中皮腫:尼崎の病院で89年のカルテ記載…クボタ工場周辺
毎日新聞 2015年06月26日 02時30分(最終更新 06月26日 07時27分)
大手機械メーカー「クボタ」の旧神崎工場(兵庫県尼崎市)周辺で複数の住民がアスベスト(石綿)関連がんの中皮腫にかかったという情報が、尼崎市内の病院で1989年に作られたカルテに記載されていたことが分かった。中皮腫は非常にまれながんで、80年代は石綿への社会的な関心が低かったが、同工場周辺での患者多発が表面化した2005年6月末になって注目が集まった。このカルテでは、その16年前に石綿との関連について「神崎工場に家が近いこと」と推定しており、事態が工場内の労災にとどまらず、周辺に広がる公害だったことを示す情報といえる。【大島秀利】
カルテは、1989年に33歳で死亡した男性の遺族が、入院していた関西労災病院(尼崎市)に開示請求して入手した。男性は工場から約150メートル離れた自宅に生後から死亡するまで住んでいた。自営業で工場での勤務歴はないが、88年3月に背中が痛み出し、同病院で同年5月に「中皮腫」の診断を受けた。
カルテは手書きで「石綿の職歴なし」と記載。続く「環境」の欄には「あえて石綿との関連を考えると、神崎工場に家が近いこと」「患者のごく近所にいる人が、最近中皮腫で2人sterben(ドイツ語で死亡)した。いずれも職歴なし。一人はお寺さんで、もう一人はサラリーマンであった」とあった。主治医は、工場周辺の3人の住民が死亡したという情報を得ていたことになる。カルテの患者の遺族は「国が事態を把握してもっと早く対策を取れなかったのか」と訴えている。
当時の主治医は取材に対し「退職後も守秘義務があり、記憶も不確実になり、重責を担う自信もありません」との文書を出し、応じていない。一方、兵庫医大(同県西宮市)の医師も80年代、一般住民の中皮腫患者を診療し不審に感じていたというが、「治療に追われ、被害の広がりの全体像をつかむことができなかった」としている。
中皮腫・じん肺・アスベストセンター所長の名取雄司医師は「89年ごろには、中皮腫と石綿との関係は国際的に知られていた。医師の倫理上の責務を考えると、できる限り調べて、警鐘を鳴らすことができなかっただろうか」と指摘した。
◇クボタ旧神崎工場の石綿問題◇
2005年6月末、兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場周辺の住民5人が、アスベスト(石綿)関連がんの中皮腫を発症し、うち2人が死亡していたことが発覚した。「クボタショック」「アスベストショック」と言われ、以降、次々と住民の発症が判明した。同工場では1954〜95年、石綿を使って水道管などを製造していた。その後、各地の石綿関連工場の周辺でも中皮腫を発症する住民が相次ぎ、2012年には石綿の製造・販売などが全面的に禁止された。