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大山のぶ代さん「徹子の部屋」を見て、自身の認知症公表を知り…

産経新聞 6月28日(日)12時17分配信

 アニメ「ドラえもん」の声を昭和54年から26年間担当した声優・女優、大山のぶ代さん(81)が認知症となったことを、5月のラジオ番組で公表した夫の俳優、砂川啓介さん(78)。悩んだ末の決断だったが、その後、大山さんが元気になってきたという。子供はおらず、頼ってくる大山さんを支えるため、「自分が生きていなければ」と話している。(聞き手・寺田理恵)

 公表したくないという思いがずっとあり、悩みました。きっかけをつくってくれたのは友人のタレント、毒蝮三太夫。彼から「いちずに介護していると、お前が先に逝っちゃうぞ」と言われたとき、思い当たることがありました。健康そのものだった僕が2年前に胃がん手術をしたり、帯状疱疹が出たりした。平成20年に彼女が倒れてから、どんなことをしても自分が生きていなければならないと思っていました。

 倒れた原因は脳梗塞です。体は元気でも、彼女が何を言っているのか分からない。左の前頭葉が詰まって記憶がなくなったようだけど、僕のことは分かった。僕の知っている認知症の様子と脳梗塞の後遺症が似ていると思ったので、今考えるとその頃から認知症になり始めていたのかもしれませんね。

 最初のうちは認知症だと分からず、治ると思っていたんです。倒れて1年後にテレビ番組「徹子の部屋」に出たときは、言葉は少なくてもきちんとしゃべっていました。ただ、リハビリをしたがらなくなった。入浴もしたがらず、彼女は「入った」というけれど入っていない。歩かなくなり、寝ていることが多く、また脳梗塞かと心配になって調べてもらうと、診断はアルツハイマー型認知症。平成24年の秋でした。

 はっきり分かったとき、もう治らないという考えが僕にはありました。ただ、彼女が築き上げたドラえもんのイメージにかかわると思い黙っていました。そうすると、親しい友人たちが病気かもしれないと察して、あまり連絡してこなくなった。友達をなくすかもしれない。きちんと説明した方がいい。認知症には大勢がなっている。特別なことではないのだからと公表を決意しました。

 彼女が公表を知ったのは、6月12日放送の「徹子の部屋」で僕がしゃべっているのを2人で見たときだと思います。「何でこんな大げさな」と。僕が「分かってもらった方がいいし、よくなってきた気がする」と言うと、彼女は「頑張る」と答えました。

 実際、足腰がしっかりしてきました。彼女が寝ているのは3階建ての自宅の3階。1階にある僕の書斎へ下りてきて「あ、いた」と確認すると上がっていく。僕が「ペコ」と呼ぶと下りてくる。初めて会ったときからペコと呼んでいます。夫婦仲は悪くはないでしょうね。

 今は離れられない状態です。認知症と診断されてからは、家を空けることにとても神経を使っています。家事全般を僕がしていますが、掃除と洗濯を手伝ってくれる人に週2回来てもらっています。

 彼女が脳梗塞で倒れた時点で僕は新しい仕事を受けるのをやめました。しかし、途中で「無理をしてでもやろう」と思うことを持っていないとだめだと気づき、毎年、最低1回はライブを続けています。彼女も昨年までは出てあいさつをして回っていました。発売した僕のCDで彼女が曲紹介をしている声の半分はドラえもん。紙に文章を書いて「これ言って」と言うと、ちゃんと言います。体が覚えている。うれしいですね。

 外で友達と食事をしたときは普通だったな。人に会うと頑張る。以前のようにふくよかではありませんが、顔色がいい。「肌がきれいだよ」と褒めると、うれしそうにしていました。最初の頃は怒ったり怒鳴ったりして、彼女が泣き出したこともありました。昔と同じだと思うといらいらする。褒めるのがいいようです。僕も接し方がうまくなり、娘が1人いる感覚で付き合っています。

 〈さがわ・けいすけ〉昭和12年、東京都生まれ。高校在学中から映画に出演し、36年、NHK「うたのえほん」の初代体操のお兄さんとして人気者に。声優・女優、大山のぶ代さんと舞台「孫悟空」で共演した縁で39年に結婚。55年から61年まで「お昼のワイドショー」の司会で活躍した。最近では今年6月にCD「気ままな風に吹かれて」を発売した。

最終更新:6月28日(日)16時22分

産経新聞

大山のぶ代

女優・声優・ナレーター・芸能人・声優・役者・俳優・吹き替え・ナレーター・映画/TVスタッフ・作家・脚本・エッセイスト 大山のぶ代(オオヤマノブヨ)
誕生日:1933年 10月16日
星座:てんびん座
出身地:東京
血液型:O