「夜霧よ今夜も」
(高橋英樹)「歌謡曲」という言葉が生まれた昭和の時代。
私たちはその人生を歌とともに歩んできました。
思い起こせば日本が奇跡の高度成長を成し遂げ様々な矛盾をはらみながらも自信に満ち溢れていた昭和40年代から50年代歌謡曲は黄金期を迎えました。
テレビやラジオから流れる演歌フォークポップス様々な歌謡曲が花開いたのです。
今宵は昭和40年代50年代の売上上位30曲をオリコンの貴重なデータによるランキングでご紹介致します。
さらにテレビ朝日に残る石原裕次郎さんの貴重な映像もご用意致しました。
そしてあの時代に歌謡界と深く関わった当事者たちがこれまで心に留めていた秘話を特別に語ってくれます。
さあ昭和の歌謡曲が甦ります!
昭和40年代50年代売上ランキングベスト30
まずは昭和40年代のオリコン売上ランキングを見ていきましょう
勢いづく高度経済成長
人口は1億人を突破し10人に1人がマイカーを持つようになった日本
そんな時代
作曲は日本にエレキブームを巻き起こしたあのベンチャーズ
作詞家の湯川れい子さんが当時の衝撃を語ってくれました
ベンチャーズと共演した貴重な映像をご覧ください
(欧陽菲菲)サンキュー!
ちあきなおみをよく知る作曲家平尾昌晃さんは…
って言ってるんだよ。
(拍手)うまいねえ。
(徳光)いいですね。
いいですね。
デビューした時から陽気だったよねなおみちゃんね。
ケラケラケラケラ笑って。
そうなんです。
私コロムビア…最初。
で彼女もコロムビアだった。
あの当初随分ご一緒だったんですけどすっごいねって笑うんですすごい。
歌はだってしっとりしてますよね。
歌はねホントにうまいですね。
ご主人が亡くなったあとやっぱり『喝采』を歌われる時にこれはねホントつらかったんではないかなって思いますけどね。
郷治さんねご一緒に仕事もされた…。
日活の仲間ですから。
(徳光)そうですよね。
郷治さんが亡くなられた時には本当にあれですよね棺にしがみついて「私も一緒に焼いてくれ!」っていうそういう情熱的なところもおありになって。
それで我々への手紙もあれでしたものね。
「今のままではとても立ち直れないんで少し休ませてくれ」ってね確かね。
そういったような手紙が届いた…。
つまり栄光を断ち切って本当に慎ましやかにご主人を弔ってるっていうそういったような姿勢を非常に感じ取れましたよね。
さあそれではまだまだランキング続きます。
ご覧ください。
「ソレズンズンズンズンズンズンドコ」
(拍手)
マイク一本50年名司会者浜村淳さんは…
多いんですよ。
今夜は南こうせつさんに歌って頂きます
いざなぎ景気が到来し大人の社交場ダンスクラブではチークダンスとムード歌謡が流行
中でも最も売れたのがこの曲でした
(拍手)
(徳光)嬉しくなりますね。
(ジュディ)本当。
ムード歌謡ってもう今の時代だとなかなか聞かないので…。
ムード歌謡っていいますのはねどちらかって…一線を越えてはならないっていう男女の歌をリードボーカルの人がちょっとねおネエチックに歌うんですよ。
「足手まといだから」みたいな。
(一同の笑い声)そういうねおネエチックに歌う歌い方が流行ってそういう中で『小樽のひとよ』がヒットした。
東京から小樽に行った時にある恋をするわけです。
そこで彼女と恋をするんですけども…。
(みとい)ああ〜。
(徳光)あったでしょ?
(みとい)ありましたねはい。
(徳光)これはですね女性がもういたたまれなくて東京へ出てくるわけ上京して。
それで2人が思い出を作って初めてここで結ばれるわけだ。
でまた何かの事情で恐らく帰るわけですね。
小樽へ彼女が。
三部作でですね…。
ええ〜!なるほど。
うわ〜!
