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安全保障関連法案⑦

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2015年 6月26日(金)13時00分10秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

恐ろしい思想の持ち主と一緒に連立を組む公明党。
陳謝しても許されない暴言ではありませんか?
牧口先生、戸田先生のお二人はこのような思想の権力者に迫害されています。

時事通信より
安倍晋三首相を支持する若手・中堅議員が25日に開いた「文化芸術懇話会」(代表・木原稔党青年局長)。出席した議員から「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなることが一番。経団連に働き掛けてほしい」との声が上がったほか、講師として招かれた作家の百田尚樹氏が「(政権に批判的な)沖縄の二つの新聞はつぶさなあかん」などと発言した。

どなたかが書き込みをされていましたが、公明党議員の中には憲法9条を大切に出来ない思想の議員もいるようです。
権力側にいると何でもできると錯覚する恐ろしい事例です。

このまま何も声をあげて反対しなければ、恐ろしい国になってしまいます。

私も身近な創価学会員にこのようなことを話しています。
また学会内だけではなく「安全保障関連法案」に反対するツールはたくさんあります。
私は、公明党を支援してしまった責任を感じます。
なんとしても、権力側に回ってしまった公明党を止めなくてはなりません。

職員の皆様の中にも「安全保障関連法案」に反対する声を聞きます。
心ある方は自分のできる最善を尽くして下さい。


「安全保障関連法案に反対する学者の会」

http://anti-security-related-bill.jp/list/list150611.html
 

教学部レポートの正体⑦

 投稿者:  投稿日:2015年 6月26日(金)12時54分9秒
  教学部レポートの正体⑦

「教学部レポート(=宮地文書)」いわく。
>>>>>
【7】 また聖人御難事の「余は二十七年なり」という大聖人の「出世の本懐」の表明についても、谷川総長は
「『出世の本懐』の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、変えてもいいんだし、変えられるんだ。南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいいんじゃないか」
 と述べていました。もちろん御書の解釈はできるにしても、御本尊の「出世の本懐」について生半可な教義理解で軽々しく決められることではありません。

 さらに「末法下種の三宝」についても、現在は、公式には仏宝が日蓮大聖人、法宝が三大秘法の大御本尊、僧宝が日興上人になっているのを変更するのかという議論になった際、
谷川総長は
「それも変えればいいんだ。何の問題ない」
 と述べていました。

しかし、
「それでは、歴代法主が僧宝であるという宗門に対して、僧宝は日興上人であると反論した学会の論拠が崩れてしまう」
と申し上げると、
谷川総長は
「それでもいいんだ。宗門とは別の教団なんだから」
 という返事でした。
「過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。完全に独立した教団として出発するんだから。結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ」と、谷川総長は何度も繰り返していました。何でも自分たちで決められるという全能感がにじみ出ていて、何を言っても取り付く島がありません。支離滅裂な不毛な会議となりました。<<<<<



海の意見。
前半が「出世の本懐」についての変更論議であり、後半が「三宝論」の変更論議になっています。

(1) 出世の本懐についての谷川発言の検討

すでに2015(平成27)年1月29日付聖教新聞で、「会則の教義条項改正に関する解説(上)」が発表されています。この「解説」の筆者は、私が知っている程度のことは当然知っている上で、かなり筆を押さえて文章を書いている、と読みながら思いました。

私も「2015年 4月21日(火)11時03分8秒」に宿坊板に「遠藤文書の?」(宿坊板では削除済)という投稿をして、日蓮大聖人の出世の本懐が戒壇本尊のことに限定されるべきではないことを、多数の御書の引用で示しました。

それはもちろん、戒壇本尊が偽物であるなどという短絡的な主張をするためではありません。三大秘法の建立こそが出世の本懐である、という本部の発表と同じく(御書根本、日蓮大聖人根本という態度が同じなので、同じような結論になるのは当然)、その「出世の本懐」に連なる一つの御本尊として、戒壇の本尊も当然「真」のご本尊なのです。

だから、戒壇の本尊が創価学会員が拝するべき御本尊である「時代」において、創価学会員が拝すれば功徳が沸くのは当然です。それは他宗格護の大聖人御真筆御本尊も同じです。

さて、
 「『出世の本懐』の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、変えてもいいんだし、変えられるんだ。南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいいんじゃないか」
との谷川発言には、内容的な間違いは見当たりません。話し言葉のメモなので、不謹慎に聞こえる、という程度のものです。
 文脈上、谷川発言に対する悪意が初めからあるので、読み手が文体に引きずられて悪い発言に見えてしまう、というだけのことです。中身そのものに問題はありません。たとえば、こういうことです。

「なんと谷川は、「1+1=2でいいじゃないか」と述べるのですが、確かにそういうことができるとはいっても、足し算の定義について、生半可な理解で決められるものではありません。これまで1+1=3だとしてきた経緯があるのです。過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。谷川には何でも自分たちで決められるという全能感がにじみ出ていました」
のような馬鹿げた理屈を吹っかけているのが教学部レポートのように、私には見えます。

1+1が2なのか、3なのか。
まず最初に、その追求をしないまま、いきさつにこだわって攻撃を仕掛ける。だから、こういう愚かな文を綴ってしまうのだと思います。真実に関心がなく、真実に立脚しようとしない文章は、まったく無価値なものになってしまう、その典型的文章が教学部レポートだと言うことができます。

さて、この谷川発言の中の、
「南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいいんじゃないか」
との考えは、単なる思い付きではないように感じます。谷川氏の発言には、しっかりと御書で裏付けられる考えが透けて見えます。

 たとえば、
「あまりに・ありがたく候へば宝塔をかきあらはし・まいらせ候ぞ、子にあらずんば・ゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。」(阿仏房御書1304)
 この御書においては、戒壇本尊ではない御本尊であるにもかかわらず、「出世の本懐」であると日蓮大聖人は呼ばれています。私たちがこれまで、あまり教わってきていない「出世の本懐」の真実の一つです。
また、
「法華経の題目を以て本尊とすべし」(本尊問答抄365)
と御書にあります。

 すると「「南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいいんじゃないか」と言う発言は(教学部レポート筆者によって、谷川氏の思いつきであるかのように記述されてはいますが)、その内容を御書に照らしてみれば、きちんと整合性が取れている発言を谷川氏はしているにすぎないわけです。

だからレポート筆者も、
「もちろん御書の解釈はできるにしても、」
と、その発言の裏づけが御書にあることを認めています。

 ところがレポート筆者は「御書軽視」が身に付いているのです。御書で裏づけができることも認めているのに、それには従わない。
彼は、
「本尊の「出世の本懐」について生半可な教義理解で軽々しく決められることではありません。」
 と述べて谷川発言を退けるのです。
 御書で裏付けられる「出世の本懐」を、彼は「生半可な教義理解」と呼ぶのです。

 御書で裏付けられるのなら、それ以上の「教義理解」はないはずなのに、それでは不足であるとする教学部レポート筆者。
 彼は御書より他に何の「教義」を求めているのでしょう。

そして「軽々しく決められることではありません。」とまで言うのでありますが、私に言わせて頂ければ、レポート筆者は何も「決め」なくてもいいし、そんな権限は彼にありません。

「出世の本懐」の意義を決められているのは、日蓮大聖人その人です。レポート筆者君が決めることではないのです。我らは正しく学ぶことに専念すればいいだけです。
「御書だけではだめで、自分たち教学部の判断が不可欠」だと、かなり深刻に思い込んでいる彼には、真につける薬がないかもしれません。


(2)三宝論について

日蓮正宗の三宝論は、
  仏宝=日蓮大聖人、法宝=三大秘法の大御本尊、僧宝=歴代法主

創価学会の三宝論は
  仏宝=日蓮大聖人、法宝=三大秘法の大御本尊、僧宝=日興上人
となっています。

 では日蓮大聖人の三宝論はどうなっているのでしょうか。

「第十三常不値仏不聞法不見僧の事
御義口伝に云く此の文は不軽菩薩を軽賤するが故に三宝を拝見せざる事二百億劫地獄に堕ちて大苦悩を受くと云えり、今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を軽賤せん事は彼に過ぎたり、彼は千劫此れは至無数劫なり末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり、深覚円理名之為仏の故なり円理とは法華経なり云云。」(御義口伝766)

 この御義口伝によれば、不軽菩薩を軽賤した者たちは地獄におちて三宝に逢えなかった。今末法において、日蓮の類の南無妙法蓮華経を唱える者を軽賤することは、これよりも重い罪を得る。末法の仏は凡夫であり、法とは題目であり、僧とは我等行者である、といわれています。

ならば、「創価学会の三宝」をこの御書に則って立てるならば、

仏宝=日蓮大聖人
法宝=三大秘法の南無妙法蓮華経
僧宝=三代会長と創価学会員

とすればよいのではないでしょうか。あくまで個人的な感想の域で、一案としてそう思うという範囲の話ですが、次の教義の見直しの時には、ぜひとも検討してほしいテーマです。

また、仏宝はそのままでもよいし、もしかすると「総じては一切衆生すべて」に拡大する可能性もあるかもしれないです。人間尊厳思想を前面に出すなら、すべての衆生を仏と見るべきでありましょう。例えば不軽菩薩の如し。

