空を覆う真っ黒な雲。
雷も鳴って、雨が降り始めた。
これは午後1時半頃の山形市内の映像。
気象庁によると、日本の上空5500mにマイナス12度という強い寒気が流れ込んだため、近畿から東北地方を中心に大気の状態が非常に不安定になって局地的に雷を伴った激しい雨のおそれがあるとのこと。
先週月曜日、群馬県伊勢崎市を襲った激しい雨とダウンバーストという突風。
気象庁の予報では、今夜遅くにかけて東北地方を中心にところどころで雷を伴って、1時間に50ミリの非常に激しい雨に警戒が必要。
午後5時現在、岩手県の一部と群馬県嬬恋村、鹿児島県奄美地方には土砂災害警戒情報が出され、茨城、長野、山梨などには大雨や洪水などの警報が出ている。
気象庁は、今夜遅くまで落雷や突風、竜巻、ひょうや低い土地の浸水などに十分注意するよう呼びかけている。
三重県が捕獲したクマが滋賀県内で放され、人を襲ったとされた問題、ご覧のように三重県が滋賀県に対して謝罪するという異例の事態となっていました。
三重県は、このクマを殺処分するために懸命に行方を捜していましたが、どうもこのクマ、無実だったようなんです。
住民襲撃の容疑、濡れ衣だった可能性が高まったよう。
先月17日、三重県いなべ市でイノシシ用のオリにかかったクマ。
三重県の職員が三重県ではなくなぜかお隣、滋賀県の多賀町に放しそして10日後…その多賀町で住民の女性がクマに襲われ、顔に重傷を負った。
住民が襲われたのは、クマが放されたポイントからわずか6km。
当然、疑いの目は三重県が放したクマに。
しかし…三重県が放したクマの血液と多賀町の現場に残されたクマの体毛を研究機関がDNA鑑定した結果、2つは違う個体のものとわかった。
一方、放したクマのえん罪の可能性に滋賀県側は…クマにつけられた発信器の情報からクマは滋賀県を離れ、いなべ市周辺へ移動。
三重県の放したクマは本当にシロなのか。
三重県は明日、関係自治体を集め、クマの処遇を協議する予定。
今日は70年前の沖縄戦の戦没者を追悼する慰霊の日です。
ご覧いただいているのは、70年前の沖縄戦の映像です。
アメリカ軍の火炎放射器による攻撃、そして集団自決、犠牲者20万人以上のうち半分近くは沖縄の住民でした。
今日、糸満市で行われた70年目の追悼式典には安倍総理も出席。
こちらの地元の高校3年生、知念捷さんが詩を朗読し、「今は平和でしょうか」と問いかけました。
鎮魂の思いを胸に迎えた沖縄・慰霊の日。
最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園には早朝から遺族たちが訪れ、平和への祈りを捧げた。
今から70年前の1945年3月、アメリカ軍が上陸。
沖縄では3カ月に及び一般住民を巻き込む激しい地上戦が繰り広げられた。
この戦いで、沖縄県民の4人に1人が犠牲となった。
日米の軍民問わず犠牲者の名が刻まれた平和の礎。
今年、新たに87人が加わった。
国会で安全保障関連法案の審議が続く中追悼式典に出席した安倍総理は…一方、平和宣言に臨んだ翁長沖縄県知事は、アメリカ軍の基地問題の見直しを求めた。
日本にあるアメリカ軍専用施設の実に74%が集中している沖縄県。
名護市辺野古では基地移設反対を訴える声が上がった。
悲惨な地上戦の終結から70年。
平和とは何か、今、私たちに問われている。
現地で取材をしている佐古さんを呼びます。
この場所には24万人を超える人々の名前が刻まれています。
あの戦争さえなければこれだけの方々の人生がその後も続くはずでした。
私はこの場所へ来るたびに、この名前の多さに圧倒される思いがします。
そしてあまりに多くのことを問いかけている、そんな気がしてなりません。
今年の慰霊の日は沖縄戦の負の遺産の1つでもある基地、その1つ、普天間の問題がありますから沖縄というのは特別な思いに今包まれています。
それは今日の翁長知事の平和宣言の一言一言に波のような拍手が起き続けたことに表れています。