(ジュディ)星になってしまった。
(徳光)星になってしまった。
(ジュディ)あら〜。
物悲しく演ずるわけですよ。
いや〜。
しかしどうしてそんなに…。
すごい。
俺ねこの辺りのねムード歌謡大好きでいまだに僕はカラオケ行くとムード歌謡しか歌わないわけですよ。
へえ〜。
はあ〜。
このあとも昭和40年代の名曲が続々!
「もういちど」
さらに石原裕次郎さんの貴重なお宝映像が…!
昭和40年代売上ランキング。
続いては…
音楽評論家の富澤一誠さんによると…
…と思うんですね。
さあ横浜といえば徳光さん。
いやこれはねむしろそうですね。
えっ?私パパが横浜で遊んだなんて話聞いた事ないですけど。
あら言わなかったかしら?音を出しちゃいけない。
そうですか。
で同じように
(徳光)外国人が多かったですから。
外国人が多かったんで。
そういうクラブに日活の者はみんな…裕次郎さんも旭さんも良さんも真麻さんの前でね申し上げていいのかわかんないけど女の子を。
あっそうですか?いい加減に吐いたらどうだ!
(一同の笑い声)僕ら日活映画も必ず横浜が出てきたんですよ。
なんでかっていうと波止場で裕次郎さんとか赤木圭一郎さんは船に乗って去っていくんですね。
大体日活映画のラストシーンはそうなんですよ。
小林旭さんはですから山なんですよ。
懐かしい話ですね。
懐かしい話ですね。
また後ほどですね石原裕次郎さんのデュエットのコーナーもありますのでそちらでもお話伺いたいと思います。
このあとはいよいよ上位の発表
昭和40年代皆さんの思い出とともに甦る名曲とは?
昭和40年代売上ランキング
この歌は国鉄のキャンペーンDISCOVERJAPANの流行に乗り大ヒット
そこで今夜は加藤さんが歌うきっかけとなった貴重な森繁久彌さんの歌をお聞きください
タイトルは『オホーツクの舟唄』
そうしたらね…。
…っていう事にすごいインパクトあったんですよ。
今夜は歌詞のついた部分をお聞きください
昭和40年代ランキングいよいよトップ10の発表
このあとも秘蔵映像でつづる昭和40年代の名曲ランキング
昭和40年代売上ランキング
「折れた煙草の吸いがらであなたの嘘がわかる」って男としてはドキッですよね。
今夜はご本人に歌って頂きます
山口洋子さんね。
これ有名な…。
五木ひろしさんの名付け親ですよ山口洋子さんは。
元々山口さんは東映のニューフェイスでね。
女優さんでしたからね。
佐久間良子さんと同期生かな?新伍ちゃんと同期生です。
東映でいらしたんですか。
でそのあと姫を出されて。
当時姫に…高橋さんもそうですけど小林さんとか裕次郎さん…皆さんお通いになって。
文人の人たちもね小説家とか作家とか画家とかそういった…随分通ってたわけですよ。
そういう中で五木寛之さんという当時まだ若い作家が一番モテたらしいんですよホステスに。
でこの「五木」をもらおうという事で五木さんは五木ひろし。
そうなんですか!あっそうなんですか。
結構行ってました?姫には。
そんなあっさり終わらせないでください。
もうちょっと姫の話を聞かせてください。
担当はアケミさんだったんですか?いや違います。
違います?小林旭さんが一番多く通ってたかな?で裕次郎さんですよね。
それで…。
勝さんはすごかったですね。
連れて行かれてってなんですか。
連れて行かれて…。
(一同の笑い声)
このあとも昭和40年代ランキング
さらに…
石原裕次郎さんと大スターのお宝デュエットも
(2人)「忘れはしない」
昭和40年代売上ランキング
わたくしはね
40年代ランキングもいよいよベスト5
(拍手)でも千昌夫のコンサート行くけどさ2時間のコンサートで歌5曲って事あった。
いや〜面白い人ですよね。
面白い人だよね。
当時はワイドショーが朝昼朝昼でもう各局あったじゃないですか?
