ラブライブ!The School Idol Movie 感想
英語のサブタイトルいと言いづらし
お久しぶりです。今回はメインで活動してるトゥイッターでは言いづらい感想をつらつらと書いていきます。性質上ネガティブな意見が多めになりますがご了承のほどを。
まず個人的なテレビシリーズの『ラブライブ!』の感想から。1期に関しては高坂穂乃果、園田海未、南ことりの2年生トリオを物語の中心に置き、周辺に1年生トリオ、3年生トリオを効果的に配置してドラマを展開していたため、多少の荒はあったものの一本筋の通った物語だった印象があります。
対照的に、2期は「3年生の卒業」をドラマの中心軸に据えながら、1話1話自体の連続性は薄めにし、1期で掘り下げきれなかったメンバーの掘り下げや、9人で大騒ぎする回などバラエティ溢れたシリーズ構成となりました。しかし、2期のドラマ全体の推進力となっていた「3年生の卒業」というテーマに対するアンサーを最終回で出さず、劇場版に先送りしてしまったことで物語全体がイマイチ締まらずに終わりを迎えて消化不良感があったのは否めません。また、2期になってからは各キャラクターの尖った部分(オブラートに包んだ表現)がかなり露呈し始めたため、時折悪い印象を抱くことがあったのもややマイナスポイントではありました。
そして今回の劇場版がどんな作品になったのか。結果としては、2期のようなバラエティさを前面に押し出しつつも、1期のように各キャラクターの描写をマイルドにしつつしっかりと縦軸の物語を置き、2期のテーマに対するアンサーを出した作品になったと言えます。物語全体の主人公をリーダーの穂乃果に定め、穂乃果が決断するまでのドラマを展開する一方で、9人のキャラクターがテレビシリーズではあまり見たことのない組み合わせで行動するなどといった面白さを提示し、μ'sの終幕という結末に収束していったのはシンプルながら、これまでの『ラブライブ!』らしい面白さに溢れていて、μ'sの終わりという寂しさや物悲しさを感じさせない、爽やかな余韻のある終わり方で非常に好印象を抱きました。
しかし、一方で看過できないレベルで気になる描写があったのもまた事実。それはキャラクターの心情・思考以外に関する物語中の積み重ねがあまりにもおざなりだということです。
細かいところで行けば最初ドラマの推進力となっていた「ニューヨークライブのための場所探し」の件。ライブの場所を探してニューヨーク中を見て回るのが前半の主な展開なのですが、最終的にライブの会場とした場所がこれまで場所探しで見て回った場所ではなく、どこだかよくわからない人工的な会場な上、おそらくライブ演出で音ノ木坂学院の庭が映し出されます。この展開の問題点は、単純に当初の目的であったライブ会場探しがその意味を為さずに、単に彼女らが観光をする口実として利用されたということだけでなく、これまでのアニメ『ラブライブ!』で行ってきた行為の否定にも繋がっているということです。例えば1期では最初の講堂でのライブ、第8話でのオープンキャンパスでのライブ、第9話の秋葉原でのライブ、第11話のライブでは彼女らが会場のセッティングをし、ライブを行う過程が大なり小なり描かれていました。しかし、映画中でのニューヨークライブでは場所選定の過程自体は描きつつも、その実際とは結びつかないために無意味な行動となってしまっています。これは今までライブ会場について丁寧に描写していた本シリーズ全体を省みるとあまりにも迂闊で、あまりにも大きなミスであったと言えます。あとあくまでリアルな秋葉原を舞台に絵空事が起こっている世界観だったのに、突然アキバドームなる影も形もなかった架空の建築物が現れたあたりも場所に対する認識の低さが顕在化している気も。
次にこれはこれまでの1期2期からの問題ですが、これまで舞台装置として稼働していた「スクールアイドル」「ラブライブ」が中身=描写の積み重ねを伴わずにドラマの中で重要な意味合いを持たされたばっかりに、物語自体が薄く感じられるようなところがあったのが最大の難点に感じました。「スクールアイドル」も「ラブライブ」も学生による部活動的なアイドルとそれが目指す甲子園的な位置づけである、という程度の情報しかなく、いわばテレビシリーズの段階ではμ'sが一般的に連想されるようなアイドルではないという位置づけのための記号と、わかりやすい努力目標に過ぎなかったものが、両者ともにμ'sメンバーが背負い、使命感を抱く対象、重荷として映画では扱われます。それまで僅かな情報しか提示されていないものに対し、彼女らが真剣に思い悩む姿を描かれていてもどこか遠いこと、切実さを伴わないことに感じられてしまいます。例えば自分の好きな作品で例えるなら『仮面ライダーW』で「仮面ライダー」というワードが事件を通じて都市伝説上の存在を示す言葉から、風都を守る英雄の名に変化していったように、この展開を成立させるためには描写の積み重ね、とりわけ歴史的な背景や市井の人々の認識などといった描写を重ねる必要性を感じました。
