原爆投下から7年後広島に一人のアメリカ人少女がやって来ました。
少女が7歳の時に描いた紙芝居「すみのかんちゃん」。
去年の夏ロサンゼルスの自宅で60年ぶりに見つかりました。
そこには原爆を投下した祖国アメリカに罪悪感を抱く少女の心の闇が描かれています。
穏やかに暮らしていた樫の木の親子がある日突然切り倒され窯で燃やされます。
最後の場面炭になったかんちゃんは火鉢の中でこう叫び白い灰になります。
「お母ちゃん私崩れそう」。
それから60年。
紙芝居を描いたファリダ・フツイさんはこの春広島を訪れ幼なじみと再会を果たしました。
アメリカが原爆を投下した事実と向き合い続けてきたファリダ・フツイさん。
広島で出会った幼なじみたちとの60年にわたる心の絆の物語です。
(校歌)4月。
広島市内である同窓会が開かれました。
集まったのは広島大学附属小学校を昭和34年に卒業した人たちです。
ロサンゼルスから駆けつけました。
(一同)乾杯!ファリダさんは誰もが認めるおてんば娘でした。
クラスの名物だった住川さんとのケンカで同窓会を盛り上げます。
(笑い声)あんたはねバカ野郎だ〜!ファリダさんが広島にやって来たのは6歳の時。
父親はアメリカ国務省の広報担当官でした。
当時は米ソが激しく対立する東西冷戦の真っただ中。
かつて敵国だった日本とアメリカの間に友好関係を築くのが父親の任務でした。
一家は父親が館長を務めるアメリカ文化センターを拠点に家族ぐるみで文化交流に取り組みます。
力を入れたのは日本の伝統文化を学ぶ事。
ファリダさんは日本舞踊両親は尺八と琴を習います。
父親はイランの出身でしたが自ら広島行きを志願したほど日本文化にほれ込んでいました。
一方でファリダさん一家はアメリカの文化を広島の人々に理解してもらう事にも心を砕きました。
母親のアグネスさんはアメリカ文化センターや県内各地で頻繁に料理教室を開きました。
中でも人気だったのは手作りマヨネーズ。
アメリカに憧れる若い主婦が大勢詰めかけました。
ファリダさんは地元の小学校に入学し4年間通います。
温かく迎えてくれた同級生と楽しい日々を過ごしますが言葉にできない苦しい思いを胸に抱えていました。
原爆投下からおよそ10年。
広島は復興の道のりを歩んでいましたが地面を掘るとあちこちから遺骨が出てくる状況でした。
幼かったファリダさんの耳にも被爆者の悲痛な体験が入りひどい悪夢に悩まされるようになりました。
悪夢に脅えるファリダさんの胸の内が表れたのが「すみのかんちゃん」の紙芝居です。
物語にはファリダさんが見聞きした被爆者の過酷な体験が投影されています。
「私はかんちゃんです。
今日は下で遊んだ子は『お化け屋敷』という本を読んでいました。
そしてお母さんに登っていました。
私はいつでも楽しい事ばかりしています」。
「そして切り倒した。
頭を切っています」。
体を小さく切られたあとかんちゃんは炭焼きの窯に押し込められます。
そして火のついたマッチが投げ込まれ中は火の海。
炭になったかんちゃんは売られていく時母親と離れ離れになります。
これ全部描いてる。
そしてラストシーン。
かんちゃんは売られた先の家の火鉢の中で母親と再会しますが悲しい結末を迎えます。
終わり。
(拍手)
(拍手)ケンカをよくしたものの実は大の仲よしだった住川弘さん。
ファリダさんが日本語を瞬く間に覚えたために苦しむ事になったのではと感じています。
ひどい悪夢を抱えていたファリダさんが親しくつきあっていた家族がいます。
ただいま〜帰りました。
ファリダさんの隣に住んでいた同い年の波田淳さんと2つ年上の周子さんです。
波田さん一家はファリダさんにとって日本の家族とも言うべき存在でした。
家族ぐるみで親しくなり3人いつも一緒に遊んでいました。
ファリダさん10歳。
昭和32年の正月に波田さんの家を訪れた時の映像です。
あっおばちゃんじゃ。
(周子)そうそうそう。
私はこう。
いやいや。
ファリダさんが炭を題材に紙芝居を描いたのも波田さんの家での体験が基になっています。
年の暮れに行われた餅つき。
ファリダさんは足踏み式の杵を踏むのに夢中です。
