日韓正常化50年:「友好、歌い続けたい」在日2世歌手

毎日新聞 2015年06月22日 22時15分(最終更新 06月22日 23時59分)

7月のコンサートに向け、スタジオで練習する金桂仙さん=大阪市淀川区で、16日、小関勉撮影
7月のコンサートに向け、スタジオで練習する金桂仙さん=大阪市淀川区で、16日、小関勉撮影

 ◇金桂仙さん 日韓両国の歌曲で「懸け橋に」

 「私の歌の中では日本と朝鮮半島は仲良く手を取り合っている。これからも日韓友好のために歌い続けたい」。在日韓国人2世のソプラノ歌手、金桂仙(キム・ケソン)さん(66)=大阪市淀川区=は、30年以上舞台に立ち、日韓両国の歌曲を歌い続けてきた。今は月1回のペースで公演を行い、韓国でも歌声を披露。7月には大阪市内で音楽仲間とのコンサートに出演する。日韓国交正常化50年を迎え、「苦労して日本に根付いた1世の思いを、歌声に乗せて4世、5世へと伝えていきたい」と話す。

 金さんの両親は1920年代に韓国大邱(テグ)から来日。金さんは大阪府吹田市で生まれ、小学校5年から民族学校に転校。大阪朝鮮高級学校を卒業後、大阪や東京の民族音楽団で歌手として9年活動した。長男の妊娠を機に夫と大阪に戻り、焼き肉店の経営を始めた。

 妻、母、おかみとして多忙な日々。歌への思いは心の中で封印していたが、34歳の時にレッスンを再開した。知り合いの誘いを受けて各地の演奏会に出演した。

 歌い続ける理由があった。個人で活動を始めたころ、府内の福祉施設で民族衣装のチマ・チョゴリを着て熱唱した。歌い終わった後、客席の女性から「私も韓国人です」と声をかけられた。神戸市の中学校で歌った際には、生徒から「実は在日なんです」と手紙を受け取った。2人とも在日コリアンであることは周囲に明かしていなかった。「在日を隠している人も、私の歌声に古里を感じ取ってくれている。この人たちのために歌おう」

 思いを届けるためにも本格的に学ぼうと、47歳で大阪音楽大短期大学部に入学。2年後に大学に編入し、オペラを学ぶ専攻科にも進んだ。卒業後はプロとしてコンサートを重ねた。2009年3月には韓国の「慶州ナザレ園」を訪れた。日本統治時代に朝鮮人と結婚して韓国に移住したが、身寄りがなくなった日本人妻が暮らす施設。報道で日本人妻の存在を知り、「歌を届けたい」と思ったという。

 80〜90歳代の日本人妻と韓国人が見つめる中、日本の歌曲を歌い始めると、日本人妻たちが歌を口ずさんだ。韓国の歌では韓国人から手拍子が起きた。アンコールの「赤とんぼ」では両者が涙を流しながら合唱した。「歌に国境はない。民族を超えて一つになれる。私はこのために歌い続けてきたんだ」と実感した。

 7月のコンサートは22日午後1時、帝国ホテル大阪(大阪市北区)で。「歌で世界をめぐる」をテーマに、大阪音大の同窓生ら11人が日韓両国を含む11カ国の歌曲を披露する。金さんは韓国の民謡「アリラン」をアレンジした「新・アリラン」や「アベ・マリア」を歌う。

 「私は在日コリアン。だからこそ、日本と朝鮮半島の懸け橋になれる」。声が続く限り、歌い続けるつもりだ。【寺岡俊】

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