徹子の部屋 ピーター 2015.06.22


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ご了承ください
(黒柳)まるでお人形さんのような…。
3歳で初舞台。
今日のゲストは今や…この頃から随分時間が経ちましてなんか還暦を過ぎたということで。
ピーターさんでいらっしゃいます。
こんにちは。
芸能生活45周年でいらっしゃいまして。
断捨離をなすったっていうこれからお話伺うんですけど9回目のご出演です。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
実はですね…。
えっ…実は?はい。
実は今の写真見せていただいたの初舞台…3歳って言ったんですけどちょっと告白していいですか?いいわよ。
もう一つ前に本当の初舞台っていうのがあったの。
断捨離してる時見つけたんじゃないの?そうなんですよ。
色々写真やっててあれ?これひょっとしたらと思ったらあれは『黒髪』って地唄舞の『黒髪』っていうのを踊って舞っているんですけどもその前に『靭猿』っていうやつで…。
大概に狂言でも何でも…。
そうなんです。
それがね…。
あったの?2歳で猿でデビューしてます。
ちょっとご覧ください。
ハハハ…。
可愛い。
お父様ですか?いやこれねうちのねお弟子さんですね。
父のお弟子さんでミナミの芸子さんでしたけど。
でもあなたさ2歳だと背が高いね随分。
スラッとしてますね2歳で…。
でも可愛いね『靭猿』。
これが最初の出物です。
あっ可愛い顔。
みんな「可愛い」って言ったでしょうねきっとね。
そうですかね?覚えてませんけどね。
大体『靭猿』が最初ですよね?そうですよね。
やっぱり皆さん歌舞伎の方もそうですもんね。
そうですそうです。
でもそれにしてもあの3歳の時とこの時と1歳違いで随分違いますね。
3つの時はちゃんとあれ舞ってますから。
さっきの最初の…そうそう。
これね。
あれでもねちょっとねキセルでコンコンとしてこうつけ…つけ…たばこっていうかね。
そしてそのまま後ろへ転がったらしくて後見さんが出てきてゴロンってまた起こしたんですね。
それがなんかすごいウケて子供ながらになんか拍手がバッてきたのをすごく思い出して…。
でも毎回やってみようとは思わなかった?それは思わないですけど。
綿入れみたいな子供ってちょっと割とゴロンゴロンした着物なんであの時にそういう思い出…。
でもすごいよ。
2歳3歳っていったら普通のお家だとね赤ちゃんみたいなもんじゃない。
まだおしめしてるみたいなね。
そうだしやっぱり男の子だったらやっぱりねやんちゃしなきゃいけない時期なのに白塗りされちゃった…。
そんな白塗りしてね。
でもあれは3歳だか2歳の時にああいうさ『靭猿』をおやりになったんだからちゃんとやることはやってたんだね。
やってましたよちゃんと。
ねえ。
すごいと思う。
父と母が離婚しなかったらたぶん吉村を継いでたかもしれないしねそのままね。
おたくも複雑で…非常に複雑なんですけど。
あなたが5歳の時だっけ?5〜6歳の時ですねたぶん。
離婚してちょっと大阪にいたんですけど鹿児島に小学校2年生の1学期からおじいちゃんおばあちゃんも含めて行ったんですね池畑家は全部…。
そうしたと思ったらまたお父様とお母様は結婚なさったんですよね。
私がデビューしてまた十何年ぶりにみんな再会したあと…はい。
父が国宝になる前ですけどね。
すごい。
あっこれがその時ね。
そうそうそう。
熱海の家を建ててみんなで来てくれたんですよ。
父が珍しく洋服を着てるんでね。
お父様ね。
うん。
絶対に洋服着ない人だったんですよ。
左側。
はい。
父は飛行機に乗っても正座する人で。
あっそう。
そうなんです。
飛行機に乗ってパリへなんか公演とか行く時「ちょっと姉ちゃん窓開けてえな」って言った人ですから。
フフフッ。
すごいわね。
「ちょっと暑いし窓開けてえな」って言って。
「お客様飛行機は窓が開かないんです」…。
そういうことだったんですけどこの前いらっしゃった時に「私は断捨離というものをする」と…「ものを整理する」と仰ったけどなすったんですってね?やりました。
もうねちょっと色々と40歳から…家を3軒とかあって…。
これはねすごいんですよ。
ただのもののお洋服とかそういうんじゃないんですよ。
家ごと。
家ごと。
