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たま駅長の部下・ニタマ駅長 急きょ出勤
6月25日 17時56分

たま駅長の部下・ニタマ駅長 急きょ出勤
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三毛猫のたま駅長が死んだことを受け、かつて勤務していた紀の川市の「貴志駅」には、休みを返上して急きょ、部下のニタマ駅長が出勤し、観光客の対応に当たりました。
ニタマは、ふだん「たま駅長」の部下として主に和歌山市の伊太祈曽駅で駅長を務めています。25日は休日でしたが、たま駅長が死んだことを受け、その死を悼む人などが大勢訪れていることから、和歌山電鉄では、急きょ、ニタマ駅長をたまが勤務していた「貴志駅」に出勤させました。
ニタマ駅長は専用の箱の中で体を伸ばして寝転ぶなどのんびりと仕事をこなし、訪れた人たちを和ませていました。

愛された「たま」駅長 その生涯は

三毛猫のたまは、平成11年、県北部を走る貴志川線の貴志駅の隣にあった売店で生まれました。貴志川線は赤字が続いたため、いったんは廃線が決定。しかし、地元から存続を求める声が上がって和歌山電鉄が発足し、経営が引き継がれました。
このとき和歌山電鉄の小嶋光信社長と出会ったたま。「私、駅長やります」と目で訴えかけられたと、社長は振り返ります。

平成19年、貴志川線再建のシンボルとして「たま駅長」が誕生しました。駅長の帽子をかぶって勤務に励んだり、時にはぐっすり寝たりしていたたま。愛らしい姿は全国に話題を呼び、多くの人が訪れるようになりました。その活躍ぶりは、福を呼ぶ「招き猫」そのもの。関連グッズや写真集も販売されました。
和歌山電鉄によりますと、就任後の1年間に、貴志川線の利用客は10%以上増えたといいます。たま駅長が誕生して以来、廃線の危機にあった貴志川線の利用者は徐々に増え、昨年度の1年間には過去最高の227万人を記録しました。
たまは、「スーパー駅長」に就任するなど異例のスピードで出世を果たし、おととしには社長代理にまで上りつめました。

たま駅長の人気は国内にとどまりませんでした。平成20年にはフランスからも声がかかって映画の撮影が行われます。
「日本で何匹もの猫を撮影しています。たまを通して、仕事について表現するつもりです」
海外のメディアも取り上げたことからアジアなどを中心に観光客が増加。和歌山県全体の活性化にも力を尽くしたとして、知事から「観光まねき大明神」に任命されるなど、神がかった活躍を見せました。

しかし、年齢を重ねたことによる体力の衰えは隠せず、平成24年からは、部下の「ニタマ」に仕事を任せることも増えました。ことし4月29日には16歳の誕生日を迎えましたが、先月から鼻炎のために療養。
たま駅長は今月22日、この世に別れを告げました。人間にして80歳ほど。安らかな大往生だったということです。

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