そして上述した問題点を踏まえたうえで何故このような展開になったのか考えを巡らせるならば、この映画が最終的に3年生になった雪穂と亜里沙によるμ'sについての語りで幕を閉じたところから推察するに、μ'sを神格化し、その軌跡を神話として語るがため故の不透明さ、不明瞭さの演出、ドラマ展開だという結論に至ります。個人的にはテレビシリーズで等身大の少女として描いていた彼女らを本当にスクールアイドル界における女神に等しい存在として描くのは気色悪さに似た抵抗を感じますし、先に述べた語りによる幕引きがあまりにも神話的、御伽話的にこの物語を収束させようという意図が透けて見えて嫌悪感すら感じますが、そういったことはとりあえず置いておけば、端的に言って雑に感じた部分もそれはそれで一つの物語を構成する要素として機能していたようには感じる、かもしれません。
最終的に今作を総括するならば、看過できない範疇で雑な部分や気に食わない点もあるものの、μ'sの、というよりは高坂穂乃果という少女の物語としてはこれ以上ない着地点であり、これ以上ない幕引きであったと言えると思います。今後新シリーズの(ストナー)サンシャインが控えている『ラブライブ!』シリーズ。若干思うところはあるものの、またテレビアニメでの展開があれば応援していきたいという所存です。
【追記】この記事を読んだ人間に聞いたところによると、ニューヨークのライブの際に映っていた風景はどうも音ノ木坂学院の庭ではなく、アメリカのどこかとのことです。どっちにしろどこなんだあそこ……
お久しぶりです。今回はメインで活動してるトゥイッターでは言いづらい感想をつらつらと書いていきます。性質上ネガティブな意見が多めになりますがご了承のほどを。
まず個人的なテレビシリーズの『ラブライブ!』の感想から。1期に関しては高坂穂乃果、園田海未、南ことりの2年生トリオを物語の中心に置き、周辺に1年生トリオ、3年生トリオを効果的に配置してドラマを展開していたため、多少の荒はあったものの一本筋の通った物語だった印象があります。
対照的に、2期は「3年生の卒業」をドラマの中心軸に据えながら、1話1話自体の連続性は薄めにし、1期で掘り下げきれなかったメンバーの掘り下げや、9人で大騒ぎする回などバラエティ溢れたシリーズ構成となりました。しかし、2期のドラマ全体の推進力となっていた「3年生の卒業」というテーマに対するアンサーを最終回で出さず、劇場版に先送りしてしまったことで物語全体がイマイチ締まらずに終わりを迎えて消化不良感があったのは否めません。また、2期になってからは各キャラクターの尖った部分(オブラートに包んだ表現)がかなり露呈し始めたため、時折悪い印象を抱くことがあったのもややマイナスポイントではありました。
そして今回の劇場版がどんな作品になったのか。結果としては、2期のようなバラエティさを前面に押し出しつつも、1期のように各キャラクターの描写をマイルドにしつつしっかりと縦軸の物語を置き、2期のテーマに対するアンサーを出した作品になったと言えます。物語全体の主人公をリーダーの穂乃果に定め、穂乃果が決断するまでのドラマを展開する一方で、9人のキャラクターがテレビシリーズではあまり見たことのない組み合わせで行動するなどといった面白さを提示し、μ'sの終幕という結末に収束していったのはシンプルながら、これまでの『ラブライブ!』らしい面白さに溢れていて、μ'sの終わりという寂しさや物悲しさを感じさせない、爽やかな余韻のある終わり方で非常に好印象を抱きました。
しかし、一方で看過できないレベルで気になる描写があったのもまた事実。それはキャラクターの心情・思考以外に関する物語中の積み重ねがあまりにもおざなりだということです。
