事実、韓国文化界による日本の作品からの盗作・模倣は昨日今日の話ではない。歴史学者イ・グァンリン氏は、1895年に出版された朝鮮時代末期の政治家・兪吉濬(ユ・ギルジュン)の著書『西遊見聞』について、主要部分に該当する2章分の文章の半分が福沢諭吉の『西洋事情』を書き写したものだと指摘した。韓国初の近代化書籍は盗作だったのだ。もちろん、知的所有権の概念が希薄で、近代文明の吸収が切実に求められていた時代背景を考えると、事情は十分に理解できる。福沢が自身の出版社を通じて『西遊見聞』を出版・配布したことも考慮すれば、兪吉濬が書き写すのを理解・承諾していたものと思われる。
近代以降、韓国にとって日本は西欧文明を吸収するのに便利な経路だった。チェ・ギョンオク教授が書いた『翻訳と日本の近代』によると、英語の「society」という単語が日本に紹介されたのは1796年だった。この単語が日本で「社会(しゃかい)」と翻訳され使われるようになったのは1870年代だ。「society」に込められた近代的な意味を日本は70年間にわたり考え続け、最も近い単語を定着させたのだ。この言葉はその20年後、特に検討されることもなく韓国で「社会(サフェ)」として使われるようになった。もし日本が漢字を使っていなかったら、韓国も70年間、同じことで悩んだかもしれない。憲法第1条に出てくる「共和」「主権」「国民」「権力」も日本で作られた訳語をそのまま受け入れたものだ。いや、そもそも「憲法」がそうした単語だ。