家ごとで3軒お家持ってたんですって?その時は熱海もありましたしそれから東京の父親のお稽古場の…引き継いで高輪の家があって。
あと葉山にも11年前から住んでますんで。
その家を行ったり来たりしながら楽しんでたんですが…。
だからあなた断捨離というよりは老前…すごいんですよ。
老前整理?老前整理。
老後っていうのはあるんですけど老後の前に老前…。
年取ってからなんか…ちょっと体もね大変になってから色んなことをやるのは大変だから自分で段ボールこうやって持っていける時に色んなことをやっておこうかなと思って。
父と母が去年十三回忌と十七回忌を迎えたのでそれを機会に色んなことをちょっと…昔のを見てみようかと思ったら色んなものが出てきたから。
そしてちょっと全部整理しました。
すごい。
でも今…今どきってなんか使いかけのものであろうと何だろうと買ってくれる人がいるんだって?本当なの?そうなんですよ。
まずね高輪のものはすごい荷物があったんですけどアンティークはアンティーク屋さん。
あとブライスドールっていう私お人形が好きでね。
あなたねお人形を持っていらしたのねなんか。
これ萬田久子さんからね最初いただいた…。
後ろにあるんです。
見てくださいずーっと。
すごい。
全部?はい。
あれ八十何体いたんですかね?へえー。
全部お洋服こんなふうに着てるの?全部違うし目の色もね後ろの紐を引っ張ると4つの色に目が変わるんですね。
あらすごい…。
この左のやつはね私のブライスドールなんですよ。
あっそうなの?私を…。
ちょっとほくろもここに同じところにほらわかります?ありますね。
鼻の下にほくろあるの。
これ私の顔を作ってくださって。
あっそうなの?ディナーショーの時のドレスの生地を渡して…。
今度はこのお人形を引き取る専門店にお願いして。
こういうのを集めてる方が…。
一人一人分けてたらね…あれが欲しいこれが欲しいって言われたらもう大変なことになっちゃうんで。
じゃあお願いしますということで引き取っていただいて。
変な話普通こういうものでもこんなものでもこのコースターでも…こんなものは大体引き取ってくれないじゃないですか。
それがごみ箱とか…例えばパンダのお人形1個とか何でもいいんですよ。
ここにあるもの全て持っていってくれます。
それはいいですよね。
でもそれはいいんですけどあなたみたいにお洋服…。
ショーでこれから着るかもしれないもう着ないかもしれない。
どうしよう…。
そういうのはどういうふうに決めたの?だからテレビで3回か…2回3回着たらマネジャーなりダンサーなりに全部あげてますほとんど。
あとまあちょっとブランドのものだったらねやっぱりブランドのところがあるんでしょうけども。
そういうのを全部こうやって葉山のほうのちょっと引っ越しやったりとか…。
すごいの。
あなたお家3軒あったのが家2軒にしたっていう…1軒にしたんだから2軒にあったものももちろん整理するんだけど。
お家も整理しなきゃいけなかったんだからすごいわね。
そうなんですよ。
たまたま今回高輪のお家は父もずっと通ってた京都のフレンチレストランのオーナーが買ってくださったんで父も知ってる人だからよかったなと思って。
葉山にあったところには今住んでいらっしゃる?もう葉山にはい。
もう一つあったのが?熱海でしたね。
最初に建てたお家。
これはね最初に建てた40歳の…。
熱海のてっぺんに。
ここに父と母のために和室を用意して露天風呂も造って。
まあ親孝行の…。
初めて…この芸能界に入って初めて借金をして建てた家ですね。
あっそうなの?父親にちょっとねこわごわ言ってみたんですよ。
「お家を建てたいんだけど保証人になってくれる?」って言ったら「お前やっとその気になってくれたか」とか言ってすごく喜んでくれてそれで家を初めて…。
でもあれは売れたの?そしたら。
あれ売れました。
でもまあやるって決めたらね。
二十何年楽しませてくれたしあのお家はね。
母が初めて号泣したお家だったんですよ。
うちの母って絶対泣かない人だったんだけどあの家を建てて母を熱海駅まで迎えに行って家へ着いた途端に「慎ちゃん!」って言って抱いてきて号泣して。
「ようやったな」って…。
まあ16歳で家出してねそこから芸能界入って。
それで24年後でしょ?しかもあのお家はいかにもいいお家ですもんね見るからにね。
バーッと富士山も見えるし海がザーッと見えて千葉まで見える山の頂上だったんで母がやっぱり感極まったんでしょうねなんか。