法宝は御本尊のみに限定せず、三大秘法の南無妙法蓮華経とし、僧宝は「我等行者」に相当するものにすべきだと思います。

いずれにしても御書を深めていくと、新しい時代の「三宝論」は、日蓮大聖人の三宝論とこそ、類同のものになるべきです。今は日寛上人流に矮小化されたものの内、僧宝部分が少しだけ修正(大石寺歴代住職ではなく日興上人だと)されたものにすぎません。
御義口伝にちゃんと三宝についての記載があるのに、それが一顧だにされていないことにこそ問題があると思います。
現在の創価学会教学には、まだまだ捨て去るべき「大石寺未熟教学の残骸」があるように思います。

ゆえに、前後を失った切り文句ではありますが、谷川氏の
「それも変えればいいんだ。何の問題ない」
という発言の「方向性」を私は支持します。

谷川氏が
「過去との整合性など、どうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。完全に独立した教団として出発するんだから。結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ」
と述べたかどうかは確認できませんが、ここでいう「結論」が日蓮大聖人の教義であるかぎり、私は支持します。過去との整合性(日寛教学や大石寺教学)よりも、日蓮大聖人の教義との整合性をこそ、求めるべきです。
しかし、今はその他どういう内容の変更をしようと論議があったのか示されていないので、論評することはできません。

 しかし、いずれにしても、教学部レポート筆者(宮地)と、学会執行部の相違がどこにあるのかといえば、日蓮大聖人を根本とするかしないか、という一点にあることは、もはや浮き彫りになっている、と言っていいのではないでしょうか。

 日蓮大聖人根本の教学を確立しようとしているのが、学会執行部であり、それを阻止しようとしているのが遠藤と宮地である。

 好き嫌いに関わらず、誰に加勢すべきか。私はこの一点で決めております。



(教学部レポートの正体⑦ つづく)
 

法華経の智慧57

 投稿者:まなこ  投稿日:2015年 6月26日(金)12時08分21秒
  ■ 法華経の譬喩の特色

須田: それにしても、これほど人の心を引きつける法華経の譬喩の力は、いったいどこから来るのでしょうか。特に、「すべての衆生を仏に」と主張する開三顕一については、二十八品のうち八品も費やして展開されています。その中に、法華経の七大譬喩のうちの五つがある。少し、くどい(笑い)と思う人がいるほどの粘り強さで説かれています。そこに、釈尊の並々ならぬ思いの探さを感じるのですが。

名誉会長: そこなのです、法華経の「譬喩の豊かさ」の根源は。譬喩とは何か。天台はこう解釈している。
 「仏の大悲はやむことなく、巧みなる智慧は無辺に働く。ゆえに仏は譬喩を説き、樹木を動かして風を教え、扇をかかげて月をわからせる。このようにして、真理を悟らせるのである」(法華文句、大意)と。
 大聖人は、この釈を引かれ、「大悲とは母の子を思う慈悲の如し」(御書p721)と仰せです。巧みなる譬喩を生む源泉は慈悲」なのです。
 しかも続いて、「彼の為に悪を除く」のが「彼の親」であるとの言葉を挙げられている。たとえ、子に憎まれようとも、子の心に巣くう悪を取り除こうと戦う「厳愛」であると。

斉藤: その仏の心は、譬喩品の随所にちりばめられています。
 「是の諸の衆生は皆是れ我が子なり。等しく大乗を与うべし」(法華経p220)「今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり」(法華経p233)等々。

須田: この「今此三界」の文は、仏と衆生の関係を明かした重要な経文ですね。

名誉会長: 七大譬喩はすべて、衆生に対する仏の慈悲を明かしているのです。中でも代表的な三車火宅、長者窮子、良医病子の三つの譬えでは、仏は“子を救う父”として描かれています。また、種々の草木を平等にうるおす慈雨や大雲として三草二木の譬え)、旅人を導くリーダーとして(化城宝処の譬え)、友人を守る保護者として(衣裏珠の譬え)、臣下をたたえる王として(髻中明珠の譬え)も描かれている。
 法華経の譬喩は、衆生の機根に応じて説かれた随他意の言葉ではない。「仏の心」を明かし、人々を「仏の心」へと引き入れる「随自意の譬喩」なのです。
 大聖人は「法華経は随自意なり一切衆生を仏の心に随へたり」(新池殿御書p1437)と仰せです。衆生の心が「仏の心」と一体になるために説かれたのが、法華経の譬喩です。

斉藤: 法華経の譬喩は、衆生を仏の境涯に高めるカをもっているのですね。

名誉会長: そうです。さきほど、譬喩には“能動的に考えさせるカ”があると言いましたが、牧口先生も同じ発想の教育方法を考案されていた。
 郷土科とか実物教育といわれるものです。身近な郷土に実際にあるものを体験させ、その体験と比較しながら、直接には体験できない知識をも得させていく。いわば実際の体験を譬喩として、生徒自身が考えを広げていくのです。だから、生徒の「自由行動」が大切だと言われている。
 わかりやすい譬喩を使って教えるということは、自分で考えさせることに通じる。だからこそ、教えられた人の側に変革が起こる。
 それに関連することですが、法華経の七譬を「生命の病を治す薬」ととらえた人もいます。四、五世紀ごろにインドで活躍した天親(世親)です。
 例えば、第一の「三車火宅の譬え」は「顛倒して諸の功徳を求める増上慢心」という病を治す薬です。顛倒とは、三界の火宅の中で幸せを求めようとすることです。
 また第四の「化城宝処の譬え」が治すのは「実は無いものを有ると思いこむ増上慢心」の病です。二乗の小さな悟りが“有る”と思っている声聞に、それは化城(幻の城)に過ぎない、つまり“無い”と教えているからです。五番日の「衣裏珠の譬え」の薬は「実は有るのに無いと思いこむ増上慢心」を治そうとする。衆生が無いと思い込んでいた宝石(仏性)が衣の裏(生命の中)に有ると教えているからです。
 このように七譬は、生命の病を治す「良薬」とされている。
 とすると釈尊は、衆生の生命を癒し、蘇生させる「名医」と言えます。「名医」そして「厳父」。そこに一貫して輝いているのは、衆生を幸福にせずにおくものかという、燃えるが如き「慈悲」です。

斉藤: 仏が衆生に対して「名医」と「厳父」の両方の役割をもっていることを示しているのが、七譬の第七、寿量品の良医病子の譬喩ですね。

名誉会長: 寿量品の仏は、過去遠遠劫より未来永劫にわたって衆生救済の活動を続ける仏です。永遠の寿命を持ちながら、“衆生の救済のために出現し、救済のために入滅していく”仏です。出現も入滅も衆生救済のためです。つまり、“慈悲の生命”そのものを表している仏なのです。

遠藤: 七譬の最初の三車火宅の譬えでは、仏は「父」として示されました。「今此三界しの文には、父である仏が、子である衆生をどこまでも救う慈悲が示されています。
 この「父である仏」が、寿景品では、永遠の慈悲の活動である久遠の仏として示されたわけですね。

名誉会長: そう。百六箇抄には、「今此三界」の文について、「密表寿量品(=密かに寿量品を表す)」(御書p856)と言われています。

 

安全保障関連法案に反対する学者の会

 投稿者:鉄砲玉メール  投稿日:2015年 6月26日(金)11時17分44秒
  安保法案に反対する多くの学者さん達。漠然と二乗界の人達と思っていましたが、やるときはやりますね。
素晴らしい!
500歩譲って専守防衛を前提に、限定的な集団的自衛権を認めるとの憲法解釈を容認した公明党だと理解している部分もありました。しかし権力の魔性というか、自民党の大勢ははそれを悪利用します。

安倍さんがよく例えに出すホルムズ海峡の機雷掃海。(停戦前に)集団的自衛権の解釈でこれが出来るなら、北川さんが必死に?考えた”新三要件”は全く歯止めになっていないことと同義。
また、国際貢献の為に行おうとする後方支援に、弾薬の提供を含むなら、それは戦闘行為と同義。

議院内閣制と言っても、国民の代表たる議員諸氏が、支持者の声を代弁するのに、何の遠慮がいるものか。
また、自らの信念に基づいて、正々堂々誤りを正すのに憚りあってはならないと思います。(地方議員も)

与党の一員として、法案を強行でも成立させることが、あるべき方向と勘違いしてはなりません。
①専守防衛。個別的であれ、集団的であれ、武力攻撃された時には、猛然と反撃します。
②国際貢献に際しては、学校や病院を作る、橋を架けたり、道路の整備をする。人道的な支援しか、私共には出来ません。何故なら私共の国には平和国家としての象徴、憲法9条があるからです。

5,000歩譲ったとして、上記まで。それでもどうしようもない時は、覚悟を決めてください。
与党として様々な政策実現したいですけど、平和の党として、決して譲れない、最後の一線なんですわと。
 

日寛教学

 投稿者:ジンギスカン空軍中佐  投稿日:2015年 6月26日(金)11時11分57秒
  の普遍性と時代制約性の切り分けが公開されていない。それを確立しないで、大御本尊否定論を繰り出して来る。恣意的な議論ですね。

http://www.peacedepot.org

 

厳護朗 様

 投稿者:スーパー摧邪人  投稿日:2015年 6月26日(金)11時06分26秒
  コメントありがとうございます。

ロム男氏の投稿、拝見しました。

こちらの御指南は初見でしたので、学ばせていただこうと思います。

ありがとうございました。
 

教学入門

 投稿者:セブンスター  投稿日:2015年 6月26日(金)10時20分17秒
  本書では日寛上人の言葉を3箇所引用してあります。(P42・P83・P216)

し・か・し・な・が・ら、谷川事務総長・森中教学部長は聖教誌上で明確に日寛教学に関して発言しております。」

森中 「日寛上人の教学については、日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のある部分と(中略)唯一正当性を強調する時代的な制約のある部分があります。(平成27年2月23日)

谷川 「今後はこの両者を立て分けていく必要があります。(中略)世界宗教にふさわしい教義
   の確立のために見直しを行っていきます。」(平成27年2月23日)

で・あ・る・な・ら・ば、教学部は何よりも先に日寛教学のどの部分が普遍性がある部分か、どの

部分が制約のある部分なのかを明確に公表しなければならないのではないでしょうか。

また谷川事務総長のいう見直しをした部分はどこかも公表するべきです。

それを公表しないまま、勝手に引用するのは道理に反しています。

まさに本書にあるとおり「道理に外れた主張は用いてはならないのです。」(P73)

何を見直すのか明確にしないままに引用するのであれば、「都合のいいとこどり」と言われて反論できますか?