(みとい)そうしたらその時に…。
っておっしゃったんですね。
「何をですか?」って言ったらちょうど今の奥様のアマンダさんと再婚されてそして横浜の豪邸に移られた時だったんです。
…とかって言われたんです。
(みとい)それでそれで…。
って言われたんですね。
続いて第4位の発表ですがその前に特別企画!
「晴れて会える」
役者としてはもちろん歌手としても常にトップを走り続けてきました
人との絆を大事にする裕次郎さんは交友関係も幅広くご自身の番組では
その中からとても珍しいデュエット映像を発見しました
石原裕次郎さんと大スターの超お宝デュエット4選
最初のお相手は…
女優高峰三枝子さん
石原裕次郎さんが高峰さんの大ファンでたっての希望で実現したデュエット
曲は『二人の世界』
続いてのお相手は…
俳優竹脇無我さん
竹脇さんは裕次郎さんの大ファンで一緒に歌う夢が叶った貴重なシーン
3人目のお相手は…
女優浅丘ルリ子さん
寅さんシリーズのマドンナで有名な浅丘さん
裕次郎さんとも数々の映画で共演してきました
お宝デュエット4人目は…
なんと兄の石原慎太郎さん
ディック・ミネさんの名曲を兄弟で歌い上げました
まさに昭和の大スターたちの夢の共演でした
ホントだ!いましたね今。
覚えてます?もちろん覚えてますよ。
高峰三枝子さんとの2人のシーンでね…。
(ジュディ)大好きなんですよね高峰三枝子さんがね。
大ファンなんですよね。
大ファン。
裕次郎さんが高峰さんの大ファン。
私も聞いた事あります。
お洒落だったの高峰さんって。
私もドラマでご一緒したんです。
いつも入ってくる時楽しみなの今日何お召しになってくるかしら?って。
衣装もね本当にひときわ素敵で。
なんか『VOGUE』に登場するみたいな。
お帽子をファ〜ッて被ってらしたりね。
かっこよかったですよね。
(徳光)帽子が似合いましたよね。
いやあの時は慎太郎さんが…。
(一同の笑い声)まあいまだに言いますけどね「俺の方が本当は歌うまいんだ」とか。
言いますね。
僕も知事時代に伺った事ありますけど今拝聴致しまして…。
(一同の笑い声)ただ声を張り上げて歌えばいいってもんじゃないんですよ…。
当時のエピソードで盛り上がっていますがここで裕次郎さんがあるスターの恋を取り持った…という秘話が
うんそれは多かったでしょう。
多分ね多かったですよね。
芦川いづみさんと藤竜也の時は…。
なぜか藤竜也がね「高橋さん帰りますか?」って言うんですよ。
「ええ帰りますよ。
帰るよ」って。
「送ります!」って言うんですよ。
おかしいな…?「いやいいよ。
俺別に車で来てるからいいんだよ」って言ったら「いや明日迎えに行きますから送ります」って言う。
おかしいな…!?と思ってたら私のところに送ったあとに芦川さんとこ行ってたみたい。
それはよく覚えてます。
藤竜也さんは当時ほらお父さんのようにつまりトップスターではなかったわけで。
むしろなんて言うんですかね映画の字幕で言いますと3番目ぐらいに出てくる役者さんだったんですよ。
だけど芦川いづみさんはトップスターですよ。
もう日活を背負うんではないかっていうふうに言われてたほどで。
これ日活としては許せないっていうんですけども石原裕次郎さんが間に入ってある席に2人を呼んでなおかつ日活の幹部を呼んで。
「この2人を一緒にさせてやってくれ」って裕次郎さんが言うんですって。
かっこいい!そうなんですか?
