生字幕放送でお伝えします
戦後70年を迎えた沖縄。
沖縄本島の南部、糸満市摩文仁にある平和祈念公園です。
きょう6月23日は、70年前に日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日です。
沖縄県はこの日を慰霊の日と定め、平和祈念公園では、県主催の沖縄全戦没者追悼式が行われています。
式典会場の隣にある平和の礎です。
礎には、戦争で亡くなったおよそ24万人の名前が刻まれています。
太平洋戦争の末期、沖縄は、本土防衛のための最前線と位置づけられ、1日でも時間を稼ぐ持久戦が求められました。
平和祈念公園よりもさらに南、沖縄本島の南端に位置している喜屋武岬です。
岬に建てられた平和之塔には、戦後、この地域で見つかった、1万柱を超える遺骨が祭られていました。
艦砲射撃に倒れた人、アメリカ軍に追い詰められ、みずから断崖から身を投げた人。
戦争が長引いたことで、6月以降、この地域では分かっているだけで4000人近くの県民が亡くなりました。
このあと、沖縄県の翁長知事の平和宣言と、安倍総理大臣のあいさつが行われます。
戦後70年を迎えたことし、アメリカ軍普天間基地の移設計画を巡って、政府と沖縄県の対立が続いています。
普天間基地の移設先とされる名護市辺野古では、埋め立て工事に向けて準備が進められています。
しかし翁長知事は、日本の安全保障のための負担は、全国で分かち合うべきだとして、移設計画の撤回を求めています。
それに対し政府は、日米同盟の抑止力の維持と、普天間基地の危険性除去のためには、名護市辺野古への移設が唯一の解決策としています。
沖縄では先月、移設計画に反対する大規模な集会が開かれました。
両者の主張は、今も平行線をたどっています。
翁長知事は、平和宣言で移設計画の断念を改めて政府に求める方針です。
正午現在、気温は31度。
うちわで暑さをしのぐ人の姿が目立ちます。
きょうは、朝早くからたくさんの人が平和祈念公園に集まっています。
平和宣言。
沖縄県知事、翁長雄志。
沖縄県の翁長知事による平和宣言です。
平和宣言。
70年目の6月23日を迎えました。
私たちの郷土沖縄では、かつて史上まれに見る、しれつな地上戦が行われました。
20万人余りの尊い命が犠牲となり、家族や友人など、愛する人々を失った悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません。
それは私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に、戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を切望しているからです。
戦後、私たちはこの思いを忘れることなく、復興と発展の道を力強く歩んでまいりました。
しかしながら、国土面積の0.6%にすぎない本県に、日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73.8%が集中し、依然として過重な基地負担が、県民生活や本県の振興開発にさまざまな影響を与え続けています。
米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合は、僅か0.7%しか縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠いものであります。
沖縄の米軍基地問題は、わが国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。
特に普天間飛行場の辺野古移設については、昨年の選挙で、反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは、困難であります。
そもそも私たち県民の思いとは全く別に、強制接収された世界一危険といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、その危険性除去のため、辺野古に移設する、嫌なら、沖縄が代替案を出しなさいとの考えは、到底、県民には許容できるものではありません。
国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎を築くことはできないのであります。