前にも投稿しましたが、一大秘法・六大秘法は今後用いないと言いながら「本門の本尊」を「人」と「法」

に分けているのは何故ですか?

「本門の本尊」は分けているのに、「本門の戒壇」と「本門の題目」は分けていないのは何故ですか?

私には当に都合のいいところだけを勝手に引用しているとしか思えません。

ついでに指摘すると、語句索引もお粗末です。日寛上人が抜けてますよ。




 

安保法制反対 三色旗で国会を包囲しよう

 投稿者:仏法民主主義者  投稿日:2015年 6月26日(金)10時14分49秒
  学会の精神は不戦、反戦、平和な社会の構築で憲法を骨抜きにし日本を戦争に巻き込む安保法制=戦争法案は仏法民主主義の上から断固として粉砕しなければならない。  心ある同志は三色旗を持って国会を包囲しよう。  

札幌からも若者が動く

 投稿者:戦争法案止める  投稿日:2015年 6月26日(金)10時13分33秒
  【戦争したくなくてふるえる。】

「デモやってみたい」からついに本番です!
戦争したくなくて、恐怖や怒りや悲しみでふるえている方は、6月26日17時半に札幌の大通公園西11丁目に集合してください!いっしょに歩きましょう!

ルックスが完全にセクトっぽくないので、安心して参加できると思います笑。

【告知動画】
http://youtu.be/XOInl8tjRIA

http://sensou-yabakune.jimdo.com/

「北海道新聞より」
19歳フリーター、デモ初企画 戦争怖くてふるえる

「戦争は怖い。イヤだ。許せない。むかつく…。」

 19歳、フリーター。音楽とおしゃれが好きで、政治には関心がなかった。そんな女の子が発起人となって26日、安全保障関連法案に反対するデモが札幌で行われる。呼びかけたのは札幌市中央区の高塚愛鳥(まお)さん。「戦争は怖い。イヤだ。許せない。むかつく…。若い世代が自分たちの言葉で反対の声を上げたい」と力を込める。

 デモの名は「戦争したくなくてふるえる」。若者に人気の歌手西野カナさんの曲の「会いたくて震える」という歌詞にかけた。<戦争が始まったら自由が奪われる。バカな政治家たちに自由で楽しいあたし達の暮らしを奪われてたまるか!>。インターネット上のデモの告知には、自身の写真とともにそんなメッセージを載せた。

 「人一倍怖がりで、戦争は特に怖い」と話す。幼稚園の時、戦争を扱ったアニメ映画「火垂(ほた)るの墓」を見て、夜眠れずにベッドの中で震えた。高校の修学旅行で訪れた広島では、原爆資料館の展示を直視できなかった。

 中学時代、熱心な教師の影響で貧しいアフリカの子供を助ける仕事がしたいと夢見た。でも、高校時代は茶髪にピアス、短いスカートで、遊んでばかりいた。

「車いすの人権活動家」介助

 昨年、半年で大学を中退し、札幌ススキノの飲食店などで働いた。今春、語学留学したフィリピンでは児童養護施設で子供たちと遊ぶボランティアをした。全盲の父は娘の顔を見たことがなく、子供のころはよく顔をさすってくれた。そのせいか、人と触れ合う仕事がしたいと、今は「車いすの人権活動家」として知られる安積遊歩(あさか・ゆうほ)さん(59)=札幌市西区=を介助するアルバイトをしている。

 戦争は怖い、イヤだと思いつつ、デモでは何も変わらないと思っていた。友達と街を歩いてデモと出くわしても「うるさい」と思った。それでも、もし戦争になったら駆り出されるのは自分たちの世代。無関心で遊んでばかりいていいのか―。少しずつ考え始めた。

 今月中旬、若者が「円山公園」でデモをすると知った。(札幌の)円山なら行こうかなと思ったら、京都の円山だった。その話を安積さんにすると、だったら自分でしたらいいと言われた。「誰かがやんなきゃ誰もしない、何も変わらない」。その日のうちに安保法案についてネットで調べ、若い友人たちにデモの企画をネットでぶち上げた。

 行動力には自信がある。デモは許可が必要と知り、翌日、警察署に申請した。遊び仲間や大学生らに共感の輪が広がり、ネットの交流サイト、フェイスブックではデモへの「いいね!」が5日間で千を超えた。
 

公明党の議員は

 投稿者:うらら  投稿日:2015年 6月26日(金)09時56分34秒
編集済
  解説者さま  ほんと、公明党の議員は、安倍さんに弱いですね。なんでだろ。
安倍さんに睨まれると怖いから言葉選びすぎで、話の内容が掴みづらいです。
都合悪いこと避けまくりで質問するのもさぞや難しいでしょうね。
支持者にはエラソーに話すクセに。
 

うららさん

 投稿者:解説者  投稿日:2015年 6月26日(金)09時39分8秒
  上田勇でしたね。今、質問してますよ。多分、安倍よいしょでうかね。この人も学園、東大だったかと思いますが。
頭は良いが、積極的な軍事力による安全保障賛成派ですね。
公明タカ派、ネオコン人脈の一人のはずです。
ニコニコでも見れますよ。
 

桜さん

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 6月26日(金)09時30分40秒
  下記ご意見そのとおりです。普通に考えれば当たり前に気づくんですが。なぜか、学会、幹部、公明党は無謬だと
信じてしまっているんですね。

日顕がおかしいと気付けたのに、同じ人間である
学会幹部だって、狂ってしまうことがある。

ここに頭がいかない。先生の指導もそうした角度で話されているのに、目の前にあることに気づかない。おとぎ話のように思っているのではしょうか。

★今回の会則変更は、教義論争以前の、本部の金儲けの乞食信心の悩乱の極みが問題であり、日蓮大聖人よりも池田先生、池田先生よりも公明党という具合に、優先順位の本末転倒があるのは、ただただ、幹部の腐敗、堕落、カネ塗れの教団幹部の無知蒙昧にあるのだと思います。★

★教学がなくとも、ここまで狂っていれば、頭が悪くなければ、誰にでも分かる次元だと思います。★

★先生が膨大な著述を残し、全世界に向けて発信した同時放送のスピーチを見聞した弟子であるなら、看過できないと個人的に思います。★
 

国会中継

 投稿者:うらら  投稿日:2015年 6月26日(金)09時02分42秒
編集済
  只今、久しぶりに始まりました。午前中に公明党の井上議員が質問に立つようです。

訂正します。失礼いたしました。上田勇議員でした。いさ、遠山議員も控えています。
上田議員のトーンは以前とくらべ随分危機感持っているようで(最近ではtweetでも法案に関しては避けているようでしたが)、安倍総理の睨みが尋常でないです(笑)

上田議員の質問、終了しました。
最後に機雷掃海が停戦合意後かそうでないか、の話。
公明党と自民党の間でも、バラバラな見解。公明党の議員の中でもバラバラな見解。
安倍さん側は、停戦まえって何回も発言してますが。だから集団的自衛権の行使を盛り込みたいんでしょ。とにかく集団的自衛権行使できるようにしたいから。

ホルムズ海峡の機雷掃海は非現実的な想定だと指摘されていますが、
そのあり得ない事態の前提すら、統一認識されていない法案なんですね。

上田議員、タジタジでしたが、ちょっとだけ頑張りました。よしよし。
 

わが友に贈る

 投稿者:どうしょうてん  投稿日:2015年 6月26日(金)08時26分13秒
編集済
  「不安」や「諦め」を!
「希望」と「勇気」に!
友の一念を変えるのは
大生命力の励ましだ。
個人指導に全力を!
 

