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フルトヴェングラー/オペラ・ライヴ・ボックス



歌劇場のフルトヴェングラー

 フルトヴェングラーのオペラ録音の中でも、実況収録の物を集めたボックスセット。EMIに残した1952年の『トリスタンとイゾルデ』53年の『ニーベルングの指環』『フィデリオ』、巨匠最後の仕事となった『ワルキューレ』は選外となっている。音質については、特に記載がない。選ばれた音源は、1950年のミラノ・スカラ座での『ニーベルングの指環』や47年の『トリスタンとイゾルデ』の第二、第三幕、『ニュルンベルクのマイスタージンガー(欠落あり)』と言ったワーグナーの有名ライヴ録音から、モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』、『ドン・ジョバンニ』、『魔的』三種、ベートーヴェンの『フィデリオ』のザルツブルク音楽祭での記録、グルックの『オルフェオとエウディリーチェ』、ヴェルディの『オテロ』など取り揃えている。興味深かったのは、存在自体は知られていて、一度は市場にながれたものの、それっきりとなっているような音源も含まれているという点である。中古市場のCDは、まるで貴金属のような値段となっている。一件付録めいたこの音源たちが、私の主要な購入理由の一つで、採用された音源がすべてまとまっての採用というわけではないようだが、手軽に手に入るようになっているのはありがたい。戦前のウィーン国立歌劇場での『トリスタンとイゾルデ』、『タンホイザー』ともに抜粋の録音や、1930年代に行われたロンドンでの『ニーベルングの指環』の断片(『ワルキューレ』の第三幕はすべて)、バイロイト音楽祭の『ローエングリン』がそれにあたる。歌手も、指揮者がすでに名声を確立していたフルトヴェングラーということもあってか、フラグスタートや、ローレンツと、伝説入りした大歌手が並んでいる。緩急自在なフルトヴェングラーの魔術的な指揮も、歌手らの全盛期も、乏しい音質を超えて我々に強い感銘を与えてくれる。


ニーベルングの指環 [ミラノ・スカラ座]

 スカラ座での『ニーベルングの指環』公演の記録は、音質が若干劣り、またカットがあるものの、EMIに残した録音と比べると、ライヴの臨場感や、フルトヴェングラー特有の興奮が味わえるという点で有名であり、もしかしたら、EMIのものよりも人気のある演奏である。

 歌手は非常に豪華で、コネツニ、トレプトウ、ウェーバーといった20世紀中盤を代表する名歌手から、伝説入りしたフラグスタートやスヴァンホルム、ローレンツが主要な役柄を務める。ミラノ・スカラ座管弦楽団も面々も悪くない。これら人々をフルトヴェングラーが指揮するのである。20世紀前半の楽劇の演奏の総決算の様相を呈したものであった、と書いても誇張ではあるまい。

 フルトヴェングラーは、概してワーグナーの楽劇を宿命の物語として、連綿と続く一本の大きな流れとしてまとめ上げる傾向にある、有名な『トリスタンとイゾルデ』の録音にしてもそうであり、『ニーベルングの指環』という長大な悲劇もその例外ではない。しかし、大河のような悠久な流れは、ときとしてワーグナーの楽劇の弱点の一つでもある、朗詠調を際立たせる結果となる場面も、あることは確かなことだ。スカラ座の『ニーベルングの指環』でも、根本のスタイルは同じような傾向にあるが、この公演に含まれる緩急自在な巨匠の棒さばきから生まれる燃え上がる熱気は、楽劇全体に強い生命力を与え、さらなる格別な感動を加えている。『ジークフリード』第三幕の幕切れなど典型例で、ブリュンヒルデの情熱を捉えた管弦楽は、次々現れるあらゆるライトモチーフに情熱がしみ込ませて煽りたて、二人は意志の微かな齟齬など気にもかけず、幕切れまで、一気呵成に歌いきっていく。あんなものは、興奮するに決まっているものだ。発火された熱気は、緩みきった楽想を一手に引き受けて駆け上がり、ことごとく焼きつくしてくれるのである。


ワルキューレ第三幕、ロンドンWLCD0045.jpg


















トリスタンとイゾルデ 抜粋

・イゾルデ:アニー・コネツニ
・トリスタン:マックス・ローレンツ
・マルケ王:ヘルベルト・アルセン
・ブランゲーネ:マルガレーテ・クローゼ
・クルヴェナル:Paul Schoeffler
・メーロト: Georg Monthy
・羊飼い:Herman Gallos
・舵取り:Karl Ettl

・ウィーン国立歌劇場管弦楽団

・ウィーン国立歌劇場合唱団

・指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

・1943年1月2日、ウィーン国立歌劇場でのモノラルライヴ録音。
・1941年12月25日、ウィーン国立歌劇場でのモノラルライヴ録音。

  第二幕の一部は、別の日付の録音。

音質について

 フルトヴェングラーの戦前のウィーンでの仕事であり、しかも得意としていたワーグナーであるから、頻繁に出てきてもおかしくない録音であるが、そうでもない。しかも、伝わっているのは断片に限られるとくれば、録音の質は察するべきものなのだろう、実際想像した通りのものだった。フルトヴェングラーの戦前の熱気は、よく「戦時中の緊張した空気」とからめて語られるくらいに神経質な伸縮を繰り返す演奏であり、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との第九や、ブラームスの第二交響曲は、その代表的録音と言えるだろうが、『トリスタンとイゾルデ』の記録は、この二つの水準にも劣る。歌手の歌声は安定しているものの、こもっていて、音程は不安定になる個所もある。