「ようやったな」って。
そう。
抱きついてきて。
でもまあそのお家も処分して…。
はい。
だからどんどんどんどん身軽にしていくと先をねどんどんどんどん…まだこれから60過ぎて…。
まだお若いのに…。
でも一応。
だからこれから先違う人生をやりたいんですよ。
ひょっとしたらちょっとほらパリへ住んでみるとか。
身軽になっていけばね。
なんかそういうことをどんどんしていきたいし。
ヨーロッパちょっと全部回ってないんでレンタカーを借りて2カ月か3カ月かけてずっと回ってみるとかそんなことも…。
やっぱり家3軒あると…なんていうんでしょう掃除とか空気入れて…人に頼まなきゃいけないじゃない。
それからあれですよねはっきり言うとお金もかかるんでしょ?お家がいくつもあると。
それはやっぱり冷暖房を入れっぱなしにしてないとカビたりするのと。
あとやっぱり固定資産税もそのまま何もね住まなくてもかかりますから。
全てのことに関してちょっとやっぱり無駄っていうか他をちょっとやめてね自分が豊かに生きるために…。
ピーターさんの今日のおしゃれは上がまあ銀色のあれなんですけど…。
スパンコール。
これ色変わるんですほら。
これがすごい。
あっすごい。
そうするとね色が変わる。
すごく面白い。
でその靴が…。
まあ見てください皆さんかかとが。
すごい素敵な…スパンコール。
奇麗。
石がねずっとダイヤストーンがついてるんです…。
すごい奇麗。
そういうのって本当に奇麗だと思いますよね。
これ若い子の靴屋さんだったんですよ。
若い子の…。
神戸ですけども。
あっそうなの?でもいいんじゃない?こういうのあるんですね今はね。
上も…なんていうの?プラットホームもついててね履きやすいですよね。
さて『徹子の部屋』にあなたが最初に来てくださった時のやつ…。
今から40引いていただいて…。
76年?あらららら。
それですから。
でもね録音は初めから録ってありましたから。
そうなんですか?お声と写真は全部ありますので。
写真とお声でちょっと合成したものも入れてご覧いただきますよピーターさん昔の。
「ところであなた全然話が違うんだけどモノマネがすごくお上手なんですって?」「いやそんなことないです」「でもどなたが一番お上手?」「顔形とかで美川憲一さんとかねちあきなおみさんとか」「じゃあ私はモレシャンさんやって…」「私は美川さんで。
対談やりますか?ちょっと」「ちょっとやってみます?」「やってみますか?」「まあ美川さん今日はお化粧がとても奇麗にできましたね」「どうもありがとう。
あのね僕今日…秋になるとやっぱり食べ物がおいしいでしょ?」「だから何となく肌がのるんです」「まあ!でもそれだけ奇麗にお化粧ができたら女の方はとてもかなわないですね」「しばらくぶりにお目にかかったら“ちょっとお顔がお変わりになったかしら?”と申しましたら…」「何キロ?」「7キロ太ったんです」「そうやって拝見してると随分長いお顔なのね」「そうなんです」「頭の形も変わった?」「ええ。
切りました。
あの頃こんな長かったですよね」「お父様はなんか“わてが日本流のお化けやったら”とかって仰りになる…?」「それはね父親もちっちゃい頃から女舞…地唄舞は…うちの吉村流っていうのは父が女舞なもんですからね“わてが和風のお化けやったらお前は洋風のお化けやな”言うて」「息子と父親が母親と娘をやるっていう…」「あるね岐阜のねキャバレーかなんかでね縦長のキャバレーがあったんですよ」「上からピーナツ…こっち向け!こっち向け!って…」「上から…上からくるの?すごい」「それも私も若かったからキレながら歌いながらですけど落ちたピーナツ拾いながらうー!バンッ!って投げ返してましたけどね」へえー。
懐かしい。
色んなことありましたね。
うん…。
あんな素顔で着物着てる時もあったんですね。
そうそうそう。
池畑慎之介…。
池畑慎之介をアピールをねしたい時。
それであなたさ「ピーターの時もあれば慎之介の時もあります」って言ったからうちのほうでもって書くのがさ今日お出になる方は慎之介さんで…あっ今日はピーターさんだとかって…。
この頃何?全部ピーターにしたの?また。
「慎之介☆」のほうの舞台とかは全部そのままですけどテレビはピーターのほうがみんな覚えやすいしね。
まあね。
でもあなたはそうこうしていらっしゃるうちにずっと地唄舞もやっていらしたのになんかお父様にはっきりとなんか…。