法華経の智慧56

 投稿者:まなこ  投稿日:2015年 6月26日(金)08時00分40秒
  ■ 法華経の譬喩の影響力

斉藤: この三車火宅の譬えをはじめとする七譬のほかにも、法華経には、実に多くの譬喩があります。
 ざっと挙げてみるだけでも、授記品(第六章)の大王膳の譬え、化城喩品(第七章)の三千塵点劫の譬え、法師品(第十章)の高原で水を掘り出す譬え、寿量品(第十六章)の五百塵点劫の譬え、薬王品(第二十三章)の十喩、妙荘厳王品(第二十七草)の一眼の亀の譬え等々、枚挙に暇がありません。
 法華経がなぜ、これほど譬喩に富んでいるのか。それは、インド人の思惟方法にも関係がありそうですが、それ以上に、法華経が「民衆に呼びかける経典」であるからだと思います。

須田: 事実、こうした法華経の卓越した譬喩は、時代や国を超え、多くの人々を魅了してきました。
 中国の民衆の問でも、法華経信仰が広がるなかで、法華経を礼讃した感応伝や法華経信奉者の伝を集めた民衆文学(弘賛法華伝や法華伝記)、法華経に基づく説話文学などが発達しました。この背景に、法華経の譬喩のもつわかりやすさや啓発力があったことは容易に想像できます。

遠藤: 断定はできませんが、キリスト教の新約聖書にも影響を与えているという説もあります。例えば、新約聖書にある「放蕩息子の譬え」(ルカによる福音書)には、法華経信解品(第四章)の「長者窮子の譬え」と似た構想がうかがえます。
 中村元博士は、そうしたことを断定はできないが、「西洋における愛の宗教が東洋の慈悲の理想の影響を受けて成立したということは、可能である」(「インドとギリシアとの思想の交流」)と述べています。

斉藤: 日本においても、多くの仏典の中で、法華経ほど文学の題材として取り上げられたものはありません。日本に仏教が渡来して、しばらくして、奈良時代になると、知識階級を中心に仏教を取り上げた歌が詠まれるようになりましたが、法華経はあまり題材として取り上げられていないようです。
 しかし、その一方では、民衆の問で法華経を取り上げた文学作品が生まれています。善悪さまざまな報いを受けた人々の体験を集めた『日本霊異記』という仏教説話集には、他の経典よりも法華経から圧倒的に多くの話題がとられています。

名誉会長: 日本に伝来した法華経が、奈良時代、エリートの中でよりも、むしろ民衆の中で受け入れられていった。いかにも現実の民衆を救う経典というにふさわしい話だね。

須田: 平安時代に入り、伝教大師が法華経を根本とした日本天台宗を創設したころから、法華経は、中央の知識階級も含め、文学世界でも経典の王座を占めるようになりました。貴族社会でも、法華経の講会が盛んに行われ、法華経は一般教養として欠かせないものとなりました。

名誉会長: 清少納言の『枕草子』では、法華経の説法を中座しようとした清少納言に藤原義懐が「やあ『退くもまたよし』」(お帰りですか。それもよろしい)と皮肉ったのに対して、清少納言が「あなた様も、五千人の中にお入りにならないこともないでしょう」と言い返したことが描かれている。
 これは、法華経方便品(第二章)で、五千の上慢が法華経の説法の場から退場したのを、釈尊が「このような増上慢の人は、退くのもよいだろう」と言ったことに基づいた話です。法華経がかなり浸透していたことがうかがえます。

須田: 世界最古の長編小説といわれる『源氏物語』においても、法華経がもっとも多く言及されています。登場人物たちが主催する重要な仏事にも、「法華八講」と呼ばれる法華経の講義が多く登場します。また、物語のなかでは、二十三歳の主人公の光源氏が天台三大部とその注釈書を合わせた六十巻を読んだと記され、法華経に精通しているように設定されています。

斉藤: 有名な“雨夜の品定”の構成が、法華経の「三周の説法」の形式をふまえたものとする学者もいるようですね。

遠藤: 平安時代中期以後には、天皇をはじめ多くの貴族等が法華経各品に題材をとった和歌を残しています。こうした一品経詩といわれる形式は、中国でも盛んであったことから影響を受けたともいわれています。
 学者のある調査によると、一番詠まれたのは、やはり方便品、寿量品ですが、その後に続くのは、提婆達多品、そして法華経の七譬が説かれている譬喩品、信解品、薬草喩品、五百弟子品だということです。
 例えば、「ゑひのうちにかけし衣のたまたまも昔のともにあひてこそしれ」(選子内親王『発心和歌集』)は、衣裏珠の譬えを素材としています。〈酔っているうちに衣の内側に繋けた珠も、たまたま昔の友に会ってはじめて知った、の意。「ゑひのうち」と「(衣)のうちに繋ける」、「衣の珠」と「たまたま」をかけている)
 また、「世の中にうしの車のなかりせばおもひの家をいかでいでまし」(よみ人しらず『拾遺和歌集』)は三車火宅の譬えです。〈世の中はもの憂い。救い出してくれる牛の車がなければ、思いの火に焼かれる家をどうして出ることができようか、の意。「牛」と「憂し」、「思ひの家」と「火の家」をかけている〉

名誉会長: 掛け言葉として自在に使えるほど、法華経の譬喩が人々の間に浸透していたといえるかもしれないね。
 

ファシズム

 投稿者:うらら  投稿日:2015年 6月26日(金)07時17分17秒
  見込みない人々さま おはようございます! 羽仁五郎、良いですね。高校生の時に読まれていらしたんですか?スゴイ。

6月23日
羽仁五郎bot ?@gorohani
これから起きるインフレは、戦争の直前段階ともいえる。インフレはファシズムを呼び起こす引き金なのだ。資本主義の経済体制は、必ず独占資本を生む。独占資本はインフレを生む。インフレは軍需産業にむすびつく。そして戦争、という決まりきったコースがある。もう最終コーナーをまわっているのだ。
 

②【教学入門 世界宗教の仏法を学ぶ】を読んで (後半)

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2015年 6月26日(金)07時10分16秒
編集済
  第3章 日顕宗を破す

(P.309)創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定しており、世界宗教として大きく飛翔する時代を迎えたのです。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

おはようございます。

「認定」いう言葉を使わなければよかったのに。
創価学会教学部は「認定」という言葉がお好きなようです。

「その責任において広宣流布のための御本尊を認定しており、」
この一文を削除しておけば良かったと思います。

「受持の対象として」が入っていないだけましですね。


【会則改定より】

創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。

 したがって、会則の教義条項にいう「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。世界広布新時代の時を迎えた今、将来のためにこのことを明確にしておきたいと思います。
 

同盟唱題

 投稿者:見込みない人々  投稿日:2015年 6月26日(金)01時27分23秒
  ありがとうございました-  

同盟題目終わります。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 6月25日(木)23時37分11秒
  法華講の方ですか?
法華講の方はご遠慮ください。
 

教義論争以前の問題

 投稿者:桜@青い太陽メール  投稿日:2015年 6月25日(木)23時27分57秒
編集済
  みなさん、こんばんは。


投稿、失礼します。


今回の会則変更は、教義論争以前の、本部の金儲けの乞食信心の悩乱の極みが問題であり、日蓮大聖人よりも池田先生、池田先生よりも公明党という具合に、優先順位の本末転倒があるのは、ただただ、幹部の腐敗、堕落、カネ塗れの教団幹部の無知蒙昧にあるのだと思います。


教学がなくとも、ここまで狂っていれば、頭が悪くなければ、誰にでも分かる次元だと思います。


先生が膨大な著述を残し、全世界に向けて発信した同時放送のスピーチを見聞した弟子であるなら、看過できないと個人的に思います。

https://www.youtube.com/watch?v=aorhPQE54u4

 

厳護朗様

 投稿者:栴檀の木  投稿日:2015年 6月25日(木)23時14分38秒
  > 『畑の猊下(堀日亨上人)の御指南』というところで、ロム男さんのを紹介したまでです。


了解です。
それなら、お断りになっていれば良かったですね。
けど、ロム男氏の書き込みを引用するより、三代会長が仰せの文証、就中、先生の御指導を引用すべきだと思います。
永遠の指導者ですからね。
何百万人を納得させるには、それしか方法がないですよ。
 

出世の本懐

 投稿者:セブンスター  投稿日:2015年 6月25日(木)23時00分25秒
  先程は少し熱くなって言葉が荒くなり、申し訳ありませんでした。
誤解を生むといけませんので改めて再投稿致します。

私が言いたいのは、出世の本懐が「民衆仏法の確立」でも「弘安2年の大御本尊」でもどちらにしても
どちらとも言える書き方をしては、学ぶ側に誤解が生じると言いたいのです。

「民衆仏法の確立」という考え方もあるかもしれません。
「弘安2年の大御本尊」も今まで出世の本懐としてきたことです。
ただ「大聖人直造」に関しては疑問点は多々ありますが、「信仰の対象」としてはその考え方も
ありかな、と思います。
ただ「出世の本懐」は教義の根本の部分ですので、いままでの歴史的整合性を踏まえ、誤解の無い
様に表現しなければならない。それは間違いないと思います。
あれも正解、これも正解といった表現では学ぶ側がかわいそうです。
信仰とは「信じる」事から始まります。あれも正解、これも正解といった表現では何を信じたら
いいのか解らなくなります。結果疑問を起こして活動から遠ざかれば学ぶ側が気の毒です。
なんの為に信心したのか解らなくなります。
教学部の方々においてはその重要性を肝に銘じてもらいたいと思います。

 

