一人の少女が家族に見送られ東京に旅立とうとしていました。
少女は地元では有名な…旅立ちの日民放テレビ局で生中継されました。
その少女の名は…後に体当たりの企画で「バラドル」と呼ばれ人気を博します。
嫁がなぁ…。
現在は女優としても活躍し活動の幅を広げています。
こんにちは。
今日はよろしくお願いいたします。
そんな明子さんも15歳の息子がいる母親。
両親は既に他界したためルーツについて聞く事ができません。
番組では明子さんに代わり家族のルーツを取材しました。
見つかった…一枚の写真から浮かび上がる曽祖父の意外な足跡。
陸軍のエリート将校だった祖父。
終戦によってその人生は一変します。
元将校への冷たい風当たり。
公職追放に追い込まれました。
家族を支えるため…そして父は軍人だった祖父の期待に応えようと必死でした。
しかし…更に100年以上の時を経て…それもあのテレビ局の近くで…。
あっよろしくお願いします。
この日松本明子さんは自らのルーツと初めて向き合う事になります。
よろしくお願いします。
香川県高松市出身の松本明子さん。
父方の祖父は三重の出身だと聞いた事があります。
それを知る両親が既に他界しているため詳しい事が分かりません。
明子さんの実家に何か手がかりがないか親戚に調べてもらいました。
写真アルバムやな。
すると古いアルバムが見つかりました。
その中にあった一枚の写真。
立っているのが…この曽祖父善六の人生からたどる事にします。
善六は幕末慶応2年の生まれ。
三重県度会郡滝原村出身だという事が分かりました。
現在の…滝原地区…。
戸籍に記された住所には小さな祠があるだけで今は雑木林になっています。
松本家の遠い親戚だという人が見つかりました。
(取材者)すみませんごめんください。
入江家は松本家の墓をずっと守ってきました。
明子の曽祖父松本善六は77歳で亡くなるまでこの町で暮らしていました。
更にアルバムの写真についても心当たりがあるといいます。
現在は改築されて他の人が住んでいます。
あ〜そうそう。
善六にかつて会ったという人がいました。
善六の仕事も覚えていました。
写真をよく見るとそれを裏付ける手がかりがありました。
背景に写る…看板です。
そうなんや…。
善六は薬草などを売り歩く行商人でした。
江戸時代この辺りで作られ全国で広まった薬があります。
その名は…あ〜っ聞いた事ありますね。
薬草を粉末にしそれを丸薬にしたものです。
この辺りには萬金丹を売り歩く行商人が数多くいました。
そして明治29年善六は29歳の時に結婚します。
相手の女性の名は…え〜っ?曽祖母こうの事は親戚の間でも謎でした。
調べを進めるとある事実が浮かび上がりました。
実は曽祖母木下こうは東京出身だという事が分かったのです。
千代田区の歴史に詳しい…木下家があったのは東京市麹町区麹町山元町二丁目。
現在の千代田区麹町2丁目の辺りです。
かつて木下家があった場所は現在自動車整備工場になっています。
恐らく薬の行商人として三重からやって来た善六がこの町で木下こうと知り合ったと考えられます。
ほんまに?そしてかつての木下家から目と鼻の先にあるのが…つまり松本明子さんがチャンスをつかんだこの町は曽祖母こうのふるさとだったのです。
へぇ〜…そうなんですか。
いや全くその…松本善六とこうの間に男の子が生まれます。
しかし善六は妻こうを伴い薬の行商をする生活。
そのため昌次とその後生まれた妹は三重の親戚に預けられます。
昌次の事を伝え聞いています。
尋常小学校の時。
両親と離れ離れの寂しさ。
それを紛らわすかのように昌次は勉強に打ち込みます。
明治時代の卒業証書授与録が保存されていました。
この方ですね。
明治42年に卒業した昌次。
村始まって以来の秀才と呼ばれていました。
14歳になると名古屋陸軍幼年学校を受験します。
合格すれば将校への道が約束されていました。
入学試験は学力だけでなく体力も問われる超難関。
昌次は見事合格を果たします。
戦史を研究する…幼年学校は極めて狭き門だったといいます。
幼年学校を卒業した昌次は陸軍士官学校に進学します。
卒業した時の成績順の名簿が残されていました。
へぇ〜…。
昌次の順位は86番の好成績。
そして大正7年香川県丸亀市にあった陸軍歩兵第十二聯隊に少尉として赴任します。
昌次この時22歳。
丸亀時代の昌次の様子を伝え聞いている…実家の近くに軍の官舎がありました。
こういう格好で。
ず〜っとこうね馬が通りすぎるまで。
昌次はその後シベリア出兵南満州鉄道の警備などに当たります。
休日には部隊の仲間たちと泳ぎに出かけたり酒もよく飲みました。
そんなある日一人の女性に目が留まります。
当時女学生だった岩本千代子。
後の明子の祖母です。
千代子の父も軍人。
美人と評判の女性でした。
