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 10代で体験したゲリラ戦、砲火の下の逃避行、最愛の家族の死……。癒えない傷を抱える人たちが23日、各地で地上戦を振り返った。安全保障関連法案の審議が進み、平和のあり方が改めて問われている戦後70年の「慰霊の日」。戦世(いくさゆ)を経て、非戦の誓いが沖縄を包んだ。

 沖縄本島北部。海沿いの木々に囲まれた集落でこの日、地元の高齢者ら十数人が集まった。大宜味村(おおぎみそん)上原地区で営まれた戦没者慰霊祭。参列者の一人の同地区出身、瑞慶山(ずけやま)良光さん(86)は「僕らの部隊は本土決戦に向けた実験だったと思う」と振り返った。

 沖縄戦では、北部の山岳地帯でのゲリラ戦を想定し、10代の少年たちの「護郷隊(ごきょうたい)」が組織された。名護市教育委員会の冊子によると、隊員は約千人に上り、約160人が戦死したとされる。

 当時16歳の瑞慶山さんもその一員。銃剣を立てると、150センチほどの身の丈を上回ったのを覚えている。白木の箱に、爪と髪の毛、服を入れさせられた。「死ねということかと、2、3日は眠れませんでした」