政府においては、固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を、再度見直されることを強く求めます。
一方、私たちを取り巻く世界情勢は、地域紛争やテロ、差別や貧困がもととなり、多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳がじゅうりんされるなど、悲劇が今なお繰り返されています。
このような現実にしっかりと向き合い、平和を脅かすさまざまな問題を解決するには、一人一人が積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要であります。
戦後70年を迎え、アジアの国々をつなぐ懸け橋として活躍した先人たちの万国津梁の精神を胸に刻み、これからも私たちはアジア・太平洋地域の発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。
未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを創り上げ、時を超えていつまでも子どもたちの笑顔が絶えない、豊かな沖縄を目指します。
慰霊の日にあたり、戦没者のみ霊に心から哀悼の誠をささげるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として、輝かしい未来の構築に向けて、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。
平成27年6月23日、沖縄県知事、翁長雄志。
翁長知事による平和宣言でした。
翁長知事は、普天間基地を辺野古に移設する作業を中止するよう、政府に求めました。
平和の詩の朗読。
続いて平和の詩の朗読です。
朗読するのは、県立与勝高校3年生の知念捷さんです。
詩のタイトルは、みるく世がやゆら。
沖縄のことばで今は平和でしょうかという意味です。
戦争で夫を失った知念さんの祖父の姉のことを詩に詠みました。
みるく世がやゆら平和を願った古の琉球人が詠んだ琉歌
(うた)が私へ訴える「戦世
(いくさゆ)や済
(し)まちみるく世ややがて嘆
(なじ)くなよ臣下
(しんか)命
(ぬち)ど宝
(たから)」七〇年前のあの日と同じように今年もまたせみの鳴き声が梅雨の終りを告げる七〇年目の慰霊の日大地の恵みを受け大きく育ったクワディーサーの木々の間を夏至南風
(かーちーべー)の湿った潮風が吹き抜けるせみの声は微かに風の中へと消えてゆくクワディーサーの木々に触れせみの声に耳を澄ますみるく世がやゆら「今は平和でしょうか」と私は風に問う花を愛し踊りを愛し私を孫のように愛してくれた祖父の姉戦後七〇年再婚をせず戦争未亡人として生き抜いた祖父の姉九十才を超え彼女の体は折れ曲がりベッドへと横臥する一九四五年沖縄戦彼女は愛する夫を失った一人妻と乳飲み子を残し二十二才の若い死南部の戦跡へと礎へと夫の足跡を夫のぬくもりを求め探しまわった彼女のもとには戦死を報せる紙一枚亀甲墓に納められた骨壺には彼女が拾った小さな石戦後七〇年を前にして彼女は認知症を患った愛する夫のことを若い夫婦の幸せを奪ったあの戦争をすべての記憶が漆黒の闇へと消えゆくのを前にして彼女は歌う愛する夫と戦争の記憶を呼び止めるかのようにあなたが笑ってお戻りになられることをお待ちしていますと軍人節の歌に込め何十回何百回と次第に途切れ途切れになる彼女の歌声無慈悲にも自然の摂理は彼女の記憶を風の中へと消してゆく七〇年の時を経て彼女の哀しみが刻まれた頬を涙がつたう蒼天に飛び立つ鳩を平和の象徴というのなら彼女が戦争の惨めさと戦争の風化の現状を私へ物語るみるく世がやゆら彼女の夫の名が二十四万もの犠牲者の名が刻まれた礎に私は問うみるく世がやゆら頭上を飛び交う戦闘機クワディーサーの葉のたゆたい六月二十三日の世界に私は問うみるく世がやゆら戦争の恐ろしさを知らぬ私に私は問う気が重い一層戦争のことは風に流してしまいたいしかし忘れてはならぬ彼女の記憶を戦争の惨めさを伝えねばならぬ彼女の哀しさを平和の尊さをみるく世がやゆらせみよ大きく鳴け思うがままにクワディーサーよ大きく育て燦燦と注ぐ光を浴びて古のあの琉歌よ時を超え今世界中を駆け巡れ今が平和でこれからも平和であり続けるためにみるく世がやゆら潮風に吹かれ私は彼女の記憶を心に留めるみるく世の素晴らしさを未来へと繋ぐ
