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大聖人の遺骨は、在家でみたことある人にゃいないだろにねー。
本門戒壇の大御本尊は、正本堂以前は、御宝蔵に安置されていて、目の前で見れたにね。御宝蔵は50人も入ったらいっぱいでねー。戸田さんは、本門戒壇の御本尊のまん前で、いつも講義してたにねー。
よく念珠で悪鬼がとりついた学会員を叩いてたに。戸田さんの念珠で叩かれると悪鬼が抜けてねー。
懐かしいだにねー。
大聖人の肉歯もあるに。当時は、夜通し学生部(あ、青年部だにかね。名前を思い出せないに)が警備しないといけなくてねー。
ガラスかわからんがー透明な筒みたいなんに入ってたのかにねー。
今の学会員は、正本堂と、出回った偽写真しか見てないから、本門戒壇の大御本尊や肉歯を目の前で警備していた時代のことを知らんだにねー。
法華講員もそうだにが、学会員も戸田せんせー時代の人で学生部で御山で警備班や誘導班をしてた人は知ってるだに、聞けばいいにー。
青年室長時代の池田さんの話とかも聞いてみるといいに。勉強になるに。
トラック乗り込んで行った身延への破折話とか聞くと、当時が偲ばれて面白いにー。
こんな事を真顔で質問するちゅーことは、学会員は、そういう歴史の引継ぎができてないんだろにね。
創世記の生の話を聞いて勉強することも必要だに。
検証せずに教団側主張を信じるのか?
→それは、自分の目で見てるからだに。
あの狭い御宝蔵で、ぎゅう詰めに正座させられた、身動きが取れない中で、勤行をしてるからだに。
痛いの通り越して、本当に辛いから、本門戒壇の大御本尊様に「はやく終わってください」って御祈念してたに。まだ未成年だったからにね。
今の学会員は知らんだろうに、丑寅勤行は、勤行も引き題目もえらい長いんだに。辛いにー。
そして、数年前に本門戒壇の大御本尊の写真としてでまわったものと、あたしゃーらが狭い御宝蔵で勤行していたものが全く別物だと、自分の目で見て知ってるからだに。
※丑寅は誤解するから消したに。
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