2015.06.25
奇跡の復活! 恋という名のお酒
湧水の流れる、せせらぎのほとりに建つ小さな酒屋さん。そこだけで買えるお酒の話を、以前紹介しました。

「恋という名のお酒」http://fukudame.blog134.fc2.com/blog-entry-51.html
そのお酒を醸造していたのは、福島県浪江町の請戸漁港の酒造店でした。
日本一海に近い酒蔵。津波にさらわれて、原発事故で汚されたその場所。
忘れられる訳がありません。酒屋さんはそこにあるのに。震災で失われてしまったものはたくさんたくさんあるのだけれど、その喪失の痛みだけは、まぎれもなく私のものでもあったのです。
震災の被災地応援のニュースの中で、その酒蔵が山形県長井市の方で再開されたことを知りました。再建のきっかけは、酵母の存在だったと。
お酒の味を決める酵母は、蔵と共に永い歳月をかけて育っていき、その蔵独自のものになります。それ無しでは、同じお酒を造ることはできません。その蔵の酵母が、たまたま研究室で保管されていたというのは、奇跡ではありませんか。
それから、移り住んだ長井で蔵人たちがどのように頑張ったのか、私には推測するしかありません。支えて下さった山形の優しい人々のことも。
永劫の時の中で、すべてはやがては失われてしまうけれど、再生するものもあるですね。江戸時代の昔から守り伝えられてきた蔵を、絶やしたくない、守りたいという人々の願いが、まさに結実したのです。
そして、久しぶりに訪れた酒屋さんの棚には復活した「純米酒 恋ヶ窪」。
たかがお酒。されど…そこにどれほどの人々の営み、想いがあるのでしょう。

父の日に、「恋ヶ窪」を贈りました。なにしろ、私の住む恋ヶ窪の水、父の住む秋田のお米、そして福島の蔵人の作品です。退職前の数年を、電力会社の所長として福島で過ごした父へ、思いが伝わることを信じて。
私は、買ったばかりのスピーカーで乾杯。
明るくて豊かな福島が、どうかどうか再生しますように。
「恋という名のお酒」http://fukudame.blog134.fc2.com/blog-entry-51.html
そのお酒を醸造していたのは、福島県浪江町の請戸漁港の酒造店でした。
日本一海に近い酒蔵。津波にさらわれて、原発事故で汚されたその場所。
忘れられる訳がありません。酒屋さんはそこにあるのに。震災で失われてしまったものはたくさんたくさんあるのだけれど、その喪失の痛みだけは、まぎれもなく私のものでもあったのです。
震災の被災地応援のニュースの中で、その酒蔵が山形県長井市の方で再開されたことを知りました。再建のきっかけは、酵母の存在だったと。
お酒の味を決める酵母は、蔵と共に永い歳月をかけて育っていき、その蔵独自のものになります。それ無しでは、同じお酒を造ることはできません。その蔵の酵母が、たまたま研究室で保管されていたというのは、奇跡ではありませんか。
それから、移り住んだ長井で蔵人たちがどのように頑張ったのか、私には推測するしかありません。支えて下さった山形の優しい人々のことも。
永劫の時の中で、すべてはやがては失われてしまうけれど、再生するものもあるですね。江戸時代の昔から守り伝えられてきた蔵を、絶やしたくない、守りたいという人々の願いが、まさに結実したのです。
そして、久しぶりに訪れた酒屋さんの棚には復活した「純米酒 恋ヶ窪」。
たかがお酒。されど…そこにどれほどの人々の営み、想いがあるのでしょう。
父の日に、「恋ヶ窪」を贈りました。なにしろ、私の住む恋ヶ窪の水、父の住む秋田のお米、そして福島の蔵人の作品です。退職前の数年を、電力会社の所長として福島で過ごした父へ、思いが伝わることを信じて。
私は、買ったばかりのスピーカーで乾杯。
明るくて豊かな福島が、どうかどうか再生しますように。
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2015.06.12
白い孔雀の季節
月下美人? いいえ、白い孔雀サボテンです。十数年間咲かなかった花が咲きました。
十数年に一度、24時間きりの恋の時間の訪れみたいで、ステキでしょ。
紅い花の方がキレイかも…そんなことを考えていたら、ラマナの言葉を思い出しました。
白孔雀のお話。もちろん、花ではなくて鳥についてのお話ですけれど。
ラマナ・マハルシは、本当に美しいのは白い孔雀ではなく、色鮮やかな孔雀ではないでしょうかと問われ、
「この孔雀が白いなら、本来の美しさを持っているということだ。孔雀というのは、実にカラフルで美しいものなのだが、これは混じりけのない純白だ。つまりグナ(属性)の混合を持たないスッダ・サットヴァ(純白の自己)を意味するのだ」
と応えています。(沈黙の聖者/出帆新社1998)
元々、ヴェーダにそういう言葉があったから、アシラムに孔雀が寄贈されたもののようです。お寺の境内は今も、犬、猿、雉?じゃなくて孔雀がいっぱい。(ラマナ=桃太郎?)
