まえがき
時間はすぐに過ぎ去っていく。学生時代や淡い初恋の瞬間なんて今に思えばあっという間だった。現在でも、私は書店員として担当外の過去作はモノによっては知識が薄れているものも正直ある。
それなのに、忘れようとしても、記憶の片隅に留まって、消えない存在がいる。どう頑張ったって、どうあがいたって、なれない人種というものがある。
私には、そんな存在がいる。この世にはもういないけれど話をしたい人が。
昨年私は親友を失った。涙しか出なかった。「心にぽっかり穴が空く」という表現の意味を、いまになって振り返れば理解できる。
悲しみ。切なさ。楽しさ。怒り。喜び。それらを日々話していた存在がいなくなったのだ。いつしか涙も枯れ果てていた。書店員ですらなくなっていた。
そんなときに巡り合ったのは小説。それは、「小説を読む」という行為をしている訳ではない。その延長線上にある、「作者の力を借りることで『自分』と対話」しているのだ。
「青春、恋愛、闘病」というジャンルの枠組みを超えて、訴えかける本作。あなたが読む、住野よる先生が綴る「問いかけ」はなにかを考えてみたい。
「キミスイ」こと『君の膵臓をたべたい』あらすじ
偶然、僕が病院で拾った1冊の文庫本。タイトルは「共病文庫」。
それはクラスメイトである山内桜良が綴っていた、秘密の日記帳だった。
そこには、彼女の余命が膵臓の病気により、もういくばくもないと書かれていて――。病を患う彼女にさえ、平等につきつけられる残酷な現実。
【名前のない僕】と【日常のない彼女】が紡ぐ、終わりから始まる物語。
全ての予想を裏切る結末まで、一気読み必至!
本書は、【僕】とそのクラスメート山内桜良が出会い、同じときを過ごし、僕がある想いに気づくまでの記録。純粋でいて、なおかつ。傍から見ると根暗で地味な【僕】とは不釣り合いな彼女とどうして時間を共有したのか。豪快な笑い声の絶えない芯の強い彼女の胸の内は。
今回は『問いかけ』を考えるにあたって、5つのキーワード「見かけと内面」「読書と文字」「作家」「福岡」「タイトル」を基に「君の膵臓をたべたい」ご紹介したい。
友達と『君の膵臓たべたい』の話をしてるとだんだん二人とも『膵臓』って略して話を続けるから公式の可愛い『キミスイ』の方を自然に使えるようになりたい(`・ω・´)
— かえで (@ten020akizawa) 2015, 6月 7
「大切なのは外側ではなく中身だ。」
「外見を気にする奴になるな。」
これは幼少期にうちの父親が口をすっぱくして言っていたことだ。彼はいわゆるボンボンだったにも関わらず、この口癖を片手にして、もう片方の手には自分の趣味には資本投下する棍棒を持ち合わせていた。そのクセ、人を見る目はなかった。
育ってきた環境がこんなだからか、人を見る目はない……かもしれない。けれども幸いにして作品にである力はある(と信じている)。
本書で触れられる表題は、意外なところで再び綴られている。物語の連動性のひとつとして気にかけていただきたい。
小説を読むこと。想いを文字にすること。
最近読書の日記をつけることと、手紙を書くことにハマっている。いまさらながら。自分の中で第何次ブームかはさておき「なぜ小説を、書籍を読むのか」と聞かれたら、冒頭に書いたような自問自答するためと答えるかもしれない。その一方で他者と共有できたときの鼓動の高鳴りも捨てがたいことは書店員として体感している。
本書で【僕】はよく小説を読んでいる。そして桜良は「共病文庫」を日々綴っている。
それは自分が向き合っていることなのか。与えられた草舟なのだろうか。はたまた。
ちなみに昨日までの君の膵臓をたべたいの告知コーナー。 pic.twitter.com/iHufRwugjy
— TSUTAYA寝屋川駅前店BOOK (@T_NEYAGAWA) 2015, 6月 17
「住野よる」という作家
住野よるさんは、なろう出身です。私個人は、なろうに入り浸る傾向にはございませんで…。なおかつラノベも正直書籍ジャンルの中で最も縁遠い分類でございまして……(担当として)。
書籍化にあたって、文芸作品として素晴らしいものに仕上がっているのはひとえに住野さんとご編集の方のお力によるところだと思います。話は少し変わりますが作家と編集者の関係性って非常に面白いですよね。インタビュー記事などはありますが、最近読ませていただいた『漫画編集者』という作品は興味深く拝読しました。こちらの感想も書きたいな……と思っておりますがはたしていつになるやら。それはさておき。
僕だけの夢想ではなく、双葉社様の仕事が重なり素晴らしい商品になります。 より多くの人に売り、届けたい、そんな双葉社様の熱い想いがあってのこと、ご理解いただけますと嬉しいです。
熱い想いによるセコンドを受けた「キミスイ」は小説の神様に微笑まれた、その筆の力が新人離れしておりますね。公式プロフでは、「兼業作家」さんだそうですが、軽妙で機知に富む会話の応酬、巧妙に重ねられた伏線の張り方は、何度も「本当に新人作家さんなのか……」と疑ってしまうレベル。
状況描写や心境を伝える筆の進み具合は私の好みにぴったしハマっております。会話のテンポもまさにツボ。
作品内容で言えば、「女子が男子に読んでほしい恋愛小説No.1」の『陽だまりの彼女 (新潮文庫)』、「昔の恋人に電話したくなる本 No.1」の『忘れないと誓ったぼくがいた (新潮文庫)』、今年急上昇で「読書メーター」「文庫の読みたい本ランキング第1位」の『ぼくは明日、昨日のきみとデートする (宝島社文庫)』。