(徳光)そういう話ありました…。
ありました。
裕次郎さんは色んなところにそういうふうにして色んな事を解決していく発言をなさいましたね。
昭和40年代の売上ランキング
残るは上位4曲
今日は宮路オサムさんに歌って頂きます
昭和40年代売上ランキングもいよいよベスト3
これすごいな〜って。
そして第1位は…
以上昭和40年代の売上ランキングでした
(徳光)そうですよね。
普通に歌ってるよりえらく力を入れてませんか?そういったハスキーでしょう。
僕ねわからないんですよ分析したわけじゃないんですけどもね。
この『なみだの操』『女のみち』がですねこれだけ上位にきてるっていう事はこういう事はまさに私を歌ってる!と。
それだけども今の私じゃないわけですよね過去の私を歌ってるわけですよ。
その苦労が身に染みた自分自身に置き換えた声なんじゃないですかねこの2人の声は。
ああなるほど!人生の全てがここに…。
(徳光)うん。
こういう声じゃなければこんなに僕ヒットしなかったと思うんですよね。
続いて
オイルショックを乗り越え日本が世界有数の経済大国となっていく昭和50年代
歌謡界にも新たなスターが数多く誕生しました
今夜は特別にご本人に歌って頂きます
大ファンだった渡哲也さんから譲り受けた曲『みちづれ』
このあとも昭和50年代の名曲たちが甦ります
昭和50年代の売上ランキング。
第26位は…
昭和50年代初め歌謡界はフォークソング出身者が席巻していました
このあとも昭和50年代ランキング
21位は布施明さん。
布施さんは当時すごくモテたというお話を…。
オリビアさんと結婚っていった時ホントビックリしましたね。
『ロミオとジュリエット』で大スターなわけじゃない?え〜日本人と結婚してくれるの?みたいな…。
日本のシンガーとね。
そうなんですよ。
それでホントにビックリしたのを覚えてますけど。
でこれは布施さんから伺った話なんですけども…。
布施さんが嬉しかったのは17歳で来た我が子に対して行きたいところはどこだ?と。
どこでもパパが連れて行くと…ダディが連れて行くと言ったらぜひ広島に行きたいと。
広島で原爆資料館を見たいって言った時にああオリビア・ハッセーはホントに日本の事を考えて我が子を育ててくれたんだなっていう事を布施さんは思われたそうでありますけどね。
素晴らしいエピソード。
昭和50年代の売上ランキング
第20位はこの曲
(笑い声)雨が降ってる新地の夜は女一人にゃつらすぎる。
(浜村)二坪半の小さな酒場好きなあの人まだ来ない。
泣いて折ってる千羽鶴。
思い出ゆえに恋ゆえに。
夢もぬれます。
『大阪しぐれ』。
後ほどスタジオにいるジュディさん本人が当時話題となったこのセンセーショナルな衣装の誕生秘話を語ってくれます
ついにやって参りましたね。
はい。
お衣装がとっても印象的で最初は今のお衣装のように手が透けて…。
そうそう。
指先までなんです。
それがだんだんこう…。
大きくなっちゃう。
元々はここにスクリーンドレスとしてここにエーゲ海を映したいっていう思いがあって。
それで白いドレスでスクリーンのようにと思ったんですけど。
それでそのうちに今度『紅白』が決まりましてあの当初ね『紅白』みんな衣装ね隠してたんです本番まで。
見せなかったの。
それで私はなんつったって白じゃなきゃいけないし原型はあのまんまですので変えようがないじゃないですか。
つまんないわねこのまんまだわねって言ってたら私の衣装の先生が永島さんって今スケーターの人たちのみんな衣装作ってる方。
荒川静香さんとか…。
あの方ですか?そうです。
それで彼がじゃあね…永島さんがじゃあ大きくしましょうって言ったんですよ。
大きくするってなんですか?って言ったら棒を入れるっていう…。
なるほど。
出ていった時はなんでもないんですけど本番になった時に棒を入れてグ〜ってやって3メーター横。
ええ!へえ〜。
その時の観客のギャーよりも後ろの出演者のギャーの方がすごくてこっちビックリしちゃったぐらい。
「ルルル…」さあ昭和50年代もついに11位までやってきました。
