千の証言・投稿:<空襲>死を覚悟した父の言葉=埼玉県羽生市・宮崎敏(さとい)さん(75)
2015年06月22日
「防空壕(ごう)から出ろ!」
父親の言葉でした。生家の庭に、父親がつくった、大人8人ぐらいが入る防空壕がありました。夜なのに、米軍のB29の照明弾で日中のように明るい。父親はこのまま防空壕で死ぬのなら家の中でと……大きな声で「防空壕から出ろ! 家の中に入れ!」と。
両親と子供3人。私は5歳でした(父は死を覚悟したのでしょう)。
また、B29の飛行機の音もいまだに耳に残っています。爆弾が降り、その時は熊谷が大空襲を受けました。私の生家は飛行場にも近く、利根川では何年後かに不発弾がみつかりました。
“私の忘れられない言葉”です。