news every. 2015.06.23


この時間は午後6時15分まで字幕放送をお送りします。
こちらは、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園です。
全国の皆さん、こんばんは。
newsevery.です。
きょう、沖縄は70年前の沖縄戦で、旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる慰霊の日を迎えました。
この公園では正午から、翁長知事や安倍総理らも参列した、追悼式が行われました。
翁長知事は追悼式の平和宣言で、アメリカ軍普天間基地の、名護市辺野古への移設中止を訴えました。
政府においては、固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を、再度見直されることを強く求めます。
一方、安倍総理は、今後も引き続き、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしてまいりますと述べましたが、普天間基地の名護市辺野古への移設については、演説では触れませんでした。
世界一危険といわれる普天間基地については、移設を巡り、政府と沖縄県の間で…が続いています。
その後も基地と向き合い続けたある男性を取材しました。
そこから見えてきたのは、今も続く沖縄の苦しみでした。
今月7日、藤井キャスターは、アメリカ軍普天間基地の中へ。
年に1度の一般開放日です。
ああ、見えてきましたね。
手前には、こういったヘリコプターもあるんですけれども、奥にはオスプレイです。
MV22オスプレイ。
機内に入れるとあって、多くの人が列を作っていました。
この日は、中に入ることが許された普天間基地。
しかし、この場所に帰りたくても、帰れない人がいます。
普天間基地を見渡せる場所で藤井キャスターが会ったのは、仲村元惟さん78歳です。
仲村さんのお宅は、基地の中にあったと?
青い家、体育館風の屋根がありますね。
大きな?
あれの手前で、いわゆる普天間基地の南ゲートっていうんですが、そこは。
その南ゲート入り口です。
戦前、仲村さんは、今、普天間基地がある場所に住んでいたのです。
1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島に上陸。
多くの民間人をも巻き込む凄惨な戦いが繰り広げられました。
当時7歳だった仲村さん。
アメリカ軍の上陸直前、母親と姉、弟らと共に、現在の普天間基地の敷地内にあった自宅から、県北部に疎開したといいます。
そこで知らされたのは、召集されていた父が、沖縄県内で戦死したということでした。
遺骨もなくて、墓標の影には、今も、そこの山から取ってきた石ころが入っておるようなものです。
つらいですよ、戦争というのは。
捕虜となり、収容所で終戦を迎えた仲村さん一家。
その後も、収容所から出られず、1年以上たって、ようやく自宅のあった場所に戻ってきたといいます。
しかし。
こっちはさら地になってですね、全く、屋敷の跡形さえもないです。
生まれ育った家。
跡形もなくなっていました。
上陸直後から、日本本土への攻撃の準備を進めたアメリカ軍。
滑走路を建設するため、家があった土地を強制的に取り上げていたのです。
いくつかの村を飲み込み、そこには、巨大な普天間基地が出来ました。
今も普天間基地からおよそ100メートルの場所に住む仲村さん。
もう本当に基地の入り口ともう、目と鼻の先ですね。
そうです。
基地は、仲村さんから家を奪っただけではありませんでした。
1960年代、アメリカ兵らしき外国人が、この家の2階に侵入したことがあったといいます。
娘たちが騒いだんです。
お父さんという叫び声があったもんだから、上、走って、2階に上がってみると、米軍と格闘しておるんですよ、娘たちが。
仲村さんが駆けつけると、その外国人は逃げていったといいます。
さらに、訓練中だったアメリカ兵のパラシュートが開かず、庭先に落ちてきたことも。
基地と背中合わせの生活というのは、危険性が伴っておると。
また、仲村さんは普天間基地の騒音とも、長年、向き合ってきました。
別の日の取材中。