 『トリスタンとイゾルデ』には、他に、フルトヴェングラーの録音の中でも高い水準にある、あまりに有名なセッション録音と、ベルリン国立歌劇場との公演があるが、ベルリンでの公演とウィーンでの公演との間にある音質の隔たりの溝は、セッション録音とベルリンでの公演との間の距離よりも大きいように思われる。まぁ、スピーカーでの鑑賞は、“戦前の音源に慣れている人間なら”問題あるまい、ヘッドホンでの試聴は辛かった。だが、致命的だと感じたのは、断片である点で、音楽が途切れると、夢から突然覚めたかのように、劇の途中で現実に戻されるという具合になる。こういうことが非常に気になるあたり、フルトヴェングラーの無限旋律の扱いは、秘儀として体得していたものと言わざるを得ないだろう。いつの間にか音楽は我々を絡め取っている。ボッケルマンの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のことを少し書いたときに、資料であるという言い方をしたが、ウィーン国立歌劇場での記録は似たような境遇であるようである。しかし、断片も非常に卓抜した手腕が確かにみられる。第三幕冒頭、前奏曲は欠落している、現れてくる、もはや何の楽器かわからない状態の牧人の旋律は、しかし、死のような沈黙をいつの間にか描きあげている。

第一幕のこと

 私が心ひそかに期待していたのは、第一幕の音源である。この楽劇は、劇にしては動きが少ない。毒薬をあおってしまえば、トリスタンとイゾルデは二人の世界から帰ってこず、周りの人物には動かしようもない悲劇が既に成立していて、全ての登場人物は最後まで甘苦の胸中を吐露するにとどまるのである。劇が躍動的に動くのは、『トリスタンとイゾルデ』の中でも第一幕くらいである。ワーグナーが第一幕に用意した恋愛の地獄の書割は、どうすれば愛は死を乗り越えるかという命題の、病理学的実験場の外観を呈しているが、彼の音楽による計算は正確である。ワーグナーは、人生と生活が与えてくれる教訓を、何もかも作品に利用できたと見える。絶望が必要なら、絶望すればよろしい。恋愛の地獄が必要だから、恋愛の地獄に取材に行くのである。そういう幕を料理するフルトヴェングラーの手腕は、47年のベルリンでの録音から察するに、良し悪しの問題はともかくとしても、ライヴの熱気の魔術にかかれば、セッション録音の物とは大きく違ったものとなっているはずだと、私は踏んでいたのである。この予想は的中した。断片的な音源から察せられる音楽は、C.クライバーの物に近いと言ってよいくらい生気と躍動感に満ちたものであった。それにしても、ローレンツが非常にうまい。ローレンツのトリスタンは、デ・サバタのもので聴いたことがあるが、断片ではあるが、重なる部分であれば、フルトヴェングラーの方が歌唱部分の音質が良いため、ローレンツの芸達者な歌唱を聴くことができる。第一幕の幕切れの歌は、ごく一般的なオペラにおける絶唱の場面なのである。第三幕の最後は、例によって音程を無視した演技であるが、音程が伴った歌として演技が現れてくると、これほどまでに緊迫の空気と苦しみに満ちた決意の告白になるものかと思ったものである。トリスタンが毒の入った杯をあおり、イゾルデが後を追う、金管の悲鳴が空間を切り裂く。

 おもに、ライブの熱気が、どの程度影響しているかを、ごく普通に楽しみつつ、計量してみたのだが、結局のところ、フルトヴェングラーに底に通じる思想は、セッション録音も、戦前戦後のライヴ録音もまったく変わらない。すなわち、思い切ってテンポを落とし、聴き手を音楽の世界に招き、耽溺させること、これがフルトヴェングラー≒ワーグナーの憲法である。加速は薬味くらいにしか考えていない。レガートだとか、ソステヌートという技巧の援用でもない、空間の創造である。これは、激しさを見出したがる他のワーグナー演奏とは一線を画した特徴であるから、リヒテルのフルトヴェングラーのワーグナーに対する異様な関心は、無意識の空間に招き入れて、ただただ進んでいくこの特徴にかかっているのではないかと、私は勝手に考えている。フルトヴェングラーの手にかかっては、第二幕の安らぎの世界も、第三幕のただ来るべき死を待つほかなくなった男の絶望も、人生におけるさりげない転調である。ワーグナーのアンダンテを、言うに言われぬ不気味な静けさを、これほどまでにさりげなく、強烈に打ち出したのは、フルトヴェングラーによってであった。
★★★★

ニュルンベルクのマイスタージンガー



 フルトヴェングラーのバイロイト音楽祭の録音の中でも、第九に次いで有名な物。



Various: the Opera Recordings
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