こうやって見てるとやたらにそうですね50年代は特に。
(徳光)そういう時代なんですよね。
(ジュディ)千昌夫さんの『北国の春』。
(ジュディ)すごいの。
『北国の春』一番驚いたのはバグダッドで聞いた時ですね。
イラクの人が歌ってたの。
え〜!バグダッドで。
バグダッドでちょっとフセインに会いに行くという取材があったんですよ。
騙されたんですけどね実はね。
会えなかったんですがそれは。
(徳光)だけどその時に夜飲みに行ったらへえ〜。
(徳光)あれはちょっとねビックリしましたね。
昭和50年代売上ランキング
ここからはベスト10の発表
都はるみさんも先ほどランクインしていたちょっとビックリしました。
っていうお話されてましたけども…。
(徳光)はるみさんの歌い方そうなんですよね。
僕が聞いた話ではだろうと役者さんたちは。
だからカメラが寄ってきた時にはやっぱあえて逃げるっていう。
目をそらすという事をへえ〜!「ひとり泣く」
昭和50年代の売上ランキング。
第6位は…
ハスキーボイスでね。
しかしこの…。
また面白いですね。
ホントにポップス路線がすごかった…。
さあ今回はですね昭和40年代50年代のランキングをお届けしているんですが実はですね昭和60年代以降から平成にかけてオリコンの記録で100万枚を超えた曲が2曲あるんです。
こちらをご覧ください。
オリコンで歌謡曲演歌というジャンルに登録される曲のうち昭和60年から現在までに100万枚を超えたのはわずか2曲
「孫という名の」
平成11年112万9000枚のヒットとなった大泉逸郎の『孫』
そしてもう1曲はなんだかわかりますか?
歌っているのはテノール歌手
…といえばもうおわかりですね
それではご本人に平成の大ヒット歌謡曲を歌って頂きましょう
秋川雅史さん『千の風になって』
昭和50年代売上ランキング
いよいよベスト3の発表
「きっと君は来ない」「ひとりきりのクリスマス・イブ」「Silentnight,Holynight」「心深く」
(ナレーション)「ジングルベルを鳴らすのは帰ってくるあなたです」
そして昭和50年代売上ランキング1位はあの歌です
昭和50年代売上ランキング
いよいよ第1位の発表
昭和50年代最も売れたのは…
さあという事で2時間たっぷりと昭和40年代50年代の楽曲を見て参りましたが徳光さん最後総括を。
なんていうんですかね今の作詞家の人たち若い人たちなんか絶対に書かない詞が出てはくるんですけどもでもどっかしら一節が自分の人生と重なるっていう。
それが僕やっぱりヒットに結びつくんではないかなっていうふうに思えてならないんですよね。
そうなんですね。
『甦る歌謡曲』それではまたお会い致しましょう。
喋りすぎちゃってすいませんでした。
2015/06/21(日) 20:58〜23:10
ABCテレビ1
甦る歌謡曲 決定保存版!昭和40年代&50年代売上ランキングSP[字]
歌謡曲の黄金期、昭和40代&50年代の名曲・ヒット曲が貴重な映像・秘話とともに甦る!昭和のスター石原裕次郎の幻のデュエット
映像も公開!MC:高橋英樹&真麻
詳細情報
◇番組内容
昭和40年代&50年代のオリコン売上げ上位30曲が貴重な映像と、今回、新たに撮影した歌唱映像とともに甦ります!歌謡界と深く関わっていた当時者たちが意外なエピソードも披露します!さらに昭和の大スター石原裕次郎が豪華共演者とデュエットした秘蔵映像も公開!
いしだあゆみ、さだまさし、ちあきなおみ、ピンク・レディー、森進一ら豪華歌手の貴重映像が続々。
◇出演者
MC:高橋英樹、高橋真麻
ゲスト:徳光和夫、ジュディ・オング、みといせい子
◇出演者2
歌唱ゲスト:秋川雅史、中条きよし、牧村三枝子、南こうせつ、宮路オサム
ジャンル :
音楽 – 歌謡曲・演歌
バラエティ – 音楽バラエティ
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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