オスプレイ上がった。
すごいでしょ、こんなですよ、いつも。
戦後、教師になった仲村さんは、普天間第二小学校の校長に着任しました。
普天間基地に隣接する小学校です。
1996年4月12日、仲村さんの歓迎会が開かれている最中に、あるニュースが飛び込んできたといいます。
その日、県内移設を条件に、日米両政府が、普天間基地の全面返還に合意したと発表したのです。
そういうことならば、これは万歳ですよと言って、その場で職員そろって、万歳を叫んだんです。
これで、子どもたちを思い切り校庭で遊ばせることができる。
しかし、仲村さんのその思いは、裏切られました。
毎日、上空からは米軍機が、黒い巨体が離着陸するんですね。
校舎すれすれに。
500名の子どもを預かっておるわけですから、いつ何が起こるか分からんという気持ちで、毎日が怖いありさまでした。
仲村さんが校長の任期を終え、17年がたった今も、小学校の上空には、アメリカ軍の航空機が飛んでいます。
戦後70年。
しかし仲村さんにとって、戦争はまだ終わっていません。
基地がなくならないかぎり、戦争が終わっておるとは思いません。
周辺から基地がなくなることが、私たち市民や県民にとって、
普天間基地については、名護市辺野古への移設を巡り、政府と沖縄県の対立が続いています。
政府は世界一危険な飛行場といわれる普天間基地の危険を取り除くため、辺野古への移設を進めたい考えです。
一方、沖縄県の翁長知事は、辺野古移設反対の立場を崩していません。
私が今月、取材をした仲村さんも、県外、国外への移設を訴えていました。
政府と沖縄県の間の溝は、埋まらないままです。
安倍総理は去年とおととしの、追悼式の際には、当時の仲井真沖縄県知事とは会談をしましたが、ことしは公務などを理由に、翁長知事との会談は行われませんでした。
日米両政府が返還に合意して19年を経た今も、普天間基地の運用は続いています。
仲村さんは、戦争は終わっていないとおっしゃっていました。
戦後70年がたっています。
それにもかかわらず、そうした思いを抱え、毎日を過ごしていらっしゃる人がいる。
こういった沖縄の現実を目の当たりにしました。
これが沖縄の現実であることが分かりました。
以上、沖縄から中継でお伝えしました。
ここからは東京のスタジオからお伝えします。
青山さん。
翁長知事は、このきょうの追悼式でも、辺野古への移設の中止というのを訴えたんですね。
一方、安倍総理大臣は追悼式のあいさつでは、この辺野古移設については、触れなかったんですが、その後、記者団に対して、重要なことは普天間基地の固定化は断固としてあってはならないということだと述べまして、辺野古移設の方針には、変わりがないという考えを示しているわけなんです。
この溝を一体、どのように埋めていくのか、戦後70年の節目の今こそ、こうした押し問答を続けるだけではなくて、お互いに冷静に解決策はないのか、話し合うことが求められています。
きょうは上空に冷たい空気が流れ込んだ影響で、大気の状態が非常に不安定となっています。
局地的に急速に積乱雲が発達し、激しい雷雨となっている所もあり、気象庁は注意を呼びかけています。
こちら新橋駅前です。
ただ今正午過ぎの気温は29度となっています。
きょうの東京都心の最高気温は、午後2時過ぎに、28.8度まで上昇。
半袖で歩く人や、日傘を差す人の姿が見られました。
その一方で。
日傘です、晴雨兼用です。
夕方ぐらいにまた、ゲリラ豪雨になるかもしれないといってるので、念のために。
突然の雨に備え、傘を持つ人も。
茨城県の水戸市では。
午後2時50分、水戸市内です。
だんだん雨が強くなってきました。
雷も鳴っています。
茨城県内では午後4時ごろ、小美玉市やつくば市など、7の市町村で、大雨洪水警報が発表されました。
その小美玉市では、午後4時前に道路が冠水。
コインランドリーの中まで浸水していました。
10分くらいでこんな状態になってしまって、土砂降りですね。
前が見えないぐらい降り始めて。
小美玉市美野里では、1時間で60.5ミリの非常に激しい雨が降りました。
山梨県甲府市では、午後2時ごろ、上空に黒い雲が。
午後3時前です。
突然雨が降りだしました。
結構降ってきてますね。
傘とかは?