何度もこの場所に立ち会っていますけれども、初めて見た光景です。
70年前の沖縄戦は多くの教訓を残しています。
今の普天間基地周辺に残るあるデータは何を意味するのか。
帰るべき家を基地の中に奪われたある男性の取材を通して、考えます新城信敏さん、70年前、16歳だった新城さんはアメリカ軍による砲撃の真っただ中にいた。
1945年4月1日、沖縄にアメリカ軍が上陸。
その翌日、宜野湾村に住んでいた新城さんは戦火を逃れるため、避難壕として使っていた自宅近くのアラグスクガーへと向かった。
現在、普天間基地となっている場所にはおよそ60の洞窟が残されている。
新城さんがいたアラグスクガーには湧き水があり、住民およそ300人が避難していたと言う。
アメリカ軍の上陸から4日目、洞窟の前で遊んでいた新城さんの目に飛び込んできたのは…死ぬことだけを考えていたという新城さん。
日頃から、こう教育されていたと言う。
さらに、当時の日本軍は生きて虜囚の辱めを受けずとする戦陣訓を徹底。
敵への投降を禁じていたが、アラグスクガーでは、渡米経験のある住民がアメリカ兵と交渉し、何も持たずに洞窟から出るという条件のもと、300人全員が捕虜となった。
ここはかつての激戦地、嘉数高台です。
後ろに見える普天間基地の北側と南側では当時犠牲となった住民の数に大きな違いが出ていました。
それを左右したのは日本軍の存在でした。
日本軍は、現在の普天間基地の南側に多くの陣地を構築しアメリカ軍を迎え撃った。
陣地に近い集落の戦没者率は北側に比べ大幅に高くなっている。
戦没者率の高い地域の住民は日本軍のそばにいたため、投降することも許されず、激しい戦闘に巻き込まれて、多くが砲弾の中で命を落とした。
一方、新城さんがいた北側は日本軍が既に後退した地域で住民たちが冷静に集団投降できるケースが多く、早くからアメリカ軍の支配による戦後が訪れていた。
しかし、投降後、2年間の収容所生活を終えた新城さんを待っていたのは、厳しい現実だった。
生まれ育った家があった場所はアメリカ軍に接収され、普天間基地へと姿を変えていた。
沖縄戦から70年。
今、新城さんは何を思うのか。
教育は武器よりも怖い、この言葉非常に重いと思いました。
沖縄では琉球処分で日本に組み込まれてから徹底的に公民化教育が進められてきました。
沖縄にとって本土の日本人よりも立派な日本人であろうとしたのが沖縄戦だった、この言葉はよく取材の中で出会う言葉です。
そしてご覧いただいた宜野湾村での日本軍がいたか、いないかで起きたあのデータ、これは戦争が起きれば一体何が起きるのか、軍がそばにいれば住民に何が起きるのか実証しています。
現代の抑止力の議論にもつながるいわば1つの答えがこの沖縄戦にあるのではないでしょうか。
70年がたって沖縄戦の記憶が風化していると言われているわけですが今日の追悼式で、高校生の知念捷さんが今は平和でしょうかという問いかけを私たちにしました。
佐古さん、これは非常に重い問いかけですよね?よく尊い犠牲の上に今日の犠牲があるんだという言葉がありますけれども、確かにそういう部分もあるかもしれません。
しかし、そこで思考が停止しているのではないかという気も時々しているんですよね。
なぜ犠牲を食い止めることができなかったのか、その疑問はどうしても消えません。
生きることを追い求めて、それでもそれがかなわないという過酷な状況の中でいかに死ぬかの選択を迫られた人が数多くいました。
それは文字どおり生死の境目だったんですが、そんな選択を国民にさせることは二度とあってはなりません。
70年前の出来事を考えることは決して昔話をしていることではないんだと思います。
取材で出会った80代後半の男性は、こう言いました。
これから証言する人間が確実に減っていく、私自身もいなくなる、だから焦っているんですという言葉でした。
そこにはまた同じことが繰り返されるのではないかという今のこの国を包む焦燥感があるような気がいたしました。