一目ぼれした昌次は岩本家に足しげく通うようになります。
千代子が女学校を卒業すると2人は結婚。
そして3年後の昭和4年長男昌昭が誕生します。
昌昭の小学校時代の学芸会の写真。
演じた役は陸軍将校。
将来は父と同じ軍人の道に進みたいと考えていました。
え〜っまだお元気で。
これこれ。
やっぱり面影残ってます。
これ間違いないです。
日中戦争が勃発します。
昌次は第六連隊の大隊長として662名の部下を率い上海に向かいました。
8月23日中国軍の猛攻にさらされます。
すると銃弾が左足を貫通する大けがを負ったのです。
高松の実家に当時の様子が記された新聞記事が残されていました。
へぇ〜っ新聞に載ってんだ。
「松本部隊長担架上で『傷はすぐ癒える』と微笑」。
「部下たちは隊長の一大事とばかりに速やかに後方に赴いて手当てされるよう勧めた」。
戦地の父に長男昌昭は作文を送っています。
「戦地のお父さんへ」。
3歳になった弟の成長を知らせる内容です。
「ばんざいも出来るようになりました。
お父さんが凱旋になっても上手にお迎えができるだろうと思います」。
そして太平洋戦争開戦後の昭和17年11月。
昌次は南方ガダルカナル島に向かう事を命じられます。
そこはアメリカ軍の激しい攻撃にさらされていました。
ある日昌次は突然の攻撃に壕の中に身を隠します。
するとそこに一人の部下が駆け込んできました。
昌次は横に詰め部下に場所をあけます。
次の瞬間。
鉄の砲弾が後から入ってきたその部下に命中したのです。
その場にいた別の部下が後年この時の事を語っています。
「どういうわけだか一人の兵隊が私と松本副官の間へ下りてきた。
するとその兵隊の胸がこの位なくなった」。
昭和18年8月九死に一生を得た昌次は日本に戻り本土決戦に備える事になります。
陸軍大佐になった昌次。
しかし終戦を迎えます。
すると昌次は高級将校としてその責任を問われます。
戦争中の事で調べを受ける事になったのです。
家族は戦犯として処罰される事を覚悟していました。
当時の様子を長男昌昭の友人大崎さんは聞いています。
ところが数か月後昌次は無事に帰宅する事ができました。
ただし公職追放を受ける事になります。
公務員などの仕事には就けなくなったのです。
当時長男の昌昭を筆頭に4人の子供を抱えていました。
昌次この時51歳。
頭を下げ懸命に仕事を探します。
「子供たちが学校を出るまでは何とかしなければ」。
しかし元陸軍大佐という肩書が災いし雇ってくれる会社は見つかりません。
その間妻の千代子は着物を売って生活費を捻出しました。
そんなある日昌次は昔から知り合いの地元丸亀の足袋店に向かいます。
その足袋店の息子。
当時の事を覚えています。
昌次は足袋のセールスマンとして働き始めます。
当時同じ会社には8人の元将校がいました。
しかし昌次以外の7人は仕事を続ける事ができませんでした。
昌次の懸命な仕事ぶりを覚えています。
頑張ってましたよ。
一生懸命でした。
一生懸命でした。
このころ長男昌昭は立命館高等工科学校今の立命館大学理工学部で土木を専攻していました。
そして卒業後就職先に選んだのが…父昌次の強い勧めでした。
昌昭の学生時代の友人…県庁に入ったいきさつを聞いています。
昌昭は土木の技師として県庁で働き始めます。
父昌次は息子が公務員になった事を喜んでいました。
今回高松の実家の仏壇からあるものが見つかりました。
それは一通の手紙。
父昌次が就職する昌昭と妹に送ったものでした。
そこには昌次自作の漢詩がありました。
ちょうどそのころです。
昌次は一人ふるさと三重県大紀町を訪ねています。
幼き頃過ごした親戚の家。
昌次が突然訪ねてきた事を親戚の入江さんは覚えています。
昌次は松本家の墓に向かいます。
そして墓前で手を合わせ長男昌昭が香川県庁に就職した事などを報告したのです。
昭和25年香川県庁で働き始めた昌昭。
気になる女性がいました。
同じ小学校で幼なじみだった…後の明子の母です。
杉本順一さんは千恵子に夢中だった昌昭の事を覚えています。
(杉本)そればっかりです。
ほんとにね…明子さんにとってもう一つの大切なルーツ母千恵子さん。
全然知らないんだな。
千恵子の弟智さん。
ほこりになるのよ。
大切に保管されている三味線。
千恵子の祖母タマの形見です。
実はタマは明治の中頃まで香川県金刀比羅宮の門前町で芸者をしていたと言われています。
高校生の頃智さんはタマから三味線の手ほどきを受けました。
・「花は」「梅は」か。
・「梅は咲いたか桜はまだかいな」へぇ〜。
タマは自宅でよくこの三味線を弾き長唄をうたっていました。
へぇ〜…知らなかったな。
幼い頃からそんなタマの歌声をよく聴いていた千恵子。
小学校の同級生…千恵子は歌がうまく全校集会で独唱した事を覚えています。
女学校時代の友人…千恵子は宝塚に憧れていたといいます。