うーん…。
なんていうの?そういうの。
亡くなった時ですけどねお葬式の喪主挨拶で「継ぎません」って言っちゃったんで…。
そこで仰ったの?「私は継ぎません」と。
まあそれまで父親とはずっと色んな話をしてきてデビューして…「お前そんなもん夜か昼かなんかわからん歌歌うてんと舞やりなはれ」って…。
「夜と昼のあいだに」?『夜と朝のあいだに』のことを…。
「なんか夜か朝かなんか知らんけどそんな変な歌歌うてんともう舞やりなはれ」って怒られながら。
これはうちのね舞の会の時に…。
ずっとちゃんと舞の会も私は出続けてたし真面目に吉村雄秀としてお仕事はさせていただいて…。
お父様雄輝と仰るの?雄輝ではい。
雄秀っていうお名前をいただいてやってたんですけども。
家元を継ぐっていうのと舞をやるっていうのは私の中では全然違うことで。
父もどっちかっていったら6歳で前の家元にもらわれてきていますから血縁がないんですうちの吉村流ってずっと。
三代全部女性の家元で四世で初めて父親になって。
あっそうなの?父親が家庭を持って私が継ぐかいなと思ったら継がずに五世六世…今六世の家元ですけど全然血は誰もつながってない。
あっそうなの?えー。
父もねやっぱり職人肌なんですね。
なんていうんでしょう…普通だったら流派を広めるためにはちゃんと株式会社じゃないけどきちっと下を育てて組織もきちっとしてから亡くなればいいのに何もしない…。
「もうわてが死んだら好きにしたらええがな」っていうような人だったので…。
何にもだからしないからもう亡くなったあとぐちゃぐちゃのもう…。
だから私が継ぐかなと皆さん思っていらしたのにお葬式で「継がない」って言ったもんだからざわざわざわって…次は誰や!誰や!ってアリの子が動くみたいに…。
次は誰…。
あっ…。
「やめちゃうんですか?」ってそういう人…。
ありましたありました。
だからもう「やめる」って私が意志が固かったんで。
父もね亡くなる4〜5年前ぐらいにはもう「あんたよろしな」って。
「わてと違うて踊りも歌も…なんぼでもええもんできてよろしな」。
「わて踊りしかできへんけど」って。
「舞しかできへんけど」って言って亡くなったんですよね。
「あんさんはわてにはできへん歌と芝居があるやないか」。
「あるやないか。
よろしな」って。
「跡継がんでもいい。
しゃあないな」とかって仰っていたんですって?そういうふうに。
後半ですけどね。
最初の頃はもう絶対継がせるつもりでいたんでしょうけどどんどん新派に出たりとか黒澤先生の映画に出たりとか…。
『乱』とかね随分。
自分が池畑慎之介とピーターとしての…確立していったことによって認めざるを父も得なかったんでしょうね。
この芸能界の中でね。
なるほどね。
継ぐっていうことは…舞だけをやるのは別にやぶさかではないですけど。
家元を継ぐっていうことは何かを削らないと仕事的には無理じゃないですか。
それはちょっと無理だったんでまあお断りしたっていうか次の方に譲ったっていうか。
すごかったわねその時じゃあ。
皆さん大変だったでしょ?大笑いでしたよ。
大笑いって言ったらいけないけど大変だった。
それは大変だった…。
そうこうしているうちに13年前にあなたお母様をお亡くしになってね。
はい…。
こちらにいらしてくだすった時にお母様のお話してくださってるんでちょっとご覧ください。
「お母様亡くなった時おいくつだったんですって?」「母は76でした。
父が亡くなってから熱海のお家に帰ってきてましたから」「あなたのお家に?」「はい」「変な話お風呂とかはいつも一緒にもう入って最期…っていうかちょっと足も弱くなってましたし…」「露天風呂もあったし」「シャンプーも…髪の毛も洗ってもう全て…」「子供に帰ったみたいにじーっとして洗ってもらってましたね」「ああそう」「だから逆に言えばこの歳になってから母と肌を触れ合うことができて…」「っていうか逆につらいっていうのはこの歳になって母の肌の感触とか背中のちっちゃさとかそういうことをこう…感じた2〜3年でしたから。
うーん…」「亡くなったこと自体がなんか本当ちょっと空虚でしたね」「まだ今半年ですけどもっともっとだんだん時間が経つにつれてもっともっと悲しくなってくるのかな?」「今忙しくしてるんで…」「そうね」うーん…。
あれから随分経つけどどうですか?そうですねやっぱり…。
