沖縄慰霊の日:70年癒えぬ傷…「戦争二度とないように」
毎日新聞 2015年06月23日 11時26分(最終更新 06月23日 13時43分)
強い日差しが照りつける中、沖縄に70年目の鎮魂の日が巡ってきた。沖縄戦で亡くなった家族や友人らに祈りをささげる「慰霊の日」の23日、沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の「平和の礎(いしじ)」には早朝から遺族らが訪れて犠牲者の冥福を祈った。戦火をくぐり抜けた世代は高齢化し、体験を語れる人たちは年々少なくなっているが、凄惨(せいさん)を極めた地上戦による傷は今も癒えることがない。
「平和の礎」では、早朝から続々と遺族らが訪れた。強い日差しの中、碑に刻まれた名前をなぞりながら戦没者に語りかけ、花を手向ける姿が見られた。
兄が旧日本軍に徴兵され、沖縄戦で戦死した糸満市の知念清徳さん(77)は「二度と戦争がないように見守ってください」と刻銘碑に語りかけ、酒をかけておにぎりを供えた。政府が米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設を進めていることに対し「平和で安心して生活するために沖縄に基地はいらない。あれから70年たったのに、まだ沖縄は平和じゃない」と涙ぐんだ。長女恵美子さん(45)は「父は思い出すのがつらくて戦争の話は今もめったにしない。政府は体験者の声に耳を傾けてほしい」と話した。
那覇市の多和田真好(しんこう)さん(74)はあの時、同居の叔父と祖母と3人で沖縄本島南部の戦場を逃げ回った。目の前で米軍の火炎放射器で焼かれた叔父の名前も碑に刻まれている。息子の真治さん(40)は三線(さんしん)を奏でながら「平和の音色だよ」と語りかけた。
多和田さんは集団的自衛権の行使容認を進める安倍晋三政権に不安をのぞかせる。「軍事力を高めることばかり考え、アジアの近隣諸国と敵対する道を歩んでいるように感じる。家族でも時には対立するものだ。仲良くする道を探してほしい」
一方、普天間飛行場の辺野古移設を容認する遺族もいた。飛行場近くに住む本村朝伸(ちょうしん)さん(80)は、毎日銭湯に連れて行ってくれた優しい父を亡くし戦争を恨むが、国防に米軍基地は必要と考える。「近くで暮らす家族を思うと、辺野古に移すしかないと思う。そうしなければあと20年は普天間にあり続けるだろう」と語った。【比嘉洋、川上珠実】