部屋に満ちる甘い香り。思えば、私を魅了するのは、いつも、子供のように純粋でキラキラしている人ばかりでした。
私が何よりも愛しているのは、純粋な魂、純白の自己なのでしょう。
心筋梗塞で一時は危篤といわれた叔父は、もうじき退院できそうです。ホツ!
これも神々の遊び、マーヤーと思えば納得。この種のお遊びには、すべて意味があるのだということ。それを理解すれば、カルマはやがては消えていくということ。一緒に遊んでしまえばいいのだと、今の私には理解できます。
私の祈りが届いたという訳ではないにしても、すべては恩寵。感謝の祈りを。
この御神木は、何度撮ってもピンボケ。それって、どういう種類のお遊びなのやら。
それにつけても、聴覚まで微細になるのは考えモノ。安いオーディオの音が我慢できないなんて贅沢過ぎです。予算と部屋のサイズを考慮して、妥協しなくちゃなのに…。
2015.05.20
私は誰…50-美しいモノが好き(最終版)
何だか、椿がとてもキレイ。ごく普通のありふれた椿だと思うのだけど、何故こんなにキレイだと感じるのかしら、私の心は。
インド大使館の催しで、サリーを着ることになりました。貸して下さる友達も居ましたが、近所のお店で誂えることにしました。
ちょっぴり、物欲? でも日本では裸で暮らせないし、自分らしい自分を現わしたくて。
金糸銀糸はイヤ。選んだのは、ピンクのグラデーションでした。
私は、グラデーション・カラーが好き。青は流れる水、赤は夕空みたいだから。思い起こすと、心まで透明に透き通って行く気がするから。渋い色がさっぱり似合わない私のお気に入りです。
美しさって、何なのでしょう。どこからやってくるのでしょう。
キレイなモノ、キレイな人は、透き通って内側から輝いているように見えますよね。その秘められた煌めきこそが真我。つまり、ヒトが、花が、そして世界が美しいのは、その内側に、微細体ともアートマンとも、真我ともいう真の命が輝いているから。それは、私が知っている秘密。
でも、ホントのホントは、誰もが知っていたりして、そのことを。だからみんな、キレイな花や美人が大好きなのでしょう。
オーラ、超常現象、ファンタジー、不思議、神霊etc.。知っていますか。これらの霊現象、微細体の世界が、どんな芸術作品よりも美しいことを。私達が目にしている物質世界は、どれも粗雑体である、という言葉通りに。
その美しさに心を奪われて、その次元にとどまってしまう修行者や霊能者は、少なくないとも聞きます。要注意!?
世界はマーヤー、幻影。そして、そのすべてが消えた後に最後に現れる、神という幻。それは、どんなにかどんなにか美しいことでしょう。
そして、私がイチバン大好きなもの。世界一美しいとも云われる、ラマナの輝く瞳。
美しいと感じるているのは誰だっけ?
それは、私そのものの心の形。つまり、何かを美しいと感じるのは、ホントのところ、見る人自身の心が美しいから!
わーい! 自画自賛しちゃった。でも、「他人の欠点を見ると、見る人の心が穢れる」という言葉が真実であるなら、「美しいモノを見る人は、心が美しい」という言葉も真実なのです。目に映るモノのすべては、自分自身の心を映した鏡。それがマーヤーの意味ではありませんか。――今は未だ、肉体の目には見えなくても。
世界がこんなにもこんなにも美しいのも、愛おしいのも、真我がその向こうに在るから。
そのようにして、愛の心が日毎夜毎に強く深くなるように、美意識もまたどんどん深く繊細になっていくのです。
えっ!田舎の叔父が危篤? 神様へ捧げる歌を皆で歌うのためのサリーが、無駄になる?