これら作品を好きな方は、きっと気に入る確率も高いハズ。SF要素がない分、より読者層を広げられるかもしれない。そして実際、女性客層だけではなくて男性層にも食い込んでいる。ラノベ界隈との親和性もあると思われます。
320万部を超えたあの、セカチューこと『世界の中心で、愛をさけぶ 小学館文庫』を上回る、そんな謳い文句もあながち煽りフレーズには聞こえないほど、2人の絆を垣間見ることができる。
『セカチュー』からほぼ15年。次は『キミスイ』だ!!と、いうことで文芸書コーナーに今年もっとも注目の『君の膵臓をたべたい』お試し版をご用意しております。一足お先に読ませてもらった当店女子スタッフはみんなボロ泣きでした! pic.twitter.com/LFYoIMzaER
— ルクア大阪店三省堂書店 (@LucOsk_sanseido) 2015, 6月 10
【文学】セカチューが世に出る直前の書店員はみんなこんな気持ちだったのか!?という恍惚と共につぶやきます。住野よる著『君の膵臓がたべたい』6月19日発売。地震じゃなく、世界がちょっと揺れるのではないかと思っています。YT pic.twitter.com/E8rLrfK5xD
— 紀伊國屋書店 西武渋谷店 (@Kino_SbShibuya) 2015, 5月 30
舞台のひとつ、福岡
「ラーメンの匂いがする!」
「膵臓」をタイトルにした作品に、モツ鍋をだしてくるあたりの住野先生のセンスを私は大好きです。「ラーメン」やら「県下一の繁華街」、あの「商業施設」を書いていただければ、元県民としてもとてもイメージを喚起しやすく拝読できました(笑)
福岡という地名をほのめかすことで、「学問の神様」という存在が浮き出て、ひいては物語の方向性に一定の影響も与えています。詳しくはP87あたりが要チェックやで。
おやすみを利用してそのモデルとさせていただいた太宰府天満宮にヒット祈願に行って参りましたー(^-^)字が下手いw pic.twitter.com/nxXTVNBpvA
— 住野よる (@yoruyasumi_kuro) 2015, 6月 8
特筆すべき「タイトル」の絶妙さ
「いきなりカニバリズムに目覚めたの?」
本書のタイトルを見かけて、たじろがない人なり。SNSを通じても、店頭で見かけても。ただ思っているようなホラー系作品ではない。
というよりもホラー要素は皆無。有名どこのアンソニーポプキンスの怪演も光るあの『羊たちの沈黙 (新潮文庫)』や貴志祐介先生の『クリムゾンの迷宮 (角川ホラー文庫)』、ラノベだと『空の境界(上) (講談社文庫)』あたりか。グロテスクな表現は絶無だとお伝えしておこう。「君の膵臓を食べたい!」ではなくて「たべたい」なんだからねっ!
君の膵臓をたべたい 最近よくこのタイトルを目にするのですが、最初はグロテスクでスプラッターなものと思っていました。 しかし周りの反応や表紙から、どうもそういったものではないらしく、どんな作品なのか今とても興味が沸いています。
— 消す (@kesukasi) 2015, 6月 9
他の作品だとタイトルは個別の認識用名称みたいな感じだし「01号」とかそんな名前でもいい気もするのだが、「君の膵臓をたべたい」においてはタイトルは作品が読者を感動させたりする上で欠かせない、作品の一部だと思う。タイトルまで含めて作品が完成する作品は他に、なかなかないだろうなぁ。
— 柚季 蒼@リディア (@yudukiao14) 2015, 6月 8
「君の膵臓をたべたい」まとめ
私と君の歩む道。それは、「君」を別の人に置き換えたとしても考えられる。家族、恋人、親友、親戚、知り合い、同僚、上司、恩師、愛犬愛猫など。
それぞれ歩いていく道のりは違っていたとして、出会いも日常も偶然ではなく、わたしは自分の意思で選んでここにいるのだ。そして間違いなく言えることがひとつだけある。
「桜は咲くべき時を待っている」
彼女が教えてくれたこと。
作品を手に取ることで、『キミスイ』の桜と心通わせることで。変わらぬ日常の証明はたわいもないところにある。
毎年桜の咲く季節。私は思い出す。
春の陽光に誘われて、桜の木の下であの人と話をしたことを。芝生に寝転がって語ったどうでもいいことを。
作品を読み終えて「外を眺めていた」。私はきっと思い出すだろう。大切な記憶とリンクするこの作品を。
わたしのための作品ではない。私たちのための作品なのだ。
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どうしてもおすすめしたいので、情報をチェックしているときに、石田スイ先生を「キミスイ」に見間違えてしまった僕は重症だと思います。
余談 本屋のおすすめ本とは
書店の推しが「ひどく」て、「ステマ」なり「組織票」とおっしゃる方がいることを知り合いの方がつぶやいておられた。もちろんステマのように作品が推されるものもなくはない。
1点だけ指摘するとすれば、版元のブランドネームによるところが大きい。そう、超大手ということ。詳細までは今後の書店員人生のために伏せるが(笑)
そしてまた本作品でもそのような残念な指摘をされる方も見かけた。幾多の新刊の中からおすすめすることの大事さ。と同時におすすめすることの責任も痛感している。
それでもあえて言おう。
この場で決意表明しよう。
『君の膵臓がたべたい』は感情を揺さぶられる、こころ動かされる作品であることは間違いない、と。
人生の歩き方、大切な人との過ごし方に迷ったらきっと読み直す作品である、と。
本屋としておすすめする作品である、と。
合言葉は「キミスイ」!!「君の膵臓をたべたい」に込められた想いを知ったとき。それは自分との対話、「生きること」への問いかけが込められているハズだ。