日本の伝統的な暮らしにファリダさんは強く心を引かれました。
つきたての餅を焼いているところに運ばれてくるのがまさに炭。
電気やガスの生活しか知らなかったファリダさんは炭に興味をかきたてられました。
土間。
土間土間。
炭のある素朴な暮らしを教えてくれた波田さん一家。
中でもファリダさんにとって特別な存在だったのが母親の惠子さんです。
波田のおばちゃんと呼んで慕っていました。
ファリダさんを苦しめていた悪夢。
それを追い払ってくれたのも波田のおばちゃんです。
原爆は波田さん一家にも暗い影を落としていました。
惠子さんは当時1歳だった周子さんと爆心地から2キロの所で被爆。
2人とも一命を取り留めますが周子さんは左目を負傷しました。
それははっきりと分かる傷跡になっていましたがファリダさんは聞けずにいました。
原爆について初めて正面から話をしてくれた波田のおばちゃん。
ファリダさんの胸の内を察していたかのように話を続けました。
ファリダさんを苦しめていた悪夢は消えました。
「すみのかんちゃん」のような悲しい結末の物語を描く事もなくなりました。
原爆の悪夢が消え心に落ち着きを取り戻し始めたやさき大きな事件が起きます。
ファリダさん8歳の時の事です。
(爆発音)昭和29年3月。
太平洋ビキニ環礁でマグロ漁船第五福竜丸が被爆。
乗組員が大量の死の灰を浴び死者が出ます。
アメリカの水爆実験によるものでした。
広島長崎に続きアメリカの核兵器による日本人3度目の被爆。
ファリダさんにとって消えたはずの悪夢がよみがえりかねない一大事でした。
やがてビキニ近海で取れたマグロから放射能が検出されます。
食料品に対する不安が広がり放射能パニックが全国に拡大。
アメリカへの強い反発が日本中にわき起こりました。
アメリカに原爆を投下された広島は反米感情が根強い土地です。
ファリダさんの両親はアメリカへの反発を和らげる文化交流や広報活動に一段と力を注いでいきます。
今回の同窓会。
ファリダさんは去年の夏に紙芝居と一緒に見つかった当時のフィルムを披露しました。
初めて見る60年前の自分たちの姿です。
こちらはファリダさん9歳の誕生日に同級生を自宅に招きホームパーティーを開いた時の映像です。
お母さんお母さん。
あっお母さんがいろいろ。
母親のアグネスさんが手作りのゲームを用意し同級生をもてなしました。
アメリカの文化やライフスタイルに慣れ親しんでもらいアメリカのファンになってもらおうと考えていました。
ファリダさん一家との交流でアメリカを身近に感じていく同級生たち。
原爆を投下しビキニ事件を起こしたアメリカに対するマイナスイメージが和らぐ事にもつながりました。
しかしファリダさんはアメリカ式の便利なライフスタイルをアピールする両親の姿に違和感を覚える事がありました。
幼いファリダさんの心を捉えていたのは古き時代の日本です。
わびさびの世界を理解し侍や忍者に強く憧れていました。
ファリダさんはこのころ父親と意見がぶつかった事を覚えています。
それは父親が同級生たちに贈ったあるプレゼントを巡ってでした。
アメリカの核に対する強い反発を引き起こしたビキニ事件。
ファリダさんの父親は大きな任務を担う事になりました。
原子力の平和利用をPRする大規模な博覧会の開催です。
当時アメリカは世界50か国で博覧会の開催を進めていました。
その開催地の一つに被爆地広島を選んだのです。
会場は完成したばかりの原爆資料館。
本来は核被害の深刻さを訴える場所です。
被爆者を中心に反対の声が上がりました。
そこでファリダさんの父親が活用したのが映画です。
原子力に親しみを持ってもらおうと中四国の各地で上映会を開きました。
これは当時実際に上映された映画の一つです。
広島の半年前に開催された東京での原子力平和利用博覧会の様子を紹介しています。
日本語が堪能だったファリダさんも上映会を手伝いました。
広島での開催に尽力する両親を助けたいと考えたのです。
この映画に登場する展示品の中にファリダさんが夢中になったものがあります。
