・なんでもかんでもとにかく勝ちたい、という人がいる。
「ぼくは負けず嫌いなので」という言いかたも、
だいたいは得意そうに聞こえるものだ。
それは、たぶんありあまる情熱を感じさせるからだろう。
ぼくも、多少は負けず嫌いだったと思うし、
友人やら知りあいのなかに、
自他共に認める負けず嫌いもたくさんいる。
現役の負けず嫌いをやってる人には、
「勝ちと負けに、すべてが分けられるものじゃない」
という、それだけのことが、なかなかわからない。
「よくよく考えれば、あらゆるものに勝ち負けはある」
という考えを持っている。
「ピカソとゴッホと、勝ち負けは決められないだろう?」
などと言われても、たとえば、
「ピカソもゴッホも値段がついてますよね。
どっちも同じ値段っていうことはないでしょう。
だったら、どっちかが勝ちで、どっちかが負けです」
などという理屈を言ってきそうだ。
たしかに、アイススケートとかでも、
どれも美しい、どの人も見事だとも言えるけれど、
その「どれも」のなかから金メダルが決まっている。
そこには、勝ち負けがあるということになる。
しかし、それは、競技としてのスケートなので、
そういう分けかたもできる、ということである。
勝ったスケーターだけが美しいということではない。
・なんでも勝ちと負けとに分けたがる人よりも、
もっと始末がわるいのは、
なんでも「敵と味方」に分けたがる人だと思う。
「敵」と決めたら、もうその相手が
なにを言ってようがなにをやってようが、
「敵」のすることだから認めてはいけないのだ。
逆に「味方」のやることは、まちがっていても、
ルールに違反していてもなんとかごまかしたい。
「あいつは敵だ。敵を倒せ」という理屈は、
抜け出すことのむつかしい泥沼をつくっていく。
「敵」が生きのびるようなことはやってはいけないし、
「敵」の出してくる正しさは、絶対に認めない‥‥
何万年の人類の歴史があってもこのくり返しは続いてる。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
とにかく、なんでも二つの対立にする考えはよくないよな。
「ぼくは負けず嫌いなので」という言いかたも、
だいたいは得意そうに聞こえるものだ。
それは、たぶんありあまる情熱を感じさせるからだろう。
ぼくも、多少は負けず嫌いだったと思うし、
友人やら知りあいのなかに、
自他共に認める負けず嫌いもたくさんいる。
現役の負けず嫌いをやってる人には、
「勝ちと負けに、すべてが分けられるものじゃない」
という、それだけのことが、なかなかわからない。
「よくよく考えれば、あらゆるものに勝ち負けはある」
という考えを持っている。
「ピカソとゴッホと、勝ち負けは決められないだろう?」
などと言われても、たとえば、
「ピカソもゴッホも値段がついてますよね。
どっちも同じ値段っていうことはないでしょう。
だったら、どっちかが勝ちで、どっちかが負けです」
などという理屈を言ってきそうだ。
たしかに、アイススケートとかでも、
どれも美しい、どの人も見事だとも言えるけれど、
その「どれも」のなかから金メダルが決まっている。
そこには、勝ち負けがあるということになる。
しかし、それは、競技としてのスケートなので、
そういう分けかたもできる、ということである。
勝ったスケーターだけが美しいということではない。
・なんでも勝ちと負けとに分けたがる人よりも、
もっと始末がわるいのは、
なんでも「敵と味方」に分けたがる人だと思う。
「敵」と決めたら、もうその相手が
なにを言ってようがなにをやってようが、
「敵」のすることだから認めてはいけないのだ。
逆に「味方」のやることは、まちがっていても、
ルールに違反していてもなんとかごまかしたい。
「あいつは敵だ。敵を倒せ」という理屈は、
抜け出すことのむつかしい泥沼をつくっていく。
「敵」が生きのびるようなことはやってはいけないし、
「敵」の出してくる正しさは、絶対に認めない‥‥
何万年の人類の歴史があってもこのくり返しは続いてる。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
とにかく、なんでも二つの対立にする考えはよくないよな。
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