仏壇をねいつも毎朝父と母に「おはよう」って言って仏壇開けてお水あげてお線香をあげてるんですけどそういう時にふとここの葉山の家知らないんだなとか今やってる仕事を見てくれてないんだなとかそういうことを思うとああ生きててほしかったもっと長生きしてほしかったなと思いますけど。
まあ人の人生っていうのは…。
本当にママとは仲いいっていうか一卵性親子じゃないですけど…。
これあなたなの?私…すっぴんですよ。
すっぴんこれ。
男の子としか思えない。
慎之介ですこれはね。
慎之介ね。
これ熱海の海岸ですね。
どっかね海へ一緒にドライブしたりとかね。
お母様奇麗ね。
これおそろいのセーター着て。
ふーん。
本当仲よかったんですよ。
お母様も踊りとかやっていらしたの?母と父は兄弟弟子だったので。
そうだったんですってね。
父が内弟子で母は料理屋の娘として習いに行ってて。
そこでの恋物語…。
そうですってね。
一回それで離婚なすったのに…。
またやっぱりね…。
これ真ん中あなた?はい。
『藤娘』かなんかやった時ですねこれ。
だからお父様にしてみると…。
仲を裂かれたんですよきっと誰かに。
誰かに。
そうかもしれない。
そういうあれじゃないですか?ドロドロしたそういう世界…。
そうよね。
でもまた仲よくなって…。
そうなんですよ。
私がピーターのPはパイプのPって…人をつなぐっていうって言われるんだけど母と父をまたつないだんですね。
それでまあ後世は2人で京都の家にいたので。
それはよかったですよね。
父も母がみとりましたので京都の家で。
そうなの…。
父をね…「ほな寝るで」って言ってじゃあ…私が行ってお母さんこうやってパッと顔を見てたらそのまま亡くなったの。
うわーすごいね。
心臓だったんですけど。
まあ悲しいけどお幸せって言えばねお幸せっていうかあんまり…。
好きな人生を父も生きてたし母もうん…。
だからみんなやっぱり自分の人生っていうのを終わりがくるために今生きてるんですけど生き方っていうのは自分でこう決めていけるじゃないですか。
まして60まで生かしていただいたらそのあとは本当に自分のためにこれからもっと色んな楽しいことをしようと思って前向き前向きに生きていきたいために今回断捨離をしたんですけど。
先がなんか…終わりのための断捨離ではなく始まりたいための断捨離っていうことで…。
そうでしょ?徹子さんも今荷物をさ整理するのも。
でもしてないんだけど。
どんどんどんどんメモリー入れていったほうがいいですよ。
私も写真全部段ボール2つぐらい…。
その中のお写真でいいのがあったわよ。
あのね…。
本当?『流れる』をね…。
あっそうなんですよ。
あんな…珍しいですよね。
山田五十鈴さんと。
すごいメンバー。
それから杉村春子さんと。
そう。
乙羽信子さんと。
山田五十鈴さんとお父様と杉村春子先生と乙羽信子さんと。
あの後ろにいるのあなた?飯倉の「キャンティ」へね全員で行って杉村先生が一番お食べになってた。
あっそう。
私が車で全員を送り届けてっていう…。
こんな会は絶対ないし。
本当にね。
『流れる』見に行った時ですねたぶんね。
そうね。
みんな一緒に出ていらしたからね。
一昨年は山田先生の『香華』っていうのをねやらせていただいたからすごく私はよかったな皆さんにお会いできて…っていうか元気な時にね。
そのにおいをね知ってるっていうだけでもねいいですよね。
でも色んなことが…思ってないことがありますからね。
お母様の教育っていうのは相当だったんですって?母はね放任主義っていうかすごく信じてくれてたんで。
まあ私も生意気な子だったから母が買ってきたセーターを「ちょっとこれ…この色じゃないほうがええねんけどな」って言ったらお母さんパンッてレシート…。
「自分で換えてきたら?嫌やったら」って。
デパートかなんか行って?そう。
小学3年生ぐらいです。
えー!うん。
自分でレシート持っていって「これ色違いの…すいません紺色と換えてください」ってね…。
うんそういうお母様。
でも近代的じゃない?親はこれだけ愛情を注いでるのにそれ嫌って言うんやったら自分でやってらっしゃいっていう…。
そうですってね。
家出した時も担任の先生があまりに母がドライっていうかね…。
「大丈夫です。
慎之介は帰ってきますよ」「連絡きます」って言って泣き叫んだりしなかったんです。
だから「本当のお母さんですか?」って言われたぐらいに…。
