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飛行場建設と朝鮮人労働者
厚木航空隊の飛行場建設現場では多くの朝鮮人労働者が働いていました。大和村には昭和9(1934)年までは朝鮮人の寄留者はありませんでしたが、飛行場建設が始まってからその数が急速に増えました。熊谷組、姫野組、大丸組のほか朝鮮人を中心とした組などがあり、宿舎を建てたり農家に間借りをしたりして働いていました。飛行場完成後は、都市計画工事、高座工廠の建設工事などに従事しました。こうした人々は、昭和6(1931)年に政府によって作られた「協和会」(のちに興生会と改称)という朝鮮人統制組織に組み込まれ、村内の朝鮮人も協和会員として登録されていました。同会は各県に支部が、その下に警察署を単位とする支会があり、大和村・渋谷村は藤沢警察署の管内に属していました。朝鮮人は日本人とされながら、日本人とはちがう管理・統制を受けました。昭和15(1940)年には朝鮮名を日本式に代える「創氏改名」が実施され、藤沢警察の特高課に届け出るよう指示されたほか、経済的な面では国防献金などが日本人と同様に課せられました。
参考文献:『大和市史3 通史編 近現代』
文化スポーツ部 文化振興課 市史・文化財担当
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