私の気持ち(1)
長いブログ記事ですが、よろしければお読みください。
先日の記事以来、私のことを「チャミペン認定」したい人たちに加えて、他のユノペンの方々からもご批判のコメントをいただいております。それらのコメントは、私が書いた文章とコメント返しの文章が、「冷たく、事務的、ユノへの愛情が感じられない。ユノの入隊で心を痛めているユノペンへの配慮がない。ユノペンに見えない。」という内容が多いです。
2009年からずっと場所を変えながらも、中断することなくファンブログを書いてきました。2009年からずっとブログを読んでくださっている読者もいれば、ブログを読むようになったのが最近という読者の方もおられます。私のブログをご訪問いただいた時間によって、私に対する理解も異なり、同じ文章も読者によって解釈が180度違うようになることも、私自身、よくわかっています。
2009年3月に、ユノケルのパフォーマンスをYouTubeで観て、「こんなにカッコ良く才能がある人を、このまま埋もれさせてはいけない!なんとかしたい」という想いになりました。これが私のユノペンの始まりです。ユノケルのユノは、TOHOSHINKIのユンホのイメージとは全然違いました。目から鱗が落ちるとは、まさにこのことだと思いました。当たり前ですよね、その時まで、私は韓国仕様のユノの映像も画像も、一度も見たことがなかったからです。
なぜ東方神起が分裂することになったのか、分裂の過程で何が起きたのか、ファンたちはどうしたのか? について2009年4月から1から調べ始めました。関連ありそうなもの(日本語、韓国語、英語)を、手当りしだい読みあさりました。5人のTOHOSHINKIについても、デビューからの活動がわかる雑誌や本を購入して読みました。仮説を複数立てながら、情報を整理し、現状把握に日々努めました。あの頃は、毎日新たな情報が出る状態でした。JYJが3人で日本活動を始めると、JYJに関する情報も増えました。SMエンタテインメントに残ったユノとチャンミンの将来がどうなるかは、JYJの動向とそれを支援するファンたちの動きが大きく影響すると思われたので、JYJファンのブログやファンカフェやファンサイトも読みました。とにかく情報をインプットして武装しないと、突然切りつけてくるナイフをよけることができない、そのような時期でしたね。
JYJの3人がロサンゼルスに旅立った情報を知った時、「東方神起にとっていい変化が起こる」と直感しました。そして、その直感は8月末にほぼ確信に変わりました。8月のSMTOWN LIVEに2人で戻ってきた東方神起。ユノの表情やしぐさを見て、「あぁ、ユノは 2人で東方神起をやると決めたんだ」と思いました。この頃まで、私はチャンミンのことをよく知らない状態でした。実際、2009年のチャンミンのソロ活動は少なく、わかりにくかったのです。5人の頃のチャンミンを知るための時間は、正直ありませんでした。
2009年にファンブログを書き始めました。2人と3人の情報と私見をブログに書きました。このブログとはスタイルが違いました。初めはコメント欄を開放せずに、書きたいことを書きました。他のファンブログとは違う雰囲気のブログなので、それに気づいたファンの方が読者になり、少しずつ読者が増えてきました。「東方神起への愛を語る」ブログではなく、「東方神起に関する情報を発信する」ブログを志したからです。ある時期からコメント欄を開放して、コメントも受けることにしましたが、東方神起について熱く語りあう雰囲気のブログにしていないので、コメントの数は多くありませんでした。JYJの日本活動が突然休止になり、アルバムを出して韓国活動を始め、ワールドツアーをやり始めた頃は、日本には今以上に、2人も3人も応援するファンが多かった時期です。ユノとチャンミンの2人だけを応援すると宣言するブログの数は多くありませんでした。5人時代はファンではなく、一度もライブを観に行ったことがない私は、「東方神起は5人」という意見が多数の状況で、愛を語ることはしません。愛を口にできるほど、ユノのことを知らないから。YouTubeでしか見たことがなく、話したこともない私が、愛を語るなんておかしいからです。ひたすら、ユノとチャンミンが「東方神起」として再始動できることを応援する、この姿勢を貫きました。