本当に?すごい逆に信じられてるんで悪いことはできなかった。
そうですってね。
「あの子は連絡してこないような子に育ててませんから」って…。
自信があったんでしょうね。
すごいね。
色んなことも…「自分でこっちの道行きたいんねやったらそこでケガしてもあんた自分の責任やで」って。
でもあなた「ご飯これ嫌い」とか言ったら「そう。
じゃあ自分で作って食べなさい」って言われちゃう…。
そうそうそうそう。
だから…親がなんか色んなことをやってあげる時にそれを嫌だって言うんなら自分でやりなさいと。
それでケガして「ほらごらん」というふうになっても知りませんよと。
ねえ親がこっちの道…。
でも私もわがままだから自分で「こっち行きたい」って言ったら「行きなさい」。
「ほらこけたでしょ」って言うような親だったんで。
「やめておきなさい」と言わなかった…。
だからその代わり自分がケガしますよね。
でもそういうとても自立したそういうはっきりしたお母様と最期は一緒にいられたのはねよかったですよね。
ただあの元気な母がどんどん…背中を洗ってるとちっちゃくなっていくじゃないですか。
がんだったんですけどね。
どんどんどんどんちっちゃくなっていって…。
最期は病院でね手を握って…。
っていうかもうだんだんちっちゃくなっていく母が…。
どっちかっていうと大きい人だったんでね。
大きいっていうか割としっかりしてる…。
だから背中っていうのは…やっぱり人間ってわかりますね。
木も随分色々書いてるけどねお母さんの背中とかってね。
さあもう50周年芸歴。
あとそうですね4年で満50周年になりますけどね。
やっぱり元気でこうやってまず健康でいることとあとたぶんなんか…アコースティックなシャンソンのコンサートをやりたいなって思いますねそういうのをね。
語り部的な歌のショーをやったりとか。
あとはやっぱり世界まだ回りたい。
そう。
あなた仰ったようにね。
うん。
お酒は飲むんだっけ?飲めないんですよ。
だから…ご飯ばかり食べてるんです。
同じ。
お酒飲めない。
飲まないからご飯ばかり。
食べちゃいますよね。
私なんか特にお菓子食べちゃう。
お菓子食べちゃいますか?それ駄目ですよ。
私絶対食べない。
でもまあそういう…なんていうの?目標あって生きていくっていいですよね。
前前を向いてて健康でいられれば何でもできると思って。
そうね。
これからは前向きにもっともっと身軽になって生きていきたいなと思ってます。
仲のいいお友達っている?高畑淳子さんかな?やっぱり。
越路吹雪と岩谷時子さんをやったので…。
そう。
その関係で。
淳ちゃんとはもう…。
チューされちゃうのすぐ。
あっそうなの?その時ね「あっ慎之介だ」と思うらしいんです。
そうなの?それじゃあねどうもありがとうございました。
ありがとうございました。
ピーターさんでした。
どうぞご覧ください。
2015/06/22(月) 12:00〜12:30
ABCテレビ1
徹子の部屋 ピーター[解][字]

〜家まで処分!“老前整理”の一部始終〜ピーターさんが今日のゲストです。

詳細情報
◇ゲスト
還暦を過ぎ、大きな断捨離を実施したというピーターさんがゲスト。
◇番組内容
老後に備えて不用なものを片付ける「老前整理」を始めたピーターさん。2軒の家と、家財一式をすべて売却したと語る。
父親は地唄舞吉村流の四世家元で人間国宝・吉村雄輝さん。3歳の時から舞台を踏み跡継ぎとして厳しく仕込まれたが、幅広いジャンルに活躍の場をもったピーターさんにとって跡を継ぐことには抵抗があり、そこには父との葛藤と大きな決断があったという。ほか、76歳で亡くなった最愛の母との思い出を振り返る。
◇おしらせ
☆『徹子の部屋』番組HP
 http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

※この番組は放送時間が変更になる場合があります
◇解説放送
小松靖(テレビ朝日アナウンサー)

ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
映像
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
日本語
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