丹羽のり子
2015年6月27日00時12分
終戦目前の1945年7月29日、名古屋出身の23歳の東京音楽学校生が海軍航空隊の飛行訓練中に墜落死した。作曲家として嘱望され、学徒動員後も作曲を続けていたが、現存が確認された自作曲は2曲のみ。そのうちの歌曲「雨」は、南方で戦死した兵士の遺骨を受け取った女性の悲嘆をつづる。8月11日に名古屋のホールで初披露される。
「雨」は、初夏にたちばなの花が咲く平和な情景で穏やかに始まる。しかし、中間部では一転、戦死者の遺骨が帰ってきたことを表す激しい曲調へと変わる。「わたつみの 潮の香こめて ますらをの かたみ届きぬ……」
作曲者は鬼頭恭一さん。実家は名古屋中心部の酒問屋で、41年に東京音楽学校(現東京芸術大)に入学。作曲科の同期には戦後日本を代表する作曲家になった故・團伊玖磨さんや大中恩(おおなかめぐみ)さんがいる。しかし同年12月に戦争が始まり、43年に飛行専修予備生徒として学徒出陣。海軍航空隊に入り、茨城県の霞ケ浦航空隊で飛行訓練中に墜落、死亡した。終戦17日前だった。
自筆譜は鬼頭さんのいとこ・佐藤正知さん(86)=東京都大田区=方に保管されていた。佐藤さんは音楽に熱中していた鬼頭の姿をよく記憶している。「夜昼なくピアノをばりばりと練習。時節柄、ピアノなど怪(け)しからんと、新聞に投書されたとも言っていた」と語る。鬼頭さんの妹で佐藤さんの妻明子さん(82)によると、「雨」は婦人雑誌に載った女性の詩に感銘を受けた鬼頭さんが、福岡・築城航空隊にいた44年秋に曲をつけた。75年に明子さんと友人で演奏した録音はあるが、公の場で披露されたことはなかった。
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