国際交流サークルで活動をしていました。
留学生や在日外国人の人たちと
交流したり、
ボランティア活動をやったりしていました。
在日コリアンのお年寄りとの交流会では、
植民地支配の経験者からでなければ
聞く事の出来ない貴重な話を聞くことが出来ました。
「私は子供の時、成績はクラスで1番だったのに
朝鮮人だからという理由で級長になれず、
副級長だったんだよ・・・」
私はその話を聞いて、あまりの差別に
呆然としてしまいました。
公平であるべき教育の現場にまで
差別を持ち込むなんて・・・
そう言えば日本では今でも、
民族学校無償化対象外という問題があります。
戦前の日本は教育現場で出身国による差別を
当然のようにやっていたワケですが、
今でもそれが続いているのが悲しいですよね。
その交流会には
インドネシア出身の留学生も
参加していたのですが、
在日のお爺ちゃんを凍りつかせた
余計な一言を今でも覚えています。
インドネシア人留学生
「日本の植民地出身者は副級長になれたの?信じられない。
ヨーロッパの植民地ではあり得ないよ・・・」
私は最初、
「ヨーロッパの植民地だったら子供まで差別せず、
当然級長になれるのに日本の植民地支配はおかしい」
という意味かと思ったのですが、
在日のお爺ちゃんが凍りついたのを見て
「あっ、逆の意味!?」と遅れて気付きました。
すぐに話題を変えたから良かったものの
在日のお爺ちゃんの傷ついた心を思うと
いたたまれなかったです。
日本では外国人はマイノリティなのだから、
日本人に対抗するためには団結する必要があるのに・・・
確かに日本人でも副級長に
なれなかった生徒がたくさんいたわけで、
当時としてはむしろ公平だったと言えるのかも
知れません。
だけど、在日のお爺ちゃんにとって
「級長は必ず日本人」という慣習自体が
おかしいと思ったのは当然なんですよ。
以前に日本人にこの話をしたら、
「人望が無かったから級長に
なれなかったんじゃない?」
と言われました。
それは断じて違います!
在日のお爺ちゃんは日本人とも仲が良かったし、
放課後はみんなで遊んで
楽しい子供時代を過ごしたそうです。
「もしもクラスの投票で級長を選ぶのだったら、
入れてくれる友達はたくさんいた」
と在日のお爺ちゃんも言っていました。
級長は担任の教師による指名制であり、
クラスで1番の生徒を選ぶことが
ほとんどだったのに
朝鮮人が1番になると
2番だった日本人が級長に指名されてしまったんですよ。
これを差別と呼ばずして
何を差別と呼ぶのでしょうか?
差別主義国家 日本。
その根は深いのです。
韓国ではそのように考えるのですね。
・・・このメンタリティー
一番なのに副級長にとどまった人がいる。
教師次第ではある。
お年寄りの誰もはかり得ない昔の我褒めもありうる。
誰かを見ていると人望は眉唾だ。