法華経の智慧55

 投稿者:まなこ  投稿日:2015年 6月25日(木)22時54分38秒
  遠藤: 言うまでもなく、「長者」は仏、「子どもたち」は一切衆生です。
 子どもたちが火宅で遊んでいるのは、衆生が苦悩の世界にいながら、そのことに気づかず、やがて苦しみの炎に焼かれてしまうことを表しています。
 羊車、鹿車、牛車で、子どもたちの気を引きつけたのは、仏が衆生を救うために、衆生機根に合わせて、三乗(声間・縁覚・菩薩のための教え)を説くことです。
 大百牛車を与えたのは、仏の真意は三乗ではなく一仏乗(仏になるための唯一の教え)であると明かすこと、すなわち「開三顕一」です。
────────────────────────────────────────
譬喩品から
「我は為(こ)れ衆生の父なり。応に其の苦難を抜き、無量無辺の仏智慧の楽を与え、其れをして遊戯せしむべし」(法華経p216)

 私は衆生の父である。彼等の苦難を抜き、無量無辺の仏の智慧の楽しみを与えて、人生を自在に遊戯できる境涯にしてあげよう。
────────────────────────────────────────
名誉会長: 一仏乗を表す「大白牛車」も、実に壮麗に描かれているね。これ自体、何とかして仏の境涯を伝えようとする譬喩となっている。

斉藤: はい。経文には「七宝の大車」(法華経p213)とあります。長者は、蔵にたくさんの宝をもっていて、そこから取り出した金・銀・瑠璃・瑪瑙などの七宝で作られた車が「大白牛車」です。その車に取り付けられた欄干の四方には、鈴が金の縄でくくりつなぎあわせられています。さらにそのうえには真珠の網が張りめぐらされています。

名誉会長: 見宝塔品(第十一章)の「宝塔」を思わせるね。

須田: 車を曳く白牛も見事です。清らかな皮膚をして、歩く時には、平らにまっすぐ歩き、走る時は疾風のように走ります。この宝の車に乗って、子どもたちは自由自在に楽しんだと説かれています。

名誉会長: まさに仏の境涯です。三車を与えるという方便で火宅から救ったのは“抜苦”です。大白牛車を与えたのは“与楽”です。仏の智慧という最高の安楽の境涯を与えたのです。(本文p13、とp15 の譬喩品の文を参照)。
 「大白牛車」とは、いかなる険難の峰も自在に走り回り、遮るものはないという仏の大境涯を譬えられている。大聖人も、「法性の空に自在にとびゆく車をこそ・大白牛車とは申すなれ」(大百牛車御消息p1584)と明快に仰せになっている。
  この御書の中で大聖人は、鳩摩羅什の漢訳では大白牛車の様子が略されているとしたうえで、ご自身がご覧になった梵語の法華経を参照し、壮大な大白牛車を描かれている。
────────────────────────────────────────
譬喩品から
 今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり 而も今此の処は 諸の患難(げんなん)多し 唯我れ一人のみ 能く救護を為す (法華経p233)

 今、この三界はすべて私の所有するところである。その中にいる衆生は、ことごとく私の子である。しかも今、この三界には諸々の苦悩が多く、私一人のみが、彼等を救い護ることができる。
────────────────────────────────────────
遠藤: はい。縦・横・高さがそれぞれ五百由句という壮大さで描かれています。これは、見宝塔品で説かれる宝塔よりも大きいわけです。高さは同じですが、縦・横は宝塔の二倍ありますから。

須田: 大聖人が基にされた梵語の法華経は、今日に伝わる梵文とは違うようですが、御書によりますと、銀をもって磨きあげられた階段が三十七段もあり、八万四千の宝の鈴が車の四面にかけられ、四万二千の欄干には四天王が番人を務め、車の中には六万九千三百八十余体の仏・菩薩が蓮華座に座っているとあります。

名誉会長: 想像を絶する壮麗さです。昔よく見た牛に引かせる車を想像してはいけない(笑い)。今はあまり見かけないだろうけれども。この大白牛車を描ききる妙法の画家が出てくれれば、私は本当にうれしい。

斉藤: 「六万九千三百八十余」とあるのは、法華経の文字数と同じです。
 開目抄には「此の経一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四字・一一に皆妙の一字を備えて三十二相・八十種好の仏陀なり」(御書p209)と仰せです。法華経の文字は、一文字一文字が仏であり、これだけの数の仏が、車の中に厳然といらっしゃるということになります。

名誉会長: 大白牛車とは法華経そのものです。その実体は、仏の妙なる生命です。南無妙法蓮華経の大生命そのものです。
 ゆえに大聖人は「抑(そもそも)法華経の大白牛車と申すは我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり」(大白牛車御消息p1584)と断言しておられる。

遠藤: この「大白牛車」の荘厳な様子は、火宅の姿と対極をなしている、とも言えますね。

名誉会長: その通りです。愚痴と無明に覆われた衆生は、自らの住む家が火宅となって燃え盛っていることに気づかないばかりか、自身の命に仏の生命が具わることにも、まったく気づいていない。その内なる「燦爛(さんらん)と輝く生命」を譬えによって教えているのです。

 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 6月25日(木)22時50分35秒
  23時からです。よろしくお願いします。  

Facebook

 投稿者:匿名希望  投稿日:2015年 6月25日(木)22時29分21秒
編集済
  削除しました  

出世の本懐とは?

 投稿者:セブンスター  投稿日:2015年 6月25日(木)22時26分27秒
  「教学入門」には出世の本懐について、次の様に書かれています。
「この熱原の法難において、三大秘法の南無妙法蓮華経を受持して、不惜身命の実践で広宣流布
する民衆が出現したことにより、世界の人々を救うための日蓮大聖人の民衆仏法が現実のものと
なりました。このことにより、生涯をかけた根本目的「出世の本懐」を達成されたのです。」
(P19~20)
とあります。

ここだけ読むと、大聖人の出世の本懐は熱原法難を機縁とした民衆仏法の確立なのかと思われますが、

このすぐ後に「大聖人は弘安2年10月12日、その意義を留めた御本尊を建立されました。
(いわゆる、弘安2年の御本尊)とあります。

教学部の方々に質問します。
①大聖人の出世の本懐は、弘安2年の御本尊ですか?熱原法難を機縁とした民衆運動ですか?

②試験問題として「出世の本懐とは何か?」という問題が出題されたなら民衆運動と書けばいい
 のですか?弘安2年の御本尊と書けばいいのですか?

③もしどちらか一方を書けば正解とするならば、教義の根底とも言える「出世の本懐」に関して
 そんないい加減な対応でいいんですか?

④いわゆる弘安2年の御本尊という表現で大の字が抜けているのはなぜですか?

⑤何故こんなどちらとも取れる表現をされたのですか?


おそらく貴方方には答えられないと思いますので、代わりに想像する答えを記載します。

執行部はどうしても日蓮正宗と縁を切りたい。関係のない団体として生まれ変わりたい。
だから今まで出世の本懐の本懐としてきた弘安2年の大御本尊とは違う出世の本懐を作らなければならない。
だから無理やり民衆仏法の確立なんて考えを打ち出した。しかしそれだけだと、今まで言ってきた事
と整合性が取れない。
だからまるで追加する様に弘安2年の御本尊を持ってきた。
それも「大」の字を抜くことにより、仏あるいは根本の意義を薄め単なる御本尊に格下げした。

当たらずとも遠からずといったところではないですか?

教学部の方々に言いたい。
貴方方はこんないい加減な教学を真面目に学ぶ会員のことが頭に浮かばないのですか?
この本全体に言えることですが、この本は嘘と真実を織り交ぜて会員を騙す最低の本です。
もし「そんなことはない」と断言できるのでしたら、師匠にこの本を見て頂いてメッセージを
頂いてください。
 

「安全保障関連法案に反対する学者の会」

 投稿者:傍観者  投稿日:2015年 6月25日(木)22時19分1秒
編集済
  賛同者リストや。毎度やな。
伸びが鈍いな。みんな署名してや。ドンドン友達、知り合いに広げてや。市民枠でええんや。所属、専門はなしでOKやて。

あと、虹となんちゃらさん、他みなさん。
アッシに反応してくれて嬉しいな。ネット対策さんもありがとな。ほな寝ます。

http://anti-security-related-bill.jp/list/list150611.html


アピール賛同者人数(学者・研究者)
6,880人
アピール賛同者人数(市民)
10,894人
(6月25日15時00分現在)
ーーーーーーーーーーーーーーーー

アピール賛同者人数(学者・研究者)
6,718人
アピール賛同者人数(市民)
10,540人
(6月24日15時00分現在)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
アピール賛同者人数(学者・研究者)
6,416人
アピール賛同者人数(市民)
9,510人
(6月23日9時00分現在)
ーーーーーーーーーーーーーーーー
アピール賛同者人数 (学者・研究者)
6.159人
アピール賛同者人数(市民)
8,766人
(6月22日9時00分現在)
 

東海道男子部長

 投稿者:通行人  投稿日:2015年 6月25日(木)22時12分15秒
  T山A彦って本職だけど、あの議員の弟かな?顔そっくりやんけ。同じ新潟出身だし。学園から東大。でも使えないね。  

栴檀の木さま

 投稿者:厳護朗  投稿日:2015年 6月25日(木)21時52分45秒
編集済
  スーパー摧邪人さんは、このように言われています。

『私は原田会長や創価学会教学部、そして習い損ないの学者や事務総長の解釈を用いたく ありません。日寛上人、畑の猊下(堀日亨上人)の御指南、そして創価三代会長の指導に基 づいて、日蓮大聖人の仏法を学び実践していきたいと考えます。』