アンテナにひっかかり、気になる話題をブログでとりあげ、私見をつけ加えるブログのスタイルは、この頃からです。「気になる話題」をとりあげれば、議論が起き、ことばの攻撃をされることもありました。JYJを応援するファンたちとの「見えない相手との戦い」が始まり、再始動が発表された頃から、それが激化しました。JYJを応援するファンたちが流布する「どうみてもおかしなことに対して、反論する」日々が続きました。当時ファンだった方の記憶にはあると思います。
以下のような諸説が流れ、多くの日本のファンが信じました。
■東方神起という名称は、5人でしか使用できないという説。
■東方神起の商標は、SMエンターテイメントが持っていないという説。
■本当は、5人でSMエンターテインメントを出るはずだったが、ユノが裏切った説。
■ユノはSMエンターテインメントの幹部候補が約束された説。
■2人(特にユノ)が、電話番号を変えるなどして、3人からの連絡を受けない説。
日本発の諸説もあったと思いますが、一部の韓国ファン(JYJ側)が流す諸説が多く、それは明らかにJYJの立場を有利にするための意図的な「情報操作」でした。他にもあったかもしれません。思い出したら、追記します。
JYJを応援するファンたちとの「見えない相手との戦い」をしていた日本のファンは他にもいました。当時はまだブログが情報発信のメインメディアでした。2人を応援するブロガーさんの元に、2人を応援する日本のファンが集まり始め、あちこち(Ameba、mixiなど)に2人を応援するファンが集うファンコミュニティが立ち上がり始めました。
2009年は、日本のユノペンサイトを訪問し、会員以外も利用できる掲示板に書き込みをすることもありました。掲示板で、他のユノペンさんと情報交換させていただきました。
再始動の発表を受けて、2人を応援する韓国カシオペアも動きだしました。2人を応援するファンサイトやファンカフェが立ち上がりました。その一方で、会員が多数いるファンサイトやファンカフェが「2人組の東方神起を認めない」と宣言しました。ユノとチャンミンだけを応援するファンの数は、数的に「劣勢」でした。情報難民になりがちな中華圏や欧米、その他アジアの国のファンは、5人の東方神起を希望する人たちが多い状況でした。
東方神起の再始動には、2人を応援する日本のファンが、積極的に動く必要性がある状況でした。再始動の発表の以降は、私は、2人を応援する日本の複数のファンコミュニティの会員になりました。
(2)に続く。
2009年からずっと場所を変えながらも、中断することなくファンブログを書いてきました。2009年からずっとブログを読んでくださっている読者もいれば、ブログを読むようになったのが最近という読者の方もおられます。私のブログをご訪問いただいた時間によって、私に対する理解も異なり、同じ文章も読者によって解釈が180度違うようになることも、私自身、よくわかっています。
2009年3月に、ユノケルのパフォーマンスをYouTubeで観て、「こんなにカッコ良く才能がある人を、このまま埋もれさせてはいけない!なんとかしたい」という想いになりました。これが私のユノペンの始まりです。ユノケルのユノは、TOHOSHINKIのユンホのイメージとは全然違いました。目から鱗が落ちるとは、まさにこのことだと思いました。当たり前ですよね、その時まで、私は韓国仕様のユノの映像も画像も、一度も見たことがなかったからです。
なぜ東方神起が分裂することになったのか、分裂の過程で何が起きたのか、ファンたちはどうしたのか? について2009年4月から1から調べ始めました。関連ありそうなもの(日本語、韓国語、英語)を、手当りしだい読みあさりました。5人のTOHOSHINKIについても、デビューからの活動がわかる雑誌や本を購入して読みました。仮説を複数立てながら、情報を整理し、現状把握に日々努めました。あの頃は、毎日新たな情報が出る状態でした。JYJが3人で日本活動を始めると、JYJに関する情報も増えました。SMエンタテインメントに残ったユノとチャンミンの将来がどうなるかは、JYJの動向とそれを支援するファンたちの動きが大きく影響すると思われたので、JYJファンのブログやファンカフェやファンサイトも読みました。とにかく情報をインプットして武装しないと、突然切りつけてくるナイフをよけることができない、そのような時期でしたね。
