安倍首相がこの夏に発表する予定の戦後70年の談話。首相はこれを閣議決定しない意向であるという。

 談話が閣僚全員の署名により閣議決定されれば、政府の公式見解となる。戦後50年の村山談話、60年の小泉談話はいずれも閣議決定された。

 一方、閣議決定しないとなれば、安倍首相の個人的メッセージという色彩が強まる。

 閣議決定しないことに首相がどういう意図をこめているのか、いまのところ判然としない。しかし、これまでの談話の内容に縛られずに自分の見解を述べる一方で、国内外からの批判をかわす狙いがあるとするならば、政府の最高責任者として姑息(こそく)の感は否めない。

 そんなことならば、いっそのこと談話を出すのは取りやめてはどうか。

 先の大戦についての日本政府の見解は、すでに村山、小泉の両談話で確立し、日本外交の基礎にもなっている。戦後70年は節目であるが、必ずしも新たな談話を出さねばならないわけではない。

 安倍氏は2012年に首相に返り咲いてから、「21世紀にふさわしい未来志向の談話を出したい」と繰り返していた。ただかつては村山談話にはっきりと不快感を示し、首相に再登板した後も「安倍内閣としてそのまま継承しているわけではない」と答弁していた。

 最近は「全体として受け継いでいく」と表現を改めながらも、「国策を誤り」「植民地支配と侵略」といった文言を安倍談話に盛り込むことには否定的な考えを示している。

 首相は村山談話を実質的に塗り替えようというのか――。こんな懸念が広がり、公明党が政府与党間での合意を求めている。また、米国の日本研究者が「過ちの偏見なき清算」を求める声明を出すなど、世界的にも注目されている。

 閣議決定をしないことで、たとえ村山談話の文言を使わなくとも、「塗り替えたわけではない」と言うことはできるだろう。また、「未来志向」という首相の狙いをよりアピールできるのかも知れない。

 ただ、ここまで注目されている談話だ。いまさらそんな本音と建前を使い分けるような方便は通用しまい。

 植民地支配や侵略の被害にあった人々の心にどう響くか。閣議決定されたか否かの形式ではなく、中身が重要なのは言うまでもない。世界に通用しない内向きな姿勢を示すだけなら、出さない方がいい。