国民の支持を欠くような契約は許されない。新国立競技場の建設費は予定を九百億円も上回り、二千五百億円に達するという。計画の見直しが甘すぎる。ツケを払わされる身になって再考すべきだ。
新国立競技場は、二〇二〇年東京五輪・パラリンピックの主会場になる。周辺の景観を損ね、膨大な費用が掛かるとして、専門家や市民がデザインの抜本的な見直しを求めてきた経緯がある。
しかし、文部科学省と事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)は、あくまで小手先の設計変更にとどめ、近く建設業者と工事契約を結ぶ方針というのだ。東京都には五百億円の負担を要請するとしている。
一九年秋のラグビー・ワールドカップに間に合わせるには期限ぎりぎりとされるが、国民、都民は置き去りではないか。これでは不信が高まるばかりだ。外国から訪れる選手や観衆をもてなそうという心意気が薄らいでしまう。
振り返れば、新競技場の建設計画には無理があった。国際コンペで選ばれたデザインは斬新さゆえに、建設費が三千億円と試算され、規模を約二割縮小していったんは千六百億円余りに抑えた。
それでも、資材や人件費の高騰などで、建設費は再び三千億円に膨らんだ。すると、開閉式屋根の設置を大会後に先送りし、可動式の一万五千席を仮設席にするよう設計を再変更したのだった。
しかし、技術的難しさからコストを押し上げ、工期が延びるとして、専門家が問題視していた二本の巨大アーチにはこだわった。デザイン最大の特徴だし、見直す時間はないという理由からだ。
計画を迷走させてきたのは、文科省とJSCの異論を排するかたくなな態度や、ずさんな見積もりだ。国家的事業にもかかわらず責任の所在も不明瞭だった。自らの落ち度を棚に上げ、計画をゴリ押しするのは認められない。
事前に国民、都民に説明するのが筋だし、賛同を得られないなら再度の練り直しを覚悟するべきだ。建築家の槇文彦氏らはアーチ構造を取りやめれば、千五百億円程度に収まり、四十二カ月間で完成すると提言している。
根拠が不明確として、負担に難色を示している東京都の舛添要一都知事の立場も理解できる。都民の税金を権限外の事業に勝手に使えば、住民訴訟の対象にもなる。
国際オリンピック委員会も心配している。五輪を象徴する主会場に汚点を残しては恥ずかしい。
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