8人きょうだいの長女だった千恵子は女学校を卒業後就職し家計を助けます。
働きだして3年がたったある日幼なじみの昌昭から交際を申し込まれました。
そして…経済的に余裕のなかった2人は千恵子の実家細木原家に身を寄せます。
間もなく2人の間に長男卓が誕生。
家族を支えるため昌昭は懸命に働きました。
ところが県庁で働きだして15年目昌昭は突然上司に告げます。
「県庁を辞めさせて下さい」。
昌昭は大きなプロジェクトを抱える民間の建設会社に転職する事を決めたのです。
この事を父昌次には相談しませんでした。
後から知った昌次は激怒します。
木刀を持ち出し「辞めるな」と昌昭をどなりつけたのです。
昌昭は父に言い返します。
「自分の人生は自分で決める」。
当時の様子を明子の兄卓さんが覚えています。
当時昌昭は父への思いを友人の大崎さんにこう語っています。
そういうふうなものに…そして県庁を辞めた翌年誕生したのが明子でした。
新しい職場で昌昭は連日深夜まで働きました。
次々と巨大プロジェクトを手がけます。
そして高松の郊外に念願のマイホームを建てました。
完成すると父昌次を招きます。
新築の家にはいつでも泊まりに来られるよう部屋も用意していました。
親子3代そろっての団らん。
幼い明子を抱き昌次はうれしそうでした。
そして昭和49年昌次は波乱に富んだ人生の幕を閉じます。
77歳でした。
その後明子は家族の愛情に包まれ元気な女の子に育っていきます。
次第にその歌声が注目を集め「のど自慢荒らし」と呼ばれるようになります。
中学1年生の頃の映像が残されていました。
(拍手)明子の成長に目を細める昌昭。
行きつけのスナックにまで連れていきました。
ところが明子が中学3年生の時です。
突然歌手になるため上京したいと言いだしたのです。
昌昭は猛反対しました。
しかしどうしても諦めない明子。
ついに昌昭は明子に折れ認める事にします。
明子の旅立ちを民放テレビ局が生中継で伝えました。
うれしい反面とっても不安な気持ちでいっぱいです。
娘を見守る父昌昭にもマイクが向けられます。
最後まで反対したんですけどやはりなにか彼女の可能性を引き出してやりたい…やっぱり熱意に負けました。
明子は東京に旅立ちました。
寂しさをこらえる昌昭。
遠ざかるフェリーをいつまでも見送っていました。
いやぁ〜。
会えましたね…。
くしくも…あの〜…自分がこうやって今…ここにある実相寺は明子さんとの関わりがある事が分かりました。
こちらになりますね。
明子さんの曽祖母こうさん。
その実家木下家の墓が残されていたのです。
明治中頃に建てられました。
埋葬されているのは木下半次郎。
こうの父で明子さんの4代前の高祖父に当たります。
時がたつにつれこの墓の存在は忘れられてしまいました。
昭和57年上京した明子さんはオーディション番組でデビューのきっかけをつかみます。
そして翌年この曲で念願の歌手デビューを果たします。
昌昭さんの友人たちは娘を懸命に応援する姿を覚えています。
平成4年明子さんは体当たりの企画に挑戦します。
するとお茶の間の人気者になりました。
今回の取材で父昌昭さんの肉声テープが見つかりました。
平成6年母校立命館大学の卒業式で語ったものです。
OBとして卒業する学生へ向けたはなむけの言葉のあとにこう続けました。
昌昭さんは74年の生涯を閉じました。
松本明子さんの「ファミリーヒストリー」。
時代に翻弄されながらもたくましく生きた家族の姿がありました。
え〜っ…。
東京にあるんですか?お墓が。
へぇ〜っ。
2015/06/26(金) 22:00〜22:50
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「松本明子〜高級将校の戦後 東京麹町のルーツ〜」[字]
香川出身の明子さんだが、松本家は三重の出だと聞かされていた。今回、三重のルーツや東京麹町との関わりも浮かぶ。そして、元陸軍大佐だった祖父。その激動の歳月に迫る。
詳細情報
番組内容
香川出身の明子さんは、松本家は元々、三重出身だと聞いていた。しかし、両親は既に他界、詳細は分からなかった。今回、松本家が三重で薬の行商をしていたことや、親戚がいることが明らかになる。さらに東京・麹町で、新たなルーツが判明。それも、明子さんと関わりのある、あのテレビ局の近くで。そして、元陸軍大佐だった祖父。戦後、生活は一変、肩書を捨て、必死に職を探すことになった。時代に巻き込まれた家族の姿。
出演者
【出演】松本明子,【語り】谷原章介,細谷みこ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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