JYJの3人がロサンゼルスに旅立った情報を知った時、「東方神起にとっていい変化が起こる」と直感しました。そして、その直感は8月末にほぼ確信に変わりました。8月のSMTOWN LIVEに2人で戻ってきた東方神起。ユノの表情やしぐさを見て、「あぁ、ユノは 2人で東方神起をやると決めたんだ」と思いました。この頃まで、私はチャンミンのことをよく知らない状態でした。実際、2009年のチャンミンのソロ活動は少なく、わかりにくかったのです。5人の頃のチャンミンを知るための時間は、正直ありませんでした。
2009年にファンブログを書き始めました。2人と3人の情報と私見をブログに書きました。このブログとはスタイルが違いました。初めはコメント欄を開放せずに、書きたいことを書きました。他のファンブログとは違う雰囲気のブログなので、それに気づいたファンの方が読者になり、少しずつ読者が増えてきました。「東方神起への愛を語る」ブログではなく、「東方神起に関する情報を発信する」ブログを志したからです。ある時期からコメント欄を開放して、コメントも受けることにしましたが、東方神起について熱く語りあう雰囲気のブログにしていないので、コメントの数は多くありませんでした。JYJの日本活動が突然休止になり、アルバムを出して韓国活動を始め、ワールドツアーをやり始めた頃は、日本には今以上に、2人も3人も応援するファンが多かった時期です。ユノとチャンミンの2人だけを応援すると宣言するブログの数は多くありませんでした。5人時代はファンではなく、一度もライブを観に行ったことがない私は、「東方神起は5人」という意見が多数の状況で、愛を語ることはしません。愛を口にできるほど、ユノのことを知らないから。YouTubeでしか見たことがなく、話したこともない私が、愛を語るなんておかしいからです。ひたすら、ユノとチャンミンが「東方神起」として再始動できることを応援する、この姿勢を貫きました。
アンテナにひっかかり、気になる話題をブログでとりあげ、私見をつけ加えるブログのスタイルは、この頃からです。「気になる話題」をとりあげれば、議論が起き、ことばの攻撃をされることもありました。JYJを応援するファンたちとの「見えない相手との戦い」が始まり、再始動が発表された頃から、それが激化しました。JYJを応援するファンたちが流布する「どうみてもおかしなことに対して、反論する」日々が続きました。当時ファンだった方の記憶にはあると思います。
以下のような諸説が流れ、多くの日本のファンが信じました。
■東方神起という名称は、5人でしか使用できないという説。
■東方神起の商標は、SMエンターテイメントが持っていないという説。
■本当は、5人でSMエンターテインメントを出るはずだったが、ユノが裏切った説。
■ユノはSMエンターテインメントの幹部候補が約束された説。
■2人(特にユノ)が、電話番号を変えるなどして、3人からの連絡を受けない説。
日本発の諸説もあったと思いますが、一部の韓国ファン(JYJ側)が流す諸説が多く、それは明らかにJYJの立場を有利にするための意図的な「情報操作」でした。他にもあったかもしれません。思い出したら、追記します。
JYJを応援するファンたちとの「見えない相手との戦い」をしていた日本のファンは他にもいました。当時はまだブログが情報発信のメインメディアでした。2人を応援するブロガーさんの元に、2人を応援する日本のファンが集まり始め、あちこち(Ameba、mixiなど)に2人を応援するファンが集うファンコミュニティが立ち上がり始めました。
2009年は、日本のユノペンサイトを訪問し、会員以外も利用できる掲示板に書き込みをすることもありました。掲示板で、他のユノペンさんと情報交換させていただきました。
再始動の発表を受けて、2人を応援する韓国カシオペアも動きだしました。2人を応援するファンサイトやファンカフェが立ち上がりました。その一方で、会員が多数いるファンサイトやファンカフェが「2人組の東方神起を認めない」と宣言しました。ユノとチャンミンだけを応援するファンの数は、数的に「劣勢」でした。情報難民になりがちな中華圏や欧米、その他アジアの国のファンは、5人の東方神起を希望する人たちが多い状況でした。
東方神起の再始動には、2人を応援する日本のファンが、積極的に動く必要性がある状況でした。再始動の発表の以降は、私は、2人を応援する日本の複数のファンコミュニティの会員になりました。
(2)に続く。