傘はきょう降らないと思って、持ってこなかったので、帰りが心配ですね。
突然の雨に、走る人の姿も見られました。
長野県の岡谷市では、雷とともに、強い雨が打ちつけ、ひょうのような氷の粒も降りました。
東北から近畿で局地的な激しい雷雨に見舞われたきょう。
この雨を降らせたのが、積乱雲です。
きょうは、地上付近の気温が30度近くまで上昇。
一方で、上空5500メートル付近に、この時期としては強い、マイナス12度の寒気が流れ込み、この温度差で大気の状態が不安定となり、積乱雲が発達。
これが、局地的に激しい雷雨を降らせた原因と見られています。
うわわわわ!
先週、群馬県では積乱雲の影響で突風が発生。
伊勢崎市や前橋市を中心に、建物の倒壊などの被害があり、伊勢崎市では、200枚の太陽光パネルが吹き飛ばされました。
積乱雲は突発的に発生したあと、すぐに消えてしまうのが特徴で、これまでは予測が難しいとされてきました。
しかし。
今まで以上の精度で、可能になるのではないかなというふうに期待しています。
きょう、近畿から東北では、大気の状態が不安定となり、積乱雲が発達。
激しい雨を降らせました。
そして今、この積乱雲が発達する予兆をいち早くつかみ、予測に結び付けようとする研究が進められています。
それがこちらの機械です。
フェーズドアレイレーダーは、もともと高速のミサイルを探知するために使われていた技術で、空気中にある水分の量を3次元で表すもの。
水分が少ないものは青、多くなると黄色や赤で表すことで、積乱雲の成長を捉えることができます。
小さな水色の固まりは徐々に発達し、赤い大きな固まりに。
これが積乱雲です。
現在の気象レーダーの多くは、ビームの幅が細く、豪雨の予兆を感知するには、何回転もしなくてはなりませんでした。
ところがこのレーダーは、ビームの幅が格段に広く、1回転するだけで、豪雨の予兆を感知できます。
これまで以上に早く、突然の雷雨などを予測できる可能性があるのです。
10分、20分といったような短時間の予報、予知ですよね、それが今まで以上の精度で可能になるんではないのかなというふうに期待しています。
大気が不安定な状態は今夜遅くまで続く見込みで、近畿から東北にかけて、落雷や竜巻、突然の激しい雨に注意が必要です。
詰めの協議が続くことになります。
今月末までに追加支援で合意できなければ、財政破綻のおそれがあるギリシャへの支援について、ユーロ圏各国の首脳は22日、緊急の会議を開きました。
ロイター通信によりますと、ギリシャは直前に、追加支援の前提条件とされる年金の削減につながる提案を行いましたが、支援を実施するかどうかの結論は24日以降に持ち越されました。
株価がおよそ15年ぶりに、2万800円台を回復しました。
きょうの東京株式市場は、ギリシャの金融支援を巡る協議が進展するとの期待感から、買い注文が広がり、ほぼ全面高の展開となりました。
日経平均株価は、381円高と、ことし最大の上げ幅を記録し、2000年4月以来、15年2か月ぶりに2万800円台を回復して、取り引きを終了しました。
中国を念頭に置いているものと見られます。
日本の自衛隊とフィリピン軍は、きょうから南シナ海で共同訓練を始めました。
日本とフィリピンは、今月の首脳会談で、南シナ海での中国の埋め立てへの懸念を共有し、防衛協力を強化することで合意しています。
今回の訓練は、災害時の救難などを想定しているということですが、中国を念頭に、防衛面の連携を強めるねらいもあると見られます。
日韓首脳会談実現への意気込みを示しました。
安倍総理大臣は、おとといの日韓外相会談で、早い時期に日中韓の3か国での首脳会談を開くことで合意したことを受け、こうした改善への動きを捉えて、日韓首脳会談につなげていきたいと韓国のパク・クネ大統領との首脳会談実現への意気込みを示しました。
また、きのうの国交正常化50年記念式典に、2015/06/23(火) 17:53〜18:15
読売テレビ1
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藤井貴彦、陣内貴美子が伝えます。わかりやすいニュースをいち早く…スポーツ芸能そしてお得な生活情報も▽番組テーマはミンナが生きやすく。

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藤井貴彦
陣内貴美子ほか
番組ホームページ
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