『畑の猊下(堀日亨上人)の御指南』というところで、ロム男さんのを紹介したまでです。
 

信濃町様、自分の私的意見です。【大学と学園】

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2015年 6月25日(木)21時09分35秒
編集済
  池田先生は、日蓮仏法を「平和・教育・文化」の根底に置いて拡大されました。
今では、信心していない外部の識者が、池田先生を正しく評価認識し尊敬しています。
学会員よりも、池田先生を良くご存知です。

その上で、信濃町様のおっしゃるように「創価大学、創価学園」を池田先生が設立された事は大変重要だと思います。
実際に、池田先生が「教育は最後の仕事」と言われているぐらいです。

池田先生は54年当時から、身を犠牲にし学園生に未来の希望を託し続けてきました。
しかし卒業生は、池田先生の思いを知っているが、行動には移せないようです。

あえて厳しく断じます。

残念ながら、立ち上がらない学園卒業生は池田先生を見殺しにしています。
そして学園生の親・親族も同罪です。

なぜ先生に「恩」を感じない。
今の自分があるのは、池田先生の祈りと戦いのお陰なのです。
今のままでは忘恩の輩ではないでしょうか。

今一度、良く考えて頂きたい。
極善を破壊する者は極悪です。

ゆえに、池田先生にご迷惑をかけ、先生の歴史を壊す会則改定は極悪です。
先生の平和思想と逆方向に走る公明党議員も極悪です。

会則改定や公明党のふるまいを黙認することは、先生にご迷惑をかけ先生の正義の歴史を壊す事になります。
先生の死闘が、一瞬で破壊される時が近づいています。

会則改定と公明党を黙認すれば与同罪。
否定すれば、原田会長と公明議員を糾弾することになる。

保身で生きれば、波風は起きません。
しかしそれは生命というものを、今世だけ見ている愚かな人間の愚考です。

生命は永遠です。
生命が永遠である事に謙虚であって頂きたい。

「在在諸仏土常与師倶生」
だからこそ自分は、悔いなき極悪との戦いを選びます。
 

厳護朗様

 投稿者:栴檀の木  投稿日:2015年 6月25日(木)21時04分11秒
  ロム男氏の、以前の他板での投稿を貼り付けられていますが、あれは、法華講に対して、相手方の法主の文証を持って破折されているものでしょう。
やはり学会の見解は、三代会長の御指導ですね。
それが、変わったと言うのであれば、せめて、先生の御指導を文証として示すべきです。
ロム男氏も、迷惑されているのではないでしょうか?
 

解説者さま

 投稿者:うらら  投稿日:2015年 6月25日(木)20時41分55秒
編集済
  大学は別のようで、今年?昨年?だったか、講義にお見えだったと何処かで拝見しました。
8月ご予定、博士もご高齢ですので、無事故をお祈りしていきたいと思います。

lupin ⅲ さま  お忙しくされてるのですね!八王子公明党市議会、絶対許しません!
 

うららさん

 投稿者:解説者  投稿日:2015年 6月25日(木)20時30分2秒
  こんばんは。今、帰宅途中なんですが、ガルトゥング博士これれるのですね。創価大学にも平和研究所がありますが、
あそこもオスロの国際平和研究所と連携していなかったかしら?確かあそこの教授はガルトゥング博士のお弟子さんだったような?もう学会は切られたから、そんなのかんけーねぇ!
なんでしょうかね?
 

ヨハン・ガルトゥング博士

 投稿者:うらら  投稿日:2015年 6月25日(木)19時55分45秒
  「私が1958年に考えだした「積極的平和(ポジティブピース)」の盗用で、本来の意味とは真逆だ」

「積極的平和主義」は概念の盗用!提唱者ガルトゥング博士が緊急来日!  http://sekinekenji.info/archives/1128

 

自民党公明派

 投稿者:lupin iii  投稿日:2015年 6月25日(木)19時51分43秒
  うららさんよ、
久しぶりにあんたの投稿読んだぜ。

9条を素晴らしいと言った人間を笑う、
公明議員がいるって、
本当かーい?

もし、そうなら
絶対に許しちゃあいけねえ。

池田門下というなら、
絶対にだ!!


学会本部幹部の
悲願である
自民党公明派に、
早く
名前を変えりゃあいいのによー。

迷惑な話だぜ。

善良な池田門下まで、
勘違いされちまう。

本当に迷惑だ!!

おい、
公明党、
早く名前をかえろ!!
 

法華経の智慧54

 投稿者:まなこ  投稿日:2015年 6月25日(木)19時34分23秒
  ■ 三車火宅の譬え

遠藤: 譬喩品は、舎利弗の深い歓喜の言葉から始まります。方便品の開三顕一の説法を聞いて領解した歓喜です。
 舎利苑は、その喜びを全身で表現しています。
 「爾の時に舎利苑、踊躍歓喜して、即ち起ちて合掌し」(法華経p193)と。舎利弗は躍りあがって喜び、起って合掌したのです。大聖人は「色心の二法を妙法と開悟するを歓喜踊躍と説くなり」(御書p722)と仰せになっています。「歓喜踊躍」とは、我が「色法」も、我が「心法」も、ともに「妙法」と一体であると悟った喜びなのです。

斉藤: しかし、他の弟子たちは、まだわかっていません。そこで舎利弗は、他の弟子たちのために、「未だかつて聞いたことのない法」のいわれを説いてくださいと釈尊にお願いします。それに応えて説かれたのが「三車火宅の譬え」です。

遠藤: 法華経の七譬の最初です。この譬喩品の三車火宅の譬えに続いて、信解品(第四章)では「長者窮子の譬え」が説かれ、薬草喩品(第五章)で「三草二木の譬え」、化城喩品(第七章)で「化城宝処の譬え」、五百弟子受記品(第八章)で「衣裏珠の譬え」、安楽行品(第十四章)で「髻中明珠の譬え」、如来寿量品(第十六章)で「良医病子の譬え」が次々と説かれていきます。

名誉会長: 譬喩品のみならず、法華経全体からいっても、譬喩は重要な意味をもっている。
 方便品に「諸法寂滅の相は 言を以って宣ぶべからず」(法華経p188)とあるように、仏の悟った甚深の法は、もとより言葉によっては表現しがたいものです。かといって、仏の悟りの法が仏の胸中にのみとどまっていれば、衆生の成仏の道を閉ざすことになってしまう。
 仏が譬喩を駆使して語るのは、まさに衆生の心に仏道を開示せんがためです。

須田: それでは、三車火宅の譬喩を、あらまし紹介したいと思います。
  ---- ある町に年を取った一人の大長者がいました。長者の家は大邸宅でしたが、古くて、建物は傾き、ボロボロの状態でした。
 その古い大きな家に突然、火事が起こり、たちまち家屋敷全体が火に包まれてしまう。
 家の中には、長者のたくさんの子どもたちがいました。
 家が燃え、崩れ落ちようとしている。危険ががいよいよ我が身に迫っている。
 しかし、遊びに夢中になっている子どもたちは、そのことに誰も気づかないし、気づこうともしない。
 「三界は安きことなし猶火宅の如し」(法華経p233)とあるように、焼けている家(火宅)は、煩悩の炎に包まれた現実の世界(三界)を譬えています。その描写がすごい。

遠藤: 毒虫、蛇、鼠、狐狼、夜叉、悪鬼、魑魅魍魎(ちみもうりょう)、そして突然、あがる火の手。まるで現代のホラー映画を見ているように、これでもかこれでもかと、おどろおどろしい光景の連続です。そして、場面は一転して、無邪気に遊ぶ子どもたちの姿が現れる。

名誉会長: 優れた映画の見事なカメラワークを見ているようだね。
 「人生は火宅の如し」。一日一日を、何も考えず享楽的に生きる人生の危険を、強烈なイメージで焼き付けることに成功している。
 法華経は、人生の苦しみを非常にリアルにとらえている経典です。そこに法華経が文学的にも高く評価されてきた一つの理由があると思う。魯迅も火宅の炎を素材に「死火」という文章を書いている。

斉藤: 現実を幻ととらえる傾向の強い他の大乗経典と大きく異なるところです。諸法即実相、現実即真理ととらえる法華経らしい特徴だと思います。

名誉会長: それもあるだろう。しかし、その心は「慈悲」です。衆生を何とか救おうという「救済の心」であり、衆生の苦悩に対する「同苦の心」です。

遠藤: 三車火宅の譬えの後半は、その救済の物語です。
 長者は火宅に飛び込み、子どもたちに早く家から出るように告げます。しかし、遊びに夢中になっている子どもたちは、火事だということがわからない、焼け死ぬということがどういうことなのかもわからず、ただ家の中を走り回っています。
 そこで長者は、一計を案じて、子どもたちに「お前たちが欲しがっていた羊の車、鹿の車、牛の車が門の外にあるよ。早く家から出なさい。好きな車をあげるから」と呼びかけます。すると子どもたちは、喜び勇んで争うようにして燃えさかる家から走り出る。こうして子どもたちは救われました。

須田: 子どもたちが、早く約束の車をくださいと父に言ったら、長者は、羊の車、鹿の車、牛の車ではなく、「等一の大車」を与えた。それが「大白牛車」です。三車は、三乗の法を譬えています。つまり、羊車は「声聞のための教え」、鹿車は「緑覚のための教え」、牛車は「菩薩のための教え」です。そして、実際に子どもたちに等しく与えた大白牛車は一仏乗、すなわち「仏になる教え」を譬えています。
 

信濃町様に賛同します

 投稿者:共戦  投稿日:2015年 6月25日(木)18時55分35秒
  信濃町様に賛同します

昔、創価大の夏期大学講座に行きました

樺先生の平和学を受講しました。

樺先生の娘さんは樺美智子さんです。

安保闘争の際亡くなりました。

岸信介、安部さんが寂聴さんに、お祖父さんのお尻ばかり追いかけるなといわれた、安部さんの祖父です。

岸氏は安保闘争阻止のバリケードを学会青年部に頼みたいと先生に依頼して来ました。

大阪事件の裁判の真最中でした。

先生は大切な青年を犠牲にする訳にはいかないと断りました

安保闘争の時、警官隊は女性の多い場所を狙って攻撃。

若き才色兼備の東大生、樺美智子さんの命を奪いました。

お父様が何故、当時まだ、名前も知られていない、創価学会の大学に来て下さったのでしょうか?