危険な放射性物質を遠隔操作で安全に扱えるという最新式の機械です。
ファリダさん一家の努力が実を結び昭和31年の春博覧会が原爆資料館で開幕しました。
会場には来賓を迎えるファリダさんの父親。
記念のテープカットをエスコートする母親の姿もありました。
原爆資料館は連日多くの見学者でにぎわいました。
小学4年生になったばかりのファリダさんも会場に足を運びました。
かつて両親はファリダさんが原爆資料館に行く事を禁じていました。
被爆者の写真やケロイドの標本など原爆による被害を訴える展示が並んでいたからです。
しかし3週間の博覧会開催中資料館はその姿を大きく変えました。
核被害の実態を訴える空間から原子力の明るい未来を学ぶ場へ。
大勢の広島市民が原子力に大きな可能性を感じました。
博覧会が開催された翌年ファリダさん一家は帰国の途につきます。
その直前に夫婦で行った琴と尺八の演奏発表会。
多くの市民が会場に押し寄せ別れを惜しみました。
4年半に及んだ広島での日々。
最後は楽しい思い出に包まれアメリカに帰りましたがおよそ60年後その記憶は悪夢のようによみがえります。
4年前東日本大震災で起きた福島の原発事故。
ファリダさんはアメリカの原爆や核実験に胸を痛めた広島での日々を思い起こし強い罪悪感にさいなまれました。
ファリダさんは原爆資料館に向かいました。
これまでも何度か訪れていますが震災後は初めてです。
原爆の悪夢に苦しんでいた頃は行く事さえ禁じられていた場所。
博覧会では一転してマジックハンドに胸を躍らせました。
ファリダさんは被爆地広島と向き合い続けてきた60年の歳月を振り返りました。
深刻な放射能汚染によって福島の人々をふるさとから追いやった原発事故。
それを世界に報じた一枚の写真がファリダさんの目をくぎづけにします。
原爆の悪夢から救ってくれた掛けがえのない人を思い起こしました。
波田のおばちゃんは被爆者でありながらアメリカ人のファリダさんに優しく接してくれた日本の母です。
波田のおばちゃんは9年前83歳の生涯を閉じました。
ファリダさんは今回初めて墓前に手を合わせる事ができました。
どうぞおばちゃん。
散れた桜だけどね。
ファリダさんが波田のおばちゃんに最後に会ったのは亡くなる2週間前の事です。
久しぶりの再会に心を許したおばちゃんは長年患っていたリューマチの痛みをファリダさんに訴えます。
この時突如よみがえったのがひどい悪夢に悩まされていた幼い頃の記憶。
おばちゃんが苦しんでいるのは原爆のせいではないかと考えました。
ファリダさんは子どもの時と同じ質問をおばちゃんに投げかけました。
ファリダさんは子どもの時以来久しぶりにおばちゃんと一緒に眠りました。
その時の事です。
そして彼女は・「ねんねんころりよおころりよ」と歌ってくれて…。
本当に本当にすばらしかった。
広島にやって来て1週間。
瞬く間に時は過ぎました。
はい分かりました。
いろいろとありがとうね。
フツイまた来いの。
本当また来てね。
2015/06/25(木) 15:15〜16:00
NHK総合1・神戸
ろーかる直送便 被爆70年特集「アメリカ人少女と幼なじみの60年」[字]
戦後まもなく、広島に一人のアメリカ人少女がやってきた。祖国アメリカが原爆を落とした罪悪感に苦しんだ少女と、広島の幼なじみたちとの60年にわたる心の絆の物語。
詳細情報
番組内容
原爆投下から7年後、一人のアメリカ人少女が広島にやってきた。ファリダ・フツイさん、当時6歳。祖国アメリカが広島に原爆を投下したことに心を痛め、ある紙芝居を描いた。それから60年。ファリダさんは今年4月に広島で開かれた同窓会に出席し、紙芝居を披露。同級生たちに苦しかった胸の内を打ち明けた。心に宿った罪悪感はその後どうなっていったのか。ファリダさんと広島の人たちとの60年にわたる心の交流を見つめる。
出演者
【語り】滑川和男
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
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