細かいところで行けば最初ドラマの推進力となっていた「ニューヨークライブのための場所探し」の件。ライブの場所を探してニューヨーク中を見て回るのが前半の主な展開なのですが、最終的にライブの会場とした場所がこれまで場所探しで見て回った場所ではなく、どこだかよくわからない人工的な会場な上、おそらくライブ演出で音ノ木坂学院の庭が映し出されます。この展開の問題点は、単純に当初の目的であったライブ会場探しがその意味を為さずに、単に彼女らが観光をする口実として利用されたということだけでなく、これまでのアニメ『ラブライブ!』で行ってきた行為の否定にも繋がっているということです。例えば1期では最初の講堂でのライブ、第8話でのオープンキャンパスでのライブ、第9話の秋葉原でのライブ、第11話のライブでは彼女らが会場のセッティングをし、ライブを行う過程が大なり小なり描かれていました。しかし、映画中でのニューヨークライブでは場所選定の過程自体は描きつつも、その実際とは結びつかないために無意味な行動となってしまっています。これは今までライブ会場について丁寧に描写していた本シリーズ全体を省みるとあまりにも迂闊で、あまりにも大きなミスであったと言えます。あとあくまでリアルな秋葉原を舞台に絵空事が起こっている世界観だったのに、突然アキバドームなる影も形もなかった架空の建築物が現れたあたりも場所に対する認識の低さが顕在化している気も。
次にこれはこれまでの1期2期からの問題ですが、これまで舞台装置として稼働していた「スクールアイドル」「ラブライブ」が中身=描写の積み重ねを伴わずにドラマの中で重要な意味合いを持たされたばっかりに、物語自体が薄く感じられるようなところがあったのが最大の難点に感じました。「スクールアイドル」も「ラブライブ」も学生による部活動的なアイドルとそれが目指す甲子園的な位置づけである、という程度の情報しかなく、いわばテレビシリーズの段階ではμ'sが一般的に連想されるようなアイドルではないという位置づけのための記号と、わかりやすい努力目標に過ぎなかったものが、両者ともにμ'sメンバーが背負い、使命感を抱く対象、重荷として映画では扱われます。それまで僅かな情報しか提示されていないものに対し、彼女らが真剣に思い悩む姿を描かれていてもどこか遠いこと、切実さを伴わないことに感じられてしまいます。例えば自分の好きな作品で例えるなら『仮面ライダーW』で「仮面ライダー」というワードが事件を通じて都市伝説上の存在を示す言葉から、風都を守る英雄の名に変化していったように、この展開を成立させるためには描写の積み重ね、とりわけ歴史的な背景や市井の人々の認識などといった描写を重ねる必要性を感じました。
そして上述した問題点を踏まえたうえで何故このような展開になったのか考えを巡らせるならば、この映画が最終的に3年生になった雪穂と亜里沙によるμ'sについての語りで幕を閉じたところから推察するに、μ'sを神格化し、その軌跡を神話として語るがため故の不透明さ、不明瞭さの演出、ドラマ展開だという結論に至ります。個人的にはテレビシリーズで等身大の少女として描いていた彼女らを本当にスクールアイドル界における女神に等しい存在として描くのは気色悪さに似た抵抗を感じますし、先に述べた語りによる幕引きがあまりにも神話的、御伽話的にこの物語を収束させようという意図が透けて見えて嫌悪感すら感じますが、そういったことはとりあえず置いておけば、端的に言って雑に感じた部分もそれはそれで一つの物語を構成する要素として機能していたようには感じる、かもしれません。
最終的に今作を総括するならば、看過できない範疇で雑な部分や気に食わない点もあるものの、μ'sの、というよりは高坂穂乃果という少女の物語としてはこれ以上ない着地点であり、これ以上ない幕引きであったと言えると思います。今後新シリーズの(ストナー)サンシャインが控えている『ラブライブ!』シリーズ。若干思うところはあるものの、またテレビアニメでの展開があれば応援していきたいという所存です。
【追記】この記事を読んだ人間に聞いたところによると、ニューヨークのライブの際に映っていた風景はどうも音ノ木坂学院の庭ではなく、アメリカのどこかとのことです。どっちにしろどこなんだあそこ……
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
トラックバック
http://bluemiracle.blog.fc2.com/tb.php/41-8b201fee
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)