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慶應義塾大学名誉教授 小此木政夫
 
 今から50年前、すなわち1965年の6月22日に、日本と韓国の関係を正常化するために、一つの条約と四つの協定が締結されました。基本関係に関する条約、財産・請求権ならびに経済協力協定、漁業協定、在日韓国人の法的地位に関する協定、そして文化財および文化協力に関する協定であります。
 なぜそのようなものが必要だったのかと言えば、そこには日本と韓国の間の「重い過去」が存在します。

1910年、すなわち明治43年に、当時の大日本帝国が大韓帝国を併合しました。
それから、日本がポツダム宣言を受諾するまでの約35年間、日本は韓国を自国領土の一部として取り扱いました。広い意味での植民地支配と言ってよいでしょう。
 しかし、それだけではありません。終戦から1965年までの約20年間、日本と韓国の間には国交が存在しない状態が続きました。国交正常化のための交渉が何と14年間も続いたのです。
一度、支配・被支配の関係にあった国同士が関係を正常化するというのは、それほど難しいことでした。
 その意味で、日韓条約は決して「和解」の産物ではありません。それは困難な交渉の末にあった「妥協」の産物でした。いま、それらの合意文書を読んで驚かされるのは、そのどこにも韓国併合に対する謝罪や反省の文言が存在しないことです。
 したがって、当時、韓国内では、学生や野党勢力を中心に激しい反対運動が展開されました。朴正煕(パク・チョンヒ)大統領は戒厳令を敷いて、それを締結したのです。今日でも、それが出発点から誤った条約であるとの原理主義的な主張が存在します。

 それでは、パク政権はなぜ「謝罪のない」関係正常化を強行したのでしょうか。
パクチョンヒ大統領の決断を促したのは、「東西冷戦」と呼ばれた、当時の二極的な国際システムであり、南北間の激しい経済建設競争でした。要するに、「安全保障と経済開発」が韓国の最優先の戦略目標になり、そのような観点から日本との関係正常化が急がれたのです。
 日本から提供された準賠償的な性質をもつ経済協力資金は、韓国の第2次および第3次経済開発五ヵ年計画に投入され、輸出主導型経済発展戦略の採用や韓国軍のベトナム参戦に伴う特需と合わせて、いわゆる「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる経済発展の原動力になりました。
 そして、「新冷戦」の時代を経て、1989年「ベルリンの壁」が崩れるまでに、「安全保障と経済開発」という目標は完全に達成されました。それどころか、韓国は民主化という目標まで達成し、ソウル・オリンピックを成功裏に開催したのです。その意味で、多くの批判にもかかわらず、冷戦時代の日韓関係はある種の「成功物語」でした。

 1990年代と2000年代の約20年間に、ヨーロッパでは、ドイツ統一やヨーロッパ統合が達成され、1970年代前半のデタント時代に続いて、ふたたび歴史和解が進展しました。そして、そのようなシステム変動が東アジアにも波及し、朝鮮半島と日本の関係にも大きな影響を及ぼしました。
 例えば、1990年9月には自民党の金丸信・元副総理と社会党の田辺副委員長が北朝鮮を訪問しました。また、その後まもなく韓国とソ連が国交を樹立しました。1992年には、韓国と中国が国交を樹立しました。
 さらに、1993年に、日本では、非自民党の細川政権が日本の首相としてはじめて植民地支配について謝罪しました。また、1995年8月には、社会党の村山首相が戦後五〇年談話を発表し、アジア諸国に対する「植民地支配と侵略」に「痛切な反省と心からのお詫び」を表明しました。さらに、それ以前の1993年8月には、宮沢政権の河野官房長官が慰安婦問題に関する官房長官談話を発表しました。東アジアにも国際協調と過去反省の時代が到来したのです。
 そのことを象徴したのが、1998年の金大中(キム・デジュン)大統領の訪日であり、小渕首相とともに発表した日韓「パートナーシップ」共同宣言でした。 この共同宣言に続いて、韓国内では日本の大衆文化が段階的に開放され、2002年には日韓がサッカーW杯を共催しました。さらに、その後も、「冬のソナタ」をはじめとする韓流が日本国内を席巻しました。日韓が「歴史和解」に最も接近した時期でした。

 しかし、最近の日韓関係の険悪化をみていると、「歴史和解」が達成される以前に、国際システムの第三の変動が東アジアで始動したとの印象を免れません。北朝鮮問題が解決し、朝鮮半島が統一される以前に、中国の大国化が進行し、それへの日韓の対応に大きなキャップが生まれたのです。
 例えば、就任以来、朴槿恵(パク・クネ)大統領は対外政策の優先順位を変更し、米国と中国を重視する韓国的なG-2外交を展開し、日本に歴史問題、とりわけ慰安婦問題の解決を迫っています。他方、安倍首相は、アベノミックスによって国内的な支持を集めながら、集団的自衛権を確立して、日米同盟を再強化しつつ、戦後70年談話を発表する構えです。
 いま一つ、歴史摩擦が拡大する過程で、日韓の指導者レベルに感情的な対立が発生し、それが官僚機構を拘束し、メディア・ナショナリズムを扇動し、市民感情まで悪化させていることが懸念されます。言い換えれば、システム変動が日韓のリーダーシップやアイデンティティの衝突を招来しているのです。
 したがって、現在、日韓両国にとって最も重要なのは、国際システムの変動を注意深く見極めながら、それに適合する第三の日韓関係を構築することです。いま、日本と韓国はことごとく対立し、何も共有していないかのようですが、それは違います。中国の大国化、そして今日は論じられませんでしたが、広域的な経済統合の時代にも、日韓は多くの要素を共有しています。
 そもそも、我々は同じように米中両国の狭間にあります。米国との同盟関係を堅持しつつ、長期的に「責任ある中国」の誕生を促さなければなりません。また、アジア太平洋に位置する先進的な工業国家として、民主主義、市場経済、普遍的な価値を共有しております。日韓がそれを共有していないとか、それがそれほど重要でないという言説に惑わされてはいけません。
 最後に、懸案の慰安婦問題の解決について付言するならば、それを日韓が共有する国際規範にそって解決することが重要です。慰安婦問題は「戦時下の性暴力」であり、そのような定義に関して、日韓の間に大きな意見の対立はありません。安倍首相が70年談話を発表した後、そのような普遍性を持つ問題として、日韓の官民が共同で解決することが重要です。世界の各国にそのための参加を呼び掛けてもいいと思います。
 この問題がそのような形で解決されれば、新しい時代の日韓関係の形成にも明るい展望が生まれることでしょう。

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