊す」ことだと思っているんです。これって、みんなできそうでできないんですよ、大切にしちゃうから。だから敢えて押井監督ではなく、若手の神山監督にTVシリーズをやってもらったんです。神山監督にやってもらうっていっても、その当時は誰も知らないんです。監督である神山健治の名前を、誰もですよ。でも神山監督の感性はいけると信じて挑戦した結果、「STAND ALONE COMPLEX」が生まれて、攻殻機動隊のお客さんが広がった。

神山監督は「ARISE」の監督もやりたかったのではと思うんですが、でもそこは違う人間にやってもらうっていうね。全てが未知数で、プロデューサーとして自分も精神的に厳しい部分もありますし、気は楽じゃないですよ。ただそこは安定志向には走らず、常に一回壊す。

 

稲見昌彦氏(以下、稲見):破壊がインプットされているというのはすごく大切ですね。「バーニングマン」って砂漠の中に街を作って、最後にみんな壊して帰るというイベントがあるんですけど、それも燃やしたり壊したりするのが前提になっているので毎年新しい人達が来て新しい取り組みが行われるという。定期的に壊すということ自体を計画しておくことで、全部は壊れなくて本質を残すフィルター作りをしてるのかなと私は解釈しました。

コンピューターだけでいいものは作れない


石川:あと、時代がどんどん進んでも映像の魅力が劣化しないということが大切なんじゃないか思っていて。だから、劣化しない強固なものを作るために、人間がそもそも持っているアナログな部分を大事にしてきました。コンピューター上だけで作っているものって時代が来れば飽きられちゃうし、技術が進化すると表現がチープなものになっちゃうんですよ。

でもアニメーターが描いたものって、どんなに技術が進歩しても表現としての新鮮さや驚きは無くならないんですね。SFをやる時には、何でもCGでやればいいんじゃなくて、人間の持ってる本能的な部分や職人としての感性が大事なんだと思うんです。画面に職人の技術や感性が入るので、受け取れる情報量が増えるっていう。

情報量や技術でいうと、研究者はどうなんでしょう?

 

稲見:それは引き算の発想です。いつも足し算したくなってあれこれ付け加えたくなっちゃうんですけど、積極的に減らすための技術をちゃんと考えた方が良いっていうのが、僕の思うことで。これまでは、オーグメント・リアリティーといって現実世界にタグをつけていったりとか、そういう風に情報を足していくというのが、研究として流行っていたんですね。これを装着したら、相手の戦闘力が見えるみたいな。ただ結局人間が同時に処理できる情報の量は1000年経っても変わらないと思うんですね。だって10人から話を聞くのは難しいっていう聖徳太子の話があったくらいで、やっぱりそれは無理だと思うんです。光学迷彩も減らす技術で考えています。

押井監督は引き算が上手い

石川:確かにそれはありますよね。95年に押井監督が「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」作った時に原作者の士郎正宗さんが言ってたんですけど、「押井さんは引き算が上手いな。切り捨て方が本当に上手い」って。

士郎さんの原作ってものすごく緻密だし深いから、みんな原作に近づこうとしちゃうんですね。期待に応えようとどんどんやり過ぎちゃって、現場が崩壊して、穴が出ちゃう…ってパターンが多いんですけど、押井さんは例えば、草薙素子のバディのフチコマを削っちゃうんですね。「今の技術で、アナログの手描きでアニメーターにこれを描かせちゃったら、映画の攻殻の世界に入りきらない。だったらここは捨てちゃおう」って。

そこで士郎さんは怒るかというと、「映画がそれで完成して面白くなっていれば、逆にそれがいい」っておっしゃるんですよね。そういう意味でもバランスが良いものを作れたのかなって思うんです。

 

稲見:我々は学生の作ったてんこ盛りのものをお子様ランチって呼んでるですね。それはハンバーグも入ってるし、スパゲッティも入ってるけど、お子様ランチ専門の料理屋さんは難しいんですよね。何かを減らしたり、何をやらないかを決めることが大事って教えてるんですけど、これは人にしかできないものかもしれないですね。

リアリティよりビリーバビリティ

石川:アニメーションに携わっていて思うのは、人間って情報量を少なくしたら少なくしたで補完する能力がありますよね。例えば、鼻を描かなくてもアニメを観ている人は見えない鼻を見えるように補完して観ている。これって、人間のまだ眠ってる脳の力なのか、不思議なところなのか、進化なのか…どうなんでしょうか、先生?

 

稲見:人が見えている世界というのは、現実ではなくて、信じたい世界をみているだけかもしれないと言われ方をされていまして。ゲーム業界の方も、最近は「リアリティよりビリーバビリティ」と言われているみたいなんですけど。

 

石川:あぁ、なるほど。

 

稲見:本物通りにキレイに作れているだけだと、いつまでも現実には追いつけなくて。しかもそれが表現として適切かというと、決してそれで伝わっているわけではない。それよりも、その人が信じられる世界観とかを作っていって、余計なことを減らすことをやっていくことが一番人には伝わる。

昔、AIで言われていたことで「フレーム問題」というのがありまして。なぜAIが難しいかの1つの話なのですが、例えばここがレストランだったとして、子どもが「僕、うなぎ」、「パパ、ハンバーグ」と言った時に、AIが「その子どもはウナギである」と解釈してしまうとダメな訳ですよ。レストランという場所で、注文しようとするところまで理解させないと、「僕、うなぎ」は「僕はうなぎが食べたいです」という風に翻訳できない。翻訳するためには、実は世界全体を知らないといけないので、そうするとコンピューターの計算量がパンクしてしまう。これが初期AIの大きな問題でした。

人は何ができていたかと言うと、そういう全ての可能性を忘れ去ることができる。目の前に広がる世界の中で、きっとこれが一番あり得る可能性だなと切り捨てて、関係なさそうなことを切り捨てる力があるからこそ、我々は混乱せずに相手がどういうことを言ってるかとか、相手の行動が読める。きっと我々はそういう風にできているのかもしれません。そっちの方が我々人間にとってわかりやすく美しいと考えるべきなんでしょうね。

それに、人は物語の形でしか記憶できないのかもしれなくて。現実にバラバラにある現象の中から上手く物語が作れた時だけ、記憶として定着すると言われています。物語にするために本来起きないことが起きたとしても、逆に人はそれを無視してしまうということがあるらしいんですね。混乱を減らすために人はわざわざ物語を作って、余計なことがあったとしても無視してしまうと。

 

石川:今、いいヒントを得たような気がします。みんなリアリティが重要だと思っているけれど、実は人間って信じ込んでしまえば、虚構だとわかっていても、整然としたことをいくら並べられるよりも良い時ってありますよね。だから「なるほど」と思いました。
(文/砂流恵介)

 

(次回へ続く)