神様の大好きなリーラ(遊び)です。叔父さんは持ち直し、イベントも無事終了。
美しいモノにたいするこだわり、芸術的執着。それは、きっと、私の心に最後まで残るに違いありません。
今は未だ、リーラを楽しみましょう。
テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体
2015.04.19
春の妖精たち
2015.04.12
色即是空から始めましょう
西へ向かう空の旅は、沈まない夕日を追いかける旅みたいで素敵です。西方浄土を信じて旅立った、遥か昔の旅人を思い出すから。
そして、どんな雨降りでも、雲の上はいつも晴れ。乗り物酔いだって、平気。宮崎アニメの主役気分で(ナウシカ?)自分の翼で飛んでいるってイメージすれば。
ただし、今回の旅の目的は、残念ながら観光ではなくて叔母のお見舞い。
実に、30年ぶりの沖縄。迎えの従姉(いとこ)に逢うのも、20年ぶりくらいでした。
小さい頃にはもっと近くに住んでいて、夏休みの度に泊まりがけで遊びに行っていたのに。
誰を愛していたの? 誰を見送ったの? 今誰と住んでいて、お仕事は…?
びっくりするぐらい、従姉のことを知らない自分に愕然としました。やっぱり、ほとんど話してもらえません。
会社を経営してるなんて、初めて聞きました。
え、わたし? エート…。
しまった! 従姉は宗教が大嫌いでした。インドの話も神様の話も、怪しい宗教関係の話に聞えるようで、取り付く島も無し。でも、それ抜きの私は、ただのゴクツブシだったりして。
叔母の病状や家族の話のあとは―――話す言葉が見つかりません。
やっと出逢えたのに、なんだかお互いにすごく遠くに居るみたい。
この種のよそよそしさ、いたたまれなさを、何と云ったらよいのでしょう。多分、この世界の道を選んだ方々は皆、多かれ少なかれ似たような体験をされているはずです。古い友人や家族との間で。時にはひどい言葉を浴びせられ、辛い思いしたり。
皆様、どう対処されているのでしょう。開き直る? 諦める? それとも沈黙を守る?
それにしても、「神」と口にしただけで冷たい視線にさらされる国は、日本くらいです。日本の常識が世界の非常識という代表的な例でしょう。「宗教が無いのはモラルが無いみたい」と、インド人が笑う、日本人の無宗教。
私は笑えません。無神論者だった幼いわたし、どれほど遠くまで来てしまったのかしら。
「親の世話もしないで、東京で何やってるんだか」。
――う~ん。
従姉の車で向かった老人ホームは、斎場御嶽(せーふぁうたき)近くの丘の上にありました。南国の深い緑に包まれて。
玄関まで歩いて出迎えてくれた叔母は、思ったよりも元気そう。(もう、化学療法もしてないのかしら)。
大きくなったねって、昔通りの挨拶。叔母さんが小さくなっちゃっただけじゃない。
自分の病気のことを知らないってホント? お兄さん(私の父)は、元気だけど、飛行機にはもう乗れないなんて情けないことを言っていたよ。
ホントは全部、知っているんでしょ。
―――何だか、口には出せない話ばかり。
田舎の話など一通り済ませて帰る頃、タンスの奥から一枚の紙を出してきました。
「書道の先生に書いてもらったの。気に入っているので、表装しようと思って」という叔母。
それは、大きな和紙(全紙サイズ)にしたためられた般若心経でした。
「何処に掛けるの。まあ、般若心経が嫌いなヒトはいないな」と従姉の返事。
それ、貴女の嫌いな宗教なんですけど、という言葉を私は飲み込みました。
まあ、日本人の「無宗教・無神論」はそういう感じです。
富士山の御来光やご神木に手を合わせるのは、唯の習慣。お守りやジンクス、占い好きは何処の国でも同様の、宗教の入門編です。日本では、「般若心経」もそういう位置付けに在るのかもしれません。
色即是空。空即是色。
私がやっている宗教も、そういう感じだよってきちんと伝えたかった。
あなたは、今、幸せなの?
ちゃんとそう訊けばよかった。
さようなら、叔母さん。さようなら、沖縄。
私は、私の道を歩いていますよ。
テーマ : スピリチュアルライフ
ジャンル : 心と身体