創立者の平和思想に賛同されたのだと思います。

教授は言われました。

今、平和を叫んでもなんの迫害も受けない。

しかし、いつかまた、平和を叫ぶと職場を失い、家族までが犠牲になる時代がくる
その時に平和を叫べるか?

そういう学生を育てたいと思って創価大学に来ました

講座の修了後、感動した、たくさんの婦人部が樺先生を囲みました。

人類の平和を守るフォートレスたれ!

うらら様

早速、返信ありがとうございます

私の人生は前は権力との癒着
後ろは共産党が狙っていると言うことが多々ある人生なので、警戒心が強くなっているのだと思います

失礼致しました

 

原田会長

 投稿者:教学馬鹿一代  投稿日:2015年 6月25日(木)18時52分30秒
  私が言うのは失礼なんですが
頭がよいとは思えません。東大ですが教学力はありません。
恩義口伝講義を受けたメンバーだったというだけに過ぎません。歴代青年部幹部の中でそこそこに教学できるのは
浅見さんと浩くらいです。でも大したことはありません。
六巻抄を講義できる人は本当に少ないです。
あと10年たったら壊滅しそうです。
 

不祥事住職が"優遇人事"で復帰

 投稿者:宿坊  投稿日:2015年 6月25日(木)18時39分23秒
   群馬・太田市の正信会寺院、高林寺が宗門に返還され、住職として開道寺(
北海道・留萌市)の宮脇正能(41歳)が赴任することになったが、開道寺の後任
には、昨年、金銭不祥事が発覚したとして米国・シカゴの妙行寺住職を解任さ
れたばかりの西村正雅(44歳)が入る。西村家は本山・塔中坊の住職をしていた
父親の代から日顕に近いとされる家系で、今も、西村の身内が"日顕詣で"に精
を出しているという。ちなみに、西村の兄・道超も2000年に交通死亡事故を起
こして服役し、還俗したが、昨年、こっそりと坊主に復帰している。

 これまでも、2009年に酒気帯び運転で事故を起こして逮捕された山田雄勉、
2011年に同容疑で逮捕された佐久間法敬が、それぞれ住職をクビになりながら、
ほどなく復帰した(佐久間はその後、隠居)が、二人とも日顕や日如に近い坊主
である。一方、問題が発覚するや、冷酷に切り捨てられる坊主も多い。それら
は大体が、日顕や日如との"縁が薄い"坊主たちだ。

 まさに"地獄の沙汰も「コネ」次第"。明暗を分けるのは、日顕、日如とのコ
ネクション(関係、縁故)の有無なのである。

 7月の予定

5日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
12日(日) 御講(末寺)
25日(土) 法華講中等部・高等部合宿 (本山~26日)
31日(金) 全国鼓笛隊コンクール合宿 (本山~8月2日)
 

軒並み参加者減の地方部総会

 投稿者:宿坊  投稿日:2015年 6月25日(木)18時26分8秒
  年1回行われる法華講の各地方部の総会の模様が、機関紙「大白法」で紹介さ
れているが、昨年と同じ会場を使った32地方部のうち、半数以上の18地方部で
参加者が減っているのだ。例えば、「北海道第一」は昨年の「1260」から「11
60」に、「秋田」は「300」から「240」に、「福島」は「480」から「400」に、
「広島」は「830」から「760」に、「福岡西」は「720」から「630」に、「宮
崎」は「490」から「410」に、大きく減らしている。地方部総会は、各地の法
華講のリーダーが集う特別な会合のはず。にもかかわらず、この体たらくであ
る。

 毎年3月に行われる法華講春季登山も、参加目標を大きく割り込み続けてい
るが、ここにきて、「信者が増えている」という日顕宗の宣伝が、いかにイン
チキであるか、あらためて証明されたといえよう。
 

安全保障関連法案⑥

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2015年 6月25日(木)18時13分20秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

広範囲な分野の学者やたくさんの市民の皆様が、公明党の進める「憲法違反」が濃厚な安全保障関連法案に反対をしています。

世論調査でも公明党支持者の半数は反対です。
しかし学会員の皆様は反対と思っているだけではだめです。
何故なら公明党を支援した責任があります。
言葉が適切でないかもしれませんが、公明党を支援したことによって、世論の過半数が反対する「悪法」を成立させる片棒を担いでいるのです。

これは自民党の支持者には言いません。何故ならそこまで熱心に自民党を支援している方が身近にいますか?

公明党の熱烈支援者である私たち学会員はどこにでもいます。
このまま何も声をあげて反対しなければ、「憲法違反」の悪法成立の加担者になってしまいます。

「安全保障関連法案に反対する学者の会」

http://anti-security-related-bill.jp/list/list150611.html
 

スーパー摧邪人さま

 投稿者:厳護朗  投稿日:2015年 6月25日(木)18時04分13秒
  出世の本懐について、学会員・ロム男氏と法華講員・大月天氏とのやり取りを紹介します。

http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs/12657

参考になさって下さい。
 

京なめり

 投稿者:通行人  投稿日:2015年 6月25日(木)18時01分23秒
  >「9条は素晴らしい」と言った市川という議員に爆笑する自公議員  

命どぅ宝

 投稿者:同志の歌  投稿日:2015年 6月25日(木)17時20分33秒
編集済
   (青年不戦サミットへの名誉会長のメッセージより)
                         6月23日聖教新聞掲載


「戦争ほど残酷なものはない。戦争ほど残酷なものはない」

私はこの言葉を師弟の精神の印綬として皆さんに託したい。

戦後70年という節目を機に「戦争と核兵器のない世界」への時代変革の波をさらに強く巻き起こす決意を込

めて、今回の沖縄での集いから、この3県平和サミットを「青年不戦サミット」との名称で、新たにスタート

してはどうだろうか。

平和の建設も、人道の世紀の建設も、「不戦の誓い」こそが一切の基盤となります。

その誓いが社会の中軸にあってこそ、人類はエゴと憎悪を乗り越え、戦争と紛争の悲劇の歴史を、平和と共生

の時代へと転換していけるでありましょう。

「命どぅ宝」(命こそ宝)という沖縄の心、そして「生命尊厳」の仏法哲理を体した皆さん方が、この不戦の

誓いの先頭に立つ旗手であります。戦争の悲惨を、誰にも味わわせてはならない。

そして牧口先生、戸田先生の大精神を皆さんが‘希望の当体‘となって、21世紀の世界で大きく実らせゆく

ことを、私は信じてやみません。

世界の平和も、「一人」が勇気を奮い起こし、目の前の「一人」のために心を尽くすことから始まる。

その行動の連鎖が、やがて人々の心を「一つ」につなげていく。

中略

「語れ唇を持つ者ども言葉は太陽になれる 言葉は河になれる 言葉は扉を開き、橋を架けることができる」

わが後継の青年部の皆さんも、御聖訓に「言葉を云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」とある通

り、「正義の声」「信念の声」「勇気の声」を、自分のいる場所でいやましして力強く響かせながら、

貴き使命の大道を賢く朗らかに歩みぬいていただきたい。

(一部内容を変えましたので、ご了承ください。)

これが、牧口先生、戸田先生、なかんずく、池田先生の心です。

 「おい!!」

秋谷さん、原田さん、幹部の方々、信濃町職員さん方、公明党の皆さん、いい加減に、目を覚ませ!!

この心が、分からないのであれば、先生を口にするな!!先生を語るな!!学会を語るな!!



宿坊の掲示板の勇気ある方々、この先生の思いを実現できるのは、自分たちしか、いません!!

我々は、何物にも負けず、恐れずに、堂々と弟子の道、師弟の道を、行きましょう!!

 

(無題)

 投稿者:+ドライバー  投稿日:2015年 6月25日(木)17時09分40秒
編集済
  >>勝手につくっているので、驚きました

私の勉強不足でしょうか? 原田さんが引用された御文ありますか?

大聖人の御書まで勝手に変えて、全く違う意味にしています。
御書を平気で変えのですから教義を変えるくらいなんでもない のでしょうね。


先程、僕の奥さんが言ってましたが教学試験もマークシートやし、1時間の講義を2回受けたら教授補かな?
何か物事を簡単にして御書を深く学ばせない様にしてるみたいやね。
と言ってましたけど会長信仰にしたいんでしょうね。の打ち出しは絶対であるという組織にしてしまいたいのだろうけど冗談やない!

