千の証言・投稿:<空襲>炎の川で首だけ出して夜を明かした=東京都渋谷区・白滝トミさん(88)
2015年06月22日
2人の兄はビルマ(現ミャンマー)、レイテ島へ出征。当時私は18歳。茨城県水戸陸軍赤十字病院救護看護婦学校へ入学しました。翌昭和20(1945)年8月1日夜、空襲警報発令。艦砲射撃、爆撃の雨、近くの那珂川へ逃れ、炎が流れる川の中で首だけ出して一夜を明かしました。
空襲警報解除になり、病院へ戻ると、市街、病院、寮は全焼。防空壕(ごう)へ運んだ患者さんだけ生存していました。小さな乾パンを公平に分けるため、数回に分けての食事でした。
私たち看護学生は罹災(りさい)証明書を渡され、それぞれの自宅へ帰省することができました。ずぶぬれの衣服を自然に乾かし、あわれな姿で、茨城県の水戸市から栃木県の足利市の実家へ帰宅した時のことは、一生忘れられない思い出です。終戦13日前のことでした。