県立与勝高校3年、知念捷さんの平和の詩の朗読でした。
知念さんは、戦争のみじめさと平和の尊さを忘れてはならないと訴えました。
来賓あいさつ。
内閣総理大臣、安倍晋三殿。
安倍総理大臣によるあいさつです。
戦後70年、沖縄全戦没者追悼式に臨み、沖縄戦において戦場にたおれたみ霊、戦禍に遭われ、亡くなられたみ霊に迎え、謹んで哀悼の誠をささげます。
先の大戦において、ここ、沖縄の地は、国内最大の地上戦の場となりました。
県民の平和、平穏な暮らしは、にわかに修羅のちまたと変じ、豊かな海と緑は破壊され、20万人もの尊い命が失われました。
戦火のただ中、多くの夢や希望を抱きながら倒れた若者たち、子どもの無事を願いつつ、命を落とした父や母たち。
平和の礎に刻まれた多くの戦没者の方々が、家族の行く末を案じつつ、無念にも犠牲となられたことを思うとき、胸ふさがる気持ちを禁じえません。
私たちは、この不幸な歴史を深く心に刻み、常に思いを致す、そうあり続けなければなりません。
筆舌に尽くし難い苦難の歴史を経て、今を生きる私たちが、平和と安全と、自由と繁栄を享受していることを改めてかみしめたいと思います。
私は今、沖縄戦から70年を迎えた本日、全国民と共に、まぶたを閉じて、沖縄が忍んだあまりにもおびただしい犠牲に、この地へたおれた人々の流した血や、涙に思いを致し、胸に迫り来る悲痛の念とともに、静かにこうべを垂れたいと思います。
その上で、この70年間、戦争を憎み、ひたすらに平和の道を歩んできた私たちの道のりに誇りを持ち、これからも世界平和の確立に向け、不断の努力を行っていかなくてはならないのだと思います。
美しい自然に恵まれ、豊かな文化を有し、アジアと日本をつなぐゲートウエーとしての沖縄。
イノベーションをはじめとする新たな拠点としての沖縄。
沖縄はその大いなる優位性と、限りない潜在力を存分に生かし、飛躍的な発展を遂げつつあります。
沖縄の発展は、日本の発展をけん引するものであり、私が先頭に立って、沖縄の振興をさらに前に進めてまいります。
沖縄の人々には、米軍基地の集中など、永きにわたり、安全保障上の大きな負担を担っていただいています。
この3月末に、西普天間住宅地区の返還が実現しましたが、今後も引き続き沖縄の基地負担軽減に、全力を尽くしてまいります。
結びに、この地に眠るみ霊の安らかならんこと、御遺族の方々の御平安を心からお祈りし、私のあいさつといたします。
平成27年6月23日、内閣総理大臣、安倍晋三。
安倍総理大臣によるあいさつでした。
安倍総理大臣は、引き続き沖縄の基地負担軽減に全力を尽くすと述べました。
戦没者の名前が刻まれた平和の礎です。
ことし、新たに87人の名前が刻まれました。
一方で、名前がいまだに分からない戦没者は、327人に上ります。
その多くは、激しい地上戦によって一家全滅した人たちや、名前が付けられる前に亡くなった赤ん坊たちです。
戦争でばらばらになった家族は、礎でようやく同じ場所に集うことができたのです。
70年前の沖縄。
本土防衛のための持久戦で、家族は引き裂かれ、多くの命が失われました。
(圭太)置いていかんといてま!迷いかけたがいね。
2015/06/23(火) 12:20〜12:45
NHK総合1・神戸
戦後70年沖縄全戦没者追悼式[字]
平和祈念公園から「全戦没者祈念式典」を中継で伝える。沖縄県知事による平和宣言、児童による平和の詩の朗読、首相挨拶を伝えつつ、70年目の祈りをささげる。
詳細情報
番組内容
糸満市にある平和祈念公園から「全戦没者祈念式典」を中継で伝える。式典では、「沖縄県知事による平和宣言」「児童による平和の詩の朗読」「首相の挨拶」を伝え、戦没者に祈りをささげる。また、住民を巻き込んだ地上戦の実相を伝えるため、本島南端にある喜屋武岬で行われる慰霊祭の様子も中継で伝える。沖縄戦末期、南へ追いつめられた人々がこの断崖から身を投げた。慰霊祭に参加する人にお話を伺い、平和の大切さを訴えたい。
出演者
【アナウンサー】稲塚貴一,【リポーター】澤田彩香
ジャンル :
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ニュース/報道 – ローカル・地域
ニュース/報道 – 報道特番
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