いつまでもこの国が戦後であり続けるためにこの沖縄戦からくみ取るべきものは、たくさんあります。
それが70年後を生きる私たちの責任ではないでしょうか。
今日は平和を考える一日でしたが、南シナ海では、こんな動きがありました。
こちらは海上自衛隊のP3C哨戒機。
潜水艦を発見するなど、優れた監視能力を持つ航空機です。
これが初めて南シナ海の南沙諸島でのフィリピン軍との合同訓練に投入されました。
この海域で勝手に埋め立てを行う中国への強い牽制となるのでしょうか。
南シナ海に面するフィリピン南部パラワン島に駐機する海上自衛隊のP3C哨戒機。
今日、自衛隊員やフィリピン軍の兵士らが乗り込み、南シナ海上空へ飛び立った。
自衛隊とフィリピン軍がこの地域で本格的な合同訓練を行うのは今回が初めて。
日本とフィリピンは、今月行われた首脳会談で南沙諸島で岩礁埋め立てを進める中国を念頭に防衛協力を強化していくことで一致。
今回の訓練はその一環。
こちら、パグアサ島から25km地点に中国がレーダー基地を建設したとされる人工の島があります。
南沙諸島では中国が少なくとも7つの岩礁や暗礁の埋め立てを進めているが、中国政府は先週、一部の島で近いうちに岩礁埋め立てが完了すると発表し、フィリピン国内では反中国の機運が一層高まっている。
一方、アメリカ海軍も22日からフィリピンとの合同演習を南シナ海で実施していて、覇権拡大を進める中国を牽制するまずは飛び立った飛行機にとんだ珍客です。
快調に空を飛ぶ軽飛行機。
しかし、画面右上には、なんとネコがいる。
離陸前から乗っていたと見られ初めは気がつかなかったパイロットだが、目が合ってしまった。
手を出すとネコがびっくりするかもしれず、どうすることもできない。
それにしてもこのネコ、地上数百メートルの高さを飛んでいても全く動じない。
やがて飛行機は着陸、ネコも無事、帰還した。
菅官房長官は来年、日本が議長国を務めて三重県で開催する主要国首脳会議、伊勢志摩サミットを5月26日と27日の日程で実施すると発表した。
何とも不可解な事件です。
全国の病院に勤務し2000人以上の患者を診察していた眼科医。
本当の職業はといいますと、タクシー運転手でした。
薬も処方していたようなんですが、一体いつ、どこでこんな知識を得ていたのでしょうか。
茨城県ひたちなか市内の診療所で眼科医に成り済まし診察したとして東京・品川区のタクシー運転手、大賀達夫容疑者が警察に逮捕された事件。
大賀容疑者はひたちなか市内の診療所でコンタクトレンズの処方など医療行為を行っていました。
大賀容疑者は3年前まから眼科医に成り済まし全国23の府県、37カ所およそ2300人を診察。
日給でおよそ5万円受け取り、3年間で合わせて2000万円近くを荒稼ぎしていたと見られている。
なぜ医師免許を持っていない大賀容疑者が医師に成り済ますことができたのか。
まず、国家資格である医師免許の入手方法だが大賀容疑者は以前、医療専門の人材派遣会社を経営。
そのときに、実在する医師の免許のコピーを入手したと言う。
大賀容疑者が医師に成り済まして主に行っていたのはコンタクトレンズの処方。
以前、メガネやコンタクトのレンズメーカーに勤めていた大賀容疑者は、専門知識を持っていたと見られている。
どうすれば、このような事態を防ぐことができるのか。
専門家は、こう指摘する。
こちらが実際の医師免許。
顔写真を貼る欄はない。
また背景には、現場の医師不足もあると言う。
医療の現場では、医師を募集する際に人材派遣会社を通して募集するのが一般的だと言う。
大賀容疑者もこうした派遣会社を通じて医師としての仕事を得ていた。
2015/06/23(火) 17:50〜18:15
MBS毎日放送
Nスタ ニューズアイ[字]
取材経験豊富な竹内明を中心に、佐古忠彦も新加入。TBSアナウンサー・加藤シルビアらがお届けする大型報道番組。ニュースを速く、深く伝えます。
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