御書、3代会長の指導に照して間違いを言ってる幹部とは戦い抜いて参ります。
組織の犠牲になってる同志が沢山いますね。
先生は組織が会員の犠牲にはなっても組織の犠牲になってはいけないと言われてます。

顕正会の浅井でしたっけ、御書は頭でっかちになるからあまり学ばないで良いとか言ってたのは?
何か似たような事をやっますよね!
 

大学と学園

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2015年 6月25日(木)17時03分28秒
編集済
  これは私論です。

まず、創価大学、創価学園は池田先生の出世の本懐だと
思っています。

今、学会の中も、公明党も池田先生の命である創価教育を受けた人が中心にいて数も多数でしょう。

創価欠陥教育と厳しいことを言ってますが、この現状を見れば
池田先生は、大敗北し、失敗したと、後々に大批判を受けることは間違いありません。

池田先生が54年以降、耐えに耐えてきたのは、戸田先生とのお約束の学園、大学があればこそではなかったのか。

世間から誹謗をものともせず、学園を守られてきたのではないか。

創価学会、執行部、大幹部で、創価教育を受けた人はどうするのですか?このまま黙っているのですか?

こんな教義に変えたために、過去の池田先生の数多のご指導は
ほとんどが使えなくなります。切り文だけになります。

先生のご指導は文も映像も全てそのまま後世に残せ。
これが先生のご遺言ではないのですか?

創価教育を受けた人間は腑抜けばかりですか?

創価大学は象牙の塔なのですか?
安保法制に反対しないのですか?

4人組みの原田、秋谷、八尋、谷川に従うのですか?
なんども言っていますが、一番悪いのは八尋と秋谷の
2人です。そんなに怖いのですか?

原田会長に正気を取り戻してもらえば、八尋と秋谷に対抗できるのではないですか?

そんなに短絡的にはいかないのは知っていますが、本部の中が事なかれ主義で、八尋の好き放題にやらせてきたのは、秋谷、原田の責任であることは間違いないではないですか!
悪事を全部ばらせばよいのではないですか?

この掲示板にも学園や創価大のメンバーがいた場合は
失礼な発言だと思います。同級生に働きかけてくだされば
少し道が開けるかもしれません。よろしくお願いします。
 

大学

 投稿者:共戦  投稿日:2015年 6月25日(木)15時49分36秒
  何かの本で読みました

宗教が大学を持つことは危険と。

大学というのは、批判するもの。
宗教に矛盾が生じた時、見逃さない。

池田先生はそれを覚悟の上で大学を作ったから凄いと。

先生は羊千匹よりも獅子を作ろうとされて大学を作ったのかも知れないですね。

ジョーカーさんの神札問題の投稿は、大変勉強になりました。

牧口先生が神札を拒否しなければ、あんなに弾圧されなかったのでは?
と子供の頃、思いました。

しかし、映画人間革命を見て、大聖人の精神は神札を受け取った宗門にはない。
学会にあると思いました。

以来、本山には殆ど行きませんでした。

安保法案

PKO、イラクの延長、同類と軽く考えて行くのか?

神札問題と同じ重さに捉え、真剣に多方面の人の意見を聞いて考えるべきなのか?

皆さんはどう思いますか?

仮に安保法案が成立したとして、その後、国民に塗炭の苦しみが待っていることは間違いないです。

そうなった時、誰が批判されるのでしょうか?

ユダヤ人が何故あれほど弾圧されたか?
不景気で国民生活が大変だった。
それはユダヤ人が金持ちになっているからとデマゴーグ

はじめはユダヤ人の富裕層が狙われました。
そして、密告した人はそのユダヤ人の財産を貰えことになりました。
ドンドンユダヤ人が強制所に送られていきました

権力はなんでも出来ます
だから憲法が権力の暴走の歯止めをしています

憲法学者の多くが、違憲と言っている法案の成立に、平和の党、護憲の党が賛成していいのでしょうか?

神札問題と同じ重さで考えるべき時を迎えていると思うのは私だけでしょうか?

私の心配が単なる杞憂で終わればいいのですが。

皆さんのご意見はいかがでしょうか?

特に先生がリスクを覚悟で創立して下さった創価大学の皆様、創価大学の教授の皆様

ご意見をお聞かせください

そして、私の杞憂をたんなる考え過ぎと破折してください。

そうすれば、安心して、下っ端1番でしっかり活動に励めます。

全ての慢心、なんとかなるさと、軽い思考を捨て、如実知見して、私の心配を取り除くご意見を伺いたいです
 

;^_^A

 投稿者:うらら  投稿日:2015年 6月25日(木)15時26分34秒
編集済
  共戦さま
ご不安なお気持ちにさせてしまって申し訳ありません。故羽仁五郎さんという方の存在は、私も昨日知りました。
この方が共産党議員であって、その党から除名されたことも、見込みない人々さまのお話により、知りました。
池田先生が私たちにご指導してこられたことと相通じる凛とした思考に惹かれ、https://mobile.twitter.com/gorohaniより引用しました。
私は二十歳からずっと公明党を支持し、大きな声では言えませんが共産党のおっちゃんと
道の真ん中でケンカしたこともあります。
(牧口先生や戸田先生の悪口、拡声器で巻き散らかし、名誉を傷つけるので)

昨夜の八王子市議会の件もTwitterで拾いました。市川という若手議員も共産党の人のようですが、
相手が誰であれ、「9条は素晴らしい」と言った人に対し、バカにして爆笑する、そんな公明党議員は「9条は絶対に変えてはいけない」とおっしゃった池田先生をバカにしている、
許せない気持ちでいます。
私は先生がいらっしゃらなければ公明党など支援してこなかったと思います。公明党の議員は皆、自らの力で議員になったと勘違いしているのかと本当に腹立たしく思います。

議員が勉強不足で考え甘いのは、支持母体の、彼らと関わりある幹部の責任だと思います。
 

色心不二様

 投稿者:共戦  投稿日:2015年 6月25日(木)15時03分46秒
  貴重な御指導の投稿ありがとうございます

会長が無謬であると思っていること自体、先生の思想と乖離していることが良く分かりました

うらら様
ユダヤの話、ありがとうございます

うらら様は相当、聡明な方ですね。

1言えば10分かる見たいな。

しかも、ピッタリの本を引用される

驚きました。

この本は読んだことがなかったのですが、以前テレビでユダヤ人は始めに反対すれば、勝てた。

しかし、まさかこんな非人間的なことが行なわれると思っていなかった。

気がついた時は遅かった見たいな番組を見て驚きました。

実はその話を浮かべながら投稿していました。

そしたら、その話をうらら様が投稿して下さり、驚きました。

凄いですね。

そして、これは不思議なのですが、羽生五郎って共産党の人ですよね?

学会員で共産党の人の本を持っている人はちょっと珍らしいですね。

不思議な感じがしました。

勿論、信仰は創価学会、支援政党は共産党と言う人もいるのでしょうが。。

うらら様が投稿して下さった、八王子市会議員の顔、確認しました。

取り立てて、如是相が悪いとは思いませんでした。

何も考えていない、呑気な顔とは思いました。

まぁ、これは主観の相違ですので、それぞれあっていいことですよね。

失礼しました






 

理性的な批判

 投稿者:色身不二  投稿日:2015年 6月25日(木)14時10分9秒
  第2回滝山祭創立者講演「スコラ哲学と現代文明」を読む (森幸雄 氏) より抜粋

-- オウム事件では、ある意味でもっとも高い理性の教育を受けた人が、
いとも簡単に流されてしまった。
人を殺すのは悪いという、普通の感覚を持てなくなってしまっている。

これは、信仰という形で与えられたものには無条件に従ってしまい、
それを批判的に受けとってはならないという前提があるから
だといえます。

この結果、非常に堕落した宗教の出現を許すことになるし、
批判的に宗教をとらえることをしないのは理性の怠慢といわざるを得ません。


創価大学でも、理性的な批判が非難として受けとられ冷たい目で
見られてしまうと思う学生の方もいるかもしれません。

しかしながら、この講演の前年の1972年の第1回滝山祭で、
創立者は次のようにいわれています。


「そこで私が申しあげたいのは、創価大学に対しても、創立者に対しても、
 批判をしてはいけないということは一つもありません。
 いくらでも批判してけっこうです。

 また、私はご存じのように創価学会の会長であります。
 創価学会に対しても、信仰についてもいくらでも批判しても結構です。
 大学としても、学会としても、また私としても、
 反省すべきことは反省しなくてはならないし、
 改めるべき点はいさぎよく改めねばならない。

 諸君が創価大学に学んでいるのだから大学のことをはじめ、
 すべてに対して厳しい発言ができないなどという考えは、誤りである。

 皆さんが真剣に物事を思索し、言いたいことがあれば、何を言ってもよいし、
 いかなることを論じてもよい」

 (p.42 創価大学学生自治会編『創立者の語らい1』1995年 ) --


創立者の明確な許可文証はここにある。

現創価学会執行部(公明党)が堕落した宗教化した今こそ、
真の弟子が声を上げる時です。

破邪顕正の祈りと明文を片手に、共々に理性的な批判の大波で浄化を!
 

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